第261話 アミィの声
セレスティア残留反応から、拘束系が分離された。
完全に消えたわけではない。
命令層残滓も、まだゼロではない。
セレスティア保護支援系も、支援核フレームの中で安定確認中だ。
それでも、アミィ本人反応には明らかな変化が出ていた。
エデンの術式室で、イリスは反応値を見つめていた。
「アミィ本人反応、昨日より安定しています。命令層残滓は低位で推移。セレスティア拘束系分離後、本人反応が内側から浮上しやすくなっています」
カナデが隣で頷く。
「拘束系に押し戻される力が弱くなった、ということですね」
「はい。ただし、まだ完全に安全とは言えません」
イリスは慎重に続けた。
「長時間会話、強い命令形、戦闘関連の話題、帝国やセレスティアに直接触れる話題では、命令層残滓が揺れる可能性があります」
リゼルも術式陣の光を見ながら言った。
『糸が少し、自分の形を思い出しました。ですが、まだ強く引けばほどけます』
カナデは記録を確認する。
「では、今日は短時間会話の確認を行います。対象はレータさんとユイさんのみ。会話時間は最大十分。アミィが疲れた場合は即終了」
レータは術式室の入口で、それを聞いていた。
短時間会話。
今までのように、断片的な反応を拾うだけではない。
アミィが自分の声で、少しだけ普通に話せるかもしれない。
そう思うと、胸が落ち着かなかった。
ユイが隣に立つ。
「緊張していますか」
「してる」
レータは正直に答えた。
「戦闘より緊張するかもしれない」
「私もです」
「ユイも?」
「はい。アミィが自分の言葉を出すなら、こちらも受け止め方を間違えないようにしたいので」
レータは小さく笑った。
「真面目ね」
「はい」
「そこは否定しないのね」
「否定できません」
その短いやり取りで、少しだけ緊張が和らいだ。
カナデが二人へ合図する。
「では、始めましょう。最初はいつも通り。声を重ねず、短く」
レータは深く息を吸った。
「うん」
アミィの保護カプセルは、術式室の中央に置かれていた。
周囲の術式陣は、本人反応を引っ張るものではない。
ただ、揺れすぎないように支えるだけの淡い光を放っている。
レータは指定された距離で止まった。
近づきすぎない。
言いすぎない。
でも、ここにいると伝える。
何度も練習したことだった。
「アミィ」
白金色の淡い光が揺れた。
少しの沈黙。
そして、以前よりもはっきりした声が返ってきた。
『レータ……ここにいる?』
レータは息を呑んだ。
これまでの断片とは違う。
問いになっている。
言葉がつながっている。
レータの目がわずかに揺れた。
でも、声は短く、優しく保った。
「いるわよ」
アミィの反応が、穏やかに揺れる。
『よかった』
レータは胸を押さえたくなった。
よかった。
それは、とても短い言葉だった。
でも、アミィが自分の安心を言葉にした。
カナデが小声で記録する。
「自己応答、継続」
イリスも反応値を見る。
「命令層残滓、上昇なし」
レータは続けた。
「怖い?」
アミィは少し沈黙した。
『アミィ、怖い』
自分の名前をつけて、自分の感情を言った。
レータは、すぐに否定しなかった。
「うん。怖くていい」
『でも……少し大丈夫』
「そっか」
レータの声が少しだけ震える。
「少し大丈夫なら、それでいい」
『ここ、命令じゃない』
「うん。命令じゃない」
『レータ、命令しない』
「しない」
『ユイも……いる?』
ユイが一歩だけ前へ出た。
「はい。ここにいます」
アミィの反応が、ユイの方へ向く。
『ユイ……』
「はい」
『ユイも、怖かった?』
その問いに、術式室の空気が少しだけ止まった。
ユイは、すぐには答えなかった。
けれど、逃げなかった。
「はい」
静かに答える。
「私も怖かったです」
アミィの反応が揺れる。
『ユイも……?』
「はい。命令が怖かったことがあります。何を選べばいいか、分からなかったこともあります」
『分からない……怖い』
「はい。怖いです」
ユイは、アミィを見た。
「でも、怖いと言っても大丈夫です」
アミィは、しばらく黙った。
それから、少しだけ言葉を探すように言った。
『怖くても……ここにいていい?』
レータがすぐに答えた。
「いい」
アミィの反応が、ゆっくり落ち着く。
『怖くても……いい』
「うん」
『少し大丈夫……でも怖い』
「それでいい」
レータは、何度でも言いたかった。
ここにいていい。
怖くていい。
大丈夫じゃなくてもいい。
でも、言葉を増やしすぎない。
アミィが出した言葉を、壊さないように、短く受け止める。
会話は、ゆっくり進んだ。
アミィは以前よりもはっきりと話せる。
だが、まだ言葉を探しながらだった。
『エデン、静か』
「うん。静かね」
『ヴェルデ、風。怖い。でも、見た』
「覚えてるのね」
