第257話 次はエデンへ
ヴェルデでの休養は、ルクス・ヴァルキュリアに確かな変化をもたらしていた。
アミィは、少しずつ日常に反応し始めている。
風を怖がりながらも見た。
毛布や飲み物を、命令ではなく選択肢として受け止め始めた。
自分から「休む」と言えるようにもなった。
だが、それだけで全てが解決したわけではない。
アミィの中には、まだ命令層残滓が残っている。
セレスティア残留反応も完全には消えていない。
ノクス・レクイエムは封印されたまま、命令層切断補助の危険性を抱えている。
ヴェルデは、休ませる場所だった。
フォージは、直す場所だった。
ならば次に必要なのは、整える場所だった。
ルクス・ヴァルキュリア会議室に、主要メンバーが集められた。
ジン、黒瀬、三島。
カナデ、リクト、ミオ、イリス。
ユイ、レータ。
グリッド、カイト、セラ、レイ、カイル。
通信越しにはアシュも接続している。
ジンは正面の星系図を表示した。
「次の目的地を決める」
画面には、四つの候補が並ぶ。
ヴェルデ継続滞在。
フォージ再訪。
太陽系地球圏への帰還。
エデン方面への移動。
ジンは全員を見る。
「目的は、帝国本国戦前の最終調整だ。休養、整備、アミィの回復、ノクス・レクイエムの安全化、ヴァルクレイド・セレスの準備。全部を考えなければならない」
黒瀬が端末を開いた。
「ヴェルデ継続滞在の利点は、アミィさんの安定と乗員休養です。本人反応は落ち着いており、接触制限下での回復も進んでいます」
カナデが頷く。
「ヴェルデ環境は、アミィに合っています。心理的な回復、日常への適応には非常に有効です」
ジンが確認する。
「欠点は」
リクトが答える。
「術式的な深い調整には限界があります。ヴェルデは静養には向いていますが、命令層残滓やセレスティア保護支援系の再定義を進めるには、専門的な環境が足りません」
次に、フォージが表示される。
グリッドは疲れた顔のまま言った。
「整備だけならフォージが一番だ。アルタイルの補修、フェンリオンの弾薬、ヴァルクレイド・セレス用部材加工。実際、かなり進んだ」
カイルが小さくぼやく。
「俺達の疲労もかなり進んだ」
レイが淡々と返す。
「事実だな」
グリッドは苦笑しながら続ける。
「ただし、フォージは休む場所じゃない。アミィを連れて長く滞在するには刺激が強すぎる。工業音、警報、作業光、機械振動。今のアミィには向かない」
セラも頷いた。
「整備には適していますが、保護には適していません」
太陽系地球圏の表示に切り替わる。
黒瀬が説明する。
「地球圏帰還は、安全性と監査体制の面では最も安定します。正式な報告、補給、整備、医療体制も整えられます」
ジンが腕を組む。
「だが、政治的に止まる」
「はい」
黒瀬は否定しなかった。
「アミィさんの保護、セレスティア残留反応、ノクス・レクイエム再使用、ヴァルクレイド・セレス構想。全て正式審査対象になります。帝国本国戦前に時間を失う可能性があります」
カイトが小さく言う。
「戻れば安全だけど、動きにくくなるんですね」
「その通りです」
最後に、エデン方面が表示された。
会議室の空気が少し変わる。
ジンが言った。
「エデン。前回訪れた術式系の地球だな」
リクトが頷く。
「はい。今回の目的には、最も合っています」
カナデが、アミィの回復記録を表示した。
ヴェルデ到着後の本人反応。
風への反応。
「見る」「選ぶ」「休む」という自己応答。
命令層残滓の低下。
「アミィの回復は進んでいます」
カナデは言った。
「ただし、これは心理的な安心と環境安定による回復です。命令層残滓そのものが消えたわけではありません」
レータが眉を寄せる。
「まだ残ってるのよね」
「はい」
カナデは頷く。
「アミィは、命令ではない日常を少しずつ覚えています。でも、命令層残滓が深い部分に残っている限り、強い刺激や命令に近い入力で再び揺れる可能性があります」
イリスが続けた。
「本人反応は安定傾向ですが、輪郭はまだ薄いです。『わたしが選ぶ』という反応は出始めていますが、命令への反射と完全に切り分けられてはいません」
