表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/47

一七〇三年二月四日十四時 江戸細川邸

 いよいよ赤穂四十六士切腹の日となった。細川以下四家に分かれてお預けになっていた四十六士は、それぞれのお預け先で切腹することになる。奇しくもこの日は故吉良上野介義央四十九日の忌日にあたったが、果たしてこれは公儀の意図したところであったのか、偶然のなせる業であったのか。あたかも四十六士討ち揃って閻魔大王へ直訴に赴くかのような趣ではあるが、当の本人達にその意があったか否か、今となっては知る由もない……


 この日、検使目付役として細川家に差し遣わされたのは、あの赤穂城明け渡しの際に目付として赤穂まで下ってきた荒木十左衛門であった。あの時大石は荒木に故長矩公の実弟大学長広の取立てを歎願し、荒木もそれに快く応じたことであった。結局その歎願の叶うことはなく、結果として今日という状況を迎えることになった。そのことに多少なりとも感じるところの無いではない荒木である。一瞬の間大石と交わされた眼差しには、せめて大石の最期を見届け、以って冥土の土産としてやらんとの厚情が溢れていた。その意を解する大石は、その眼差しに清清しい微笑を乗せて目礼する。暫しの間二人の間に交わされた無言の、されど暖かな会話の後、幕府目付の面持ちに切り替えた荒木が仰々しく告げる。

 「上意」

 大石以下、細川家に預けられている十七名が平伏する。

 「浅野内匠頭儀、勅使御馳走の御用仰せ付け置かれ候ところ、時節柄殿中をも憚らざる不届きの仕方についてお仕置仰せ付けられ、吉良上野介儀はお構ひ無く差置かれ候ところ、主人の讐を報じ候旨申し立て、内匠家来四十六人徒党致し、上野宅へ押し込み、飛び道具など持参し、上野を討ち取り候始末、公儀を恐れず候段重々不届きに候、これにより切腹申し付くるもの也」

 今頃は恐らく、他の三邸でも同様な儀式が執り行われていることであろう。こうして赤穂四十六士に切腹の沙汰が告げられた。死罪ではあるが元より死を覚悟の上討ち入りをした身、むしろ切腹という作法により武士の一分を立てることが叶うことが有難かった。

 「如何様にも仰せ付けられべくも計り難く存じ奉り候ところ、すべよく切腹仰せ付けられ候段、有難き仕合わせに存じ奉り候」

 大石の誠心誠意のこもった返辞は、四十六士に共通する心持であったろう。彼らの意を解した荒木は、ここで口調を和らげて役目の埒外のことを大石らに告げる。

 「尚、本日、吉良佐兵衛義周儀、此度の仕方不届きにつき、領地お取り上げの上、信州高島藩諏訪安芸守様お預け仰せつけられる由、役目の儀にはあらざるが申し添えておく」

 一同の顔がさっと晴れる。大学様のお取立ては成らなかったが、吉良家は領地召し上げとなった。殿様の刃傷からもうすぐ二年、ここにようやく喧嘩両成敗が成った。泉下の殿様もきっとお慶びのことであろう。我らも直に参ります。十七士の、ある者は晴れやかに、またある者は落涙さえする様子を見た荒木は、幾分心の痞えが取れた気がした。


 十六時。細川家に預けられた十七人の切腹が始まる。切腹の場は大書院の前庭に設えられた。既に白幔幕を三方に張り巡らし、畳を三枚敷き並べてある。先年浅野長矩切腹の際は庭先で切腹させることに一悶着あったが、長矩の場合は大名に対する礼法を問うたもの。大石らは陪臣の身であるため自ずから礼が異なり、庭先での切腹に異の出るはずもない。いや仮に室内に切腹の場を設えてあったなら、殿様よりも厚遇されることに大石は却って恐れ入ったことでもあろう。いずれにせよ陪臣の身にとって、畳三枚は最上の礼式である。細川家をはじめとするお預け先の各家では、最上の礼式を以って赤穂四十六士に対する最大の敬意を表した。

 それぞれに沐浴して身を清めた後白無地の小袖に着替え麻裃を着けた大石以下十七士は、能舞台横の楽屋で控えている。切腹の場には身分の高いものから順に呼び出され、一人づつ腹を切ることとなる。

 「大石内蔵助殿、お出で候へ」

 最初に、赤穂藩筆頭家老大石内蔵助良雄が呼び出された。座を立ち一同に軽く会釈する大石に、潮田又之丞が声をかける。

 「大石様、我々も追っ付け参り申す」

 みなの満足そうな表情を見やり、ようやく安堵した大石である。思えばこの二年、公人として一時も心の休まることのなかった大石である。殿様刃傷の急報に始まり、藩論統一、お城明け渡し、江戸急進派の押さえ込み、お家再興の歎願、これらへの仮託、同士選抜、討ち入り準備、そしてそれらの遂行に当たり通奏低音のように奏でられてきたご公儀との諜報合戦……幸いこの即興重奏は期待以上の出来であった。後世の歴史家という観客は、この合作をどのように評価するであろうか。いずれにせよ大石は今、ようやく私人に立ち戻ることが叶い、己が人生の終章を独演しようとしている。

