一七〇二年二月十五日十三時 山科大石邸
昨年十一月の江戸会議で決した通り、二月に入って同志の会合が持たれることとなった。但し、場所は先に示された京円山の地ではなく、山科の大石邸である。古今、会談の場所を設定した側が、その会談を優位に進めると謂われる。掛ける軸、焚く香、屏風の絵、それぞれに相手を心理的に誘導する仕込みを行えよう。大石は既に江戸急進派の一人高田郡兵衛が脱盟したことを歌留の報告により偵知している。会談の場所を変更した件について江戸側から何も申し入れが無いということは、高田の脱盟が相当江戸急進派の士気を消沈させていることの証左である。すなわち、自邸で会合を持つと設定し得た時点で既に、この会合の結論は大石に有利に働くはずであった。また、そうと覚ればこそ、堀部や奥田はこの会合には参加しなかった。あるいは彼らは、脱盟を宣言した高田の引き留め工作を最後まで試みていたのかもしれない。江戸急進派からは、かつては原惣右衛門とともに江戸急進派を鎮撫するために江戸へ下向しその後急進派に転向した潮田又之丞が、この会合に参加していた。
「みなには拙宅へのご足労、まことに痛み入る。こうしてまた申し合わせが叶う段、まことに重畳至極。まぁまずはごゆるりと」
茶菓なども運ばれ四方山話など始められては、潮田とてそれに付き合わざるを得まい。ましてや高田の脱盟により、急進派はその発言力を著しく弱くしてしまっているのだ。仮に強硬論を述べ、更には
「大学様お取立てなど身を庇うための言にてまことの忠節に非ず」
などの言を挙げたところで、
「そうこそ申しておった郡兵衛がおらぬようじゃが、其処許らも威勢がよいだけの無骨者にて、それではまことの忠臣とは呼べまい」
などと言い返されれば二の句が告げぬ。まこと口惜しいことであるが、ここはまず大石殿の出方を窺うよりあるまい。
この時、大石は一同を車座に座らせるような配慮をしていた。大石を筆頭に上方穏健派が南面し、対面するように江戸急進派が北面すれば、両派が対峙する構図を自ずと浮かび上がらせてしまうことであろう。一方で車座になればみなが輪になり和を保つ格好となる。堀部らは大石に対峙しこれに意を容れさせることが目的であるが、大石はこれを取り込み丸め込むのが目的。会談の目的が異なれば、配座も異なるのは自明であろう。
「さて某、此度我が室を実家に帰すことと相決した」
大石のこの一言は、この場の誰もが事前に想定していなかった発言であった。一体大石は何を言い出すのか。みなが思考を巡らす間もなく、大石が問う。
「この儀、みなにもよう分かって頂けるものと思うが……」
みなの表情に疑問が浮かぶのを眺めやった吉田忠左衛門が言を挙げる。吉田忠左衛門、この年六十三歳。赤穂藩にあっては長老格の兵法家であり、事件以来一貫した大石恭順派の代表格でもある。
「大石殿には奥方様をご実家に帰され、以って以降の働きをしやすく図るとのお考えにあるや」
大石は吉田の解題に満足そうに頷く。言外には、討ち入りをするからこそ妻を先に離別しておく、の意を含めてあるのだ。これに気づいた急進派は皆一様に納得するが、その実大石としては一言も討ち入りをするなどとの言質を取らせていない。この時の吉田はただ、以降の働きのためとのみ表現している。無論、働きという言葉にはお家再興運動も含まれるのは言うまでもない。これは全く吉田の、よく大石の意を見抜いた上での巧妙な表現であったろう。また一方で、このような表現が適うのも、自邸を会合の場に設定し得たからこそである。
「さらば、先にも申した通り、まずは大学様ご安否を見届け、その上でことを決したい。先年十一月の会議では今春三月を期すと決したことではあるが、未だ大学様ご安否定まらざれば、今しばらくはこれを待たん。各々方にもご異存なきや」
無論潮田は反論する。そうは言っても上野介は屋敷も替わり、十二月には隠居まで許されてしまっている。
「今や、仇敵上野はいつ国許に下がってもおかしくはない様相にあらば、急ぎことを決せねば未来永劫これを果たす能わず」
またもや議論が平行線を辿るのを見かねた吉田が仲裁する。
「潮田殿、大石殿にもそのことはよう分かっておられる。大石殿とて亡き殿様のご無念を晴らしたいとのご所存は同じ。されどまずはお家再興が第一。これを見届けるは、亡き殿様への不忠には当たらぬであろう?」
大石が言を継ぐ。
「いずれ閉門は三年の間を待たぬが慣例。さらば来春、殿様三回忌までにはこれも決されよう。みなの焦りも分かるが、ここはひとつ大学様安否を見届けたい」
そもそも山科で会合を行っている以上、この場には大石派の同士が圧倒的に多かった。数においてそもそも劣勢であり、かつ高田の脱落により意気消沈していた江戸急進派は、効果的な反論ができぬままその論を封じられる。結果として、この山科会議では以下のことが決せられた。すなわち長矩公三回忌までは様子を見ることと、一同の決を神に誓って連盟血書することである。こうして、堀部らの恐れていた決行延期が決議されてしまう。
後に江戸で会議の顛末を聞いた堀部らは
「上方において一決された上は是非も無し」
と言って神文を大石に差し出した。一体何度血判を繰り返せばよいのか。血書など一度差し出せばそれを違えようはずもないと考える堀部であったが、この時連名した者はおよそ八十名。先に赤穂にて神文を差し出した者のうち、盟を抜けてしまったものは既に十数名を数える。この先、時を待てばそれだけ脱落者も出るのではないか、そう考えると暗澹たる気分に陥る堀部である。返す返すも高田の脱盟が惜しい。




