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第127話 崩壊の地球

 アース・カタストロフへ向かう航路は、最初から安定していなかった。

 ワープ航行を抜ける直前、ルクス・ヴァルキュリアの艦体がわずかに軋む。

 大きな揺れではない。

 だが、空間の向こう側にある何かが、こちらへ圧力をかけているような感覚があった。

 ブリッジの照明が一瞬だけ落ち、すぐに復旧する。

「ワープアウトまで十秒」

 イリスの声が響いた。

「前方宙域、重力偏差大。軌道上に多数の残骸反応。ワープアウト後、即時回避機動の可能性があります」

「クロウヴェイル・ノアとの同期は」

 三島が問う。

「維持しています。ただし、ワープアウト後は相互距離を広めに取る必要があります」

 ジン艦長は前方スクリーンを見つめた。

「各部署、衝撃に備えてください」

「了解」

 カイトはブリッジ脇の席で、シートの肘掛けを握った。

 ユイ、ミオ、セラ、レータも近くにいる。

 ネオジェネシスでの穏やかすぎる光景が、まだ記憶に残っていた。

 迷う権利。

 選ぶための補助。

 そういう言葉を抱えたまま、次の地球へ向かっている。

 その先にあるのは、崩壊の名を持つ地球。

「ワープアウト」

 星々が伸びる。

 白い線がほどけ、通常空間の黒が戻る。

 次の瞬間、スクリーンいっぱいに、荒れ狂う惑星が映った。

 それが、アース・カタストロフだった。


 最初に見えたのは、巨大な嵐の渦だった。

 大陸一つを覆うほどの白い雲が、黒く濁った中心を抱えて回転している。

 その周囲には、別の嵐がいくつも連なっていた。

 ただの台風ではない。

 大気そのものが裂け、ねじれ、惑星の表面を削っているように見える。

 地表には、割れた大陸があった。

 巨大な亀裂が内陸から海へ走り、そこから赤い火山光が漏れている。

 火山帯は一か所ではない。

 複数の噴火が、連鎖するように別の山脈へ広がっていた。

 沿岸部には、都市の跡が見えた。

 だが、その形は不自然に削られている。

 津波にえぐられ、何度も海水を浴びた建物群が、黒い線のように海岸沿いへ残っていた。

 軌道上には、破損した衛星群が漂っている。

 太陽光パネルを失ったもの。

 回転しながら火花を散らすもの。

 半壊したリング状の観測装置。

 その間を、細かな軌道デブリが無数に流れていた。

 だが、死の星ではなかった。

 荒れた地表のあちこちに、小さな光がある。

 嵐の外縁、山脈の陰、内陸の高台、海面近くに浮かぶ人工構造物。

 それらは都市というより、避難拠点の灯りだった。

 まだ、人がいる。

「……ひどいな」

 カイトは呟いた。

 デッドエンドも酷かった。

 フォージも、見ているだけで息苦しかった。

 だが、カタストロフは違う。

 ここは、終わった後の世界ではない。

 今も、目の前で壊れ続けている。

 イリスが次々に情報を読み上げる。

「大気圏内に超大型低気圧群。複数の火山活動。地殻振動、広範囲で継続中。沿岸部に津波痕。軌道上に制御不能衛星多数」

「人間の反応は」

「複数確認。大規模都市ではなく、分散避難都市と推定されます。救難信号も断続的に受信」

「救難信号を表示してください」

 ジン艦長の指示で、スクリーンの端に信号リストが並ぶ。

 第三区避難都市。

 第八浮上居住区。

 北半球臨時地下区画。

 旧沿岸避難塔群。

 統合気候制御局、旧中央施設。

「統合気候制御局?」

 三島が反応する。

 その名前だけ、他の救難信号と違っていた。

 住民拠点ではなく、施設名だ。

 レータが端末を覗き込む。

「信号強度は弱いですが、他より安定しています。誰かが意図的に発信を維持していますね」

「救難信号なのか?」

 カイトが問う。

「内容を復号します」

 通信音がざらつき、ブリッジにノイズが流れた。

 風の音のようなものが混じる。

 その奥から、低い男性の声が聞こえた。

《……こちら、旧統合気候制御局。ダグラス・レインだ》

 声は疲れていた。

 だが、混乱してはいない。

 むしろ、周囲の災害の中で不自然なほど冷静だった。