『覚えてる。風、命令じゃない』
「そう。命令じゃない」
『小さい生き物、動いた』
レータは微笑んだ。
「動いてたわね」
『生きてるだけ』
「うん。生きてるだけ」
アミィの反応が少し明るく揺れた。
『アミィも……生きてるだけ、いい?』
レータは答えに詰まりかけた。
胸が熱くなる。
けれど、カナデの言葉を思い出す。
強く抱きしめるような言葉を、今は重ねすぎない。
アミィが出した問いを、そのまま受け止める。
「いい」
レータは短く言った。
「生きてるだけでいい」
アミィは、しばらく反応を揺らした。
『命令、ない時……何する?』
ユイが答える。
「休んでもいいです。見てもいいです。話してもいいです。何もしなくてもいいです」
『何もしない……まだ難しい』
「私も難しいです」
ユイがそう言うと、レータが少しだけ笑った。
「ユイは本当に難しそうね」
「はい」
アミィの反応が、不思議そうに揺れる。
『ユイも、難しい?』
「はい」
『じゃあ……一緒?』
ユイは少しだけ目を伏せ、穏やかに答えた。
「少し、一緒です」
アミィの反応が安定した。
『一緒……少し大丈夫』
カナデは小さく息を吐いた。
アミィの言葉が、断片ではなく意味を結び始めている。
怖い。
大丈夫。
ここにいていい。
一緒。
生きてるだけでいい。
それらが、命令への反応ではなく、本人の内側から出ている。
イリスが報告する。
「自己応答、継続しています。命令層残滓の上昇なし。ただし、疲労反応が出始めています」
カナデは頷いた。
「では、そろそろ終わりにしましょう」
レータはアミィへ向き直った。
「アミィ。今日はここまで」
言ってから、一瞬だけ止まる。
「……休んでもいい」
アミィの反応が柔らかく揺れる。
『言い直した』
レータは目を丸くした。
「分かったの?」
『レータ、命令しないようにした』
ユイが少しだけ目を細める。
レータは、困ったように笑った。
「そうよ。命令しないようにした」
『レータ、優しい』
「……ありがと」
レータの声が少し震えた。
カナデが、静かに時間を確認する。
「アミィ。休みますか」
アミィは少し考えるように沈黙した。
『休む。アミィ、選ぶ』
イリスが小さく報告する。
「自己応答、確認」
アミィは続けた。
『レータ、また話す?』
「話すわよ」
『ユイも?』
「はい。話します」
『また……怖い話も、していい?』
レータは頷いた。
「いい」
ユイも続ける。
「怖い話も、怖くない話も、少しずつです」
『少しずつ……』
「はい」
アミィの反応は、ゆっくりと保護状態へ戻っていく。
その途中で、彼女は小さく呟いた。
『ナユ……リン……?』
レータは瞬きをした。
「ナユ? リン?」
アミィの反応は、もう眠りに沈みかけていた。
『声……あった……気がする……』
それだけ言って、アミィは静かに保護状態へ戻った。
術式室に、しばらく沈黙が残った。
レータがイリスを見る。
「今の、どういうこと?」
イリスは急いで記録を確認する。
「帝国側時代の接触記録に、ナユさんとリンさんへの微弱反応が残っています」
ユイも記憶を探るように言った。
「アミィは、帝国側の支援波や命令系統を通じて、二人の反応を拾っていた可能性があります」
レータが眉を寄せる。
「ナユとリンを、覚えてるの?」
イリスは慎重に答えた。
「覚えている、というより、声や反応の残響があるのだと思います。ただ、今日のアミィはそれを自分から言葉にしました」
カナデが静かに頷いた。
「重要です。アミィの世界が、レータさんとユイさんだけから少し広がろうとしているのかもしれません」
レータは少し不安そうにする。
「会わせても大丈夫?」
「すぐに大人数で会わせるのは避けます。ただ、短時間であれば検討できます」
リゼルが穏やかに言った。
『ほどけかけた糸は、別の糸と触れることで、自分の位置を思い出すこともあります』
レータは静かに息を吐いた。
「ナユとリン、か」
ユイが頷く。
「二人とも、帝国から離れて今ここにいる存在です。アミィにとって、意味があるかもしれません」
カナデは記録に目を通しながら言った。
「今日の結果をまとめます。アミィは、通常会話の第一段階に入りました。ただし、時間制限と接触制限は継続。次の接触対象として、ナユさん、リンさんを候補にします」
レータは、アミィの保護カプセルを見つめた。
アミィが話した。
怖いと言った。
少し大丈夫と言った。
生きてるだけでいいのかと聞いた。
そして最後に、ナユとリンの名を呼んだ。
アミィの世界は、少しずつ広がり始めている。
レータは小さく呟いた。
「また一歩、ね」
ユイが隣で頷いた。
「はい。また一歩です」
エデンの術式室に、静かな光が流れていた。
その光の中で、アミィの声は初めて、短い会話として残された。




