表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
293/412

第291話 限定切断

 第一防衛圏の認証網が、また形を変えた。

 それは目に見える変化ではない。

 艦橋の前方映像に映る宇宙は、変わらず暗く、静かだった。

 だが、ルクス・ヴァルキュリアを包む見えない線は、明らかに濃くなっていた。

「外部認証圧、上昇」

 航法士が報告する。

「指定航路への誘導が強まっています。さらに、監察局観測線が進路前方へ集中」

 黒瀬が端末を操作する。

「タナトス反応、再出現。前回より距離が近い。周辺に再同期波の集束も確認」

 艦橋の空気が一気に引き締まった。

「組み合わせてきたか」

 ジンが低く言う。

「はい」

 黒瀬は画面を切り替えた。

 そこには、三種類の線が重なって表示されていた。

 第一防衛圏の認証網。

 タナトスの隔離場。

 監察局の再同期波。

 それぞれは別の機能を持つ。

 だが、今は同じ場所へ向かっていた。

 保護区画。

 ヴァルクレイド・セレスの防壁供給線。

 アミィとレータの接続。

「対象は同じです」

 黒瀬が言った。

「アミィとレータの分断。さらに、分断後の再同期」

 ジンは即座に命令を出す。

「各員、戦闘配置。カイトは前衛。セラ、イリス、ミオはノクス使用条件の補助に入れ。レイはタナトスの牽制。ユイは待機、指示があるまでノクスを起動するな」

「了解!」

 通信越しに各員の声が返る。

 ユイは機動甲板で、ノクス・レクイエムの前に立っていた。

 黒い装甲。

 ネメシス・レクイエムの残骸を再定義した外殻。

 その奥に、ノクス・リリス由来の操縦中枢が眠っている。

 切るための機体。

 だが、今はすべてを切るために出すのではない。

「ユイ」

 カイトの声が通信に入る。

『すぐに使わなくていい。俺たちで持たせる』

「はい」

 ユイは静かに答えた。

「使う時は、決めた範囲だけを切ります」


 タナトスが動いた。

 黒灰色の機体が、第一防衛圏の認証網の中を滑るように進む。

 背部の円環が開き、薄い隔離場が展開された。

 同時に、監察局の再同期波が保護区画へ向かって伸びる。

 前回は別々だった。

 再同期波。

 隔離場。

 今回は、それらが重ねられていた。

 レータとアミィの間に走る防壁線を、タナトスが薄く引き延ばす。

 その隙間へ、再同期波が入り込もうとする。

 保護区画で、アミィが肩を震わせた。

「……また、来ます」

 レータはすぐにアミィの手を握る。

「聞かなくていい」

「でも……遠くなるのと、戻れって声が、一緒に……」

 アミィの声が途切れる。

 室内に警告が鳴った。

「防壁供給線、分断圧上昇!」

 エルマが報告する。

「再同期波が、防壁の薄くなった部分に重なっています。このままでは、アミィの反応が揺さぶられます!」

 レータは歯を食いしばった。

「ヴァルクレイド・セレス、防壁出力上昇」

 格納区画で、ヴァルクレイド・セレスが応答する。

 重装フレームの内部で、旧セレスティア由来の支援波が立ち上がる。

 命令を通すための構造が、今回も命令を遮るために反転した。

 だが、タナトスの隔離場がその供給線を削る。

