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[完結(全47話)]神君の遺言 ~忠臣蔵異伝:幕閣から見た赤穂事件~  作者: 勅使河原 俊盛
第八章 討ち入り
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一七〇一年十一月七日十六時 川崎平間村大石仮宅

 十月になって山科の居を発った大石は、直接江戸には入らず武蔵国川崎の平間村に仮宅を構え、ここから同士に指示を送ることとした。すなわちそれを覚書として明文化し、赤穂旧士一同に浸透させる。

 第一に、作戦目標を明示することであった。作戦目標の第一は吉良上野介であり第二は吉良義周である。但し、誰も上野介の顔を見知っておらず、他の者に紛れて打ち漏らすようなことがあってはならないため、討ち入った以上は男女の差別無く一人も打ち漏らしてはならぬことを理解させた。尤も、後に吉良義周は応戦の際に重傷を負ってそのまま昏倒するが、上野介の首を取られたがゆえに義周の方はそのまま捨て置かれてしまったため、首を取られずに済んだのではあるが。

 第二に討ち入りの刻限は午前四時と定められた。これは山鹿流兵法に従い払暁戦を期したものである。尤も、野戦における払暁戦であれば朝日を背に受けての奇襲でこちらの陣容を相手に覚らせないという効果も期待できるが、邸内討ち入りにあってはどうであろう。あるいは、本懐成就後の凱旋をご来光に祝福してもらうの意でもあったものか。

 第三に、討ち入りは表門隊と裏門隊に分かれることが定められた。表門隊は大石内蔵助直率。裏門隊は大石の嫡男大石主税を主将に、老将吉田忠左衛門がこれを補佐することとした。また奇襲攻撃のため、討ち入り開始の合図には鐘や太鼓はこれを用いず、晩七つの鐘を合図とすることを定めた。寺々の鐘が江戸市中に午前四時を知らせる頃、赤穂旧士は吉良邸に乗り込むことであろう。

 第四に、討ち入り時の装束を定めた。寝込みを襲うとは言え、当然熾烈な反撃が予想される。肌着には鎖帷子を用いて敵の斬撃に備えることとした。また黒小袖に股引脚絆を用いること、途中で人目に出会い誰何された場合には火消し方役人を詐称すること、などが定められた。

 第五に武器については、各々得意とする得物を用いて構わないこととされた。よって当夜は、槍を以って突く者もあれば弓を以って防ぐ者もおろう。

 堀部ら江戸急進派の面々は、ようやくにして大石が江戸に下ってきたことで、少しく安堵した。先の円山会議では大石自ら江戸に下ると定められたとは言え、あれから三月もの間大石は現れなかったのである。また先延ばしにでもするつもりではあるまいかという疑念が頭から離れず、こうして大石を江戸に迎えて始めて、堀部らは大石の真意が討ち入りにあることを実感する。この間多くの同士が脱落していった。大石がもっと早く動いてくれていればとの怨嗟も無いではないが、かくなる上は一日も早く、と大石の姿を認めれば改めて気が逸る堀部である。この日、改めて平間村の大石仮宅を訪ねて問う。

 「大石殿のこれまでのなさりよう、某としては決して納得し難い。されど今更申しても詮無きこと。上野介は近く米沢上杉家へ隠棲すべしとの江戸中の評判にもあらば、急ぎことを起こさねばその機を逃すべし」

 ことここに至って相変わらずの急進論である。堀部の気持ちは分かるが、それだけに慎重を期さねばなるまい。大石が諭すように答える。

 「堀部殿に我が意を容れてもらえぬとあらば、まことにもって某の不徳の致すところ。されどまずは上野介が屋敷に滞在する日に必ず討ち入らねば、我らが決死も犬死となろう。さらば亡君への報恩が叶わぬどころか、死して後悪名を受けるであろう」

 これまで何度繰り返してきたことか分からぬ議論である。無論堀部とてその程度の理は心得ているのだが、堀部の側からすればむしろ、未だに慎重論を唱え続ける大石の態度が歯痒くてしかたがない。仇敵は指呼の間に捉えられているのである。

