国の種
鉄板の鎧に身を固め、長い列を作って転がってくる機械。その毛虫のような姿。人間を押し潰し、傷つくことのない鋼鉄の獣。僕らはこの戦車を見ると、自分の薄い皮膚の中に小さく縮こまるような気持ちになった。その驚くべき重さの前には、僕らの腕は藁のようにか弱いものだ。手榴弾はマッチぐらいだろう。この戦車というやつは、何よりも戦争の恐ろしさそのものに見えた。
『西部戦線異常なし』より
ーー1916年9月15日ーー
「なあ、あれはなんだ?」
「ん? なんだあれ?」
哨戒にあたるドイツ兵たちは眉を顰めた。イギリス軍が陣取る方向からまるで見たこともないような大きなものが蠢いている。それらはゆっくり、ゆっくりとドイツ軍側の塹壕に近づいてくる。
「え、おい! 不味いんじゃないか!!?」
「新兵器か!!?」
ドイツ兵たちは混乱に陥った。
「フォーゲル殿!!」
作戦室にいるアグネスのもとに血相を変えた兵士が駆け込んでくる。
アグネスは冷静に問いただした。
「どうした?」
「味方より連絡が。敵が新兵器と思われるものを投入してきたとのことです」
「新兵器?」
作戦室はざわついた。ここにきての新兵器投入は彼らを焦らせるには十分な内容だった。
「フォーゲル殿、今新兵器で攻められたら……」
「慌てるな」
アグネスは冷静であった。彼女は少し黙って考えた後に言った。
「まずは敵の情報をよく集めて。一体、どんな兵器なのか詳しく教えて。早く!!」
「は、はい!!!」
アグネスは作戦室に篭り続けた。
「進め!」
イギリス軍は『タンク』の実戦投入で心踊った。拮抗した戦況をがらりと変えるかもしれない可能性に彼らは希望を託していた。
「上手くいくかな?」
「大丈夫だろ。ほら、鉄条網なんか屁でも無いぜ」
イギリス歩兵たちは『タンク』の背後に隠れながら、前進を果たす。それは、今までドイツ軍の防御陣の前になす術がなかったイギリス軍に絶好の機会を与えた。
ドイツ兵は未知のそれを目前にして、恐怖で抵抗することができなかったーー。
「失礼します!!」
アグネスの作戦室に慌てて兵士が入室する。アグネスと共に会議を開く下士官たちは一斉に彼の方を見た。
「情報は得られたか?!」
「はい! どうやら、新兵器は全身を鉄で覆われた巨大な車のようなもの……。ゆっくりと全身し、鉄条網や塹壕はものともせずに我が陣地に入り込んでくるようです!」
「全身が鉄で覆われた?」
作戦室はざわついた。まるで聞いたことのない兵器である。彼らは想像するだけで恐怖感に包まれた。
アグネスは一人、静かに言った。
「鎧を纏った車か……。面白いね」
「『パンツァー』ということでしょうか?」
「命名なんか勝手にすればいい……」
「冷たい人……」
「なんか言った?」
「いえ、何も」
アグネスはため息を一つ吐くと言った。
「戦闘機部隊を頼りたい。彼らに空から状況をよく掴んでもらおう」
「空からですか?」
「そう。早く準備して」
下士官たちはアグネスの真意を測りかねたが、とりあえずその意向に沿うことにした。
そして、数日経って連れてこられた飛行機乗りたちは意外なものたちであった。
「失礼します!」
そう言って二人ほど入室してきた。声を出して入室してきた方は、鼻が真っ直ぐ目の彫りが深い。髪の毛はおよそ真ん中でしっかりと分けられている。
だが、何よりもアグネスの目を引いたのは彼の襟元に輝くプール・ル・メリット勲章である。この男は相当な戦功があるに違いない。
「ご要望にも関わらず遅れてしまい、申し訳ありません。フランス軍との空戦が頻繁なものでして……」
男はそう言ってにっと笑うと姿勢を正して挨拶をしようとした。ところが、後ろにいた兵士がずいっと体を前に出した。
「あれ、フォーゲルさん?!」
アグネスは目の前の男を知っていた。リヒトホーフェンである。
アグネスは少しだけ驚いたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「あら、リヒトホーフェン殿。あなただったのですね」
「久しぶりなのにそっけないじゃないか。ラインハルトは?」
「今は、いません……」
「そっか。残念だな」
「おいおい、マンフレート。知り合いだったのかい?」
リヒトホーフェンと共にきた男は言った。
「ええ。彼女はアグネス・フォーゲルさんですよ。凄い方だというのは俺が保証します」
