第258話 エデン再訪
ルクス・ヴァルキュリアは、ヴェルデを離れ、エデン方面へ転移した。
転移光が薄れていく。
艦体を包んでいた揺らぎが収まり、前方の表示に新たな地球が映る。
アース・エデン。
以前訪れた時と同じく、その星は静かだった。
緑と白の光が柔らかく混ざり、観測画面越しにも、どこか澄んだ空気を感じさせる。
ヴェルデとは違う。
自然の静けさではなく、術式そのものが穏やかに整っているような静けさ。
三島が報告する。
「エデン方面への転移完了。座標誤差、許容範囲内。周辺に帝国反応なし」
黒瀬が端末を確認する。
「転移記録、正常。アミィさんの保護状態を確認します」
すぐにイリスの声が入った。
『アミィ本人反応、安定しています。転移による大きな乱れはありません』
ミオも続ける。
『セレスティア保護支援系も安定。ヴェルデ出発時よりわずかに反応が変化していますが、拘束側への揺れはありません』
ジンは頷いた。
「エデン側へ連絡を取れ。事前説明通り、危険対象を隠さず伝える」
「了解」
通信士がエデン側へ信号を送る。
しばらくして、柔らかな術式通信が返ってきた。
画面に映ったのは、見覚えのある人物だった。
リゼル。
エデンでルクス側と接触した術式関係者の一人だった。
『ルクス・ヴァルキュリア。再び来られたのですね』
その声は、以前と同じく穏やかだった。
だが、すぐに画面越しの空気が少し変わる。
リゼルは、ルクス側から事前に送られた情報を見ていた。
PT-A01アミィ。
セレスティア残留反応。
ノクス・レクイエム。
ヴァルクレイド・セレス構想。
彼女の表情に、明確な驚きが浮かぶ。
『……多くのものを抱えて来られたのですね』
ジンは頷いた。
「そうだ。今回は観光でも、単なる補給でもない。術式面の調整を依頼したい」
黒瀬が補足する。
「危険性は事前資料に記載した通りです。アミィさんは保護対象ですが、命令層残滓とセレスティア残留反応を抱えています。ノクス・レクイエムは封印状態ですが、命令層切断補助の危険性があります」
リゼルは静かに頷いた。
『隠さず伝えてくださったことに感謝します。こちらも、軽く受け入れられるものではないと理解しました』
ユイが画面の前へ進む。
「詳しい説明は私から行います」
エデン側との受け入れ会議は、ルクス艦内とエデン側施設をつないだ術式通信で行われた。
参加者は、ジン、黒瀬、三島、ユイ、レータ、カナデ、リクト、ミオ、イリス。
通信越しにリゼルと、数名のエデン側術式関係者が並んでいる。
アシュも、ノクス・レクイエム封印区画から回線に入っていた。
ユイは、アミィ救出までの経緯を簡潔に説明した。
PT-A01アミィが、帝国側でセレスティアと接続されていたこと。
命令層の奥に本人反応が確認されたこと。
レータとユイの呼びかけに反応したこと。
強制再同期を受けかけたこと。
救出後も、命令層残滓とセレスティア残留反応が残っていること。
リゼルは黙って聞いていた。
説明が終わると、彼女は静かに言った。
『命令によって結ばれた糸を、無理に切ったのですね』
ユイは少しだけ目を伏せる。
「はい。ただし、切らなければアミィは命令層に戻されていました」
『責めているのではありません。必要なことだったのでしょう』
リゼルは画面に表示されたアミィ本人反応の波形を見る。
『けれど、その子の反応は……ほどけかけた糸のようです』
レータが顔を上げる。
「ほどけかけた糸?」
『はい。まだ一本の形を保とうとしています。でも、どこから自分で、どこまでが命令だったのか、輪郭が薄い』
カナデが静かに頷いた。
「こちらでも、本人反応の輪郭が薄いと見ています。ヴェルデで日常に触れたことで少し安定していますが、まだ命令への反射と自己応答が完全には切り分けられていません」
リゼルは目を細める。
『急いで引っ張れば、またほどけます。強く結び直せば、今度は縛ってしまう』
