崩壊の音
「おい! 早く準備しろ! 下がるぞ!」
西部方面ドイツ軍の塹壕陣地のあちこちからそんな声が響いた。泥と血、死臭に塗れたドイツ兵たちは、水を吸いこんでずっしりと重くなった軍服を纏いながら、よろよろと歩いていく。彼らは、長い間維持し続けた自分たちの塹壕に背を向けて、ある作戦通りに後退を開始した。
「雨でぬかるんでいるから、気をつけて運んで!」
ラインハルトは砲兵たちに指示を下して、大砲を運んだ。ヴィリーもラインハルトの側で、その様子をじっと見守っていた。
ーーアルベリッヒ作戦。西部戦線でのドイツ軍は、一部地域で敵方の陣地に大きく食い込んだ戦線を構築していた。それは防御の面では有利と言える状態ではなかった。したがって、軍首脳はより守りやすく、また戦線を整備するためにもあえて軍を後退させるこの作戦を実行した。
そしてこの作戦は、いたずらに兵力を削る軍首脳のやり方に反発したラインハルトの発案でもあった。
「うわ!」
ヴィリーはぬかるんだ土に足を取られて転んだ。彼の纏う服はドロドロとなり、彼は不服そうだ。
「やっちゃいました……」
「足元に注意しないとダメだよ?」
ラインハルトは泣きそうな表情のヴィリーを見て、少し微笑ましい気持ちになった。
「なぜ笑うのですか?」
「いや、なんだか君が来てから、和むような気がしてね」
「そうですか?」
ヴィリーに自覚はなかった。だが、ラインハルトは頷くとクスクスと笑った。
ーーロシアーー
「パンをよこせ!!」 「食料を供給しろ!!」
東欧の大帝国の首都は騒然としていた。二月の寒気を感じさせないほどの熱気に包まれた一団が帝都を行進していくのである。その者たちの大半はスカーフで顔を包み込んだ女性たちであった。
ラインハルトたちドイツ軍が、西部戦線で後退を始めた頃、ロシアでも動きがあったのだ。
ストライキである。ロシア帝国首都、ペトログラードで食料を求めて婦人たちがデモを開始した。この知らせはすぐさま、皇帝・ニコライ二世のもとに届いた。
「なに!? デモだと?」
「はい。国民たが食料を求めて、団結しているとのことです」
ニコライ二世は大きなため息を吐くと、告げた。
「その者たちを黙らせよ。余はそれどころではないわ」
「しかし、陛下、それでは国民たちの反感は増す一方なのでは……?」
「ええい、黙れ!! 第一、余はこうして昼夜問わず、国を守るために戦っておるのだ。その余に対してデモとはどういうつもりだ!! その女どもは皆、反逆者だ! 裏切り者だ!!」
ニコライ二世の側近たちは不安そうな表情を浮かべた。国民たちの弾圧が逆効果になるであろうことは明白であったからだ。
だが、ニコライ二世にそのようなことを考えられる余裕などなかった。東部戦線におけるドイツ軍との戦いが芳しくなかったからだ。しかしこれが、後にこの皇帝の運命を決定づけることになるーー。
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