019:魔物狩り
「いたぞ、ブラウンボアだ」
騎士の先導に従って林の中を進んだ先、時折地面を確かめていた彼は、囁くようにそう声を上げた。
その指の先を見れば、がさがさと草をかき分けながら歩いている一匹のイノシシの姿が見て取れる。
元の世界でも実際のイノシシを見たことがあるわけではないけど、想像していたよりも大きいように思える。
ただ、映像で知っているイノシシと比較しても、あまり変化があるようには思えなかった。
「あれが魔物? 普通のイノシシと何か違うのか?」
「マナの影響を受けているかどうか、らしいぜ。まあ、学者様じゃないんで詳しい定義なんて知らんけどな」
確かに、集中して見てみると、僅かに魔力を帯びているように思える。
一体どういう分類なのかは気になったが――まあ、ここでそれを気にしている場合じゃないだろう。
「ゆっくり問答してる時間は無い、向こうが気付く前に仕掛けるべきだ。誰がやる?」
「まずは俺が」
「おい、晃司――」
「二人とも、攻撃魔法は苦手だろ? 俺が感覚を確かめて、その後二人のフォローに回れるようにするよ」
鏡花ちゃんは回復系の魔法に特化しているため、攻撃魔法はそれほど得意ではない。
剛志は攻撃系と言えば攻撃系だが、基本的には身体強化に特化したタイプだ。
攻撃魔法で仕留めるという今回の条件は、あまり向いているとは言えないだろう。
だからこそ、まずは俺が実践し、その後で二人をフォローできるように準備するべきだ。
鏡花ちゃんは俺の言葉に賛成らしく、また剛志は受け入れ切れてはいないものの、納得はしてくれたようだ。
「よし。これ以上接近すれば気付かれる。理想はこの距離から一撃で仕留めることだが――やれるか?」
「ええ、大丈夫です」
術式を構築する。攻撃を外せば、また一撃で仕留めきれなければ、あのイノシシは俺の方へと攻撃を仕掛けてくるだろう。
騎士がフォローしてくれはするだろうけど、それに頼っているようでは意味が無い。
俺たちは、俺たちの力で帰れるように、実力を身に付けなければならないのだから。
「――〈フォトンバレット〉」
選択したのは、光の玉を射出する魔法。
だが、ただ放つだけではなく弾丸を鋭い形状に、そして回転を加えながら発射する。
銃弾を意識したその魔法は、リノリウムの床を擦ったような音を立てながら飛翔して――ブラウンボアの胴を、真横から撃ち抜いた。
「ブギィッ!!」
「もう一発、〈フォトンバレット〉」
だけど、銃弾一発で仕留めきれるとは考えていない。
あらかじめ準備しておいたもう一発の弾丸を、今度はこちらを向いたブラウンボアの顔面へと撃ち込んだ。
脳天を貫いたその一撃は、確実にその脳を破壊し、ブラウンボアの命脈を断つ。
たった二発、魔法を使っただけで生き物が死ぬ。その事実に、手が震えるのを感じた。
「探索者としちゃやりすぎだが、駆除って点に於いては正解だ。流石、いい腕だな」
「……ありがとうございます」
「返事をする余裕があるだけ、お前は大したもんだよ」
労わるような言葉に、奥歯を噛み締める。
分かっていた、覚悟していたことではある。だがそれでも、命を奪う感覚というものは重かった。
魔法による遠距離攻撃ですらこれなのだ。武器を持った戦闘で、命を奪うことはまだ難しいように思えた。
――それでも、やらなければならない。
「晃司君」
「……うん、大丈夫だよ、鏡花ちゃん」
今更ながらに、先生が謝罪していた言葉の意味を実感する。
これを俺たちに背負わせてしまったことを、先生は悔いていたのだ。
『やらなければならない』――その理由で、踏み出さなければならなかったことを。
(先生――そう、先生だ)
顔を上げる。前を見る。こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。
先生を助けなければならないんだ。元の世界に、全員で帰還するためにも。
ここで、迷っている場合じゃない。
「大丈夫、先へ進もう」
「……! 全く、また無茶して」
俺の表情を見て、鏡花ちゃんは一瞬目を見開き、そして仕方ないと言わんばかりに溜息を吐きながら肩を竦めた。
俺の内心を、何処まで読み取ったのかはわからない。
でも、覚悟を決めたことについては把握してくれたようだった。
「……本当に逸材だよなぁ。それじゃ、次の獲物を探すとするか」
