第186話 完成条件
ノクス・レクイエム計画は、ようやく一つの区切りに近づいていた。
統合準備区画での隔離参照方式。
レクイエム・ベント試験ユニットとの初期接続。
ノクス・リリス旧データの命令層反応検知。
過去記録を主制御へ混ぜない非固定保存方式。
ユイ本人意思認証を中心に置く制御思想。
どれも、まだ完全ではない。
だが、何も分からない状態ではなくなった。
危険は残っている。
命令層反応も消えていない。
ノクス・リリス旧データは、今も主制御へ入る場所を探している。
それでも、以前とは違う。
見えなかった危険が見えるようになった。
見えた危険を隔離できるようになった。
隔離したまま参照する方法も見え始めた。
だからこそ、次の会議は避けて通れなかった。
ルクス・ヴァルキュリアの会議室には、主要メンバーが集まっていた。
ジン、カイト、ユイ、カナデ、リクト、アシュ、リン、三島、グリッド、イリス。
通信画面には、クロウヴェイル・ノア艦橋のカイルも映っている。
中央の投影には、ノクス・レクイエム計画の進行状況が表示されていた。
ネメシス・レクイエム残骸。
ノクス・リリス中核操縦系旧データ。
レクイエム・ベント試験ユニット。
本人意思認証。
非固定保存方式。
帝国式命令層遮断。
ハーモニア式負荷分散。
それらが、これまでの試験結果と共に並んでいる。
ジンは静かに口を開いた。
「本日の議題は、ノクス・レクイエム本体組立の可否だ」
会議室の空気が引き締まる。
ユイは息を呑んだ。
カイトは隣で、彼女の様子をそっと見る。
焦りではない。
恐怖でもない。
だが、緊張は確かにある。
リクトが最初に説明を始めた。
「技術班としての結論から言います。完全仕様はまだ無理です」
その言葉に、誰も驚かなかった。
むしろ、それは当然の前提だった。
リクトは続ける。
「レクイエム級出力の全開運用、レクイエム・アンカーの完全使用、長時間戦闘、帝国式認証網への接触。これらは全て禁止です。今の段階で行えば、制御不能になる可能性が高い」
画面に、禁止項目が並ぶ。
レクイエム級出力全開放。
レクイエム・アンカー完全使用。
長時間戦闘。
帝国式認証網接続。
ノクス・リリス旧データ主制御直結。
単独長距離出撃。
アシュが短く言った。
「当然だ」
リクトは頷く。
「ですが、制限付き完成機としてなら、組める可能性があります」
その言葉で、空気が変わった。
ユイの指がわずかに動く。
カイトも、思わず画面を見る。
リクトは次の項目を表示した。
ノクス・レクイエム初期型。
通常機動、可。
限定戦闘、可。
高耐久外殻、使用可。
ノクス・リリス由来操縦補助、隔離参照方式に限定して使用可。
レクイエム・ベント、緊急排出機構として限定使用可。
本人意思認証、主制御として採用。
帝国式命令層、主制御への混入禁止。
レクイエム級反応、低出力域のみ許可。
「初期型なら、戦力として出せます。ただし、完成完全型ではありません」
リクトははっきり言った。
「ノクス・レクイエムは、最初から全てを使う機体ではなく、危険な出力を止めながら扱う機体として組むべきです」
グリッドが腕を組む。
「整備班としても、同じ意見だ。ネメシス・レクイエム残骸の外殻は使える。だが、全部をそのまま起こすのは危険すぎる」
彼は画面に外殻構造を表示した。
「まず使うのは、基礎フレームと外装の一部、高耐久素材、変形構造の一部だけだ。出力中枢は封じる。動力系はルクス側で再構成する。帝国式の命令回線は全て切る」
リンが短く補足する。
「切っても痕は残る」
グリッドは頷いた。
「だから、お前に見てもらう」
リンは画面から目を離さない。
「見る。でも、残る前提で作って」
アシュが続けた。
「残る前提で遮断する。消えたと思うな。見えなくなった命令層が一番危ない」
三島はそれを記録しながら、確認する。
「つまり、ノクス・レクイエム初期型は、帝国式命令層の完全消去ではなく、可視化、隔離、遮断を前提とした機体ということですね」
「その通りです」
リクトが答える。
カナデが次に発言した。
「精神負荷面からも報告します」
画面が切り替わる。
ユイの試験記録。
隔離参照方式。
初期接続試験。
停止申告。
回復速度。
命令層反応への主観報告。