 切腹の場に罷り出た大石は、布団を敷かれた畳にそっと座し、検使目付役の荒木十左衛門に一礼する。殿様の遺志を継ぎ、神君の遺言を果たした。赤穂浅野家は必ずや名家として後世に語り継がれることであろう。大石はお家への忠義と殿様への忠誠を両立し得た。もはや思い残すこともない。大石はふと句を口ずさむ。それは果たして辞世であったのか、それとも……伏見橦木町の置屋では酒に酔っては狂歌を楽しんだ大石である。あるいは、己が人生の来し方を想い、これに酩酊でもしていたものか。


 「あら楽し 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」


 浅野殿は殿様冥利につきる。荒木の胸の内に、今は亡き長矩を羨む感情が湧出している。自身も旗本として家臣からは「殿様」と呼ばれる身であるが、仮に荒木が長矩と同じように無念の内にこの世を去ることがあったとして、果たして我が家臣達は我が遺志を解し、これを継いでくれるものであろうか。まこと、持つべきものは大石殿のような忠臣。かつて赤穂城明け渡しの際に大石の手際に感じ入った荒木の嘉賞である。今、あの時の感想と同じ成分を持ちながら、なお幾分か異なる色相をも併せ持つ想いを自覚する荒木であった。そして恐らくは、この邸の主細川越中守も同じような思いでおろう。

 やがて、介錯人が大石の左後に位置し、介錯刀を手柄杓の水で清める。そっと、大石の前に小脇差を載せた三方が差し出される。この時代、既に切腹の作法は形骸化していた。すなわち実際には腹を切らない前、切腹人が三方に手をかけた瞬間に、介錯人が首を切り落とすのが作法となっていた。大石は軽く会釈した後、右肌を脱ぎ、そしてゆっくりと、両手を三方に伸ばす……細川邸の大椎の梢に一人ひっそりと気配を殺していたくノ一の、その視界が曇った。


 こうして無事十七人の切腹が済んだ細川邸では、家臣が血で穢れた庭を清めんとしたところ、当主細川綱利自らがこれをたしなめ、赤穂藩士は我が屋敷の守り神としてそのままにしておくべし、と命じたという。後の記録には、赤穂四十六士の葬られた芝高輪泉岳寺に細川が取置料として金子三十両を納めた、とも残されており、また、来客の折には赤穂義士切腹の場を自ら案内したなどとも伝わる。この屋敷の主にも、荒木の感慨と同様の感傷が芽生えていたのであろうか。またあるいは、赤穂義士を称揚することを通じて、家臣に忠義の意を再教育していたつもりかもしれぬ。尚、細川邸の敷地跡には後世公立中学校が設置されるが、この校庭には大石ら切腹の際にその介錯刀を洗ったと謂われる「血洗いの池」が、今も尚遺されているという。


 四十六士の切腹よりほどなく、江戸ではひとつの浄瑠璃が市民の評判となった。その主人公の名を大星由良之助という。由良之助の主君塩谷判官は足利直義の饗応役を命ぜられるが、その指南役高師直から謂れの無い侮辱を受けること数多。ついに殿中にて高師直に切りつけるも師直は軽症、塩谷判官は切腹を命ぜられ塩谷家は断絶する。由良之助は主君塩谷判官の無念を晴らすべく、塩谷家遺臣四十六人とともに高師直宅へ討ち入り、ついには主君の復仇を果たす。ご公儀の禁令を憚って時代背景を室町初期に仮託して公演されたこの浄瑠璃は「仮名手本忠臣蔵」と名づけられ、後世まで永く人気の演目となったという。


 最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございます。はじめまして、著者の勅使河原です。


 「僕は将来、歴史家になる」

  子供の頃……そう十歳になるかならないかの頃のことですが、私は母親にそう将来の夢を話したことがあります。子供の夢の話です。「そうね。立派な歴史家になるんなら、いっぱい勉強することね」などと適当なことを言っておけばよいものを、うちの母親はそれはそれは非道い現実を、子供の私に突きつけます。

  「歴史家なんかじゃ喰っていけないでしょ!」

  世界中の歴史研究家のみなさま、申し訳ありません。しかし、まぁ、四十年くらい前のことなので大目に見てやってください。何分、日本におけるエジプト考古学の第一人者、あの吉村教授でさえ、未だご高名になられる前のお話なのですから。そして、うちの母はこうも続けました……

  「あんたもシュリーマンを知ってるでしょ」

  えぇ、まぁ……ビジネスで財を成して後年、六十歳を過ぎてから考古学の世界に入り込み、ついには子供の頃に絵本で読んだあの「トロイの遺跡」を発掘した、という。母の説得に負けた子供の頃の私は、やがて理系の大学を出て某メーカーに就職し、ビジネスマンになる道を選ぶことになりました。