レータはその言葉に、胸が痛むのを感じた。
助けたい。
支えたい。
安心させたい。
でも、強く引きすぎれば駄目だ。
結びすぎれば、また檻になる。
レータは静かに言った。
「じゃあ、どうすればいいの」
リゼルは穏やかに答えた。
『その子が、自分で結び目を作れるように、周りを静かに整えるのです』
アミィは、会議室にはいなかった。
ルクス内の静穏区画で、保護カプセルに入ったまま待機している。
ただし、エデン到着後、本人反応には小さな変化が出ていた。
イリスが報告する。
「アミィ本人反応、エデン到着後に微弱な浮上があります。恐怖反応ではありません」
ミオが補足する。
「セレスティア保護支援系も、少し薄く広がっています。ヴェルデの自然環境とは違いますが、エデンの術式環境に反応しているように見えます」
カナデがレータへ視線を向ける。
「短時間だけ、声をかけますか」
レータは頷いた。
「うん」
静穏区画への音声が限定的に開かれる。
レータはいつも通り、短く呼んだ。
「アミィ」
淡い反応が返る。
『レー……タ……』
「ここにいる」
『ここ……』
「うん。ここ」
アミィの反応が、少しだけ外へ向く。
『……しずか……?』
レータは答える。
「うん。静か」
ユイも続ける。
「ここはエデンです。静かに整える場所です」
『エデン……』
「はい」
『命令……?』
「命令ではありません」
アミィの反応は、大きく乱れなかった。
『整える……こわい……?』
レータは少しだけ胸を押さえた。
「怖くていい」
ユイが続ける。
「怖いと言って大丈夫です。無理に整えません」
『無理……しない……』
「はい」
カナデが静かに見守る中、アミィの反応は再び保護状態へ沈んでいった。
イリスが報告する。
「本人反応、安定。エデン環境への拒否反応は強くありません」
リゼルは通信越しにその波形を見ていた。
『本当に、ほどけかけていますね。でも、消えようとしているのではありません』
レータが聞く。
「それは、いいこと?」
『はい。弱くても、自分の形を探しています』
レータは小さく息を吐いた。
「なら、よかった」
次に、セレスティア残留反応の解析が共有された。
画面には、拘束系、命令層残滓、保護支援系が分けられて表示される。
リクトが説明する。
「こちらでは、セレスティア残留反応を大きく二つに分けています。アミィ本人反応を命令層へ押し戻す拘束系。もう一つは、本人反応を崩れないように包む保護支援系です」
リゼルはその術式表示を見つめた。
『守る形と、縛る形が混ざっています』
ミオが頷く。
「こちらでも同じ見解です。以前のセレスティアは、守るために閉じ込めていました」
『守ることと、閉じ込めることが、同じ線で描かれているのですね』
リゼルは静かに言った。
『これは、ほどく必要があります』
レータが支援核フレームの表示を見る。
「保護支援系だけを残せる?」
『可能性はあります。ただし、そのまま移せば、また縛る形が混ざります』
リクトが頷く。
「だから、エデンの術式環境で再定義したい。フォージで作った支援核フレームは、保護支援系を外部隔離状態で受け止めるための器です」
リゼルは、支援核フレームの構造を見る。
『器はよく作られています。けれど、器が正しくても、注ぐものが濁っていれば同じです』
グリッドが通信越しにぼやく。
『やっぱり、こっちは器までか』
カイルの声も小さく入る。
『フォージ組の苦労、半分くらい術式に持ってかれた気がするな』
リゼルは少し不思議そうに首を傾げたが、ユイが穏やかに説明した。
「フォージでの整備が大変だったようです」
『そうなのですね』
グリッドが重く答える。
『大変でした』
会議室に、少しだけ柔らかな空気が戻った。
最後に、ノクス・レクイエムの制御層が表示された。
その瞬間、エデン側の術式関係者達の表情が変わった。
リゼルも、先ほどまでより明らかに慎重な目になる。
