第133話 帝国の地球
解析室の空気は、まだ重かった。
前話で整理した「未統合地球」という言葉は、カイト達に強い違和感を残していた。
複数の文明が自分達の星を「地球」と呼ぶこと自体は、不自然ではない。
大地があり、海があり、空があり、人が生きている。
その世界が球状の天体だと知った時、住民が自分達の星を「地球」と呼ぶことはあり得る。
問題は、ネメシス帝国がそれを認めないことだった。
正統地球。
未統合地球。
統合候補。
その言葉は、ただの分類ではない。
帝国が他の地球をどう見ているのかを示すものだった。
カイトは、スクリーンに表示された帝国の分類ログを見つめたまま言った。
「じゃあ、次は帝国そのものの話だな」
「はい」
ユイが静かに頷く。
「ネメシス帝国が、なぜ自分達の地球だけを正統だと考えるのか。それを知らなければ、アース・ネメシスへ向かう意味も見誤ります」
「帝国本国は、アース・ネメシスじゃない」
「はい」
ユイははっきりと答えた。
「アース・ネメシスは、帝国に敗れてネメシスの名を冠された占領地球です。帝国本国そのものではありません」
「じゃあ、帝国の本国は何て呼ばれてるんだ?」
「帝国内部では、今も単に“地球”と呼ばれています」
その言葉に、カイトは眉を寄せた。
「自分達の星だけが、本物の地球ってことか」
「帝国の思想では、そうです」
アルベルトが答えた。
彼は端末を操作し、スクリーンに古い帝国史の年表を表示する。
ヴァルディウス・ネメシス一世。
ヴァルディウス・ネメシス二世。
ヴァルディウス・ネメシス三世。
その三つの名が並んだ瞬間、室内の空気が少し変わった。
「ネメシス帝国を理解するには、まずこの三代を分けて考える必要があります」
「一世、二世、三世……」
カイトは年表を見た。
「今の皇帝が三世なんだよな」
「はい。現皇帝がヴァルディウス・ネメシス三世です。ただし、今日説明するのはまず、一世と二世までにしましょう」
「三世は?」
「三世の話は、正統地球思想そのものに直結します。そこまで一度に話すと、情報が多すぎる」
三島が頷いた。
「まずは、ネメシス帝国がどう成立し、どう星間国家になったのか。それを整理するべきですね」
「お願いします」
ジン艦長も通信越しに同席していた。
ブリッジ側のスクリーンにも同じ年表が表示されている。
クロウヴェイル・ノア側にも通信は開かれており、カイル達も聞いていた。
《こっちも聞いている》
カイルの声が入る。
《帝国の歴史か。退屈で済めばいいがな》
「退屈ではないと思います」
アルベルトは静かに答えた。
「むしろ、厄介です」
最初に表示されたのは、ネメシス帝国本国の地図だった。
ただし、それは現在のものではない。
まだ帝国として統一される前の、古い地図だ。
大陸は複数の勢力に分かれ、国境線は複雑に入り組んでいる。
その各地に、軍事拠点や研究都市の印が表示されていた。
「これが、一世以前の帝国本国です」
アルベルトが言う。
「まだ帝国ではありませんでした。複数の国家、軍事同盟、企業国家、研究都市が互いに争っていた時代です」
「普通の戦国時代みたいなものか?」
「近い面はあります。ただし、技術水準は高く、魔術/錬金術系技術の原型もすでに存在していました」
「その頃から魔術っぽい技術はあったんですね」
ミオが言う。
「はい。ただし、今の帝国式術式層ほど体系化されてはいません。各地で独自に研究されていた段階です」
リクトが、古い機体の図面を表示する。
「この頃に、GDの原型が出てくる」
「グレイブ・ドール」
カイトが呟く。
「ああ。最初は帝国統一のための決戦兵器というより、人型作業機械、装甲兵器、儀式兵装、遠隔操縦兵器が混ざったものだったらしい」
画面には、現在のGDほど洗練されていない機体が並んでいた。
腕が太く、脚部は不格好で、武装も統一されていない。
だが、人型兵器としての方向性は見える。
「これを国家事業としてまとめたのが、ヴァルディウス・ネメシス一世です」
アルベルトが、一世の肖像を表示する。
鋭い目をした男だった。
若い頃の姿なのか、表情には強い野心がある。
「一世は、分裂していた本国の地球を統一しました」
「武力で?」
カイトが問う。
「武力も使いました。外交、婚姻、企業吸収、研究都市の接収、軍事同盟の再編。手段は複数ありますが、最終的には武力が決定打になりました」
「そこでGDが使われた」
「はい」
リクトが頷く。
「一世はGD開発を国家事業化した。各勢力がバラバラに作っていた機動兵器、術式兵装、操縦補助技術を統合し、帝国軍の中核にした」
「つまり、帝国の戦闘国家としての基礎を作ったのが一世」
