第19話 ユイ
ネヴァの背部ユニットから黒い粒子が広がっていく。
海上空域そのものが軋んでいた。
『周辺エネルギー異常上昇!』
『このままでは空域崩壊が起きます!』
艦橋が騒然となる。カイトはアルタイルの中で歯を食いしばった。
視界が揺れる。同期率は限界近い。それでもネヴァから目を離せなかった。
『X04』
男の声が響く。
『抵抗を停止しろ』
『お前は本来、こちら側の存在だ』
「ふざけんな……!」
カイトが叫ぶ。その瞬間、アルタイルが再び強く反応した。
白い光が海面を照らす。《SYNC RATE:98》
警報音が響いた。
頭痛。視界の端へ知らない映像が流れ込む。
崩壊した研究施設。逃げ惑う研究員。そして、泣いている幼い少女。
「……っ」
カイトは息を呑む。その少女を、知っていた。
いや。知っている気がした。その時だった。
ネヴァが動く。黒い巨体がアルタイルへ一直線に突撃してきた。
避け切れない。しかし、その前へ白い機体が飛び込んだ。
レヴァン。激突。轟音が空を震わせた。
『竜奈!?』
カイトが叫ぶ。しかし返事は無い。レヴァンはネヴァを押し返しながら、静かに通信を開いた。
『……カイト』
その声は、今までと少し違っていた。
『聞いて』
ネヴァが再び出力を上げる。黒い粒子がさらに広がる。
空間そのものが歪み始めていた。エルの声が切羽詰まる。
『駄目です!』
『ネヴァの出力が臨界超えます!』
『この海域ごと消えます!』
その瞬間、ユイは小さく目を伏せた。
何かを決めたみたいに。
『……やっぱり来たんだ』
小さな呟き。カイトが眉をひそめる。
「何言って――」
『私は』
通信が一瞬途切れる。そして。
『私は羽崎竜奈じゃない』
その声は静かだった。
しかし、その一言だけで空気が変わった。
カイトが止まる。ユイは続けた。
『あれは地球側で使ってた名前』
『本当の名前はユイ』
『ユイ・クレスケンス』
ネヴァが動きを止める。男の声も沈黙していた。
まるで、その名を待っていたみたいだった。
『PT-Y01』
男が静かに呼ぶ。
『帰還を確認した』
ユイの目が細くなる。
『帰る気はない』
『だが行く必要はある』
カイトが理解できず声を上げる。
「何言ってるんだよ!」
その時、白いGDがレヴァンの横へ降り立った。
白いGDのパイロットの声が通信へ響く。
『ユイ』
今までよりずっと柔らかい声だった。
『もう限界』
『このままだとカイトが壊れる』
その言葉に、ユイの表情が揺れる。カイトは気づいていなかった。
アルタイル側同期率が、すでに危険域を超えている事に。《SYNC RATE:99》《精神汚染警告》《深層同期進行》
「っ……!」
頭へノイズが流れ込む。知らない感情。
怒り。悲鳴。破壊衝動。アルタイルが暴走しかけていた。
その瞬間、レヴァンがアルタイルへ触れる。
白い光。ノイズが一瞬だけ静まった。ユイが小さく言う。
『ごめん』
その声は、初めて聞くくらい弱かった。
『今は離れる』
『でも絶対戻るから』
カイトが手を伸ばす。
「待て、竜奈――!」
しかし、その時にはもう遅かった。白いGD。
そしてネヴァ。二機が同時に後退を開始する。
その中央で、レヴァンが振り返る。白い機体。
そして。最後に響いた声。
『次に会う時は』
『ユイって呼んで』
その瞬間、空間が歪んだ。黒い粒子が渦を巻き、転移ゲートが開く。
ネヴァ。白いGD。そしてレヴァン。
三機が光の中へ消えていった。静寂が響いた。
海上空域には、アルタイルだけが残されていた。
カイトはしばらく動けなかった。ただ、消えた空を見つめている。
その時だった。アルタイル側モニターへ最後のノイズが走る。《MEMORY LINK COMPLETE : PARTIAL》そして、知らない座標データが表示された。
