第306話 レオンの拒否線
帝国通常軍艦『グラトン』。
その艦橋には、カルディア・ベイ周辺の防衛配置図が表示されていた。
巨大建造ブロック『カルディア・ベイ』。
艦艇、GD、特殊装備、PT関連部材を扱う帝国本国圏の重要施設。
通常軍にとっても、監察局にとっても、失うわけにはいかない場所だった。
そこへ、ルクス・ヴァルキュリアが接近している。
防衛任務として見れば、止めるべき相手だ。
第一防衛圏を抜け、レグナリア外周へ接触し、カルディア・ベイの技術記録端末にまで手を伸ばした未登録艦。
しかも、ノクス・レクイエムという命令層切断危険体を搭載し、A系列個体を保護している。
帝国通常軍の指揮官として、レオンが警戒しない理由はなかった。
だが、問題はそこではなかった。
「本国統合作戦司令部より、再命令」
クラウスが端末を読み上げる。
「外縁方面軍旗艦『グラトン』は、カルディア・ベイ外周防衛線を再配置。対象艦ルクス・ヴァルキュリアを監察局指定処置区域へ誘導せよ。通常軍防衛艦隊は、対象艦の後退経路を封鎖。必要に応じ、囮機動により対象艦の進路を限定せよ」
レオンは無言で聞いていた。
艦橋の空気が重くなる。
囮機動。
後退経路封鎖。
監察局指定処置区域への誘導。
防衛命令の形をしている。
だが、それは敵を止めるための配置ではない。
敵を、監察局が望む場所へ追い込むための配置だった。
クラウスは続ける。
「追加事項。通常軍は、監察局部隊の観測活動を妨げてはならない。対象艦の特殊兵装、PT反応、再定義機に関する観測を優先せよ」
レオンがようやく口を開いた。
「防衛命令ではないな」
クラウスは、端末から目を上げる。
「命令文上は、カルディア・ベイ防衛支援です」
「言葉はな」
レオンは低く言った。
「実態は、監察局の実験場作りだ」
艦橋前方の画面には、監察局が提示した防衛配置案が映っている。
通常軍艦艇が、カルディア・ベイ外周の一部をあえて薄くする。
ルクス・ヴァルキュリアが通れるように見える隙間を作る。
その先には、監察局管理区画から伸びる照合波と、特殊GDの待機領域。
タナトス、モルス、そして未確認の監察局仕様機が配置される予定だった。
通常軍は壁になる。
通常軍は囮になる。
通常軍は敵を誘導する。
そして、敵がその道を選んだ瞬間、監察局が処置する。
レオンはその配置を見つめた。
「この案を作った者は、通常軍の艦を駒としか見ていない」
クラウスは静かに言う。
「監察局の作戦思想としては、珍しくありません」
「珍しくないから問題だ」
レオンの声は冷たかった。
彼はルクス・ヴァルキュリアに同情しているわけではない。
彼らは帝国の防衛線を突破した敵だ。
アミィを回収し、ノクスを動かし、本国圏の機密記録へ触れた。
放置できる相手ではない。
だが、その敵を止めるために、自軍の兵を実験用の壁にするつもりはなかった。
「監察局は、いつもそうです」
クラウスが言った。
「敵も味方も、対象として扱う。兵の消耗も、作戦の副産物として処理する」
「だから、拒否する」
レオンは即答した。
艦橋の何人かが、わずかに顔を上げる。
「クラウス。返信を作れ」
「内容は」
「『グラトン』は、カルディア・ベイ防衛任務を継続する。ただし、監察局指定処置区域への誘導配置には参加しない。通常軍防衛線は、建造ブロック外周の防衛に必要な位置へ独自配置する」
クラウスは一瞬だけ間を置いた。
「本国命令に対する限定拒否となります」
「そう書け」
「よろしいのですか」
「防衛任務を放棄するわけではない」
レオンは画面を見据える。
「むしろ、防衛任務に戻す」
カルディア・ベイ周辺。
通常軍艦隊が動き始めた。
監察局の提示した配置とは異なる形で、外周防衛線が組み直されていく。
監察局管理区画へ誘導する隙間を作るのではなく、建造ブロックの主要ドックと艦艇建造ラインを守る配置。
後退経路を完全に塞ぐのではなく、ルクス側が無理に突撃しない限り、直接交戦を避けられる距離。
監察局の管制区画から、即座に通信が入った。
『レオン司令』
画面に映ったのは、監察局の連絡官だった。
オルフェン本人ではない。
だが、背後に監察局の意思があることは明らかだった。
『防衛配置が、指定案から逸脱しています』
レオンは表情を変えない。
