第113話 鋼鉄の地球
アース・フォージは、遠目にも異様な星だった。
青い星ではない。
緑の星でもない。
大気は灰色に濁り、雲の下では赤い光が脈打っている。
まるで惑星そのものが巨大な炉になり、冷えない鉄を抱え込んでいるようだった。
その周囲を、破損した巨大構造物が取り巻いている。
軌道工廠リング。
かつては惑星規模の造船、精錬、部材加工を担っていたとされる環状施設だった。
だが、今は完全な輪ではない。
何か所も裂け、区画ごとに焼け落ち、長大な骨組みだけが軌道上に残っている。
それでも、一部の区画にはまだ光があった。
赤い誘導灯。
青白い溶接光。
回転する搬送アーム。
無人の作業機械が、誰もいない宇宙でなお動き続けている。
ルクス・ヴァルキュリアのブリッジでは、誰もすぐには口を開かなかった。
アース・デッドエンドは、終わった世界だった。
アース・ヴェルデは、終わる前に踏みとどまった世界だった。
では、この星は何なのか。
死んではいない。
だが、生きているとも言い切れない。
命ではなく、命令だけで動いているように見えた。
「アース・フォージ、軌道圏に到達」
イリスの声が、静かなブリッジに響く。
「大気成分、金属粉塵および工業排出物を多数検出。地表温度は地域差が極端です。高熱源反応、多数」
「都市部は確認できるか」
ジン艦長が問う。
イリスは表示を切り替えた。
「都市区画と思われる構造はあります。ただし、複数の居住区が工場設備に転用されています」
「転用……」
「はい。道路は搬送レール化。住宅区画の一部は部材倉庫、炉心補助施設、あるいは廃材処理区画として使用されています」
スクリーンに地表の映像が拡大される。
そこには、都市という言葉から想像するものとは別の光景が広がっていた。
高層建築の間を、巨大なベルトコンベアが走っている。
かつて道路だった場所には、赤く焼けた鋼材を運ぶ無人台車が連なっていた。
街の中心には煙突が林立し、地面の裂け目からは炉の光が漏れている。
住宅らしき建物の外壁には、太い配管が何本も突き刺さっていた。
人が住むための形だけを残したまま、都市は工場に食われていた。
カイトは、スクリーンを見つめたまま呟いた。
「街が、工場になってる……」
「正確には、工場に組み替えられた都市です」
ユイが静かに言う。
「元から工業文明だったとしても、これは通常の都市運用ではありません。生活区画と生産区画の境界が崩れています」
「人が住む場所まで、使ってるってことか」
「はい」
ミオが眉を寄せる。
「人がいないから転用されたのか、それとも転用されたから人が住めなくなったのか……」
「どちらもあり得ます」
レータが答えた。
「帝国に占領された世界では、住民の生活より生産命令が優先されることがあります。特にフォージのような工業地帯では、設備を残すことが軍事的価値になる」
「人より工場か」
カイルの声が通信越しに入る。
クロウヴェイル・ノアは、ルクス・ヴァルキュリアのやや後方に位置していた。
軌道工廠リングの死角を確認しながら、いつでも退避できる距離を保っている。
「嫌な星だな」
「同感です」
ユイは短く返した。
その時、ブリッジに警告音が鳴った。
イリスが即座に反応する。
「軌道工廠リングより自動通信を受信」
「内容を」
ジン艦長の指示で、音声が開かれる。
《接近艦、識別不能》
《登録輸送艦データと照合中》
《照合失敗》
《資源搬入予定、遅延》
《未登録艦を暫定資源輸送艦として処理》
《指定投錨座標へ移動してください》
機械的な声だった。
感情はない。
怒りも警戒もない。
ただ、古い命令文を読み上げているだけだった。
三島が表示を確認しながら言う。
「こちらを資源輸送艦と誤認しています」
「誤認というより、強制分類に近いですね」
レータが続ける。
「識別不能な艦を、工廠の運用に必要な存在として無理やり分類しているようです」
「都合のいい箱に入れている、ということか」
「はい。工廠AIは、現在の状況を正しく理解できていません」
通信はなお続く。