 再同期波が、削れた隙間に入り込む。

「アミィ、私の声を聞いて」

「……はい」

 アミィは返事をした。

 だが、その返事に、別の意味が重なりかける。

『対象A』

『復帰』

『応答』

「……ちが……」

 アミィが唇を震わせる。

「違う……戻りたく、ない……」

 その言葉は出た。

 だが、前回よりも細い。

 防壁が引き離されている分、自己応答が守りにくい。

 レータの額に汗が浮かぶ。

「通さない」

 彼女は低く言った。

「でも、このままだと……」

 カナデが端末を見る。

「防壁だけでは厳しいわ。ミオちゃん!」


 機動甲板外では、アルタイル・ノヴァ・ブレイスがタナトスの前に立っていた。

「こいつ……前より線が多い!」

 カイトが叫ぶ。

 タナトスの隔離場は、前回より複雑だった。

 ひとつの境界線に見えて、内側に複数の薄い層がある。

 その一部が再同期波と重なり、さらに第一防衛圏の認証網へ接続している。

 まるで、切ってはいけない線と切るべき線を、わざと重ねているようだった。

『カイトさん、真正面から押さえないでください!』

 イリスの声が通信に入る。

『隔離場の表層は囮です。そこを押すと、支援網側が引き剥がされます』

「なら、どこを止めればいい!」

『セラさん、節点表示を送ります』

『受信しました』

 セラのフェンリオン・リサイトが後方で照準を合わせる。

『右上方円環、第二節点。そこを揺らせば、隔離場の重なりが一瞬ずれます』

 レイのヴァナルガンドが側面に回り込む。

『じゃあ、こっちはタナトスを動かす。狙いを固定させるな』

「頼む!」

 カイトはアルタイルのブレイスユニットを展開し、タナトスの前方へ防御光を張った。

 攻撃ではない。

 支援経路へ伸びる隔離場を受け止めるための壁。

 だが、受け止めるほど機体の通信が乱れる。

「くっ……!」

 カイトの視界に、警告が走った。

『支援接続、低下』

『外部境界干渉』

『対象分離圧上昇』

 ミオの声が途切れながら届く。

『カイトさん、少しだけ持たせてください。ノクスの切断補助線を作ります』

「了解!」

 カイトは歯を食いしばり、アルタイルを前に出した。


 ルナ・スケイル・リフレクトの支援席で、ミオは支援網を細く絞っていた。

 広げれば読まれる。

 押し返せば捕まる。

 だから、今回は線を作る。

 切るための線。

 切ってはいけない線を避けるための線。

「命令層反応、赤。認証網本体、黒。支援経路、青。タナトス隔離場、灰」

 ミオが表示を整理していく。

「ユイさんへ送ります」

 イリスが位相の揺らぎを重ねる。

「隔離場は固定されていません。赤と灰が重なる部分が、切断候補です。ただし黒に触れる部分は避けてください」

 セラが照準補助を加える。

「節点位置、三秒ごとに移動します。ノクスで切れる時間は、一呼吸分しかありません」

 グリッドの声が入る。

『ユイ、聞こえるか』

「聞こえています」

『起動は最小限だ。広げるな。切りたい気持ちで出力を上げるな。範囲を守れ』

「はい」

 黒瀬が続ける。

『ノクス・レクイエム限定使用条件を確認する。対象はタナトス隔離場と再同期波の重複部分。第一防衛圏認証網本体への切断は禁止。起動時間は最小限。医療班、技術班、外部停止役が監視』