カナデは静かに言う。
「心理だけでなく、反応層の調整が必要です」
リクトがセレスティア残留反応の図を表示する。
「そして、セレスティア保護支援系も同じです」
画面には、拘束系と保護支援系が分けて表示されている。
「拘束系は隔離・破棄対象。命令層残滓も同じです。だが、保護支援系はアミィ本人反応を安定させる力を持っている。これを使うなら、意味を変えなければならない」
ミオが補足する。
「以前のセレスティアは、守るために閉じ込めていました。選択肢を狭める支援です」
リクトは頷く。
「そうだ。これをヴァルクレイド・セレスに使うなら、檻から盾へ再定義する必要がある。機械的な分離だけでは足りない。術式的な調整が必要だ」
レータは静かに拳を握る。
「檻じゃなくて、盾」
「はい」
リクトは言った。
「そのために、エデンの術式環境が役立つ可能性があります」
ユイが、次にノクス・レクイエムの制御層を表示した。
ノクス・レクイエム。
ネメシス・レクイエムの残骸とノクス・リリスを中核にした、危険な改修機。
アミィ救出戦では、命令層切断補助として機能した。
だが、それは同時に危うい力でもあった。
「ノクス・レクイエムは、命令層を切断する力が強すぎます」
ユイは静かに言った。
「アミィ救出では必要でした。しかし、切断の向きを誤れば、本人反応や保護支援系まで傷つける可能性があります」
アシュの声が通信で入る。
『その通りだ』
短い声だったが、会議室の空気が引き締まる。
『ノクスは便利な道具じゃない。命令層切断補助を使えたからといって、次も安全とは限らない』
ユイは頷いた。
「はい。だから、ノクス・レクイエムにも術式安定化が必要です」
リクトが続ける。
「帝国本国戦では、命令層、PT反応、セレスティア由来の支援波、ノクスの切断補助が同じ戦域に出る可能性がある。今のままでは危険です」
アシュが低く言った。
『エデンへ行くなら、遊びじゃない。危険物を三つ持っていくようなものだ』
黒瀬が確認する。
「アミィさん。セレスティア残留反応。ノクス・レクイエム」
『そうだ』
アシュは即答した。
『一つでも扱いを間違えれば、事故になる。三つ同時ならなおさらだ』
会議室が静まる。
アミィは回復途中。
セレスティア残留反応は再定義前。
ノクス・レクイエムは封印中。
それらをエデンへ持ち込むということは、確かに軽い話ではなかった。
黒瀬が端末を開いた。
「エデン行きを認める場合、条件を出します」
三島が記録を始める。
「第一。アミィさんの接触制限は継続。エデン側関係者との接触は、カナデさん、イリスさん、レータさん、ユイさんの判断を通すこと」
カナデが頷く。
「必要です」
「第二。ノクス・レクイエムの封印維持。術式調整を行う場合も、機体起動は段階許可制。無断起動は禁止」
アシュが短く言う。
『当然だ』
ユイも頷いた。
「了解しています」
「第三。セレスティア保護支援系の直接接続は禁止。アミィ本人反応、ヴァルクレイド、ノクス・レクイエム、いずれにも直接つなげない。最初は外部支援核フレームで試験」
リクトが頷く。
「その条件で進めます」
「第四。エデン側への事前説明。危険性を伏せた受け入れは行いません」
ジンが言う。
「当然だ。前回の関係もある。隠して持ち込むものではない」
「第五。監査記録の継続。アミィさん、セレスティア残留反応、ノクス・レクイエム、ヴァルクレイド・セレス関連部材、全て記録対象です」
レータが少しだけ苦笑する。
「相変わらず細かいわね」
黒瀬は真面目に返した。
「細かくないと危険です」
「それはそう」
レータは支援核フレームの表示を見た。
「でも、アミィのためになるなら行く」
その声に迷いはなかった。
「ヴェルデで休めた。フォージで器もできた。次に整える場所が必要なら、行く」
カナデが穏やかに頷く。
「アミィの負担を見ながら進めましょう」
「うん」
その時、イリスが小さく顔を上げた。
「アミィ本人反応、短時間浮上しています」
カナデが確認する。
「会議音に反応しましたか」
「音声は制限しています。ただ、『エデン』という語に反応した可能性があります」