「通常軍として、カルディア・ベイ防衛に適した配置を採用している」
『対象艦を処置区域へ誘導するには、現配置では不十分です』
「通常軍の任務は、敵を監察局の処置区域へ誘導することではない。カルディア・ベイを防衛することだ」
『本国命令には、監察局作戦への協力が含まれています』
「協力はしている。対象艦の接近を監視し、防衛線を展開している」
『通常軍艦艇の一部を囮配置へ移してください』
レオンの目が冷たくなる。
「拒否する」
艦橋の空気が張り詰めた。
監察局連絡官の声が、わずかに硬くなる。
『命令拒否と記録されます』
「構わん」
レオンは静かに言った。
「通常軍の兵を、監察局の観測用の餌にする命令なら、拒否すると記録しろ」
通信の向こうが、一瞬沈黙した。
『レオン司令。対象艦は危険です。命令層切断危険体を搭載し、A系列個体を不正に保持しています』
「知っている」
『ならば、処置が必要です』
「処置ではなく、防衛が必要だ」
レオンは言った。
「ルクス・ヴァルキュリアは敵だ。接近すれば止める。攻撃してくれば撃つ。カルディア・ベイを突破しようとすれば、通常軍として阻止する」
そこで、彼は一度言葉を切った。
「だが、監察局の実験台へ押し込むために、こちらの艦を並べる気はない」
連絡官は、しばらく沈黙した後、通信を切った。
クラウスが静かに報告する。
「監察局通信、終了。命令拒否として記録された可能性があります」
「記録させておけ」
レオンは短く答えた。
「本国から再度の命令が来る可能性があります」
「来るだろう」
「場合によっては、指揮権の一部剥奪もあり得ます」
「それも承知している」
レオンの声は揺れなかった。
クラウスはしばらく彼を見ていた。
「司令は、ルクス・ヴァルキュリアを助けたいわけではありませんね」
「当然だ」
レオンは即答する。
「奴らは敵だ」
「では、なぜここまで監察局と距離を取るのですか」
レオンは前方画面を見た。
カルディア・ベイ。
帝国の建造施設。
その周辺に、通常軍の艦艇が配置されている。
そのさらに内側で、監察局の黒い識別反応が動いている。
「通常軍には、通常軍の役目がある」
レオンは言った。
「防衛線を維持する。兵を守る。敵を止める。必要なら、命令に従って戦う」
彼の視線が、監察局管理区画へ向く。
「だが、監察局は違う。奴らは敵を止めることより、敵がどう反応するかを見る。兵を守ることより、兵がどう消耗するかを記録する。命令を果たすことより、対象を分類することを優先する」
クラウスは何も言わなかった。
「それを同じ防衛任務と呼ぶなら、俺は拒否する」
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
カルディア・ベイ周辺の防衛配置が変化したことは、すぐに確認された。
「通常軍防衛線、再配置」
索敵担当が報告する。
「監察局管理区画への誘導線が一部消えています。グラトンを中心とした通常軍艦隊が、建造ブロック防衛寄りに移動」
ジンは画面を見た。
「レオンか」
黒瀬が端末を確認する。
「監察局の指定誘導配置から外れています。通常軍防衛線としては合理的です。こちらを逃がす配置ではありませんが、監察局の処置区域へ追い込む形でもありません」
カイトが言う。
「つまり、助けてくれてるわけじゃないけど、監察局に渡す気もない?」
「そう見えます」
黒瀬は頷いた。
「ただし、敵であることに変わりはありません。カルディア・ベイへの接近を続ければ、通常軍として阻止してくる可能性は高い」
ジンは短く笑った。
「分かりやすいな」
ユイが静かに言う。
「レオン司令は、監察局と違います」
「そうだな」
ジンは頷く。
「だから、読み間違えるな。あいつは味方じゃない。だが、監察局のように相手を対象として扱うタイプでもない」
黒瀬が記録する。
「レオン隊。通常軍防衛任務を優先。監察局作戦への全面協力は拒否傾向。将来的な一時的利害一致の可能性あり」
カイルの通信が入る。
『要するに、いざとなれば横から殴ってくる敵だが、監察局に利用されるのは嫌ってことか』
「そういうことだ」
ジンは答えた。
『嫌いじゃないな、そういう敵は』
「好きになるなよ」
『そこまでは言ってない』