 ジンが最後に言う。

『艦長権限で、限定起動を承認する』

 通信が一瞬、静かになった。

『ユイ』

 カイトの声が届く。

『大丈夫。俺たちが線を作る。ユイは、決めたところだけ切って』

 ユイは目を閉じた。

 切る力。

 それは、ただ振るえばいいものではない。

 何を切るか。

 何を残すか。

 切った後に、誰が守るか。

 そのすべてを、今は一人で決めているわけではない。

「ノクス・レクイエム」

 ユイは静かに言った。

「限定起動します」


 封印区画のロックが外れた。

 ノクス・レクイエムの黒い装甲に、淡い光が走る。

 眠っていた機体が、ゆっくりと息をするように起動した。

 だが、その反応は大きく広がらない。

 グリッドが設定した制限。

 黒瀬が定めた条件。

 ミオ、イリス、セラが重ねた補助線。

 それらが、ノクスの出力を細く絞り込んでいく。

 ユイが操縦席に座る。

 視界に、無数の線が表示された。

 赤。

 黒。

 青。

 灰。

 切るべき線。

 切ってはいけない線。

 守るべき線。

 触れてはいけない線。

 そのどれもが絡み合っている。

「……見えています」

 ユイが呟く。

 頭の奥に痛みが走る。

 ノクスの反応が、第一防衛圏の認証網に触れかける。

 すぐに黒い警告が浮かんだ。

『未登録命令層切断反応』

『危険度上昇』

『照合要求』

 ユイはそれを無視しない。

 押し返さない。

 ただ、触れないように範囲を絞る。

「ミオさん、赤と灰の重複だけをもう一度」

『送ります』

「イリスさん、黒に近い線を強調してください」

『強調します』

「セラさん、節点の移動を」

『二秒後、右下へずれます』

 ユイは息を整えた。

 ノクスなら、広く切れる。

 タナトスの隔離場だけでなく、周囲の認証網も、再同期波も、まとめて断ち切れるかもしれない。

 だが、それはしない。

「切るのは、ここだけ」

 ユイは言った。

 ノクス・レクイエムの腕が動く。

 刃のような光が、細く伸びた。


 タナトスの隔離場が、レータとアミィの間の支援線をさらに引き延ばした。

 再同期波が、その隙間に入り込む。

「アミィ!」

 レータが叫ぶ。

 アミィは必死に口を開く。

「戻りたく……ない……!」

 その声が、再同期波に押し潰されかけた瞬間。

 空間に、細い切断光が走った。

 広範囲ではない。

 爆発でもない。

 第一防衛圏全体を震わせるような大きな力でもない。

 ただ、赤と灰が重なった一点。

 タナトスの隔離場と再同期波が重なり、アミィの自己応答へ届こうとしていた、その細い経路だけを切った。

 切断された再同期波が、意味を失って散る。

 隔離場の一部が崩れ、レータとアミィの間の防壁線が戻った。

「接続、戻ります!」

 ミオが叫ぶ。

「支援網、再接続!」

 ヴァルクレイド・セレスの防壁が、切断後の空白をすぐに埋めた。

 レータの反応がアミィを包み直す。

 旧セレスティア由来の支援波が、外からの命令を遮るだけでなく、アミィの内側の返事を守る。

「アミィ!」

 レータが手を握る。

 アミィは息を震わせながら、レータを見た。

「……戻りません」

 今度は、言葉がはっきりしていた。

「わたしは、戻りません」

 レータは強く頷いた。

「うん」

 防壁が安定する。

 再同期波は切れた。

 タナトスの隔離場も、一部が崩れている。

 だが、ユイはまだノクスの中で刃を止めていた。

「広げない……」

 彼女は自分に言い聞かせるように呟く。

「ここだけで、終わらせる」

 ノクスの出力を落とす。

 切断光が消える。

 認証網に触れる寸前で、反応が収束した。

 グリッドの声が飛ぶ。

『ノクス出力低下確認! 封印系統に戻せ!』

「了解」

 ユイは息を吐きながら、ノクス・レクイエムの起動を落とした。

 頭の奥の痛みが、遅れて強くなる。

「っ……」

 視界が一瞬、揺れた。

 カナデの声が入る。

『ユイちゃん、反応値上昇。すぐに休んで』

「大丈夫です」

『大丈夫じゃなくても休むの』

「……はい」

 ユイは小さく頷いた。


 外部空域では、タナトスが動きを止めていた。

 隔離場の一部を切られた。

 再同期波との重複経路も断たれた。

 だが、機体そのものは無事だった。

 カイトはアルタイルの中で、タナトスを睨む。

「まだ倒れてない」

『はい』

 セラが答える。

『でも、隔離場の展開軸は乱れています。今なら押し返せます』

 レイが側面から動く。

『追い込むか?』

 ジンの命令が入る。

『深追いはするな。目的は達成した。カイト、前線を維持しつつ後退準備』

「了解」

 カイトは悔しさを飲み込んだ。

 タナトスは危険だ。

 放っておけば、また分断してくる。

 だが、今倒しに行けば、さらに別の罠に触れるかもしれない。

「全機、支援線から離れすぎるな」

 カイトが言う。

「タナトスを見失わないようにしながら、保護区画への接続を優先する」

『了解』

 ミオの支援網が再び整えられる。

 イリスが位相境界の残滓を追う。

 セラがタナトスの節点変化を記録する。

 レイが接近を牽制する。

 ヴェルディアは、ノクス起動後のユイの帰還経路を守る。

 それぞれの役割が、一本の線として繋がっていく。

 切るだけではない。

 切った後を守るための線だった。


 艦橋では、黒瀬が状況をまとめていた。

