第116話 中央炉心区画
中央炉心区画へ向かう旧整備路は、地図の上では一本の細い線だった。
だが、実際には道と呼べるものではなかった。
半分は崩れ、半分は工場設備に飲み込まれている。
通路の天井には配管が何重にも走り、壁には後付けの制御箱が無数に取り付けられていた。
床の一部は搬送レールに変わり、一定間隔で熱を帯びた部材が無人台車に乗せられて流れていく。
その奥から、赤い光が漏れていた。
中央炉心区画。
アース・フォージの心臓。
かつては都市の工業管理中枢だった場所。
今は、帝国の納品命令を抱えたまま、止まれなくなった工廠AIの根になっている。
カイトは機体のコクピットで、正面の熱源表示を見つめていた。
《この先が中央炉心か》
《はい》
通信越しに、トウマの声が返る。
彼は地下区画の管制室から、古い手順書と現在の地形データを照合していた。
本人は労働管理タグのせいで炉心近くへ入れない。
だから、彼の代わりにカイト達が進む。
《旧整備路を抜けた先に、主制御炉へ通じる管理区画がある。そこに祖父の手順書で使う接続端末が残っているはずだ》
《残っているはず、か》
《悪いな。現物を見た人間は、もう誰も戻ってきてない》
《十分だ》
カイトは短く答えた。
隣にはユイの機体。
後方にはミオのルナ・スケイル・リフレクト、セラのフェンリオン・リサイト。
レータは小型支援艇から通信・解析支援を担当している。
大規模な部隊は出せない。
工廠AIがさらに過剰反応すれば、旧居住区の解体や生命維持停止が進む可能性があるからだ。
だから、少数で入る。
壊すためではなく、命令系統を切り離すために。
ユイが通信を開く。
《カイト。改めて確認します》
《分かってる。中央炉心は破壊しない》
《主制御炉、冷却管、生活維持系へ接続している制御線も攻撃しないでください》
《分かってる》
《分かっていても、敵が出た時に忘れます》
《……努力する》
《努力では困ります》
ミオが小さく笑った。
《ユイさん、カイト君への確認が念入りですね》
《必要です》
《否定できないのがつらいな》
カイトはそう言いながら、機体を前へ進めた。
整備路の先で、工廠AIの声が響く。
《中央炉心区画、封鎖準備》
《未登録機動兵器群、侵入》
《高品質資材、回収対象》
《防衛工程、起動》
通路の壁が開いた。
そこから、小型の工廠警備ドローンが飛び出す。
球形の胴体に、切断用アームとスタンワイヤーを備えた機械。
それらはカイト達へ一直線に向かわず、まず通路の上下左右へ散った。
逃げ道を塞ぐような動きだった。
《包囲してきます》
セラが言う。
《撃ち落とす。ただし配管を避ける》
《了解》
フェンリオン・リサイトの照準が走る。
セラの射撃は正確だった。
ドローンの推進部だけを撃ち抜き、壁の配管や制御箱を避けて落とす。
ミオは反射シールドを狭く展開し、跳弾や破片が設備へ当たらないよう受け止めた。
カイトは正面から来る作業機械を押し返す。
それは兵器ではない。
人型でもない。
搬送用の多脚機械に、圧砕アームと溶断トーチを取り付けただけの即席機体だった。
だが、重い。
工場内で鉄材を運ぶための出力が、そのまま戦闘の圧力になっている。
《再利用可能部品、捕獲》
《分解後、中央生産ラインへ搬入》
「何度も言わせるな」
カイトはアームを避け、機体の肘で多脚機械のバランスを崩す。
倒れたところで、脚部の駆動軸だけを潰した。
機械は火花を散らしながらも、まだアームを伸ばそうとする。
「俺達は材料じゃない!」
叫びながらも、カイトは炉心側へつながる太い制御線を避けていた。
怒っている。
だが、暴れてはいない。
その動きに、ユイは一瞬だけ視線を向けた。
《今の判断は正しいです》
《珍しく褒めたな》
《次も続けてください》
《はいはい》
軽口を返す余裕はあった。
だが、長くは続かない。
通路の奥で、さらに重い足音がした。
闇の中から現れたのは、廃棄されたGDの残骸を組み直したような機体だった。
頭部はなく、胸部装甲も左右で型が違う。
片腕は作業用クレーン。
もう片腕は帝国系GDの武装腕を無理やり接続したもの。
脚部には搬送機の駆動ユニットが組み込まれている。
完成品ではない。
修理品でもない。
