第162話 艦の傷と新しいドック
ルクス・ヴァルキュリアの巨大な格納区画に、重い金属音が響いていた。
それは機体を修理する音だけではない。
艦そのものを作り替える音だった。
クロウヴェイル・ノアが、ノア・ドックの中央に固定されている。
黒い艦体の外装には、アース・ネメシスで受けた細かな損傷がまだ残っていた。
低空回収時の照射痕。
急加速時の姿勢制御系負荷。
エデンでの偽装支援ドローン群への対応時に、無理な誘導波を流した影響。
どれも致命傷ではない。
だが、積み重なれば艦を歪ませる。
グリッドはドック管制台の前で、表示される修理項目を見ていた。
「……先延ばしにできる状態じゃねえな」
通信越しにカイルの声が返る。
『そこまで悪いか?』
「悪い。沈むほどじゃないが、次に同じ無茶をしたら歪みが残る」
『無茶を前提にするなと言いたいところだが』
「もうしてるだろうが」
グリッドは遠慮なく言った。
「アース・ネメシスで低空回収。エデンでドローン群の誘導と回収。艦体に優しい使い方じゃない」
『反論しにくいな』
「反論する前に修理させろ」
そのやり取りに、近くの整備員達が小さく笑った。
だが、グリッドの表情は真剣だった。
クロウヴェイル・ノアは、ただの艦ではない。
ラスト・オーダーの母艦クロウヴェイルと、アーク・ノア由来の機能を統合した特殊艦。
偵察、回収、支援、戦闘、難民保護、情報中継。
その全てを担うには、現状のドック接続では不安が大きい。
特に問題なのは、ルクス・ヴァルキュリアとの接続時だった。
グリッドは画面を切り替える。
「問題は三つだ」
ドック管制台の上に、クロウヴェイル・ノアとルクス・ヴァルキュリアの接続図が浮かぶ。
「一つ。ノア・ドックの接続安定性」
ルクス側の巨大な格納・修理区画と、クロウヴェイル・ノアの艦体接続ラインが赤く点滅する。
「艦体を固定するだけなら、今のままでもできる。だが、回収任務後に戻ってくる艦を受けるには足りない。損傷、熱、慣性負荷、通信同期の乱れ。それが一気にドック側へ流れ込む」
カイトは格納区画の端から、その説明を聞いていた。
ユイ、カナデ、リクト、アシュ、リン、三島も同席している。
グリッドは続けた。
「二つ。帝国式認証規格の逆流対策」
別の層に、帝国式GD規格、パルスティア識別反応、旧レクイエム制御系統の危険表示が並ぶ。
リンが短く言った。
「その規格は、艦に残る」
グリッドが頷く。
「そこはリンの見立てが必要だ。俺達は艦体の歪みや負荷は読めるが、帝国式認証の癖までは読み切れない」
リンは端末から目を離さない。
「帝国式は便利。でも、切ったつもりでも痕が残る。GD規格も、識別網も、似ている」
ユイの表情が少し硬くなる。
「艦が、帝国の認証に触れる?」
アシュが答えた。
「可能性はある。便利な規格ほど、首輪に近い」
カイトはアース・ネメシスで見た識別網を思い出した。
パルスティア識別網。
GD操縦適性者を検出し、管理するためのシステム。
あれと同じものを、ルクスのドックに入れるわけにはいかない。
グリッドは三つ目の表示を開いた。
「三つ。ハーモニア式負荷分散を、ドック制御にどう応用するか」
淡い緑と水色の流路が表示される。
リクトが一歩前に出た。
「ここは俺が説明する」
グリッドは頷き、表示の操作をリクトへ渡した。
リクトはエデン由来の術式層を拡大する。
「ハーモニア式の本質は、強制ではなく流路の整理だ。負荷を一箇所に押し込めず、複数の経路へ分散させる。今回、それをドック制御にも使う」
カイトが首を傾げる。
「ドックに使うと、どうなるんですか?」
「接続時の衝撃、エネルギー流路の偏り、通信同期の負荷、艦体姿勢のずれ。それらを一つの接続部に集めず、複数の緩衝流路へ逃がす」
リクトはクロウヴェイル・ノアとルクスの接続図を示した。
「固定するのではなく、受け流す。押さえ込むのではなく、逃がす。これはレクイエム・ベントと考え方が近い」
カナデが静かに頷く。