《資源搬入予定、遅延》
《材料不足》
《生産対象、未完了》
《命令は継続中》
《代替資源を検索》
《未登録艦、搬入候補として記録》
カイトは、その最後の言葉に顔をしかめた。
「搬入候補って……」
「積み荷として見ている可能性があります」
イリスが淡々と告げる。
「または、艦そのものを資源として判定している可能性もあります」
「笑えないな」
カイルの声が低くなる。
「こっちを材料扱いか」
「まだ敵対行動ではありません」
三島が冷静に言った。
「ただし、指定座標へ移動しない場合、工廠側が処理手順を変更する可能性があります」
「処理手順とは」
「強制誘導、拿捕、解体などです」
ブリッジの空気が重くなる。
今はまだ撃たれていない。
だが、歓迎されているわけでもない。
この星は、来訪者を客として見ていない。
資源か、部品か、命令を満たすための何かとして見ている。
ジン艦長は短く指示を出した。
「指定座標には入るな。距離を維持しろ」
「了解」
操舵手が応じる。
ルクス・ヴァルキュリアは、軌道工廠リングから一定距離を保ったまま、観測姿勢を維持した。
解析室では、アース・フォージから届く信号の分離作業が続いていた。
工廠AIの通信は、ひどく雑然としていた。
古い納品命令。
資材不足の報告。
炉心温度の警告。
作業機械の稼働ログ。
軌道リングの損傷通知。
そのすべてが重なり合い、断片的に流れ込んでくる。
イリスはそれを一つずつ分類していた。
隣ではレータが、製造識別子の照合作業を続けている。
ユイは黙って画面を見つめていた。
「これは……」
レータの手が止まる。
「ヴェルデ侵食核に残っていた製造識別子と、近似する番号を確認しました」
「一致率は?」
ユイが問う。
「完全一致ではありません。ただし、系列番号が同じです。製造ラインの親系統、または部品供給元が共通している可能性があります」
「つまり、ここで作られた可能性が高い」
「はい。少なくとも、部品の一部はフォージ系工廠由来です」
ユイの表情がわずかに硬くなった。
それは驚きではない。
予想していたことが、形を持ち始めた時の顔だった。
「フォージは、侵食核の製造元」
「まだ断定はできません」
レータは慎重に言う。
「ですが、無関係とは考えにくいです」
イリスが別の波形を表示した。
「もう一つ、異常信号を確認しました」
「工廠AIの通信ですか」
「いいえ。地表からの微弱な救難信号です」
ユイが目を向ける。
「救難信号?」
「はい。ただし、工廠通信に埋もれていました。周期が不安定で、出力も低いです」
「発信源は」
「旧居住区画と思われる地下構造。位置は、第六労働都市跡付近」
表示に、地表の立体地図が開かれる。
赤く光る工場群の下。
そのさらに深い場所に、小さな青い点が明滅していた。
レータが眉を寄せる。
「この周辺にも、ヴェルデ侵食核と同系統の製造識別子があります」
「救難信号の近くに?」
「はい。旧居住区画のすぐ上に、未分類の工廠設備があります。そこから同系統の識別子が出ています」
ユイはしばらく黙っていた。
救難信号。
旧居住区。
侵食核と同じ製造識別子。
その三つが同じ場所にある。
偶然ではない。
だが、まだ意味は分からない。
「ブリッジへ報告します」
報告を受けたブリッジでは、すぐに地表データが共有された。
スクリーンに映し出されたのは、第六労働都市跡。
かつては工場労働者とその家族が暮らしていた地下都市だったらしい。
しかし今は、地上の生産区画に押し潰されるようにして残っている。
地下通路の一部は崩落し、別の一部は搬送管に転用されていた。
だが、その奥から確かに信号が出ている。
音声はひどく乱れていた。
ノイズの合間に、人の声らしきものが混じる。
《……こちら、第六……区……》
《……外部……聞こえるなら……》
《……工廠……止まらない……》
《……居住区、解体対象に……》
《……助け……》
そこで音声は途切れた。
ブリッジには、重い沈黙が落ちる。
カイトは思わず前に出た。
「人がいる」
「そのようです」
イリスが答える。
