第128話 避難都市
降下艇は、黒い雲の下へ滑り込んだ。
上空から見た第三区避難都市は、都市というより巨大な要塞に近かった。
外周には分厚い可動防壁が並び、その内側に低い建物群が集まっている。
中心部には通信塔と気象観測塔。
さらにその周囲には、避難用の地下入口がいくつも口を開けていた。
都市の一部は地面に固定されていない。
海面上昇や津波に備え、居住ブロックの下部には浮上機構が組み込まれている。
道路は広いが、普通の道ではなかった。
避難用の誘導線、物資搬送用のレール、緊急時に防壁へ変形する隔壁が組み込まれている。
カイトは窓の外を見て、息を呑んだ。
「これ、本当に街なのか」
「街であり、避難施設でもあります」
レータが端末を確認しながら答える。
「生活圏と防災設備が一体化しています。住民は常に災害時の移動を前提に暮らしているようですね」
「常にって……」
「この星では、それが日常なのでしょう」
降下艇の内部に、災害予測アラートが割り込んでくる。
《第三区全域へ通達。大型嵐外縁到達まで二時間五十二分。北防壁担当班は第二待機位置へ。東側旧居住区の住民は地下三層へ移動してください。繰り返します――》
音声は淡々としていた。
慌てた様子はない。
まるで朝の天気予報を聞いているような調子だった。
ミオが表情を曇らせる。
「このアラート、住民の方々は慣れているんですね」
「慣れたくて慣れたわけではないでしょう」
ユイが静かに言う。
「ですが、慣れなければ生き残れなかった」
「……そうですね」
降下艇は避難都市の西側着陸区画へ入った。
強風を避けるため、着陸場の周囲には半透明の防風壁がせり上がっている。
機体が地面に触れると、すぐに固定アームが伸びて脚部を押さえた。
外は、低く唸るような風の音に包まれていた。
着陸区画を出ると、都市の住民達が忙しく動いていた。
だが、混乱はしていない。
物資配給所には列ができているが、怒鳴る者はいない。
防壁作業員は互いに短く指示を交わし、子供達は保護者や教師に連れられて地下入口へ向かっている。
老人には支援ドローンが付き添い、医療班が呼吸器や薬品を確認していた。
誰も笑ってはいない。
しかし、恐慌状態でもない。
この街では、災害が特別な出来事ではないのだ。
カイト達が通路を進んでいると、十歳ほどの少年が手元の小型端末を見ながら、母親らしき女性に言った。
「今日はまだましだね。外縁だけなら、地下二層で済むって」
「そうね。水位が上がらなければ、夜には戻れるわ」
カイトは思わず足を止めた。
「今の、普通の会話なのか……」
「災害情報の確認が、日常会話になっているようです」
レータが言う。
「ここでは、朝の挨拶と避難情報がほとんど同じ重さを持っているのでしょう」
「そんな生活、ずっと続けてるのかよ」
カイトの声は低かった。
セラは、地下避難区画へ向かう子供達を見ていた。
子供達の背負う小さな鞄には、水、非常食、簡易防寒具、個人識別タグが入っているらしい。
彼らは泣いていない。
むしろ、大人よりも手順をよく知っているように見えた。
「子供でも、避難手順を覚えているのですね」
「覚えなければ死ぬからでしょう」
ユイの言葉は淡々としていた。
だが、その目は暗かった。
カイトは、ネオジェネシスの少女を思い出した。
あの世界では、子供達は進路をAIに提案されていた。
ここでは、子供達が避難経路を覚えている。
どちらも、子供が早く大人にならざるを得ない世界に見えた。
別の場所では、物資配給が行われていた。
「一世帯、水二日分。医療補助食は高齢者優先。防壁勤務者は追加塩分パックを受け取ってください」
配給担当者の声が響く。
住民達は慣れた様子で受け取っていく。
文句を言う者は少ない。
それがまた、カイトには苦しかった。
「怒らないんだな」
「怒る余裕も、残っていないのかもしれません」
ミオが小さく答えた。
カイト達は、都市中央の管制棟へ案内された。
そこには、巨大な気象図が表示されていた。
嵐の進路。
地殻振動の予測。
津波発生可能性。
防壁出力。
地下避難区画の収容率。
水・食料・医療品の残量。
全てが一つの画面に重ねられている。
管制室では、複数の職員が静かに作業していた。
声を荒げる者はいない。
しかし、全員の顔には疲労が刻まれていた。
「外部救援班ですね」
一人の女性管制官が近づいてきた。
短く結んだ髪に、濃い灰色の制服。
年齢は三十代前半ほどだろうか。
目元には強い疲れがあるが、声はしっかりしている。
「第三区避難都市、臨時管制主任のエリナ・フォースです」
「ルクス・ヴァルキュリア所属、霧島カイトです」
「ユイです」
「ミオです」
「セラです」
「レータです」
三島も名乗る。
エリナは短く頷いた。
「感謝は後にします。今は北防壁が持ちません。外部機動兵器で補助できるなら、すぐに配置をお願いします」
「状況は」
レータが問う。
「嵐の進路が予測から外れています。本来なら山岳側へ抜けるはずでした。しかし、二時間前から都市側へ固定されている」