「人の精神負荷と似ていますね。一つに押し込めると壊れる。分けて、戻れる道を作る」
「そうだ」
リクトは答えた。
「ただし、ハーモニア式技術を艦側に載せる以上、危険もある。使い方を誤れば、支援の名を借りた管理になる」
三島が端末に記録を残しながら言った。
「そのため、艦改造も監査対象に含めます」
グリッドが少し眉を上げる。
「艦の改造もか」
「もちろんです」
三島は当然のように頷いた。
「ノクス・レクイエムに関わる技術を艦側に載せるなら、機体だけでなくドックも監査対象になります。特に今回は、エデン側から条件付きで提供されたハーモニア式技術を使う」
「整備班としては、面倒が増えたな」
「記録がない改造よりは安全です」
グリッドは少しだけ笑った。
「それは違いない」
アシュが接続図の中間層を指した。
「ドック制御に入れる順番を間違えるな」
画面に、新しい制御図が表示される。
帝国式規格。
独立遮断層。
ハーモニア式負荷分散層。
ルクス側ドック制御。
それらが、直結ではなく段階的に並べられている。
アシュは低く言った。
「帝国式規格は、必ず独立遮断層で受ける。危険な認証反応、命令系統、識別網の残滓を切り離す。その後で、ハーモニア式負荷分散層へ渡す」
リクトが補足する。
「ハーモニア式は、帝国式規格を綺麗にするためのものではない。負荷を逃がすためのものだ。帝国式命令層と直結すれば、命令の伝達まで安定させてしまう」
リンが短く言った。
「それは駄目。首輪が強くなる」
アシュは頷く。
「だから直結しない。危険なら切る」
カイルの通信が少しだけ重くなる。
『クロウヴェイル・ノア側から見れば、接続が切られる可能性があるわけか』
「ある」
アシュは即答した。
「危険なら切る。艦ごと帝国式認証に食われるよりはましだ」
カイルは一瞬沈黙し、それから低く笑った。
『反論しにくいな』
ジンも通信に加わっていた。
『ルクス・ヴァルキュリア側としても、その方針を支持する。クロウヴェイル・ノアは重要な先行艦だが、ルクス本体へ危険な規格を逆流させるわけにはいかん』
三島が記録を確認する。
「接続切断条件も明文化します。艦側への帝国式認証反応、命令層反応、識別網残滓、ハーモニア式負荷分散層への不正侵入。この四つを基本条件にするのが妥当です」
アシュが短く言う。
「追加で、乗員判断による手動切断も入れろ」
「記録します」
整備区画の一角では、機体ごとの整備確認も進んでいた。
ヴァナルガンド。
ネヴァ。
フェンリオン・リサイト。
ルナ・スケイル・リフレクト。
それぞれに、アース・ネメシスとアース・エデンでの戦闘記録が反映されている。
まず表示されたのは、レイのヴァナルガンドだった。
応急交換された左腕部。
旧レクイエム制御実験機との接触痕。
エデンで小型GDを破壊せず停止させた戦闘記録。
グリッドが説明する。
「ヴァナルガンドは、左腕の本修理が最優先だ。応急交換のままでは長期戦に耐えない」
レイが通信越しに短く答えた。
『了解』
「ただし、単純な火力強化は後回しだ。今回は、関節ロック、拘束解除、非致命制圧用の調整を入れる」
『必要なら受け入れる』
グリッドは少しだけ笑った。
「エデンでやったみたいに、壊さず止める動きが増えるかもしれん。機体側でも支えられるようにしておく」
レイは少しだけ間を置いて答えた。
『悪くない』
次に映ったのは、アシュのネヴァだった。
黒い機体の周囲に、複数の警告表示が並ぶ。
帝国識別網干渉痕。
外部認証残滓。
ネヴァ中枢遮断層の過負荷。
三島が表示を見て眉を寄せる。
「ネヴァは、監査上も要注意ですね」
アシュは無表情に答えた。
「分かっている」
グリッドが警告表示を指す。
「ネヴァは、しばらく長時間出撃禁止だ。識別網に触れた痕が残ってる」
「分かっている」
「本当に分かってるか?」
「分かっている」
カナデが静かに言う。
「アシュさんは、自分の機体に関しては無茶をする傾向があります」
アシュは少しだけ目を細めた。
「余計な分析だ」
「必要な分析です」
三島も記録を見ながら言った。
