ルーデンドルフという男
名将と凡将との差は、作戦能力の優劣よりも、責任観念の強弱によることが多い。
ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527)
「ふ〜む…、シュライザー君」
「は、はい!」
ラインハルトは痛む足に意識を奪われながらも咄嗟に返事をする。ラインハルトは今、ホフマンのいる作戦室で地図を挟むように向かい合って座っている。案内してくれた大尉はすでに退出した後だ。
「ロシア第一軍と第二軍が連携を取り合っていなかった場合、つまりお互いに重要な連絡を取り合っていなかったとしたら、我々はどうするべきだと思う?」
「へ?」
ラインハルトはロシア軍の動向についての質問をされ、驚いた。てっきり、自分は臆病者の汚名を着させられたあげくに追放されると考えていたからだ。
ラインハルトは返す。
「中佐殿、そのような重要な情報を私めに言って良いのでしょうか?」
「あくまで仮定の話だ。質問に答えたまえ」
ラインハルトは地図を見て考えた。ふと、地図上の東プロイセン南部を見ると敵軍を表す矢印が描き込まれていた。ラインハルトは尋ねた。
「中佐殿、南部からも攻撃を受けているのですか?」
「君が寝込んでいる間に攻め込んできていた。それがロシア第二軍だ」
ラインハルトは再び驚いた。自分が寝ている間にまた攻撃を喰らっていたとは。
「本日は何日でありますか?」
「23日だ」
ラインハルトは二日も寝込んでいたことに言葉を失った。大きな罪悪感が彼を苦しめた。
「どうだね?案はあるかね?」
ホフマンに促され、ラインハルトは地図をじっくりと眺める。はっきり言って状況は絶望的であった。ドイツ第八軍は東から南にかけてぐるりと包囲されていた。また、実力的にも押されつつあった。この状態を打開する方法を考えるのは至難の業である。
(あ、でもさっき…)
ラインハルトは先程のホフマンの言葉を思い出す。
そして、ケーニヒスベルクの第八軍を指差して言った。
「我々第八軍の大部分を南下させ、ロシア第二軍にぶつけましょう」
短い訓練期間に習った兵法の知識をもってしても、この作戦は無理だと思った。だが、ラインハルトは実行に移せる可能性を見出していた。
ホフマンはラインハルトの顔をじっと見たままで口を開く。
「どうやって南下させる?」
「はい、鉄道を用いましょう。徒歩では時間がかかりすぎます。路線の関係上、大きく左回りに迂回することになるでしょうが徒歩よりは早く人員を運べると推察します」
「ふむ…」
ホフマンは頷くと黙った。ラインハルトは緊張した。己の、定石から外れた策に目の前の参謀は何と言うか、気になった。
だが、返ってきた声の主は別であった。
「面白い策だ」
ラインハルトが後ろを振り向くとそこには見知らぬ男が立っていた。
「思ったよりお早い到着でしたね」
そう言ってホフマンは敬礼をした。ラインハルトもすかさず敬礼をする。
「よいよい、楽にしてくれ。ところで貴官はロシア第一軍を野放しにするというのかね?」
男は鋭い眼光をラインハルトに向けて尋ねてきた。ラインハルトは作戦概要を話し始めた。
「いえ、そういうわけではありません。一部の部隊を残して食い止めてもらいます」
「ロシア第一軍を今よりも少ない数の兵力で食い止めると?」
「はい」
ラインハルトは毅然と答えた。
「もし仮にロシア第一軍と第二軍がお互いに連絡を取り合えていないのであれば、これは可能と推測します」
「根拠は?」
男はさらに尋ねてくる。ラインハルトは自分の考えが一蹴されずにいることに若干の安心感を抱きつつ、自分の論を力説する。
「ロシア第一軍は我々に対して依然優勢でありますが、だからといって大攻勢を仕掛けてはおりません。まだ、少し躊躇しているのではないでしょうか?ですから、第一軍が本格的に攻撃を仕掛けてくるその前に第二軍を叩くのです。もし、連絡が取れていないのなら、第一軍にバレずに第二軍を討てます。第八軍の主力をもってすれば、第二軍を撃滅することは可能です」
男とホフマンの二人はどちらも黙ったままであった。沈黙が作戦室に訪れる。ラインハルトは熱くなって自分の意見を語ったが、やはり無謀な作戦かもしれないと、不安になった。
男は口を開いた。
「君は第一軍を食い止められるか?」
ラインハルトは答えることを渋った。それは一存で答えられる問いではなかったからだ。指揮官ならまだしも、雑兵の自分が「はい!」と言っても仕方がないことだった。
「自分は…」
ーーラインハルトは言葉に詰まった。その間も男はラインハルトをじっと見ていた。ラインハルトは何か答えなければならないと思った。
頭の中にグンビンネンの悲惨な光景が蘇った。死んでいった仲間たちの姿がラインハルトの脳裏に浮かび上がる。生き残った自分がしなければならないことをラインハルトは思い出した。
「ーー食い止めます。必ず」
男は一言「ふむ…」と言うと、ラインハルトに質問した。
「君の階級は?」
ラインハルトは困惑した。自分は成り立てほやほやの新兵だから、何の階級も有していなかった。
「シュライザー君は先日、実戦投入されたばかりの新兵でありますよ」
ホフマンが代わりに答えた。
男は驚いた。
「君は新兵なのか!」
「はい…」
ラインハルトは、生意気に作戦室で熱弁して良かったのだろうか、一介の雑兵が中佐相手に意見するなど許されるのだろうか、と心配になった。
だが、男は予想とは違う反応をした。
「ホフマン君、これは面白いものを見つけたものだ。階級がないと指揮が出来なくて困るだろうね。…うん、ホフマン君。彼を『少尉』に昇格させなさい」
ラインハルトは耳を疑った。たった今、この目の前の男は自分のことを少尉にすると言ってきたのだ。
「え、あの。どういうことですか?」
「君は先ほど第一軍の侵攻を止められると言ったね。ならば、我々が第二軍を討つまでの間、ケーニヒスベルクを守ってみせなさい」
ラインハルトは混乱した。まさか、第一軍を止める大仕事が本当に自分に割り当てられるとは思ってもみなかった。
「新参謀長、この者を見出したのは私が先ですからね」
「はっはっは、わかっている!」
ラインハルトはこの男が何者なのか聞いていなかった。
「私の名前は、ラインハルト・シュライザーです!お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
男は少しの笑みを浮かべて答えた。
「私はエーリヒ・ルーデンドルフ。今日から第八軍の参謀長を務めることになった。よろしく頼むぞ、シュライザー少尉!」
ラインハルトは、聞き覚えのある名前に反応した。
「あ、貴方はリエージュ要塞を攻略した…!」
「いかにも」
ルーデンドルフは威厳に満ちた表情をして答えた。ラインハルトは、自分が凄い人物と対面していることに尻込みした。
これが二人の出会いだった。
ルーデンドルフとホフマンは作戦室を出て、平野を眺めていた。
「良いのですか?何処の馬の骨とも知らない彼を突然、少尉にまでしてしまって」
「見定めようではないか。これでロシア軍を食い止められず、東プロイセンが奪われるようならば、彼の命運もそこまでだよ。でももし、防衛戦に勝利したなら…」
風がそよめき、草が靡く。ルーデンドルフは不敵な笑みを浮かべた。
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