「災害制御衛星の影響ですか」
「そう見ています。ただし、こちらから衛星を止める権限はありません」
エリナは唇を噛んだ。
「それに、止め方を間違えると、別の気流が崩れて南側の津波警戒線が上がります」
「壊せば終わりではない、か」
カイトが呟く。
「何度もそれで失敗してきました」
エリナの声には苦いものがあった。
その時、管制室の奥がざわついた。
職員の一人が低い声で言う。
「レイン博士が来た」
「またか」
「今度は何を切り捨てろと言う気だ」
空気が変わる。
明らかに歓迎の雰囲気ではない。
カイト達が振り向くと、一人の男が管制室に入ってきた。
通信越しに見た男だった。
ダグラス・レイン。
元統合気候制御局主任技師。
薄いコートはところどころ擦り切れ、靴には赤黒い泥が付いている。
髪には白いものが多く、顔には深い皺が刻まれていた。
だが、その目だけは冷静だった。
嵐の進路図を見ただけで、彼はすぐに状況を読み取ったらしい。
「北防壁だけでは足りない。第二浮上ブロックを予備防壁として起動しろ」
「浮上ブロックは居住区です」
エリナが低い声で返す。
「住民の避難がまだ終わっていません」
「なら急がせろ。二時間後には、そこは居住区ではなく水の受け皿になる」
「簡単に言わないでください」
「簡単ではない。だが、遅れれば全域が沈む」
管制室の職員達が、ダグラスを睨んでいる。
彼に反論したい。
だが、誰も完全には否定できない。
その空気だけで、彼の立場が分かった。
必要だが、許されていない人物。
カイトは一歩前に出る。
「あんたがダグラス・レインか」
「そうだ」
「この街を守れるんだな」
「守れるとは言っていない。被害を減らす方法を知っているだけだ」
「……ずいぶん言い方が冷たいな」
「温かい言葉で防壁は動かない」
ダグラスはカイトを見た。
その視線には、敵意も媚びもない。
「お前達が外部救援なら、私を信用する必要はない。だが、嵐は待ってくれない」
「……」
カイトは言い返せなかった。
ユイが静かに問いかける。
「あなたは、帝国管理区域に一時協力した記録がありますね」
「ある」
「否定しないのですか」
「事実を否定しても、嵐は弱まらない」
「理由を聞いています」
「水と薬が必要だった」
ダグラスは短く答えた。
「帝国を信用したわけではない。だが、あの時、避難都市には水がなかった。帝国管理区域には浄水設備と医療品があった」
「その代わりに、何を渡したのですか」
三島が鋭く問う。
「災害制御網の断片情報。衛星の一部アクセス経路。防壁制御の旧仕様」
「それが今、使われている可能性は」
「ある」
管制室の空気がさらに冷える。
エリナの表情が険しくなった。
「やはり、あなたが」
「私が渡さなければ、あの時の子供達は死んでいた」
ダグラスは淡々と言った。
だが、その声の奥には消えない疲労があった。
「それで今の子供達が危険になっているなら、責任は私にある」
「責任を認めれば済むと思っているんですか」
「思っていない」
「なら」
「だから止めに来た」
ダグラスは気象図を指差す。
「責めるのは後でいい。北防壁の補助、第二浮上ブロックの起動、東側旧居住区の退避。今やらなければ、二時間後にこの管制室で全員まとめて死者数を数えることになる」
誰も何も言えなかった。
作業はすぐに始まった。
ミオとセラは機体起動準備に入る。
カイトはユイと共に防壁制御の補助へ回る。
レータは避難経路と人口分布を照合し、三島はルクス本艦との連絡を担当した。
ダグラスは管制卓の前に立ち、古い制御コードを次々に呼び出していく。
彼の操作は速い。
迷いがない。
この都市の仕組みを、誰よりも知っている。
だが、管制室の職員達は彼を尊敬の目で見ていなかった。
「あの人がいなければ、防壁は動かない」
若い技師が小声で言う。
「でも、あの人達が作ったものが世界を壊した」
その声は、カイトにも聞こえた。
ダグラスにも聞こえていたはずだ。
しかし、彼は振り返らない。
カイトは彼の背中を見た。
「言い返さないのか」
「言い返して、何か直るのか」
「……」
「彼らは正しい。統合気候制御計画は、世界を救うために始まった。だが、私達の作った網は、戦争と災害を結びつけた」
「自分が悪いって言うのか」
「私だけではない。だが、私もその一人だ」
「だから、ずっとここで直してるのか」
「直せてはいない。崩れる速度を少し遅くしているだけだ」
ダグラスは画面から目を離さなかった。
「それでも、遅くできるならやる」
カイトは黙った。
この男を好きにはなれない。
信用もできない。
だが、逃げていないことだけは分かった。
ユイが別端末で衛星信号を確認する。
「災害制御衛星からの干渉波を検出。気流誘導と気圧固定を同時に行っています」
「進路を固定しているのか」
「はい。自然な嵐の進路ではありません」
「衛星側の制御は」
「クロウヴェイル・ノアが接近中です」