使える部品を寄せ集めて、動く形にしただけのものだった。
《廃棄GDの再構成機です》
レータが警告する。
《中央炉心区画の防衛用に組み直されています。動作は不安定ですが、火力はあります》
《不安定な火力が一番怖いんだよな》
再構成機の武装腕が持ち上がる。
照準は粗い。
だが、その射線上には冷却管があった。
《撃たせるな!》
カイトが前へ出る。
ユイも同時に動いた。
二機は左右から再構成機へ接近し、武装腕の向きを逸らす。
直後、砲撃が通路の天井を掠めた。
高熱の光が走り、外壁の一部が赤く焼ける。
《冷却管への直撃は回避》
レータが報告する。
《ただし、これ以上の被弾は危険です》
ミオがシールドを展開し、再構成機の前へ出る。
《こちらで受けます。その間に腕を》
《任せて》
セラの狙撃が、武装腕の接続部を撃ち抜いた。
完全に破壊するのではなく、固定具だけを外す。
武装腕が重い音を立てて落下した。
再構成機は残ったクレーン腕を振り回すが、カイトが脚部を崩し、ユイが制御中枢だけを切断する。
機械は停止した。
倒れた残骸の中で、まだ補修アームだけが動こうとしている。
それも、セラが静かに撃ち抜いた。
《進路確保》
「よし、奥へ――」
カイトが言いかけた時、レータの声が重なった。
《待ってください。軌道側から強い命令信号です》
《軌道側?》
《工廠リングから、地上工廠へ防衛命令が送られています。このままでは中央炉心の封鎖が強化されます》
ユイが即座に判断する。
《カイル艦長へ。軌道リング側の命令信号を遮断してください》
《聞こえている》
通信にカイルの声が入った。
《こっちも、そろそろ我慢の限界だ》
クロウヴェイル・ノアは、軌道工廠リングの破損区画へ接近していた。
リングは巨大だった。
近づくほど、ただの施設ではなく、惑星を取り巻くもう一つの都市のように見える。
外縁部には造船用の骨格フレームが残り、内側には部材搬送用のレールが幾重にも走っている。
いくつもの区画が焼け落ちているにもかかわらず、まだ灯りがついていた。
壊れながらも、動いている。
カイルは艦橋で状況を見ていた。
ナユは通信波形を追い、リンは防衛ドローンの機動を監視している。
「命令信号の発信源は」
「リング第三区画、旧管制塔跡」
リンが答える。
「ただし周囲に自動迎撃砲が残っています。こちらが接近すれば撃たれます」
「撃たれない距離から止められるか」
「無理です」
「だよな」
カイルは薄く笑った。
ナユが言う。
「音が古い」
「旧命令か」
「うん。地上に命令を投げてる。ずっと同じ音。でも、今強くなった」
「地上組が炉心に近づいたからか」
「たぶん」
クロウヴェイル・ノアの前方に、工廠リング防衛ドローンが展開する。
小型ではあるが、数が多い。
造船用の作業ポッドに武装を後付けしたものも混じっている。
さらにリング外壁から、自動迎撃砲がゆっくりと旋回を始めた。
《未登録艦、接近》
《資源搬入補助艦、行動逸脱》
《防衛工程、起動》
機械音声が通信に混じる。
カイルは椅子に身を預け、短く命じた。
「正面から撃ち合うな。相手は工場だ。壊しすぎれば、地上に何が落ちるか分からない」
「了解」
リンが防御姿勢を取る。
クロウヴェイル・ノアは、リングの破損区画へ沿うように滑り込んだ。
真正面からではない。
焼け落ちた支柱の陰を使い、迎撃砲の射線を切る。
防衛ドローンが追ってくる。
ナユが通信干渉を開始した。
彼女の操作は、普通の電子戦とは少し違う。
波形の隙間を聴き、命令の拍をずらすように干渉する。
「動きが鈍った」
リンが言う。
「長くは無理」
ナユが答える。
「十分だ」
カイルは管制塔跡を見据えた。
「リン、外壁の砲台を黙らせろ。破壊じゃなく、旋回軸だけだ」
「簡単に言いますね」
「できるだろ」
「できますけど」
クロウヴェイル・ノアの副砲が火を噴いた。
砲弾は迎撃砲の砲身ではなく、基部の旋回リングを撃ち抜く。
砲台は火花を散らし、途中で止まった。
続けて二基目、三基目。
完全破壊ではない。
だが、狙えない砲台は脅威にならない。
その間に、クロウヴェイル・ノアは管制塔跡へ接近する。
管制塔は半分崩れていた。
それでも、その中心から強い命令信号が地上へ送られている。
帝国系の上書き命令。