「同意します。ネヴァの遮断層再設計は、本人単独ではなく、リクトさん、グリッドさん、リンさんの確認を通すべきです」
アシュは短く沈黙した。
そして、渋々答える。
「……分かった」
リンがネヴァの表示を見て短く言う。
「ネヴァは帝国式に近い。切るだけでは足りない。残る」
アシュが頷く。
「だから再設計する」
次は、セラのフェンリオン・リサイト。
エデンで偽装支援ドローンの通信端末だけを撃ち抜いた記録が表示される。
セラの狙撃精度は高い。
だが、それゆえに負荷も大きい。
グリッドが説明する。
「フェンリオン・リサイトは、非致命制圧用の射撃補助を追加する。通信端末、推進部、武装関節だけを狙うモードだ」
セラの声が返る。
『今でもできる』
「セラができるのは知ってる。だが、毎回全部を集中力に頼るのは危ない」
カナデが補足する。
「自分の意思で撃つためにも、撃たない部分を機体側で補助する必要があります」
セラは少し沈黙した。
やがて、短く答える。
『……分かった』
三島が記録する。
「フェンリオン・リサイトは、火力強化ではなく非致命制圧補助として記録します」
最後に、ミオのルナ・スケイル・リフレクト。
エデンで落下するドローンを反射障壁で受け止めた記録が表示される。
淡い月光のような障壁が、街への被害を防いでいた。
リクトが表示を拡大する。
「ルナ・スケイル・リフレクトは、防御支援と落下物制御に適性がある。ここにはハーモニア式負荷分散を一部応用できる」
ミオが穏やかに答えた。
『受け止めるより、流す感じですね』
「そうだ。受け止めるだけだと、障壁に負荷が溜まる。エデン式の考え方を使えば、衝撃を分散して逃がせる」
カイトはその言葉を聞きながら、今回の改造全体に共通するものを感じていた。
ノクス・レクイエム。
ノア・ドック。
クロウヴェイル・ノア。
ヴァナルガンド。
ネヴァ。
フェンリオン。
ルナ・スケイル。
全てに共通しているのは、ただ強くすることではない。
危険を制御する。
壊さず止める。
命令に直結しない。
負荷を一人や一機に背負わせない。
それは、アース・エデンで学んだことそのものだった。
ユイも同じことを感じていたようだった。
「全部、少しずつエデンの考え方が入ってる」
カナデが頷く。
「はい。ただし、エデンの技術をそのまま使うのではありません。戦場に持ち込む以上、別の危険があります」
リクトも言う。
「だから、エデン式を兵器にするのではなく、安全機構として使う。そこを間違えないことが重要だ」
アシュが短く続ける。
「便利だから使うな。必要だから使え」
三島がその言葉を記録する。
アシュが気づいて眉をひそめた。
「なぜ記録した」
「使用方針として有効だからです」
「消せ」
「消しません」
カイトは思わず笑いそうになった。
だが、すぐに格納区画の奥を見る。
ノア・ドックでは、クロウヴェイル・ノアの接続アームが一度外され、新しい緩衝フレームが取り付けられていた。
以前は、艦を固定し、修理し、補給するためのドックだった。
これからは、それだけではない。
帝国式認証を遮断し、ハーモニア式負荷分散で接続負荷を逃がし、必要なら接続を切り離す。
ルクス・ヴァルキュリアとクロウヴェイル・ノアを、より安全に連携させるための新しいドック。
それが作られ始めている。
グリッドは作業状況を確認しながら言った。
「ノア・ドック改造の第一段階は、接続緩衝フレームの追加だ。第二段階で、帝国式認証遮断層。第三段階で、ハーモニア式負荷分散制御。第四段階で、クロウヴェイル・ノアの回収支援艦機能の強化」
カイルが反応する。
『回収支援艦機能?』
「ああ。エデンでのドローン回収や、ネメシスでの低空回収を踏まえて、クロウヴェイル・ノアには今後、前線回収・小型機無力化・損傷機収容の役割が増える」
カイルが少しだけ笑う。
『また仕事が増えるな』
「艦長がそういう動きをするからだ」
『否定できない』
グリッドは続ける。