通信が開く。
カイルの声が入った。
《こちらクロウヴェイル・ノア。問題の衛星に近づいた。外殻は半壊しているが、中枢は生きている》
「破壊できますか」
三島が問う。
カイルはすぐに答えない。
代わりにリンが報告した。
《破壊は可能です。ただし、連動している衛星群が複数あります。中枢衛星だけを壊すと、制御が別衛星へ飛ぶ可能性があります》
「つまり、壊せば暴れる」
《はい》
ナユの声が続く。
《衛星、止めようとしてない。見てる》
「見てる?」
《嵐が、街に当たるところ》
カイトの背筋に冷たいものが走った。
ダグラスは通信を聞きながら、別の画面を開いた。
「やはり観測モードだ」
「観測モード?」
レータが聞き返す。
ダグラスは頷いた。
「災害制御衛星には、災害の発生、進行、被害、復旧を記録する機能がある。本来は次の災害対策に使うためだ」
「それが悪用されている?」
「いや」
ダグラスは低く言う。
「悪用というより、優先順位が変えられている。災害を止めるより、災害を記録する動きに切り替わっている」
「誰がそんなことを」
「この星の人間だけではないだろうな」
ユイの表情が硬くなる。
「帝国系コードの可能性があります」
「その可能性はある」
ダグラスは否定しなかった。
「帝国は、管理区域を作る時にも同じことをした。水をくれた。薬もくれた。だが同時に、こちらの崩壊データを要求した」
「崩壊データ……」
三島が声を低くする。
「つまり帝国は、この星が壊れていく過程を記録していた」
「少なくとも、興味を持っていた」
ダグラスは気象図を睨む。
「災害を止めるためではなく、災害に文明がどれだけ耐えるかを測るために」
外では、空がさらに暗くなっていた。
巨大嵐の外縁が近づいている。
街路の案内灯が赤から橙へ変わり、住民達はさらに地下へ移動していく。
子供達は慣れた手順で列を作り、年長の子が年少の子の手を引いていた。
カイトはその光景を見て、拳を握る。
「こんなの、慣れていいことじゃないだろ」
「はい」
ミオが答える。
「ですが、慣れなければ生きられなかった」
「だからって」
「だからこそ、今助けましょう」
ミオの声は穏やかだった。
カイトは頷く。
「ああ」
管制室の警報が鳴る。
《北防壁出力、想定値を下回っています》
《第二浮上ブロック、起動準備五十六パーセント》
《東側旧居住区、退避完了率六十二パーセント》
《嵐外縁到達まで二時間三分》
エリナが顔を上げる。
「間に合いません」
「間に合わせる」
ダグラスが短く言う。
その言葉に、エリナが鋭く返す。
「あなたはいつもそう言う。間に合わせる、被害を減らす、必要な犠牲だと」
「事実だからだ」
「事実で人は救われません」
「事実を無視しても人は死ぬ」
管制室が凍りつく。
カイトは二人の間に入ろうとした。
だが、ユイが軽く視線で制した。
ここは、二人の問題でもある。
この街に残された人々と、世界を壊した側にいた男の問題だ。
エリナは唇を噛み、すぐに画面へ向き直った。
「北防壁班へ。外部支援機と連携します。第二浮上ブロックの住民退避を最優先。東側旧居住区には追加誘導ドローンを回してください」
「了解」
感情は消えていない。
怒りもある。
だが、今は動くしかない。
ダグラスは、小さく言った。
「それでいい」
「あなたに言われたくありません」
「そうだな」
彼はそれ以上何も言わなかった。
ミオとセラの機体が出撃位置へ移動する。
ユイは都市防壁の制御補助へ入り、レータは避難経路の再計算を始めた。
カイトは外部作業用の装備を受け取り、防壁付近へ向かう準備をする。
その時、クロウヴェイル・ノアから再び通信が入った。
《こちらカイル。衛星の内部ログを一部抜いた》
「何が分かりましたか」
三島が問う。
リンの声が答える。
《衛星は防災モードではありません。観測モードです》
「やはり」
《災害抑制よりも、被害推移の記録を優先しています。さらに外部から追加された分類項目があります》
画面に文字が表示される。
避難成功率。
防壁耐久推移。
社会維持限界。
人口残存率。
都市機能喪失予測。
カイトは画面を見て、怒りを覚えた。
「人がいる街を、データ扱いかよ」
《まだ続きがある》
カイルの声が低くなる。
《この衛星、嵐を逸らす計算を持っている。だが実行していない》
「なぜ」
《観測精度を下げるからだ》
管制室の空気が完全に変わった。
ダグラスが低く言う。
「災害を止めるより、災害を記録する動きをしている」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
外では、巨大嵐が近づいている。
避難都市の防壁は限界に近い。
住民達は地下へ逃げている。
子供達は、当たり前のように避難手順を守っている。
そして空の上では、誰かがその壊れ方を見ている。
カイトは、ダグラスを見た。
「止めるぞ」
「ああ」
ダグラスは、初めてカイトと同じ方向を見た。
「今度こそ、止める」