  

  無論、今の私を形象る要素の殆どがビジネスマンとして積み重ねてきた経験や思考であることには何ら疑いを挟む余地の無いところではありますが、それでも、いつか歴史家になりたいという想いは、どうやら私の心の片隅に定住し続けていたようなのです。振り返ってみると、ビジネス本、技術本に続いて多く購入してきたのは、歴史関連の書籍だったようにも思います。尤も、十五の時に学を志さなかった者の四十にして迷わぬ筈の無く、読み散らかすだけ、あるいは積ん読だけの年月が空しく過ぎていきました。そんなある日、ふと気づいたことがあります。ビジネスマン、あるいは組織人として培った目線で歴史を紐解くことには、本職の歴史研究家とはまた違った楽しみがあるのではないか、そしてそこには、ビジネスマンとしての日々が無駄にはならないばかりか、却って固有の意味を持つことになるのではないか、と。そうした私の妄想の結果産み出された物語が、本作なのです。

  

  「神君の遺言」は、私はコメディーだと思っています(キーワードには"シリアス"を選択しましたけれど……)。赤穂浪士は艱難辛苦を乗り越えてついには主君の仇を討った、という日本人なら恐らく誰でもが知っている勧善懲悪の王道ストーリーが元ネタです。ですが、幕閣目線でこれを描き直せば、実は赤穂浪士はお釈迦様の掌の上の孫悟空に過ぎなかった、という。そして、その幕閣自身ですら、実は大石や将軍綱吉に踊らされていた、あるいは少なくとも試されていた存在に過ぎなかった、という類のコメディーなのです。しかし同時に、読者はこうも気づくはずです。従来の王道ストーリーを楽しんできた後世の我々もまた、過去のストーリーテラーに踊らされている喜劇役者そのものではないのか……と。

  

 だって、普通に考えればそうでしょ?吉良上野介が浅野内匠頭に嘘を教えたって、吉良が得することなんか一つもありませんよね。というか、私が上司や指南役であれば、部下や後輩に嘘なんか教えませんって。だって、それで部下が失敗したら、怒られるのは私なんですよ。そんなことするくらいなら、全部自分でやっちゃうか、誰か別の部下に任せるか、それができなければ部下をみっちり仕込むか……賄賂が少なかったから嘘を教えたなんて、そんなリスキーなこと、少なくとも私にはできませんって(苛めるならもっと、蔭で目立たないところで、ネチネチと……とか??)だけどこの三百年、そんなストーリーが罷り通っているのです。そこが忠臣蔵の王道たる所以なのかもしれませんが、リアリティのフィルターを通して見れば、自ずと違う視野が開けるかもしれない。そんな楽しみ方も、歴史にはあるのではないか、と思っています。

 

 無論「江戸時代の武士は現代人とは価値観が異なるのだから、現代人の常識は通用しない」という反論があることもよく理解しています。また、歴史を解釈するのに、現代の価値観を以ってこれを判断するのは慎むべきである、という立場を私も支持します。ですから、過去の出来事の正邪、あるいは優劣を「判断」しようとまでは思わないのですが、それでも「人は何千年経っても相変わらない」部分だって確かにあると思うのです。この国の長い歴史には、邪馬台国、乙巳の変、義経伝説、本能寺の変……などなど、数多の「定説」や「謎」とされるものがあります。それらをリアリティのフィルターを通して私なりに解釈し直してみることができれば、そしてその楽しみを共有してもらえる人がいれば、大変楽しかろうと思っています。いつかそれが天命と知る……なんてことは無いかもしれませんが、またもし次の物語の楽しみも(書くことができれば)共有してもらえると幸いです。


 あと、よろしければ感想とかお寄せ頂けると嬉しいです(評価を付けて頂いたり、ブクマ登録して頂けるのも助かります)。


 個人的には漢字の使い方に拘ってみたりしました。例えば、「叶う」と「適う」と「敵う」はそれぞれ意味が違いますし、「恐れながら」と「畏れながら」は用法が異なるつもりです……なのですが、誤変換とかあれば、お知らせください。


 また、今回は「カタカナ語は一切使わない」という制約を設けて書いてみたつもりなのですが、そちらについてもご感想をお聞かせ頂ければありがたいです。今どきの日本語には英語他多くの西洋の言葉が使われていて、これらを一々日本語で表現し直すのは結構しんどい作業でした。例えば次のカタカナ語、みなさんならどのような日本語を充てますか?

・マニュアル

・インテリジェンス

・データ

・モチベーション

・リスク

・バランス


 回りくどい言い方になってしまったり、文章としてのスピード感を失わせる結果になっていたら、私の筆力の無さが故だと考えますが、しんどいとは言いながらも、良い言葉を見つけることができた時には嬉しいものでした。そんな言葉遊びも共有して頂ければ幸いです。


 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