「そうだ」
レオニスが言った。
彼は腕を組み、スクリーンを見ている。
「一世の時代の敵は、外宇宙の地球ではない。本国の地球の内部にいた勢力だ。彼はそれらを統一し、“唯一の地球政府”を作った」
「唯一の地球政府……」
「その経験が、後の思想にもつながる」
レオニスの声は硬かった。
「分裂した地球を統一した成功体験。それが、一世の遺産です」
ユイが静かに言う。
「帝国では、一世は“地球を一つに戻した皇帝”として教えられていました」
「戻した?」
カイトが聞き返す。
「はい。分裂していたものを征服した、ではなく、本来一つであるべき地球を一つに戻した、と」
「言い方がもう帝国だな」
「はい」
ユイは短く答えた。
次に、年表は二世の時代へ移った。
ヴァルディウス・ネメシス二世。
その名の横に、複数の航路図が表示される。
本国の地球から伸びる光の線。
資源星。
衛星軌道基地。
植民星。
軍事拠点。
宇宙港。
航路中継点。
それは、一つの星内国家が宇宙へ広がっていく図だった。
「一世が地球を統一した皇帝なら、二世は帝国を宇宙へ出した皇帝です」
アルベルトが言う。
「二世の時代に、帝国は長距離転移を実用化しました」
「前に説明してもらった」
カイトが言う。
「はい」
リクトが説明を引き継ぐ。
「帝国の長距離転移は、単なるワープ技術じゃない。機械演算と魔術/錬金術系の術式層を組み合わせて、空間上の距離を折り畳むように移動する」
「その説明、まだ完全には分からないけど」
「俺も完全には分かっていない」
「おい」
「ただ、危険な技術なのは確かだ」
リクトは真面目な顔に戻る。
「術式層を使う以上、単純な推進や航法とは違う。空間だけじゃなく、座標の意味や物質の安定性に干渉する。帝国がGDやパルスティア、侵食核みたいなものを作れる背景にも、この術式層技術がある」
「魔術と科学の混合か」
「そうだ」
アルベルトが補足する。
「二世は、各地に残っていた魔術/錬金術系研究を国家規模で統合しました。機械演算、軍事工学、生命形成技術、空間転移技術。それらを帝国の中枢技術としてまとめた」
「そこから星間戦争が始まった」
「はい」
スクリーンに、最初の星間戦争の記録が表示される。
ただし詳細は断片的だった。
敵対した植民圏の名、破壊された宇宙港、占領された資源星。
そこに並ぶ数字は、冷たい記録に過ぎない。
「帝国は、まず資源を求めました」
レオニスが言う。
「本国の地球を統一した後、軍を維持し、GDを量産し、転移網を広げるには膨大な資源が必要だった」
「それで資源星を押さえた」
「そうだ。鉱物資源、希少金属、術式媒体、燃料、食料生産圏。帝国は必要なものを外へ求めた」
三島が画面を見ながら言う。
「ここで重要なのは、帝国が地球以外の星も普通に支配していることですね」
「はい」
アルベルトが頷く。
「帝国は“地球”だけを狙う国家ではありません。資源星、植民星、交易圏、軍事拠点、宇宙港、異星文明。外宇宙には多くの対象があります」
「じゃあ、地球系文明だけが敵じゃない」
「その通りです」
カイトは少し考える。
「でも、扱いは違うんだよな」
「違います」
レオニスが答えた。
「地球以外の星は、基本的に帝国にとって領土、資源、航路、軍事拠点、交易相手、または制圧対象だ。もちろん、そこにも住民はいる。悲惨な支配もある。だが、思想上の重みは地球系文明とは違う」
「地球系文明は、正統性に関わるから」
「そうだ」
レオニスは頷く。
「資源星が帝国に逆らえば反乱だ。だが、地球を名乗る文明が存在することは、帝国思想にとって矛盾になる」
「矛盾……」
「自分達の地球こそ唯一の正統地球だと考えるなら、他に地球を名乗る文明があること自体が都合が悪い」
カイトは唇を噛んだ。
「名前を名乗ってるだけなのに」
「帝国にとっては、名前だけではありません」
ユイが言う。
「地球という名は、文明の中心であり、支配の根拠であり、皇帝の正統性と結びついています」
「……」
カイトは画面を見た。
帝国は星々を支配する。
資源星を掘る。
植民星を管理する。
宇宙港を押さえる。
交易圏を飲み込む。
だが、地球系文明だけは、別の意味を持つ。
帝国の思想そのものに関わる存在として。
イリスが、二世時代の領域拡大図を表示した。
「二世の時代、帝国は複数の外縁領域を獲得しています。資源星、移民拠点、軍事中継港、観測基地。これらは帝国の星間国家化を支えました」
「異星文明もいたのか?」
カイトが問う。
「記録上、接触はあります」
イリスは短く答えた。