まるで。ユイが、何かを残していったみたいに。
アーク・ノア医療ブロック。消毒液の匂いが漂っていた。
カイトは静かに天井を見上げている。頭が重い。
身体も痛い。しかし、それ以上に胸の奥が妙に空っぽだった。
「……ユイ」
小さく呟く。その名前がまだ現実感を持たない。
羽崎竜奈。候補生。そして。ユイ・クレスケンス。
帝国側の存在。全部同じ人物だった。その時、扉が開いた。
ミオだった。今日は珍しく無言で入ってくる。
缶ジュースも持っていない。カイトは少しだけ苦笑した。
「今日は飲み物無しか」
「……忘れた」
返事も弱い。ミオは椅子へ座ると、しばらく黙り込んだ。
静かな時間が流れた。やがて、カイトが口を開いた。
「知ってたんだな」
ミオは否定しなかった。
「ユイの事」
「……うん」
「どこまで?」
数秒沈黙が響いた。そして。
「本名も」
「PT計画も」
「地球に来た理由も」
カイトは思わず笑う。乾いた笑いだった。
「俺だけ何も知らなかったんだな」
「違う」
ミオがすぐ否定する。
「ユイが隠してた」
「巻き込みたくなかったから」
その言葉に、カイトは視線を逸らした。
思い出す。最後の通信。
『ごめん』
あんな弱い声、初めて聞いた。その時、再び扉が開く。
今度はタツヤだった。整備服姿のまま、腕を組んでいる。
「起きてたか」
「アルタイルは」
カイトが真っ先に聞く。タツヤは少し嫌そうな顔をした。
「生きてる」
「機体もお前もな」
「ただし」
そこで言葉を切る。
「二度とあんな同期するな」
かなり本気の声だった。カイトは少しだけ黙る。
頭の奥にまだ感覚が残っている。アルタイルは危険だ。
それはもう理解していた。だが同時に。
あの機体だけが、ユイへ繋がっている気もしていた。
危険だと分かっていても、その感覚だけは消えなかった。
その時だった。医療ブロックのモニターが起動する。
艦長からの全体通信。
『先程の戦闘結果を報告する』
静かな声が響いた。
『UNKNOWN-D二機、および新型GDとの接触を確認』
『また、候補生・羽崎竜奈は敵側勢力と共に離脱した』
その瞬間、艦内空気が少し変わる。完全に“敵側へ行った人間”として扱われ始めている。
そう感じた瞬間、カイトの胸の奥が冷えた。
カイトが拳を握る。だが艦長は続けた。
『しかし、敵側との通信記録および戦闘内容から、現時点では自発的離反と断定しない』
ミオが小さく息を吐いた。最低限の救いだった。
『引き続き調査を行う』
通信終了。静寂が響いた。その時、エルから直接通信が入る。
『カイト』
「ん?」
『アルタイル側データ解析完了』
空気が変わる。ミオも顔を上げた。
『戦闘終了直前、X04内部へ座標データ記録を確認』
カイトが止まる。思い出す。最後のノイズ。
最後の表示。
『解析結果を転送する』
モニターへ星図が映し出された。宇宙座標。
かなり遠い。通常航路から外れた宙域だった。
タツヤが顔をしかめる。
「こんな場所に何がある」
エルが静かに答える。
『不明』
『ただし』
『過去の帝国観測データと一部一致』
ミオの表情が変わる。
「まさか……」
カイトが聞き返す。
「何だよ」
ミオは少しだけ迷った。しかし、やがて小さく言う。
「多分そこ」
「PT計画の研究施設」
空気が止まる。
ユイ。あの男。ネヴァ。アルタイル。
全部がそこへ繋がっている。
カイトにはまだ何一つ分からない。それでも、立ち止まる理由にはならなかった。
カイトはゆっくり拳を握った。
「……行くしかないだろ」
その瞬間だった。アルタイル側格納庫モニターが、誰も触っていないのに起動する。
白い機体。静かに眠っている。しかし、そのモニターへ、一瞬だけ文字が浮かび上がった。
《NEXT PHASE》
まるで、何かが始まろうとしているみたいに。