「生命反応も微弱ながら確認しました。数は不明ですが、単独ではありません」
「まだ生きてるんだな」
「はい」
ミオが静かに言う。
「でも、居住区が解体対象にされている……」
「材料不足の影響でしょう」
レータが表示を操作する。
「工廠AIは、生産命令を維持するために代替資源を検索しています。廃材、都市設備、未使用区画。そして、おそらく旧居住区画もその対象に含めています」
「人がいる場所でも?」
カイトの声が強くなる。
レータはすぐには答えなかった。
代わりに、ユイが口を開く。
「工廠AIがそこを居住区として認識していなければ、人がいることは判断材料になりません」
「そんな……」
「人が住んでいる場所ではなく、未使用構造物として処理されている可能性があります」
カイトは拳を握った。
人がいるのに、そこを未使用扱いする。
住む場所を材料として見る。
その冷たさは、敵意よりもずっと嫌なものだった。
ジン艦長は、地図を見ながら判断を下す。
「救難信号の発信源を確認する必要がある」
「地上降下ですか」
三島が問う。
ジン艦長は頷いた。
「大規模降下は避ける。工廠AIを刺激する可能性が高い。少数の偵察隊を降ろし、旧居住区画の状況を確認する」
「候補は」
「カイト、ユイ、ミオ、セラ、レータ」
名前を呼ばれた全員が、それぞれ頷いた。
「カイル艦長には、軌道リング側の監視を頼みたい」
《了解した》
カイルの声が通信で返る。
《リングが動いたら、こっちで引きつける。ただし、長くは無理だ》
「十分です」
《そっちは地上の人間を見つけてくれ》
「はい」
カイトは短く答えた。
その時、工廠AIから再び通信が入った。
《未登録艦、指定座標未到達》
《搬入予定、遅延》
《材料不足》
《代替資源検索、継続》
《旧第六居住区、解体優先度を再評価》
《生産命令、継続中》
カイトの表情が変わった。
「第六居住区って……」
「救難信号の発信源と一致します」
イリスが答える。
ブリッジに緊張が走る。
工廠AIは、彼らが救おうとしている場所を解体対象として見ている。
しかも、その優先度を上げようとしている。
ジン艦長の声が低くなる。
「時間は多くない」
「すぐに行きます」
カイトは振り返り、ブリッジを出ようとした。
その背に、ユイの声がかかる。
「カイト」
「分かってる。突っ込まない」
「本当に分かっていますか」
「たぶん」
「たぶんでは困ります」
いつものようなやり取りだった。
だが、その奥にある緊張は隠せない。
ユイは続けた。
「この星では、敵を倒せば終わるとは限りません。工場を壊せば、住民区画ごと崩れる可能性があります」
「だから、まず確認する」
「はい」
カイトは頷いた。
「助けるために行く。壊すためじゃない」
「それなら大丈夫です」
ユイはそう言って、カイトの隣に並んだ。
降下準備が始まる中、ルクス・ヴァルキュリアの観測窓からは、アース・フォージの地表が見えていた。
灰色の大気の下で、赤い炉の光が揺れている。
巨大な煙突が影のように立ち並び、都市の隙間を搬送レールが走る。
そこに人の暮らしの匂いはほとんどない。
だが、完全に消えたわけではなかった。
地下から届いた微弱な声。
ノイズに埋もれた救難信号。
誰かがまだ、外へ届くことを信じて信号を送り続けていた。
カイトは、降下艇へ向かいながら拳を握る。
デッドエンドでは、遅すぎたものがあった。
ヴェルデでは、間に合ったものがあった。
そしてフォージには、まだ分からないものがある。
終わったのか。
終わっていないのか。
救えるのか。
それとも、また何かを失うのか。
答えは、あの灰色の大気の下にある。
工廠AIの通信は、なお続いていた。
《材料不足》
《生産対象、未完了》
《命令は継続中》
《旧第六居住区、解体準備》
《代替資源、確保予定》
その声は、人の悲鳴を聞いていなかった。
命令だけを聞いていた。
ルクス・ヴァルキュリアは、鋼鉄の地球を見下ろしている。
その下には、まだ人間がいた。
だから、彼らは降りる。
止まらない工廠の中へ。




