キタイ外れ
失敗は、成功を引き立たせるための調味料だ。
トルーマン・カポーティ(1924-1984)
「噴射!!!」
大量の気体が凍りついた大地にもくもくと広がっていく。横一直線に並んだガスボンベから放たれる煙は大量の突撃兵のごとくロシア軍側へと向かっていく。
ロシア軍は冬の平野に巻き上がる未知の煙を前に若干の混乱を余儀なくされていた。
「あいつら、今にとんでもない目にあうぜ」 「へへ、楽しみだな」
ドイツ兵たちが冗談まじりに言う。
ガスはますます拡大していく。ロシア軍は少しずつたじろいでいく。ドイツ軍の攻撃は順調であったーー。
「中尉殿、お体に触りますよ」
アグネスはラインハルトの横で言う。
「他のみんなだって、ずっと外で警戒してくれているんだ。僕だけが温まるわけにもいかないだろう?」
この日は特に冷えた。兵士たちは腕をさすりながら各自、監視を続けている。
「ですが、私は心配です…」
「ありがとう、アグネス。…なんとなくなんだけど、君は僕にいつも優しいよね?」
「ふえ?」
アグネスは顔を赤らめる。紅潮した顔はラインハルトを心配させるのに十分であった。
「アグネス!?顔が赤いよ?君の方こそ、風邪なんじゃないのか?!」
ラインハルトはアグネスのすぐ近くに寄るが、アグネスは両手を前に突き出して後退りする。ラインハルトには理解できない行動であった。
「どうしたの?」
「なんでもありません…」
アグネスは目を合わせてくれない。ラインハルトは嫌われてしまったのではないかと思うばかりだった。
「中隊長殿〜、察してあげてくださいよ〜」 「ほんと、鈍感ですね〜」
周りの兵士たちはラインハルトを見てニヤニヤしているが、結局ラインハルトは今の状況がわからないままだった。
「おいおいおい、まずいんじゃないか…?!」 「こっち来るぞ!」
毒ガスの大量噴射によってロシア軍を攻撃しようとしていたドイツ軍であったが、状況は思わしくない方向へと転換していった。
「逃げろぉ!!」 「やばい!こっち来た!!」
風向きがドイツ軍側の方へと変わったのである。噴射された毒ガスはドイツ軍へと向かってくる。
「撤退!!撤退!!」
ドイツ側は意図せず大混乱に陥った。だが、これもなんという皮肉か。飛んでいた毒ガスは予想していたよりも早く、大気中から姿を消し始めた。霞んでいた平野は徐々に白銀の煌びやかな光景を取り戻しつつある。
「やっぱりか…」
ドイツ兵の一人がぽつりとこぼす。それを聞いた他の兵士が問う。
「やっぱりってなんだよ?今、何が起こっているんだ?」
「今回使用した毒ガスには、『臭化キシリル』が含まれている。そいつの融点は約18℃だ。つまり、今日が寒すぎて気体が凝華したんだ…」
「じゃあ、効果がなくなったってことなのか…?」
「ああ。はなから、今日使用するのは間違いだったんだ…。焦った軍部のはやとちりさ」
毒ガス噴射による攻撃はドイツ軍側の失敗に終わったーー。
(ボリムフ攻撃はうまくいっているのかな…)
ラインハルトは自軍の攻撃について気にかけていた。連絡はまだ、届いていない。
しばらくしてから、電報が届いたとの情報があった。
「中隊長殿、前線からの情報が届いたとのことです」
「お、来たか」
だが、その情報にはドイツ軍の攻撃中止についてのことが記されていた。
「なんだ…、やっぱり失敗したのか…‥」
ラインハルトはため息まじりに告げた。
「ダメでしたね」
「うん」
ラインハルトは試しにアグネスに聞いてみた。
「アグネス、ロシア軍は反撃に出ると思うか?」
「どうでしょう…。でも、警戒を続けるに越したことはないと思います」
「まだ、本格的な戦いは見たことがないよね?」
「そうですね、いつも事務処理ばかりなので」
「そうか。それじゃあ、アグネスの初陣は僕の二の舞にならないようにしなくちゃな」
「何!?ドイツ軍が毒ガスらしきものを使用してきただと!?」
ロシアの作戦室にいたヴァシーリー・グルコは大声を上げた。
周りの幹部たちも眉をひそめている。
「汚い手を使いおってからに…。今に見ていろ!叩き潰してやる!!」
グルコは立ち上がると、出陣の準備を始めた。
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