「なるほど。フォーゲル殿。申し遅れました。私はオズヴァルト・ベルケと申します」
アグネスは聞いたことがなかった。だが、プール・ル・メリット勲章を持っていることから、彼がエースパイロットなのは理解できた。
「改めて、私はアグネス・フォーゲルです。早速ですが、敵の新しい兵器を打破するために探ってほしいのです」
「この情報がお役に立てれば幸いです」
そう言うとベルケは、新兵器を写した航空写真や新兵器の場所を示した地図など、諸々の資料を提供した。
「これは……?」
「あらかじめ、敵の新兵器を探っておきました。元はと言えば、我々が乗る戦闘機も新兵器の類ですからね。敏感なのですよ。ああ、それと我々の方ではあの新兵器のことを『戦車』と呼んでいるのですが、混乱がなければそのように呼称を統一させましょう」
アグネスはベルケが飛行機乗りとしての才能だけではなく、軍事的なあらゆる面で秀でていることを悟った。
「わかりました。これだけの情報があればおそらくは対処できます。ご協力に感謝します。ベルケ殿」
「いえいえ、私だけの力ではありませんからね」
ベルケの隣にいるリヒトホーフェンは誇らしげであったーー。
イギリス軍が初投入した戦車がドイツ軍に撃退されたのはそれからまもなくのことであった。この戦車というのは、まだまだ性能としては不十分であったのだ。エンジントラブルや破損が相次ぎ、結局すぐに冷静さを取り戻したドイツ兵たちに追い払われてしまった。
アグネスは、敵軍の未知の兵器を撃退したことに特段喜ぶわけでもなく、相変わらず薄暗い塹壕の中の部屋にいた。
「フォーゲルさん。ちょっといい?」
アグネスは声をかけられて机に向けていた顔を上げた。リヒトホーフェンが、にっこりと笑顔を浮かべてこちらを見ている。
「……なんですか?」
「ちょっとさ、話さない?」
「何か用件があるのであれば、ここで手短にお願いします」
「連れないなぁ。ちょっと雑談に付き合ってほしいんだ。ほら、もう俺たちもすぐに飛行機で移動しなきゃいけないからさ」
「……わかりました」
アグネスは乗り気ではなかった。だが、仕方がなくリヒトホーフェンに付いていって外に出た。
彼女がいる場所は最前線から少し後方にある。だから、外でゆっくりと空気を吸うことはできた。
「俺さ、この間に単機で撃墜したんだ」
「おめでとうございます」
「初めてだよ。初めて俺自身の手で撃ち落としたんだ。あの衝動は今でもはっきりと覚えている」
「嬉しかったですか?」
「そりゃあ、もちろんだよ。喜んでわざわざ、不時着してさ、撃墜した敵機を確認しにいったぐらいだよ」
リヒトホーフェンは、身振り手振りでその時の感動を表現した。
アグネスは彼のことを冷めた目で見ていた。
「でもさ」
リヒトホーフェンは突然、落ち着いた声音になった。
「その時、俺の喜びは一瞬だけ消えたんだ」
「消えた……?」
アグネスは疑問に思った。
「ああ。消えた、というより複雑な感情を抱いた。俺が撃ち落とした敵兵は、若かったよ。片方は即死。もう片方は、病院に運んでやったけど、死んだ」
アグネスは黙って聞いていた。
「こんなに若い奴が、戦争で死んでいく。いや、俺の手で殺してしまったんだ。後悔はない。でも、なんでこんなことになっているんだろうって、考えずにはいられなかった」
「……」
「こいつは、きっと国にとって貴重な未来の種だったかもしれなかった。でも、摘み取ってしまった。そう思ったよ」
「あなたが撃ち落とさなければ、私たちの国がより危険な目に遭っていたかもしれませんよ?」
アグネスは思わず言った。彼女なりにリヒトホーフェンの行いを肯定した。
「そうさ。俺が躊躇すれば、俺も含めて仲間たちが危険に晒される。それは軍人として絶対に見過ごせない。だから、今後も俺は戦い続ける。でも……」
リヒトホーフェンは空を仰いだ。
「兵士一人一人も人間なんだって、ちゃんと忘れないようにしたい……」
アグネスは真っ直ぐとリヒトホーフェンの方を見た。彼の言葉が、彼自身だけではなく自分にも言われているような気がしてならなかった。
リヒトホーフェンは、アグネスの方を見るとにっと笑った。
「フォーゲルさん、ラインハルトとは仲良くな」
「……」
リヒトホーフェンは、そのまま別れを告げて去っていった。
アグネスは、ただ彼の背中を見送ったーー。
読んでくださりありがとうございます。次の作品が投稿され次第、ぜひ読んでいってください。