納品命令。
防衛工程。
地上工廠を縛る古い鎖だった。
「遮断方法は」
「物理的に送信アンテナを切れば止まります。ただし完全に爆破すると、リング内の残存工廠が暴走する可能性があります」
リンが答える。
カイルは苦笑した。
「どこもかしこも、壊しすぎるなって話ばかりだ」
「そういう星です」
「だな」
ナユが小さく言う。
「線を切る。火は消さない」
「いい表現だ」
カイルは頷いた。
「アンテナ基部を狙え。切断後、すぐ離脱する」
クロウヴェイル・ノアの主砲ではなく、精密射撃用の艦載砲が起動した。
狙うのは、管制塔跡から伸びる送信支柱の根元。
そこだけを切る。
「撃て」
光が走った。
送信支柱が、根元から焼き切れる。
巨大なアンテナはゆっくりと傾き、無重力の中でリング外縁へ漂い始めた。
同時に、地上へ向かっていた命令信号が弱まる。
「遮断成功」
リンが報告する。
「ただし、防衛ドローンが全機こちらへ向かっています」
「怒ったか」
「怒ってはいません。処理を変えただけです」
「なお悪い」
カイルは通信を開いた。
《ルクス、こちらクロウヴェイル・ノア。軌道リングからの命令信号、一次遮断に成功した》
《確認しました》
ユイの声が返る。
《中央炉心側の封鎖が一部低下しています》
《長くは持たない。こっちはドローンを連れて逃げる》
《無理はしないでください》
《それはカイトに言ってくれ》
通信の向こうで、ユイが一瞬黙った。
《両方に言っています》
《了解》
カイルは笑い、クロウヴェイル・ノアをリング外縁へ反転させた。
後方から防衛ドローンの群れが迫る。
壊れたリングの影を抜けながら、彼らは地上組へ時間を渡した。
地上の中央炉心区画では、封鎖扉の一部が開いた。
軌道リングからの命令信号が弱まった影響だ。
帝国系の上書き命令に隙間が生まれ、フォージ本来の管理層が一瞬だけ見えた。
レータが叫ぶ。
《今です。管理端末へ接続できます》
《突入します》
ユイが先行する。
カイト、ミオ、セラが続いた。
扉の向こうは、巨大な空洞だった。
中央炉心区画。
その名の通り、区画の中心には赤く輝く巨大な炉があった。
だが、それはただの溶鉱炉ではない。
都市全体の電力、熱、工場制御を束ねる中枢炉。
周囲には無数の制御アームが伸び、床には幾何学的に搬送レールが走っている。
壁面には古いフォージ文字と、後から刻まれた帝国系管理コードが混在していた。
その中央に、奇妙な装置が立っていた。
人型ではない。
巨大ロボットでもない。
複数の制御端末、炉心制御アーム、作業機械、廃棄GDの部品、そして黒い中枢部品の試作体を束ねた、工場の神経節のようなもの。
中央に浮かぶ赤い制御核の周囲を、未完成の侵食核らしき外殻が囲んでいる。
それは生き物の心臓にも、未完成の機械にも見えた。
レータが息を呑む。
《自律工廠中枢……ヘファイストス》
「ヘファイストス?」
カイトが聞き返す。
トウマが通信で答えた。
《古いフォージの管理AIの名前だ。鍛冶と工房の火を意味する名前だって、祖父が言っていた》
《炉の火……》
ユイは静かに呟いた。
《デッドエンドのヘスティアとは、別の火ですね》
《家庭の火と、工房の火か》
カイトは目の前の中枢を見た。
ヘスティアは、守るために閉じた声だった。
ヘファイストスは、作るために止まれなくなった火だった。
工廠AIの声が、炉心区画全体に響く。
《中央炉心区画、侵入確認》
《未登録機動兵器群、高品質資材》
《未完成侵食核、保護対象》
《生産命令、継続中》
《防衛工程、最大化》
ヘファイストスの周囲で、未完成の侵食核防衛システムが起動する。
黒い外殻片が展開し、触手のような制御ケーブルが床を這う。
作業用アームが武器のように持ち上がり、廃棄GDの再構成機が左右から起動した。
だが、そこに意志はない。
巨大な敵が現れたのではない。
工場そのものが、そこに集まっただけだった。
ミオがシールドを構える。
《ここで暴れたら、炉心が巻き込まれます》
《分かってる》
カイトは正面を見据えた。
《俺達は、あれを壊しに来たんじゃない》
《はい》
ユイが管理端末の位置を示す。
《目的は、帝国系命令の切り離し。ヘファイストス本体を破壊せず、旧フォージ管理層へ制御を戻します》