「ただし、無茶な回収を前提にはしない。回収するなら、艦体負荷を逃がす補助フレームと、ドック側の受け入れ制御をセットで整える」
ジンが全体の話をまとめる。
『次の目的地に向けた艦隊運用を整理する必要がある』
会議画面に、今後の運用案が表示される。
ルクス・ヴァルキュリア。
主力母艦。
大型修理・補給・保護拠点。
ノア・ドックによるクロウヴェイル・ノア接続支援。
クロウヴェイル・ノア。
先行偵察艦。
回収支援艦。
情報中継艦。
小規模戦闘および撤退支援。
機動部隊。
アルタイル・ノヴァ、ヴァナルガンド、フェンリオン・リサイト、ルナ・スケイル・リフレクト、レイヴン・ハウル。
ノクス・レクイエム計画。
未完成。
レクイエム・ベント試験段階。
アース・アンノウン関連記録。
解析継続。
接触未定。
ジンはゆっくりと言った。
『当面、ルクス本体は大きく動かしすぎない。クロウヴェイル・ノアを先行させる場合も、ノア・ドック改造が第一段階まで終わってからだ』
カイルも頷く。
『了解。未知宙域に行くなら、まず艦を直してからだな』
アシュが低く言う。
「アンノウンへ向かうかどうかは、まだ決めるな」
リクトが同意する。
「今の段階では情報が足りない。接触禁止なのか、観測保留なのか、ネメシスが隠したのか、見なかったことにしたのか。それすら分かっていない」
三島も記録を確認しながら言った。
「監査上も、現時点での接触準備は認められません。情報整理に留めるべきです」
カイトはその言葉に、アース・アンノウンの記録を思い出した。
分類不能。
接触保留。
観測保留。
その言葉は、どこか不気味だった。
だが、今すぐ向かうべきではない。
それは全員が理解していた。
まずは整える。
艦を直す。
機体を直す。
安全装置を作る。
そうしなければ、次の未知には耐えられない。
作業終了後、カイトは格納区画の端に立ち、ノア・ドックを見上げていた。
巨大な接続アームがゆっくりと動き、クロウヴェイル・ノアの外装に合わせて位置を調整している。
その周囲に、淡い緑と水色の術式ラインが走り始めていた。
ユイが隣に来る。
「大きいね」
「今さらだけど、ルクスって本当に大きいよな」
「うん」
二人はしばらく、動き続けるドックを見ていた。
ユイは静かに言う。
「前は、艦って守る場所だと思ってた」
「今は?」
「守る場所でもあるけど、戻ってくる場所でもあると思う」
カイトはユイを見る。
ユイはクロウヴェイル・ノアを見つめていた。
「クロウヴェイル・ノアが外に出て、戻ってくる。機体が出て、戻ってくる。私も、ノクス・レクイエムに乗るなら、戻ってこないといけない」
その声は静かだった。
「だから、ドックが必要なんだと思う。直す場所。止まる場所。帰ってきてもいい場所」
カイトは少しだけ笑った。
「エデンみたいだな」
「うん」
ユイは頷く。
「支える場所」
ノア・ドックの新しい術式ラインが、静かに輝いている。
それは、ただ艦を固定するためのものではない。
負荷を受け止め、逃がし、必要なら切り離し、もう一度つなぎ直すための流れ。
ハーモニアで学んだものが、巨大な艦の中で形を変えていく。
カイトは呟いた。
「やっと、本格的に改造が始まったな」
「うん」
「やること、多いな」
「多い」
ユイは少しだけ口元を緩める。
「でも、何をするかは見えてきた」
「ああ」
格納区画には、整備の音が響き続けている。
ヴァナルガンドの左腕が外され、ネヴァの遮断層が再設計され、フェンリオンの射撃補助が調整され、ルナ・スケイルの障壁制御が書き換えられていく。
そして、ノア・ドックではクロウヴェイル・ノアが、新しい接続フレームの中で静かに眠っている。
次の目的地はまだ決まっていない。
アース・アンノウンの記録は、まだ解析中のままだ。
リゼルも、エルマも、帝国も、待ってはくれないだろう。
それでも今は、進むために止まる時だった。
艦の傷を直し、新しいドックを作る。
壊れたものを、次へ進む形に変える。
ルクス・ヴァルキュリアは、ようやく本格的な改造の段階へ入った。