 「なるほど大石殿の申されるはご尤も。されど最後は運を天に任せるの外に道なし。我が一身の名利を捨てて忠の一文字の元討ち入らば、必ずや天は我らが忠を義と認め給わん。さらば我等が本懐の成就するは必定」

 よほど気が昂ぶっているのか、最後は精神論である。無論、元より命を捨てるの覚悟になくば功成り難いであろう。その点において精神論も重要である。されど、これまで永きに渡り艱難に耐え周到に準備してきたにもかかわらず、最後の最後にあってその忍耐を欠き拙速に事を運んだがゆえに全てが水泡に帰したとあっては、亡き殿様の御霊も浮かばれぬであろう。大石は必死に堀部を諭す。

 「堀部殿の申されることも分かるが、迂闊に討ち入って却ってことを仕損じては、泉下の殿様のご令名を辱めるばかりなり。ここは自重し、能くその機を捉えて決すべし」

 分かっている。分かっているがしかし、どうにもならぬこともある。既に一年九ヶ月も待った。今ようやく大石も下ってきた。この後どれだけ待てと言うのか。あるいは一方で、本当は早くこんな気分から楽になりたかったのかもしれぬ。同士の中には永い浪人生活に飽き疲れた者も多くある。元より微禄の者も多ければ、待つことは別の形の死を強要する。同じ死ぬのであればせめて華々しく……唇をきっと噛み締め無言のままの堀部を見据える大石に、下級士族の生活の困窮までは理解できなかったかもしれない。所詮どこまで語り合っても、立場の違いを乗り越えることは不可能なのだ。それでも……今は同士が一心になる必要がある。そう考える大石は、堀部に提案する。

 「さらば、みなの心をまとめ必ず本懐を遂げるためにも、ここに改めて起請文を起こし、みなで血判するのはいかがであろう」

 そう言って大石は、起請文の文案を提示する。


 「一.冷光院様御為、讐敵吉良上野介同左兵衛義周討ち取るべき志これある侍ども申し合わせ候ところ、この節におよび大臆病の者ども変心退散仕る輩は撰び捨て、只今申し合わせ必死相極め候面々の者、ご霊魂ご照覧遊ばされるべきこと」

 「一.上野介屋敷へ押し込み候働きの儀、功の深浅これあるべからず、上州父子の印揚げ候者も警固一通の者も同然たるべし、然らば組み合わせ働き役好き事申すまじく候、尤も前後の争い存すべからず、衆議一味合体致し、如何様の働き役相当たり候とも、少しも難渋これあるまじきこと」

 「一.一味の各々存じ寄り申し出られ候ところ、自分の意情を含み、申妨げ申破り候儀これあるまじく候、何も理の当然に申し合わすべく候、かねて不快の心底これある人たりと雖も、働の節互いに助け合い、急を見継ぎ、勝利の全きところ専ら相勤むべきこと」

 「一.上野父子十分に討ち取り候とも、銘々一命遁かるべき覚悟これなき上は、一同に申し合わせ候て散り散りに罷りなり申すまじく候、手負の者これあり候とも、互いに助け合い、其場へ集まり申すべきこと」

 「右四箇条相背き候ときは、この一大事成就仕るべからず、凶瑞たるべし、然れば、相背くの者は、此度退散の大臆病者と同然たるべきこと、右相背くに於いては」

 「神文式目の如し」


 我らは神に誓って上野介父子を討ち取ることを申し合わせた。既に変心し退散した大臆病者とは異なり、必死を極めた。討ち入りの働きにおいてはその功に軽重の差なく、働き役を選り好みせず、私情を捨てること。上野介を討ち果たした後も散り散りにならず、互いに助け合って集合すること。これらの誓いを破る者は大臆病者と同然である。

 最終的に、大石を含めた四十七名が連名血判し、その他の者はここに謂うところの大臆病者に成り果てた。無論堀部を含む江戸急進派の面々もこれに従い血判する。ここまで来て仲間別れする必要はないのである。互いに意趣を含んではいるが、同じ目的を完遂するためには、まずは一心しなければならないであろう。ここでようやく、江戸急進派と大石恭順派の間の蟠りが少しだけ氷解した。尤も完全なる雪解けは、吉良の血の余にこれを為すものは無い。兎も角もここに大石は、地の利に引き続き人の和を得ることに成功した。

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