「ただし、帝国の記録では、異星文明の扱いは一貫していません。交易相手として残された例もあれば、属領化された例、軍事的に制圧された例、観測のみで放置された例もあります」
「じゃあ、全部侵略ってわけでもない」
「はい。ただし、帝国の利益や安全保障に関わる場合は、強制的な介入が行われています」
三島が補足する。
「帝国は現実的な国家でもある、ということですね。思想だけで動いているわけではない。資源、航路、軍事、経済も見ている」
「そうです」
アルベルトが言う。
「ただし、地球系文明だけは、実利に加えて思想が乗ります」
「実利と思想の両方か」
「はい」
リクトが腕を組む。
「だから帝国は厄介なんだ。資源が欲しいだけなら交渉や防衛の余地がある。軍事拠点が欲しいだけなら、戦略目的を読める。でも地球系文明の場合は、相手の存在そのものが帝国の思想に触れる」
「だから、観測して分類する」
「そして使えるものを取り込む」
リクトは、これまでの地球の記録を並べた。
「デッドエンドの崩壊、ヴェルデの生体ネットワーク、フォージの工廠、ネオジェネシスの補正演算、カタストロフの災害制御網。どれも帝国にとっては、単なる敵の設備じゃない。利用できる要素だ」
「文明ごと部品にするみたいだな」
「近い」
カナデが静かに言う。
「そして、人も同じように扱われます」
「人も?」
「兵士、労働力、管理対象、観測対象、研究材料。帝国の分類の中では、人も役割で見られます」
「……」
ユイとセラが、わずかに目を伏せた。
パルスティアとして作られた彼女達には、その言葉の意味が重く響いたのだろう。
カナデは続ける。
「一世の時代に、地球を一つにまとめるための戦闘国家が生まれた。二世の時代に、その国家は星間国家になった。そこに魔術/錬金術系技術と生命形成技術が組み込まれていった」
「そして、その先にパルスティアがいる」
カイトが言う。
「はい」
カナデは頷いた。
「パルスティアは、単なる機械ではありません。魔術/錬金術寄りの人工生命です。帝国の技術と思想が、人の形に近いものを兵器として扱える段階まで進んだ証でもあります」
「……ユイ達を、帝国の思想の結果みたいに言うなよ」
カイトの声が少し強くなる。
カナデは穏やかに首を横に振った。
「結果だけではありません。今ここにいるユイさん達は、その思想から離れようとしている存在でもあります」
「……」
「だから、知る必要があります。どこから来た技術なのか。何のために作られた思想なのか。そして、どう変えられるのかを」
カイトは何も言えなかった。
通信越しに、カイルが低く言った。
《一世は地球を統一し、二世は宇宙へ出た。そこまでは分かった》
「はい」
アルベルトが応じる。
《だが、それだけなら普通の帝国主義だ。問題は、他の地球をどう見始めたかだろ》
「その通りです」
アルベルトは、年表の三つ目へ視線を向ける。
ヴァルディウス・ネメシス三世。
まだ詳細は開かれていない。
ただ、その名だけがスクリーンに表示されている。
「三世の時代に、帝国は変質します」
「変質?」
カイトが問う。
「二世までは、外宇宙への拡大と星間国家化が中心でした。もちろん、その時点ですでに侵略国家ではあります。しかし、地球系文明を体系的に観測し、分類し、統合対象としたのは三世です」
「未統合地球って言葉も」
「三世の時代に制度化された可能性が高い」
「……」
ユイが静かに言う。
「私が帝国で教えられた正統地球思想も、三世の時代の教育体系に組み込まれたものです」
「じゃあ、今の帝国の“地球は一つでなければならない”って思想は」
「三世の統治で、より強く制度化されたと考えられます」
レオニスが頷いた。
「一世は地球を統一した。二世は帝国を宇宙へ出した。そして三世は、他の“地球”を帝国の歴史と秩序へ組み込もうとしている」
「それが、今俺達が見てきた分類表につながる」
「そうだ」
室内が静まり返った。
デッドエンド。
ヴェルデ。
フォージ。
ネオジェネシス。
カタストロフ。
それぞれの世界で見たものが、一本の線につながっていく。
偶然ではない。
現場ごとの独断でもない。
ネメシス帝国という国家が、長い歴史の末にそういう仕組みを作っていた。
アルベルトは、一度言葉を切った。
「一世は地球を統一し、二世は帝国を宇宙へ出した」
彼はスクリーンの三世の名を見つめる。
「だが、他の“地球”を観測し、分類し、統合対象に変えたのは三世です」
その言葉が、解析室に重く落ちる。
次に知るべきなのは、帝国の正統地球思想。
そして、なぜ彼らが他の地球を許さないのか。
カイトは、黙って画面を見つめた。
ヴァルディウス・ネメシス三世。
その名の先に、アース・ネメシスへの道がつながっている。