レータは少しだけ驚いた。
「アミィ、聞こえてたの?」
カナデは慎重に言う。
「直接ではないと思います。ただ、レータさんやユイさんの反応を拾ったのかもしれません」
短時間だけ、静穏区画への通信が開かれる。
レータが声をかけた。
「アミィ」
『レー……タ……』
「ここにいる」
『ここ……』
「うん」
アミィの反応が、ゆっくり揺れる。
『エデン……?』
その言葉に、会議室の全員が静かになった。
レータは答えようとして、少し迷った。
どう説明すればいいのか。
ユイが、静かに声をかける。
「アミィ。エデンは、静かに整える場所です」
『整える……』
「はい。壊す場所ではありません。命令する場所でもありません」
アミィの反応が小さく揺れた。
『命令……じゃない……?』
「命令ではありません」
レータも続ける。
「行きたくなかったら、怖いって言っていい」
『こわい……言う……いい……』
「うん」
『整える……休む……?』
カナデが穏やかに答える。
「休みながら、少しだけ整えます」
『少し……』
「はい。少しずつです」
アミィの反応は、落ち着いたまま下がっていく。
『レータ……ここ……』
「ここにいる」
『ユイ……』
「ここにいます」
『休む……』
「うん。休んでいい」
通信は静かに閉じられた。
イリスが報告する。
「本人反応、安定したまま保護状態へ戻りました。命令層残滓の上昇なし」
カナデが頷く。
「エデンという語への拒否反応は強くありません。ただし、今後も説明は短く、安心できる言葉で行う必要があります」
レータは小さく息を吐く。
「静かに整える場所、か」
ユイは頷いた。
「今のアミィには、その言い方が一番近いと思います」
会議の最後に、ジンが全員を見た。
「方針を決定する」
会議室が静まる。
「ルクス・ヴァルキュリアは、ヴェルデでの休養を終えた後、エデン方面へ向かう。目的は、アミィ本人反応の術式的安定化、セレスティア保護支援系の再定義、ノクス・レクイエム制御層の安定化」
黒瀬が記録する。
「エデン行き、条件付き承認。接触制限、封印維持、直接接続禁止、事前説明、監査記録を条件とする」
ジンは続けた。
「フォージで器は作った。ヴェルデで休ませた。次は、整える」
グリッドが小さく言う。
「休む、直す、整える。ようやく順番になってきたな」
カイルが肩をすくめる。
「今度こそ少しは休めるのか?」
レイが淡々と答える。
「エデンも楽ではないだろう」
「だよな」
セラが静かに言う。
「ですが、必要です」
カイトは頷いた。
「帝国本国戦の前に、できることはやっておいた方がいいです」
レータは、静穏区画の方を見た。
アミィは眠っている。
風を見た。
休むことを選んだ。
エデンという言葉にも、強い恐怖ではなく、問いとして反応した。
それなら、次へ進める。
「アミィのためになるなら、行く」
ユイも静かに頷いた。
「はい。私達にとっても、必要な場所です」
会議終了後、ルクス・ヴァルキュリアではエデン方面への出発準備が始まった。
ヴェルデでの休養環境を少しずつ閉じ、アミィの移送手順を確認する。
セレスティア保護支援系は外部支援核フレームへ移す準備に入る。
ノクス・レクイエムは封印状態のまま、術式調整用の観測端子だけを追加する。
エデン側への事前説明文書も作成されていく。
黒瀬と三島は監査記録をまとめ、カナデとイリスはアミィの接触制限を再確認した。
リクトとミオは、セレスティア保護支援系の再定義試験項目を整理する。
ユイとアシュは、ノクス・レクイエムの封印状態を確認する。
レータは、静穏区画で眠るアミィのそばに立った。
「次は、エデン」
アミィの反応が、かすかに揺れる。
「静かに整える場所。命令じゃない。怖かったら怖いって言っていい」
アミィは返事をしなかった。
でも、反応は乱れなかった。
レータは小さく微笑む。
「少しずつ行こう」
窓の外で、ヴェルデの緑が静かに揺れている。
休む場所から、整える場所へ。
ルクス・ヴァルキュリアは、帝国本国戦の前に必要な最後の準備へ向けて動き始めた。