《救援なら、私ではなく避難都市へ向かえ。嵐の進路が変わる》

 ブリッジが静まる。

「ダグラス・レイン……」

 三島が名前を繰り返した。

「通信元を特定してください」

「旧中央災害制御施設。高地の地下構造物です。周囲に火山活動と地殻変動。ただし、施設自体はまだ稼働しています」

「本人は救助を求めていないのか」

「通信文では、避難都市を優先しろと言っています」

 カイトはスクリーンを見る。

 嵐の進路が変わる。

 その言葉が引っかかった。

「嵐って、自然に進路が変わるのか?」

「通常でも変わります。ただし……」

 イリスは解析結果を表示する。

 巨大嵐の予測進路が赤い線で示された。

 その線は、海上から山岳地帯へ抜けるはずだった。

 だが、別の計算線が急に曲がり、地表に点在する光の一つへ向かっている。

「第三区避難都市へ進路を変えています」

「都市へ?」

 ミオが息を呑む。

「偶然ですか」

「不明です。ただし、軌道上の災害制御衛星から、嵐の進路に影響する気象干渉波が出ています」

「災害制御衛星が、嵐を止めるどころか動かしてるってことか」

 カイトが言う。

「可能性があります」

 ジン艦長は、しばらく画面を見つめていた。

 軌道上には残骸。

 地表には避難都市。

 そして、嵐は都市へ向かっている。

「クロウヴェイル・ノアへ通信」

「開いています」

 スクリーンにカイルが映る。

 背景ではナユとリンが端末に向かっていた。

《見えている。ひどい星だな》

「軌道デブリと制御衛星の監視をお願いします。こちらは避難都市の救難信号へ対応します」

《了解。ただし、そっちも降下には気をつけろ。軌道のゴミが多すぎる》

「承知しています」

 カイルの背後でリンが報告する。

《災害制御衛星の一部に、外部コードらしき信号があります。帝国系かどうかはまだ未確認》

「外部コード……」

 三島が眉を寄せる。

「ネメシス帝国系の可能性もあるということですね」

《まだ断定はできない。だが、ただの故障にしては動きが整理されすぎている》

 ナユが小さく言った。

《星が、痛がってる》

「ナユ?」

《でも、痛いところを見ている目がある》

《……観測されてるってことか》

 カイルが低く言う。

《たぶん》

 その言葉に、ブリッジの空気が重くなった。


 すぐに地上へ降下するべきか。

 それとも、まず軌道上で状況を調べるべきか。

 判断は簡単ではなかった。

 第三区避難都市へ向かう嵐は、あと数時間で外縁部へ到達する。

 避難都市には数万人規模の生存反応がある。

 放置すれば、被害は大きい。

 だが、降下経路は危険だった。

 大気圏上層には強い乱流があり、軌道デブリの落下予測も不安定。

 災害制御衛星の誤作動が続けば、降下艇そのものが巻き込まれる可能性もある。

「すぐ降りれば間に合うんじゃないのか」

 カイトが言う。

 その声には焦りがあった。

 ユイは静かに答える。

「降りることはできます。ただし、情報が不足しています」

「でも、都市が危ないんだろ」

「はい。ですが、災害制御衛星が意図的に嵐を誘導しているなら、ただ地上へ降りても根本は変わりません」

「じゃあ、衛星を壊せば」

「破壊すれば、制御されていた別の災害が解放される可能性があります」

「……」

 カイトは言葉を詰まらせた。

 フォージでも同じだった。

 壊せば終わるわけではない。

 ネオジェネシスでも同じだった。

 止め方を間違えれば、助けている仕組みまで壊す。

 ここでも、同じだ。

 迷っている時間はない。

 でも、選ばずに突っ込めば被害が広がる。

 レータが端末を操作する。

「第三区避難都市への到達予測。嵐の外縁到達まで三時間二十六分。直撃までは五時間弱」

「余裕は少ないですね」

 三島が言う。

「クロウヴェイル側が軌道制御衛星を調べる。こちらは避難都市へ降下し、現地防災システムを確認する。この二面で動くのが現実的です」

「賛成します」

 ユイが頷いた。

「ただし、降下組は救助だけでなく、都市側の防災設備を確認する必要があります。嵐の進路を変えられているなら、地上側の防壁や避難制御にも影響が出ている可能性があります」