カナデは穏やかな声で言った。
「ユイさんは、ノクス・リリス旧データを見ても、戻ってこられるようになっています。過去記録を主制御の外に置き、必要なら閉じる判断もできました」
ユイは静かに聞いていた。
「ただし、負荷がないわけではありません。ノクス・リリス旧データへの反応は残っています。クレスケンスの識別名にも不快感があります。ネメシス・レクイエム残骸に対しても、まだ重さを感じています」
カナデはユイを見た。
「だから、完全機としての運用は認められません」
ユイは小さく頷く。
カナデは続けた。
「ですが、制限付き完成機として、本人意思認証を中心に置き、レクイエム・ベントを優先するなら、初期組立に進む条件は満たしつつあります」
その言葉は、会議室に静かに落ちた。
初期組立に進む条件は満たしつつある。
それは、これまでの試験が無駄ではなかったことを示していた。
三島が記録を確認しながら言う。
「監査上の条件を整理します」
画面に項目が並ぶ。
一つ。
ノクス・レクイエム本体組立は、初期型に限定。
二つ。
全出力運用は禁止。
三つ。
レクイエム・ベントを緊急安全機構として優先搭載。
四つ。
ノクス・リリス旧データは主制御へ直結しない。
五つ。
過去記録は非固定保存方式で隔離参照。
六つ。
ユイ本人の中断権限を最優先。
七つ。
カナデによる精神負荷監視を必須。
八つ。
アシュ、リンによる命令層監視を必須。
九つ。
グリッドによる物理遮断・パージ系統を必須。
十。
初回起動は短時間、格納区画内に限定。
「この条件を満たすなら、監査上は本体組立開始を認められます」
ユイは三島を見た。
三島は淡々としていたが、その言葉は重かった。
これまで、彼女は何度も止める側に回ってきた。
記録し、条件を付け、無理をさせないようにしてきた。
その三島が、条件付きとはいえ、組立開始を認めた。
カイトはその意味を感じ取っていた。
アシュが低く言う。
「まだ危険だ」
リクトは頷いた。
「危険は残っています」
「命令層は消えていない」
「はい」
「ノクス・リリス旧データは、主制御への入口を探し続ける」
「分かっています」
「なら、全出力は許可するな」
リクトは真っ直ぐ答えた。
「許可しません。初期型は、止めるための機体として組みます」
アシュは少しだけ目を細めた。
「なら、進めろ」
その一言に、ユイがわずかに驚いた。
アシュは彼女を見ずに続ける。
「危険が見えているうちに作れ。見えないまま放置すれば、帝国に先に触られる」
リンも短く言った。
「帝国式の痕は残る。だから、こっちで先に場所を決める」
カイトはその言葉に納得した。
危険だから止め続けるのではない。
危険が見えるようになったから、制限付きで形にする。
そうしなければ、いつまでも危険は見えないまま残る。
ジンはユイへ視線を向けた。
「ユイ。君の意思を確認する」
会議室が静まる。
「ノクス・レクイエムは、君の過去と深く関わる機体だ。ノクス・リリス旧データ、ネメシス・レクイエム残骸、帝国式命令層。その全てが危険を含んでいる」
「はい」
「それでも、君は本体組立へ進むか」
ユイはすぐには答えなかった。
画面には、ノクス・レクイエム初期型の構成図が表示されている。
まだ仮の姿だ。
完成形ではない。
だが、それは確かに、彼女の次の機体になるものだった。
ユイは静かに口を開いた。
「怖いです」
誰も遮らなかった。
「ノクス・リリス旧データも、クレスケンスの記録も、ネメシス・レクイエムの残骸も、まだ怖いです。命令層も残っています」
彼女は自分の手を見た。
「でも、未完成のまま逃げ続ける方が、もっと怖いです」
カイトは静かに彼女を見ていた。
ユイは続ける。
「私は、帝国の命令で動く機体を作りたいわけではありません。ヴァイスの設計に戻りたいわけでもありません。エルマに評価されるためでもありません」
その声は、少しずつ強くなる。
「ノクス・レクイエムは、私を動かす機体ではなく、私が止められる機体にしたいです」
カナデが静かに頷いた。
ユイは顔を上げる。
「だから、組みたいです。完全じゃなくてもいい。制限があってもいい。でも、私の意思で完成させたいです」
会議室には、しばらく沈黙があった。
それは、迷いの沈黙ではなかった。