「再同期波、遮断。タナトス隔離場、一部崩壊。アミィの自己応答は保持。ヴァルクレイド・セレス防壁、安定」

「ノクスの反応は」

 ジンが問う。

「限定起動、終了。第一防衛圏認証網本体への接触は回避。ただし、認証網側の危険度分類は上昇しています」

「どこまで上がった」

「命令層切断危険体搭載艦から、限定切断行使艦へ移行した可能性があります」

 グリッドが通信越しに呻く。

『また嫌な分類名が増えたな』

「事実だ」

 黒瀬は淡々と返した。

「ただし、広範囲切断とは分類されていません。切断範囲を限定できたことは大きい」

 ジンは頷いた。

「ユイは」

『医療班が確認中です』

 カナデが通信に出る。

『負荷はあります。でも、危険域ではありません。本人は少し無理をしていますけど』

 ジンは短く息を吐いた。

「休ませろ」

『了解』

 艦橋に少しだけ安堵が広がる。

 だが、ジンの表情は緩まなかった。

 勝った。

 そう言っていい場面かもしれない。

 アミィは守った。

 レータとの接続も維持した。

 ノクスの限定切断も成功した。

 だが、タナトスは倒していない。

 監察局の観測線も消えていない。

 そして、ノクスを使ったという事実は、もう相手に記録されている。

「これは勝利だ」

 ジンは言った。

「だが、完全勝利ではない。全員、そう認識しろ」

 黒瀬が頷く。

「監察局は、失敗しても記録を得ます」

「そういう相手だ」

 ジンは前方を見据えた。

「だからこそ、次はもっと厄介になる」


 医療区画。

 ユイはベッドに座り、カナデの検査を受けていた。

 大きな損傷はない。

 だが、顔色は少し悪かった。

「無茶はしてないつもりです」

 ユイが言う。

 カナデは端末を見ながら、少しだけ眉を寄せた。

「無茶の基準が人より厳しすぎるのよ」

「すみません」

「謝るより、休む」

「はい」

 そこへ、カイトが入ってきた。

「ユイ」

「カイトさん」

「お疲れさま」

 ユイは少しだけ目を伏せた。

「切れました。でも、見られました」

「うん」

 カイトは隣に立つ。

「でも、決めたところだけ切れた」

 ユイは小さく頷いた。

「はい」

「それは大きいと思う。ノクスを使ったけど、全部を壊したわけじゃない。アミィも守れた」

 ユイは少しだけ黙った。

「切る力を使うのは、やっぱり怖いです」

「怖くていいんじゃないかな」

 カイトは言った。

「怖いって思いながら、みんなで条件を決めて使えた。それが大事だと思う」

 ユイは、ゆっくりと息を吐いた。

「……はい」

 その返事は、少し疲れていた。

 だが、以前よりも穏やかだった。


 監察局管制区画。

 オルフェン・グラードは、ノクス・レクイエムの切断記録を見ていた。

 画面には、切断範囲が細かく表示されている。

 赤と灰の重複部分。

 再同期波と隔離場の接点。

 第一防衛圏認証網本体には触れていない。

 切断時間は極めて短い。

 出力は制限されている。

「対象Y、ノクス・レクイエム限定起動」

 局員が報告する。

「広範囲切断ではありません。対象M、対象I、対象Sの補助により、切断範囲を制限。対象Lとヴァルクレイド・セレスが切断後の対象Aを保護しました」

「対象Aは」

「自己応答を保持。再同期失敗」

「タナトスは」

「隔離場の一部を切断されましたが、機体損傷は軽微。再投入可能です」

 局員の報告に、オルフェンは頷いた。

「十分だ」

 それは、敗北を認める言葉ではなかった。

 むしろ、満足に近い響きがあった。

「切断範囲を記録しろ。対象Yは、認証網本体を避けた。つまり、認証網を切ることの危険を理解している」

「次回は、認証網との境界をさらに曖昧にしますか」

「そうだ」

 オルフェンは画面を拡大した。

「対象Yは広範囲切断を避ける。ならば、限定切断を誘導する。切断候補を複数重ね、どれを選ぶかを見る」

 別の画面に、ヴァルクレイド・セレスの防壁記録が表示される。

「対象Lとヴァルクレイド・セレスも重要だ。切断後の対象Aを保護できる。これは、ノクス単独ではない」

「対象Aの再同期には、対象Lの分離が必須と判断します」

「継続」

 オルフェンは静かに答えた。

 局員が記録を更新する。

 対象Y。

 限定切断可能。

 広範囲切断を回避。

 切断時、補助対象M・I・Sの支援を使用。

 対象L。

 切断後保護能力あり。

 対象A自己応答保持に強く関与。

 ヴァルクレイド・セレス。

 旧セレスティア反応、保護再定義。

 優先回収候補。

 対象A。

 再同期拒否。

 自己応答強化傾向。

 オルフェンは最後に、ルクス・ヴァルキュリアの進路を見た。

「勝ったと思わせておけ」

 彼は淡々と言った。

「彼らは対象Aを守った。対象Yは限定切断に成功した。対象Lの防壁も有効だった」

 そこで、わずかに目を細める。

「だが、こちらは切断条件を得た」

 監察局管制区画に、静かな記録音だけが響く。

 ルクス・ヴァルキュリアは、第一防衛圏を進んでいる。

 アミィは守られた。

 ノクスは、決めた範囲だけを切った。

 それでも、オルフェンの画面には新しい線が増えていた。

 次に切らせるための線。

 次に分けるための線。

 次に、守る側を揺さぶるための線。

 限定切断は成功した。

 だが、その刃の形は、すでに監察局に記録されていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