ドイツ熱狂
万歳! とうとう明日午前11時、徴兵のために集まれという命令を受け取りました。今か今かと待っていたところです。今朝、知り合いの若い女性に会いました。軍服姿じゃないのを見られるのが恥ずかしいぐらいでした。僕はもう、平和な時代の人間ではありません。こういうときに自分のことや家族のことを考えると小さく、弱くなります。国民や祖国のことを考えると強くなれるのです。
ドイツ兵の手紙より
ガヤガヤガヤガヤ……
大学内は騒然としていた。
6月28日に発生したサラエボ事件は、セルビア出身の青年がオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻を殺害した事件であったため、両国の緊張が高まることになった。だが、交渉は二国間に収まらず、それぞれの後ろ盾になっていたドイツ、ロシア両国も絡んでくることになった。オーストリア=ハンガリー帝国はドイツが後ろにいることをいいことにセルビアに対して強硬な態度で臨み、最後通牒を突きつけ、1914年7月28日、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告をした。
「ドイツも戦争を始めるぞ!」
「いやぁ、どうかなぁ……」
「ロシアだって今に動くことになるぞ!」
学生たちは動揺する国際情勢について激論を交わしていた。
「でも、ここでドイツが参戦すれば、ロシアと当たるんだろう? そうしたら、フランスが背後を狙ってくる」
「二正面作戦か……」
ドイツの立地条件ははっきり言って望ましくはない。東にはロシア、西にはフランスがいる。これら両大国を同時に相手すれば、いかに軍事力に優れるドイツと言っても勝てる見込みは低くなる。初代帝国宰相のオットー・フォン・ビスマルクがこの最悪の事態に陥らないよう様々な外交政策を展開したのは有名な話である。
しかし、彼の努力も虚しく、現在のドイツ皇帝ヴィルヘルム二世がビスマルクを解任して以降、ドイツとロシアの関係性は悪化。1870年の普仏戦争以降、険悪な関係が続くフランスとは、はなから不可侵協定は期待できなかった。ドイツが今、ここで参戦することになれば、東西で大国を相手しなければならなくなるのであった。
大学に集う学生たちはこれについて意見を交わしていた。その中にはゲオハルトも混ざっており、ラインハルトも一応話だけでも聞きに来ていた。
一人の学生が発言する。
「なあ、みんなは仮にドイツが参戦するとしたら、志願兵になるか?」
学生たちは少し間をおいた後、口々に言う。
「俺はなる」 「俺もだ」 「僕も」
彼らは志願して国を救うのだ、と息巻いていた。
「俺は軍部で出世して、国政に参画する力を持つ……」
言ったのはゲオハルトだった。彼らは一斉にゲオハルトの方を見る。
「国政に? 軍部は関われないだろう?」
ゲオハルトは何も言わなかった。ここで授業がそろそろ始まる合図があったので彼らは悶々としつつ解散した。悶々とするのはラインハルトも同じだったーー。
帰り道、ラインハルトはゲオハルトに尋ねた。
「君は政治家になるんじゃなかったのか?」
ゲオハルトは前を見たまま返答する。
「ああ、そうだよ」
「軍人になるのと矛盾するじゃないか」
「矛盾はしねえよ」
ラインハルトはよくわからなくなった。ゲオハルトはたまにおかしなことを言う。酒を飲んでいなくても。
(まあ、いいか)
ラインハルトはそれ以上の詮索はやめた。
8月初頭、ベルリン市内は盛り上がりを見せていた。市内の広場で宣戦布告の宣言が行われるのだ。人々は熱狂し、ついに戦争が起こることへの熱い感情がドイツ国中を飲み込もうとしていた。
ワアァァァァ!!!! 帝国万歳!!
人々は叫んでいた。人々は歓喜していた。人々は熱くなっていた。
ラインハルトはその異様な光景に息を呑んだ。まるで狂っているように見えたのだ。
(戦争が起こって、なぜそんなに喜んでいられるのだ?)
率直な思いだった。
ドイツは8月1日の総動員令以降、志願兵の募集を早速行った。戦争という未知の冒険に若者たちは魅了され、開戦直後から多くの志願兵が集った。
ラインハルトは相も変わらず大学に通っていた。日に日に学生たちの人数が減っていく様は、なんとも言い難い感情をラインハルトに生み出した。
それでもゲオハルトがいる間はまだ、ラインハルトは安心できた。彼は普段通りにラインハルトに接してくれた。戦争という特殊な状態にあっても、彼は変わらずにいた。それがラインハルトに安心感を与えた。
「二人とも、志願はしないの?」
いつもの三人での帰り道、ケリーに問い詰められ、後ろめたさはなかったがラインハルトはぎくっとした。
「ぼ、僕は……別に……」
「俺はそろそろ行くよ」
ラインハルトはギョッとした。ゲオハルトが戦争に行く、ついにその時が来る。ラインハルトは焦った。
「ゲルト!? 行くのかい?! 死ぬかもしれないんだよ?!!」
我ながら情けないと思った。ケリーが見ているのになんとも情けない。ゲオハルトは対照的だった。
「知っている。そんなのは覚悟している」
ラインハルトは言葉を失った。ゲオハルトがかっこよく見えた。
「さっすが、愛国者! かっこいい!!」
ケリーが茶化し、ゲオハルトは照れ臭さそうにした。
ケリーは途中で自分の家への帰路について、別れた。ラインハルトとゲオハルトは二人で歩く。少しの間をおいた後、ゲオハルトはおもむろに口を開いて言った。
「ケリーのことは頼むな。なんかあいつ危なっかしいしな」
ゲオハルトはにっと笑うと自分の家の方に向かっていった。ラインハルトは何かを失った気がした。
翌日から大学にゲオハルトは姿を見せなくなったーーー。
読んでくださりありがとうございます。次の作品が投稿され次第、ぜひ読んでいってください。