呆れとも感嘆ともつかない言葉を吐き出した騎士は、再び魔物を探して歩きだす。
彼を追って俺も足を前へと踏み出して――ふと鳥の鳴き声が耳に届いた。
咄嗟に顔を上げ、その出所へと視線を向ける。
そこには、あの日裕也が遣わせた鳥のゴーレムが、じっとこちらを見つめながら佇んでいる姿があった。
* * * * *
(……やはり、こう来たか)
箱崎亘――異世界に転移してしまった少年少女たちの、担任教師。
そんな彼は、今現在林の中で、騎士たちに誘導される形で奥へと向けて歩を進めていた。
力ずくでの誘導というわけではない。しかし、騎士たちの言動には有無を言わさぬ圧力があった。
しかし、元より来るとわかっていた干渉。そうであるが故に、亘は困惑を装いつつも冷静さを保っていた。
(流石に、彼らを相手に抵抗することは不可能……信じるよ、都築君)
亘は胸ポケットに入れたスマートフォンを起動しつつ、林の奥――最早森と呼べる領域まで足を運ぶ。
そして、そこまで足を踏み入れたところで、先導していた騎士たちは立ち止まった。
振り返った瞳の中にある、冷たい光。それを正面から見据えながら、亘は小さく息を飲んだ。
「私たちは安全圏へ移動する、という話ではなかったですかね、騎士殿」
「既にわかっている筈だがね、教師殿」
地を這うような低い声。威圧的なその態度を受けて、それでも亘は堂々とそれに相対した。
己には抵抗する力など無いとわかっていて、それでも。
「単刀直入に言おう。我々に協力して貰いたい」
「私は既に、宰相閣下からの要請に協力しています。魔法の習得、そして意欲的な生徒たちについては戦闘訓練にも参加している筈ですが」
「それでは足りない、と言っているのだ。君たちの目的は、この世界で生き残ることの筈。そのためにも、君の生徒たちは騎士団に合流するべきだ」
確かに、力を付けるには近道となることは事実だろう。
しかし、亘はそれを即座に却下した。
「お断りします。私は、生徒たちの未来を奪うような真似はしない」
「それは君自身のエゴだろう。中途半端な力で活動する方が、よほど危険である筈だ」
「騎士団に預ければ、彼らの自由意思による活動は封じられる。私は彼らの命を預かる大人として、それは断じて認められません」
騎士たちの視線に込められた意志はただ一つ、『理解できない』という考えだった。
彼らが行っているのは交渉ではない、脅しだ。
『従わなければ命は無い』という、直接的な脅迫だった。
けれど、亘はそれを受け止め、理解したうえで、正面から否定しているのである。
「未来ある選択肢を自ら選ぶのなら、それを心から祝福する。未来を閉ざす選択肢へと追いやられているのなら、それを正しい方向へと導く。それが、子供たちを導く大人としての義務でしょう」
「……我々の行く末に、未来が無いとでも言うつもりか?」
「貴方がたが見ているのは国の未来だ。子供たちの未来じゃない。それに……他の国から連れてきた無関係の子供に縋らなければ、貴方がたの未来とやらは守ることもできないと?」
それは、国を守る騎士としてあまりの情けない言葉であろうと――亘は、言外にそう口にする。
元より、彼は知っているのだ。騎士たちの後ろにいるのが誰なのか。
国の未来という言葉すら欺瞞であり、権力争いに巻き込まれているだけに過ぎないのだと。
騎士たちに大義など無い。仮にあったとして、生徒たちの命が危ぶまれていない限りは従う道理も無い。
亘は教師として、一人の大人として、その判断を変えるつもりは無かった。
「――そうか、残念だ」
「ぐっ!?」
――瞬間、即座に接近した騎士の拳が、亘の腹部を痛打した。
蹲った彼を騎士は追撃の蹴りで地面に転がし、腰の袋から更に小さな袋を取り出す。
「君も固有魔法を持つ者だ、それを失うことは惜しいが――君が消えれば、子供たちを制御する者はいなくなる」
「ッ……!」
「君の処理は、この森の魔物たちに任せるとしよう。さらばだ」
そう告げて、騎士は亘へと向けて袋の中身を散布した。
それは、魔物寄せの撒き餌。ひとたび封を切れば、臭いに釣られた魔物が一斉に集まってくる道具だった。
痛みに動けずにいる亘をその場に放置し、足早に去ってゆく騎士たち。
森が蠢き始めたのは、その直後のことであった。