ユイの言葉を、それぞれが受け止めるための沈黙だった。
カイトはそこで口を開いた。
「俺も、組んでいいと思います」
ジンが彼を見る。
カイトは少しだけ緊張しながらも続けた。
「急ぐためじゃなくて、戻ってこられる形で組むなら。ユイが止められる形で作るなら、もう進んでもいいと思います」
ユイがカイトを見る。
カイトは彼女に頷いた。
「完成を急ぐんじゃなくて、戻ってこられる形で組もう」
その言葉に、ユイは静かに頷き返した。
「はい」
カイルが通信画面で小さく笑った。
『ようやく、か』
グリッドが肩をすくめる。
「こっちは準備だけでずいぶん待たされたからな」
リクトが苦笑する。
「その準備が必要だったんです」
「分かってる。だから文句は半分だけだ」
アシュが低く言った。
「半分も多い」
リンが短く続ける。
「でも、長かった」
その言葉に、会議室に小さな笑いが生まれた。
緊張は消えない。
だが、重さだけではない空気が生まれていた。
ジンは全員を見渡した。
「では、決定する」
全員の視線が集まる。
「ノクス・レクイエム本体組立を許可する。ただし、初期型に限定。全出力運用は禁止。レクイエム・ベントを優先搭載し、本人意思認証を主制御とする。ノクス・リリス旧データは隔離参照方式を維持。帝国式命令層は常時監視。初回起動は短時間、ルクス・ヴァルキュリア格納区画内に限定する」
三島が正式に記録する。
「ノクス・レクイエム初期型、本体組立許可。条件付き完成機として扱います」
その言葉が、静かに会議室へ響いた。
条件付き完成機。
完全ではない。
万能ではない。
だが、ようやく機体として組まれる。
ユイは小さく息を吐いた。
カイトは、その横顔を見ていた。
恐怖はある。
でも、それだけではない。
そこには、決意があった。
会議の後、統合準備区画ではすぐに準備が始まった。
グリッドが整備班に指示を飛ばす。
「ネメシス・レクイエム残骸の外殻を第一架台へ。中枢部は封印維持。動力系は触るな。ノクス・リリス旧データ端末は隔離領域のまま。主制御線とは絶対に繋ぐな」
整備班が一斉に動き出す。
リクトは術式層の接続順を確認していた。
「ハーモニア式負荷分散は、ベント側優先。命令層遮断より先に流すな。必ず遮断、隔離、排出の順だ」
アシュは遮断層の基部を見ている。
「緊急切断を増やせ。ユイ本人が止める前に外部遮断できる線も必要だ」
リンはノクス・リリス旧データの反応を監視しながら言った。
「旧データ、少し反応してる。まだ浅い」
「想定内だ」
アシュは答えた。
「見えているうちはいい。見えなくなったら止める」
三島は、その全てを記録していた。
組立開始。
ただし、完成ではない。
完成へ向かうための、最初の実作業。
ユイは統合準備区画の外から、その光景を見ていた。
カイトが隣に立つ。
「始まったな」
「はい」
「怖い?」
「怖いです」
ユイは正直に答えた。
「でも、逃げたい怖さではありません」
「なら?」
「ちゃんと見ていたい怖さです」
カイトは少しだけ笑った。
「それなら、見ていよう」
「はい」
統合準備区画の中で、ネメシス・レクイエム残骸の外殻がゆっくりと移動する。
ノクス・リリス旧データ端末は、隔離領域の奥で静かに光っている。
レクイエム・ベント試験ユニットは、新しい接続基部へ移される。
まだ、それらは一つの機体ではない。
だが、初めて本体組立の工程へ入った。
遠回りだった。
危険を避け続けたわけではない。
危険を見える場所へ置くための遠回りだった。
ユイは静かに言った。
「ノクス・レクイエムは、私を命令する機体にはしません」
カイトは頷く。
「うん」
「私が、止められる機体にします」
「ああ」
格納区画の照明が、作業開始を示す色へ変わった。
整備班の声が響き、術式層の淡い光が床を走り、遮断層の警告表示が立ち上がる。
ノクス・レクイエム初期型。
条件付き完成機。
その組立が、ついに始まった。
完全な完成ではない。
だが、目途は立った。
ユイはもう、未完成のまま立ち止まる段階を越えた。
危険を知り、戻る場所を作り、止める方法を持ったうえで、自分の機体を組み上げる段階へ進んだのだ。
ルクス・ヴァルキュリアの中で、長く止まっていた計画が、ようやく動き出した。




