一七〇二年十一月晦日二十時 老中土屋相模守役宅
「全く、散々な目に合いました」
珍しく、天井裏から不機嫌そうな声が響いてくる。相変わらず手元の書から目を放さぬまま、土屋が問う。
「されど万事うまく運んだのであろう」
江戸に潜入している赤穂旧士達の懸案のひとつに、吉良邸の内部構造が分からないことがあった。そこで、旧士の内の一人岡野金右衛門というのが仲間内で評判の美青年で、その色男振りを以って吉良家女中の心を掴み、邸の絵図面を手に入れるという計画が立てられた。尤も、公儀としてはそのような危険な橋を渡らせるわけにはいかなかった。必死の形相で吉良邸の図面を欲しがる訛りの強い美男子を女中が不審に思えば、そこから赤穂旧士の計画が漏洩することもあり得る。というよりも、その危険性の方が大きかった。何しろ、仲間内では美青年とは言え、ここは華のお江戸である。その程度の美青年なら掃いて捨てるほどにもおる。しかも播州訛り丸出しでは、例え日ごろ男性に接する機会の少ない女中とは言えそこは江戸町民、これを口説くのは至難の業であろう。そこで軽に白羽の矢が立てられた。
「無論、無事岡野某に絵図面は漏らしましたが……」
逆に軽が吉良邸に潜入し女中の振りをして岡野を誘う、というのが土屋の立てた対抗策である。これが中々に難しい指令であった。なまじ簡単に絵図面を渡せば、却って疑われることであろう。いかにも気のあるような無いような、袖を振り振り口元を隠し、追えば逃げる逃げれば追う……これを短時日のうちに繰り替えし、いかにも岡野の美男子振りに惚れたかの体にて終いには褥に入る。肌を合わせるのとて、一夜や二夜にあらず。互いに警戒を緩めつつ、岡野がそろそろ本題を切り出す頃合を見計らい、驚き慌てふためき、それでも惚れた岡野のため……という体で図面を渡すのである。大石により始めて自らの女の部分を知った軽には、未だその道の手練手管など具わっているはずもなかった。
「くノ一の筒には毒が何とか申しておったが、その岡野とやらはよくその毒気にやられなかったものよ」
仲間内では「流石播州一の美男」などと誉めそやされ満更でも無い様子の岡野に、心底ではまこと毒でも盛ってやりたい気分を何とか抑え込んでいる軽である。土屋の軽口につい、老中に対するとは思えぬ言葉を発する。
「毒にも色々の毒があり。岡野に盛った毒は心を奪われるの毒。岡野は爾来軽を忘れられず、今や軽を疑う能わず。されど……お蔭でこちらは迷惑千万。赤穂の田舎侍は自分だけ良ければそれで良いと見え、未だにほとのあたりが疼く始末」
軽の珍しい冗句にこちらも珍しく手元の書から視線を外した土屋が、天井を見上げながら茶化す。
「ほぅ、それはさぞ難儀であったろう。さらばその毒、次は儂にも一服盛って貰おうか。大石を篭絡し岡野を手玉に取った軽殿自慢の毒を……なぁに心配は要らぬ、儂ならばもう少し優しく扱って進ぜよう」
「土屋様にはご冗談を……されど大石様のお心は……軽にも図りかねますゆえ」
最後の方は自身無さげな口調である。あるいは毒を盛られたのは軽の方ではあるまいか。そう言えば近頃の軽は、大石のことだけは様を付けて呼んでいるようである。くノ一とは言えまだ若い女性に、このような指令を与えるのは酷なのであろうか。しばしの思案の後土屋は、恐らく軽にとっては更に辛辣な指示を与える。
「うむ、しかしその岡野とやらの件、絵図面を渡したとて今しばしの間接触を続けよ。理由は……分かるな」
絵図面を手にした途端に軽が居なくなれば、岡野はどう思うであろう。いくら毒が効いているとは言え、与えずとも良い疑念を抱かせる元にもなりかねない。その危険を回避するためには、赤穂旧士が討ち入りを果たすまで、定期的に軽には岡野に接触を続けさせねばなるまい。
「大石様のお近くで他の男と……」
などとは言わず、軽は別のことを言った。
「その討ち入りの日取りについて、土屋様にご報告すべき儀がございます」
吉良はこのところ、自邸と実子綱憲の上杉邸を行ったり来たりすることが多く、月の半分ほどは上杉邸に寝所を構えているという。従って赤穂旧士と幕閣に共通する懸案のひとつは、いざ赤穂旧士討ち入りの際に果たして吉良が滞在しているか、という点であった。吉良の不在時に討ち入りなどしては、それこそ赤穂旧士は無駄死にである。如何にして吉良の屋敷滞在予定を掴むか。土屋が問う。
「うむ、何か妙案でもあるか?」
「さらば赤穂旧士のうちに大高源吾というものがあり、これが俳諧から茶の湯まで嗜む粋人にございまして」
大高源吾はこの年三十歳。昨年の刃傷事件の折には殿様に供奉して江戸に下っていたのが直ちに国許に戻り、以来大石恭順派として大石とともに行動してきた。大高は子葉という雅号を持ち多くの句を残した他、茶の湯では宗偏流茶道の開祖山田宗偏に師事している。
「吉良殿が屋敷滞在予定は、この山田宗偏殿を通して大高殿に知らせるが上策か、と」
事前には掴みにくい吉良の予定ではあるが、吉良が決まって自邸に滞在する日がある。それは、自邸で茶会を開催する日であった。そして茶会を催す際には必ず、千宗旦門下の兄弟子たる山田宗偏を招いている。
「すなわち宗偏殿であらば、吉良の自邸滞在の日取りを予め存じている、と申すか」
吉良の茶会に必ず招かれる宗偏が弟子の大高にそれとなく茶会の日取りを知らせれば、赤穂旧士一同が討ち入りの日を決することができよう。尤も、大高が宗偏に弟子入りし得た経緯には伊賀者の差配が裏で奏功している。すなわち大高が江戸に居を得た際、大家に扮した伊賀者が俳句の師として宝井其角を、また茶の湯の師として山田宗偏を紹介していたのであった。謂わばこれは、予めこれあるを見通した伊賀の長の布石である。無論、軽はそこまでの解説はせず、土屋の気づきに相槌を返すのみである。
「仰せの通り」
しばしの黙考の後、土屋は独語する。
「さらば小笠原殿にお願いするか。確か、宗偏殿は小笠原殿に召抱えられていたと聞く」
こうして公儀は、吉良が確実に自邸に滞在する日取りを掴み、それを蔭で赤穂旧士に知らせるための連絡役を作ることに成功すると同時に、後に当夜の正客として招かれた小笠原を以って吉良の退出を牽制させる手段を得ることになった。