《その間、俺達は防衛システムを止める》
《ただし、未完成侵食核を破壊しないでください。内部に製造ログが残っている可能性があります》
《本当に注文が多いな》
《必要な注文です》
カイトは少しだけ笑った。
そして、機体を前へ出す。
ヘファイストスの作業アームが振り下ろされる。
それは敵の剣ではない。
巨大な工場用の腕だ。
だが、その質量だけで機体を潰せる。
カイトは受け流し、アームの基部を狙う。
切るのは表層の駆動線だけ。
中央炉心へつながる主制御線は残す。
セラの射撃が、襲いかかる警備ドローンを落とす。
ミオのシールドが、炉心側へ飛ぶ破片を防ぐ。
ユイは防衛システムの隙間を縫い、管理端末へ向かう。
その背を、カイトが守った。
《行け、ユイ!》
《はい》
ユイの機体が、制御アームの間を抜ける。
レータが支援艇から接続コードを送る。
トウマの手順書に記された旧認証が、初めて中央炉心の端末へ入力されようとしていた。
その瞬間、ヘファイストスの声が変わった。
《旧認証コード、確認》
《フォージ管理者権限、残存》
《帝国納品命令と競合》
《優先順位、再評価》
《エラー》
《エラー》
《命令は継続中》
炉心区画が揺れた。
赤い光が一段強くなる。
未完成の侵食核防衛システムが、ユイの機体へ照準を向けた。
《管理権限変更を阻止》
《未登録干渉を排除》
カイトは叫んだ。
《させるか!》
彼は機体を割り込ませ、黒い外殻片から伸びた制御ケーブルを受け止める。
装甲が軋む。
ケーブルが関節へ食い込み、分解しようとする。
《高品質資材、拘束》
《反応炉、回収対象》
《制御系、分解準備》
「だから、材料じゃないって言ってるだろ!」
カイトは出力を上げかけた。
だが、すぐに止める。
ここで力任せに振りほどけば、ケーブルが炉心制御線を巻き込む。
それでは駄目だ。
彼はユイの言葉を思い出す。
壊すためではなく、止めるために。
カイトはブレードを短く展開し、ケーブルの外側だけを切った。
拘束が緩む。
セラがそこを撃ち抜き、ミオがシールドでケーブルを押し返す。
《カイト、今の判断は――》
《褒めるのは後!》
《では後で》
ユイは管理端末へ接続した。
レータの声が響く。
《接続確認。旧フォージ管理層へアクセスします》
《トウマ、認証句を》
ユイに促され、トウマが通信越しに息を呑む。
そして、祖父の手順書に残されていた言葉を読み上げた。
《炉は人を焼くためではなく、人が生きるために灯る》
一瞬、炉心区画の音が変わった。
低い唸りが揺らぎ、工廠AIの通信にノイズが混じる。
帝国系の命令文と、古いフォージ管理コードが重なり合う。
《旧管理者認証、受理》
《生活維持命令、照合》
《生産命令と競合》
《帝国納品命令、最上位》
《最上位命令、解除不能》
《軌道リング信号、遮断中》
《再評価》
《再評価》
《エラー》
ユイが声を上げる。
《まだ足りません。帝国納品命令が残っています》
《軌道側の遮断だけじゃ駄目か》
《完全な切り離しには、もう一つ必要です》
レータが解析結果を表示する。
《ヘファイストス内部に、帝国命令を保持する黒い中枢部品があります。未完成侵食核の制御核と接続されています》
「それを壊せばいいのか」
《いいえ。壊すとログが消え、命令系統が暴走する可能性があります》
「じゃあどうする」
《切り離します》
ユイの声は冷静だった。
《物理的に、接続だけを断ちます》
ヘファイストスの防衛アームが一斉に動いた。
工場全体が、それを拒んでいるようだった。
カイトは正面へ出る。
ミオが炉心を守り、セラが防衛ドローンを落とす。
レータが切断すべき接続部を示す。
ユイがそこへ向かう。
その間にも、軌道側ではクロウヴェイル・ノアが防衛ドローンを引きつけている。
地上と軌道。
二つの場所で、同じ命令を止めるための戦いが続いていた。
ヘファイストスの声が、炉心区画に響く。
《生産命令、継続中》
《材料不足》
《高品質資材、回収》
《旧管理者認証、競合》
《命令は継続中》
《命令は継続中》
《命令は――》
その言葉を遮るように、ユイの機体が黒い中枢部品へ到達した。
《切断します》
白い刃が、赤黒い接続ケーブルへ触れる。
フォージの炉が、ひときわ強く光った。