『これは……強いですね』
ユイは頷いた。
「ノクス・レクイエムです。命令層切断補助として使用しました」
『切る力が強すぎます』
リゼルの声は、穏やかだがはっきりしていた。
『これは、縛るものを断つには有効でしょう。ですが、糸も布も一緒に切ってしまう可能性があります』
アシュが通信で言う。
『その通りだ』
リゼルが画面を見る。
『あなたも、そう見ますか』
『見なくても分かる。こいつは危ない』
アシュは短く言った。
『命令層だけを切るならいい。だが、出力がずれれば本人反応も保護支援系も傷つける』
ユイは静かに言う。
「だから、術式的な制御層の安定化が必要です。切断の向きと範囲を絞りたい」
リクトも続ける。
「帝国本国戦では、ノクス・レクイエムを再び使う可能性があります。使わずに済むならそれが一番ですが、準備だけは必要です」
リゼルは少しだけ目を伏せた。
『断つ力は、扱いを誤ると救いではなく傷になります』
ユイは頷いた。
「分かっています」
『なら、封じたまま整えましょう。起こすのは最後です』
アシュが短く答えた。
『同意だ』
黒瀬がすぐに記録する。
「ノクス・レクイエム、封印維持。エデン側術式調整は外部観測と制御層安定化に限定。起動試験は別途承認制」
三島が記録を続けた。
会議の終盤、黒瀬が改めて条件を確認した。
「エデン側への確認です」
リゼルが頷く。
『はい』
「第一。アミィさんへの接触は制限します。エデン側術式関係者が直接接触する場合、カナデさん、イリスさん、レータさん、ユイさんの立ち会いを必須とします」
『承知しました』
「第二。セレスティア保護支援系は、アミィ本人反応へ直接接続しません。試験は外部支援核フレームを使用します」
『承知しました』
「第三。ノクス・レクイエムは封印維持。起動を伴う作業は行いません」
『承知しました』
「第四。全ての術式調整記録を、ルクス側監査記録として残します」
『構いません』
黒瀬は一拍置いてから言った。
「こちらは、エデン側の協力に感謝します。ただし、危険性が高い案件です。無理だと判断した場合は、遠慮なく中止を申し出てください」
リゼルは静かに微笑んだ。
『ありがとうございます。ですが、こちらからも一つ条件があります』
ジンが聞く。
「何だ」
『焦らないことです』
短い条件だった。
『ほどけかけた糸を整えるには、力よりも時間が必要です。短くても、丁寧に進めてください』
カナデが頷いた。
「同意します」
レータも静かに言った。
「分かってる。アミィを急がせない」
ユイも続ける。
「ノクスも、必要以上に急いで触れません」
リゼルは頷いた。
『では、受け入れます』
会議の最後に、エデン側から三つの調整項目が提示された。
一つ目。
アミィ本人反応の輪郭補強。
命令への反射ではなく、自分の返事として反応できるよう、本人反応の輪郭を術式的に支える。
二つ目。
セレスティア保護支援系の再定義。
拘束系と命令層残滓を分け、保護支援系を「閉じ込める力」ではなく「守る力」として整える。
三つ目。
ノクス・レクイエム制御層の安定化。
命令層切断補助の出力範囲を絞り、本人反応や保護支援系を傷つけないよう、術式的な制御層を整える。
リクトはその三項目を見て頷いた。
「こちらの目的と一致しています」
黒瀬が記録する。
「エデン術式調整項目、三件。アミィ本人反応の輪郭補強。セレスティア保護支援系の再定義。ノクス・レクイエム制御層の安定化」
ジンは静かに言った。
「よし。エデン調整を開始する」
レータは、静穏区画の方を見た。
アミィは、まだ眠っている。
ほどけかけた糸。
自分の形を探している子。
その糸を、もう一度縛るのではなく。
自分で結べるように、周りを整える。
レータは小さく呟いた。
「少しずつね」
ユイが隣で頷く。
「はい。少しずつです」
エデンの穏やかな術式光が、ルクス・ヴァルキュリアの外殻を静かに照らしていた。




