意地と仇と真実と
天才の特徴は、凡人がひいたレールに自分の思想を乗せないことだ。
スタンダール(1783-1842)
「イロフスキー大佐、敵は袋の鼠ですな」
「……」
イロフスキーは敵を追い込んだと確信して喜んでいる部下に一切の反応をせずに、ただドイツ軍の列があるであろう雪壁の方をじっと見つめていた。彼は自身の拳を強く握り締めている。
(どうした?その程度か…?砲兵隊がいることは把握しているんだぞ…)
イロフスキーは燃えていた。数々の仲間たちの攻撃を退け、そしてロシア軍を窮地に立たせてきたラインハルトたち砲兵部隊を討ち取らんと、ただただ燃えていた。
「攻撃の手を緩めるな!!徐々に距離を詰めて、全員討ち取れ!!」
イロフスキー部隊の攻撃は熾烈を極める。
イロフスキーが戦闘に集中していた最中、ふと風を切るような音が聞こえてきた。だが、それを認識する間はなかった。
激しい音と共に、雪と土が舞い上がる。近くにいた部下の体は欠損した。
(ついに現れたか…)
「大佐!砲撃です!避難を!!」
「馬鹿言うな!やっと真の敵が現れたんだ!仲間たちの仇、ここで必ず討つ!!」
イロフスキーは次々と着弾する弾を交わしつつ、砲撃の方向を見定める。しかし、運よく弾を回避できるイロフスキーと違って、仲間たちは次々と撃ち砕かれる。
「なぜだ!?なぜ、そんなに正確に我々の位置がわかる!!?」
砲撃は決して止むことがないーー。
「さあさあ、どんどん撃って!ある程度のずれは今回は気にしなくていい!!」
ラインハルトの指示で反撃の弾が続々と撃ち込まれていく。
「中尉殿、こんなに使って問題ないのでしょうか?」
「責任は取るさ。それよりも、仲間の命が優先。あ、君。これから言うことを前列に伝えていってほしい」
ラインハルトはそう言って指示を出した。
すぐそばにいた軍曹は気になって思わず尋ねた。
「中隊長殿、なぜ敵が見えないのに砲撃を行えるのですか?」
ラインハルトは砲撃の方向から目を離さずに早口で答えた。
「銃弾の向きも手がかりだが、なによりもこのあたり一帯は沼地だ。おそらく、敵は沼を避けながら行動している。それは我々と変わりはしない。だから、今僕が持っている地図を頼りに沼と沼の間を砲撃している。上手く当たっていることを祈るばかりさ」
軍曹は息を呑んだ。
「お前たち!!よく聞け!」
イロフスキーの大声で、伏せる兵士たちは一斉に大佐を見る。
「敵の砲撃はあっちから行われている!あっちに向かって進め!近距離なら敵は大砲を当てられない!」
イロフスキーの指示で兵士たちは、かがみながら走り出す。そのときだった。イロフスキーが指示を出した方向から、ドイツの旗が上がった。ロシア兵たちは、敵がそこにいると確信して一気に攻め込む。砲撃は既に止んでいた。
「違う、罠だ!!下がれ!!」
イロフスキーは気付くのが遅かった。ロシア兵たちが、雪壁を越えようとした時、その向こうから一斉射撃が行われた。ロシア兵たちは次々と転げ落ちる。
そして、さっきまでイロフスキー部隊が撃っていた、ドイツ軍の列の前方からも生き残った兵士たちが這い上がってくる。
イロフスキーは身の毛もよだつ思いがした。
「大佐!!お逃げください!!敵の反撃です!!」
この進言に反論の余地はなかった。イロフスキーの部下たちは、砲撃と不意打ちの射撃で数を減らしていた。ドイツ軍の本気の逆襲に耐えうる兵力は残っていなかった。
「くそ!くそ!くそおおおお!!!」
イロフスキーは敗走したーー。
ドイツ軍の進軍が滞ったのは最初の数日だけであった。その後は、順調に進み続け、一週間で百キロの大行軍を成功させた。ロシア軍は決死の攻撃を仕掛け続けるも虚しく、数万の捕虜を出してしまった。
「あれ?」
ラインハルトは連れていかれる捕虜たちの中に見覚えのある人物を見かけた。
「あ、あんた!!」
その人物はかつてハイデル村でラインハルトを拘束した男だった。この男はドイツ語が使える。
「…!?なんだ、生きていたのか…」
男は目を丸くする。あの時の威勢は全くない。髪はボサボサで顔中が傷だらけである。憔悴しきっている。
「私に恨みがあるのだろう?煮るなり焼くなり好きにしたまえ…」
男はそう言ったが、ラインハルトは恨みなど抱いていなかった。
「あんたに恨みなんてない。捕虜は丁重に扱う。安心してほしい」
「ほんと、いけすかないねぇ…」
男はそう吐いて背を向けたが、立ち止まったままラインハルトに聞いた。
「なあ、この際だ。連れていかれる前に君に聞きたい」
ラインハルトは、この捕虜の男を背中からどつくドイツ兵を制止して聞いた。
「なんだ?」
「今、我が軍ではある噂でもちきりなんだ。ドイツ砲兵隊についてだ」
ラインハルトはビクッとした。自分はまさに砲兵隊所属だ。
「開戦以来、我々ロシア軍はこのドイツ砲兵隊に何度も苦汁を舐めさせられている。なぜ、そんなに強いのか。そして、もう一つ…」
男は少し間を置いてから続けた。
「真偽は定かではないが、このドイツ砲兵隊を指揮しているのが、若い新人兵士と聞いた。そんなことはあり得ないと誰もが思っているが、お前は何か知っているか?」
ラインハルトは口を少しだけ開けたまま何も言うことができなかった。ただ、男を見つめたまま棒立ちになっていた。
男はその様子を奇怪に思ったが、何かを察したかのようにふっと笑うと最後にこう告げて去っていった。
「ーーそうか、君だったのか…」
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