短いやり取りの後、艦橋の空気はすぐに引き締まった。
防衛線が変わったとはいえ、カルディア・ベイの危険が減ったわけではない。
むしろ、通常軍と監察局の意図がずれ始めたことで、戦場は複雑になっている。
監察局管制区画。
オルフェン・グラードは、通常軍防衛線の再配置を見ていた。
「レオン司令、指定配置を拒否」
局員が報告する。
「通常軍艦艇は、監察局処置区域への誘導線から外れています。防衛合理性を理由に、独自配置を採用」
「予想範囲内だ」
オルフェンは淡々と答えた。
「対応しますか」
「直接は不要だ。通常軍には通常軍の役割を果たさせろ」
局員は端末を操作する。
「処置区域誘導が困難になります」
「別の誘導線を作ればいい」
オルフェンは画面を切り替えた。
カルディア・ベイ内部の監察局管理区画。
セレスティア改修記録。
ノクス・リリス封印記録。
タナトス、モルスの整備ログ。
そして、ヴァルクレイド・セレスの新しい仮分類。
「対象艦は記録を求めている。通常軍の配置が変わっても、記録への道を完全に閉じなければ進む」
「では、記録端末側で誘導しますか」
「そうだ」
オルフェンは静かに言った。
「レオン司令は、通常軍を囮にされることを嫌う。ならば、通常軍を使わずに対象艦を進ませる」
局員が問う。
「レオン司令を問題視しますか」
「通常軍指揮官としては優秀だ」
オルフェンの答えは感情を含まない。
「ただし、監察局の処置には不向きだ。以後、彼の艦隊を観測用配置から除外する」
「了解」
局員が入力する。
オルフェンは、別の画面を開いた。
対象L。
対象A。
ヴァルクレイド・セレス。
保護再定義機。
「次は、通常軍を使わずに守る線を揺らす」
グラトン艦橋。
本国からの再命令は、まだ来ていなかった。
だが、来ることは分かっている。
クラウスが通信ログを確認する。
「監察局が、グラトンを観測用配置から外しました」
「そうか」
レオンは短く答えた。
「監察局側は、別の誘導策へ切り替えるものと思われます」
「だろうな」
「こちらはどうしますか」
レオンは、カルディア・ベイ防衛線を見た。
ルクス・ヴァルキュリアは敵。
監察局は味方側の組織。
しかし、その二つを単純に分けられるほど、戦場は綺麗ではない。
「通常軍防衛線を維持する」
レオンは言った。
「ルクス・ヴァルキュリアがカルディア・ベイの主要建造区画へ侵入しようとするなら、止める。通常軍艦艇への攻撃があれば、撃ち返す。だが、監察局の処置区域へ追い込むための行動は取らない」
「了解しました」
クラウスは頷く。
「それと」
レオンは少しだけ声を低くした。
「監察局が通常軍艦艇を利用しようとする動きがあれば、すぐに報告しろ」
「監察局への妨害になりますが」
「防衛線の混乱を防ぐためだ」
クラウスは、一瞬だけ口元を緩めた。
「了解しました。防衛線の混乱防止として処理します」
レオンは前方を見た。
「ルクス・ヴァルキュリアを逃がすつもりはない」
その声は、冷静だった。
「だが、監察局の道具にするつもりもない」
ルクス・ヴァルキュリアは、カルディア・ベイ外周で次の接触準備を進めていた。
レオン隊の動きは、味方の支援ではない。
それでも、監察局の網を一部崩した。
その事実は、艦内に小さな余白を生んでいた。
黒瀬は記録に追記する。
レオン。
通常軍指揮官。
監察局作戦への協力に消極的。
防衛任務と観測処置を区別。
敵対継続。
ただし、監察局の実験的運用には反発。
ジンはその記録を見て、短く言った。
「いつか、一瞬だけでも同じ方向を向く時が来るかもしれんな」
黒瀬は頷く。
「可能性はあります。ただし、信頼ではなく利害の一致として扱うべきです」
「分かっている」
ジンは前方を見据えた。
カルディア・ベイ。
通常軍。
監察局。
そして、その中にあるPT達の記録。
敵は一枚岩ではない。
だが、それは安全を意味しない。
レオンが引いた拒否線は、ルクス側にとって偶然の隙間になった。
しかし、その隙間の向こうで、監察局はすでに次の手を組み替えている。
ルクス・ヴァルキュリアは、その複雑な戦場へ進んでいく。
防衛任務と実験。
敵意と拒否。
命令と判断。
レオンが引いた一本の線は、まだ細い。
だが、その線は、後に戦場の形を変えるかもしれなかった。