「なら、降りるメンバーは」

「カイト、ユイ、ミオ、セラ、レータを中心に。災害対応と住民接触を兼ねます」

 三島が言う。

 ジン艦長は少し考え、頷いた。

「許可します。ただし、無理な救助は避けてください。災害地帯では、一つの判断ミスが二次被害を生みます」

「了解」

 カイトは強く頷いた。

 ジン艦長はさらに続ける。

「カイト君」

「はい」

「急ぐことと、焦ることは違います」

「……分かっています」

「なら、よろしい」

 その言葉は、カイトの胸に重く残った。

 急がなければならない。

 でも、焦ってはいけない。

 自分で選ぶということは、気持ちのままに動くことではない。

 そのことを、彼は少しずつ学んでいた。


 降下準備が進む中、旧統合気候制御局から再び通信が入った。

 今度は、映像もかろうじてつながった。

 ノイズの向こうに、痩せた男の顔が映る。

 年齢は五十代半ばほど。

 髪には白いものが混じり、頬はこけている。

 だが、その目だけは鋭かった。

《聞こえるか》

「こちらルクス・ヴァルキュリア。聞こえています。あなたがダグラス・レインですか」

 三島が応答する。

 男は短く頷いた。

《そうだ。肩書きはもう意味がない。元統合気候制御局主任技師、とでも呼べばいい》

「こちらは救援と調査のために来ています」

《救援なら第三区へ向かえ。あそこは持たない》

「嵐の進路が変わると言いましたね。原因は分かっていますか」

《災害制御衛星だ。正確には、その一部に寄生している観測系が制御を奪っている》

「観測系?」

《災害を止めるための衛星が、災害を記録するために動いている。進路を逸らすのではなく、避難都市の耐久を測るように誘導している》

 カイトは思わず声を上げた。

「誰がそんなことを」

《さあな。だが、カタストロフでは珍しいことじゃない》

「珍しくない?」

《この星では、救助と観測の区別がずっと曖昧だった》

 ダグラスの声は冷たい。

 だが、自分自身を責めるような響きもあった。

《お前達が本当に救援なら、私の施設ではなく避難都市へ行け。都市の防壁制御は古い。衛星側から進路を弄られたら、手動で補正しなければならない》

「あなたは来ないのですか」

 ユイが問う。

《私はここを離れられない。旧制御局からでなければ、衛星群の一部に触れられない》

「なら、こちらの軌道組と協力してください」

《できる範囲ではな》

 ダグラスの視線が、画面越しにカイト達を見た。

《ただし、覚えておけ。ここでは、助けたいものを全部助けることはできない》

「最初から諦めろって言うのか」

 カイトが言う。

 ダグラスは表情を変えなかった。

《違う。選べと言っている》

「……」

《選ばなければ、災害が勝手に選ぶ。カタストロフでは、そうやって人が死んできた》

 通信が一瞬乱れる。

 画面が砂嵐になりかけ、すぐに戻る。

《第三区の北防壁を優先しろ。東側の旧居住区は、もう防げない可能性が高い》

「まだ人はいるんですか」

《いる》

「なら」

《だから急げ。全員を助けられないなら、助けられる数を増やせ》

 その言葉に、カイトは黙った。

 冷たい。

 あまりにも冷たい。

 だが、嘘ではない。

 ダグラスは誰かを見捨てたくて言っているのではない。

 見捨てざるを得ない状況を、何度も経験してきた声だった。

 ミオが小さく呟く。

「この人も、ずっと選ばされてきたんですね」

「はい」

 ユイが答える。

「選びたくないものを、何度も」


 降下艇が発進する。

 カイト達を乗せた機体は、ルクス・ヴァルキュリアから離れ、荒れた大気圏へ向かう。

 護衛として小型機が数機つく。

 ミオとセラの機体はすぐに出撃できるよう待機状態に置かれていた。

 窓の外では、軌道デブリが光の線になって流れている。

 遠くでクロウヴェイル・ノアが機動し、破損衛星の間を抜けていくのが見えた。

 軌道組は災害制御衛星へ向かう。

 地上組は避難都市へ向かう。

 二つの道。

 どちらか一方では間に合わない。

 カイトは、シートに座ったまま拳を握った。

「選べ、か」

「カイト」

 ユイが声をかける。

「分かってる。何でもかんでも突っ込めばいいわけじゃない」

「はい」

「でも、助けられるなら助けたい」

「それも間違いではありません」

 ユイは静かに言った。

「大切なのは、そのために何を選ぶかです」

「……ああ」

 セラは窓の外を見ている。

 レータは避難都市の地図を確認していた。

 ミオは医療支援リストに目を通している。

 誰も何も言わない。

 だが、それぞれが次にすべきことを考えていた。

 降下艇が大気圏へ入る。

 機体が揺れ始める。

 外の雲は、近づくほど巨大な壁のように見えた。

 イリスの通信が入る。

《第三区避難都市、嵐の外縁到達まで三時間を切りました》

「都市の防壁は」

《起動準備中。ただし、北防壁に出力不足。東側旧居住区に生存反応あり》

「……」

 カイトは息を吸った。

 助けたい。

 だが、どう助けるかを選ばなければならない。

 その時、クロウヴェイル・ノアから通信が入った。

《こちらカイル。災害制御衛星の動きがおかしい》

「どうおかしいんですか」

《嵐を逸らす補正じゃない。進路を固定している》

「固定?」

《ああ。都市へ向かうように押さえ込んでいる》

 ナユの声が続く。

《見てる》

「何を?」

《壊れるところ》

 カイトの背筋に冷たいものが走った。

 リンがさらに報告する。

《衛星内部に観測ログらしき反応を確認。文明崩壊進行率、避難成功率、社会維持限界という項目があります》

「文明崩壊進行率……」

 三島の声が硬くなる。

 ダグラスの言葉が思い出される。

 災害を止めるための衛星が、災害を記録するために動いている。

 降下艇の窓の外で、巨大な雲の壁がうねった。

 雷光が走り、黒い渦が避難都市の方向へゆっくりと向きを変える。

 地表の小さな光。

 第三区避難都市。

 そこには、まだ人がいる。

 だが、嵐はまるでそこを選んだように動いていた。

 カイトは、低く呟いた。

「災害が、都市を狙っているように動いている」

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