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第四十七回

英雄百傑

第四十七回『静事精妙 弓弾軍滅 静かなる大反撃、一軍を裂く』


名瀞平野 南方


ミレムの味方陣を燃やす大火計の始まる前の事。

両軍入り乱れての激戦を繰り広げる最中を突き抜けて、

静かな南方の平野帯へ、密かにその静寂を貫く兵馬の足音がした。

鬼謀ソンプトの命を受けて進むトウサ将軍、カオウ将軍の6千の兵である。


「走れ!走れ!敵がソンプト様の策に気づく前に一気に兵糧庫を奪うのだ!」


声を張り上げる緑色の甲冑を着込んだ武将が一人。

ソンプトの部下、トウサが並ぶ兵達に向かって手をあげて指揮していた。

6千の兵達は、トウサの指揮にしたがって静かに進む。


「トウサ。そう急がんでも良いではないか。中央の戦の様子はステア将軍の軍団の活躍によって我が軍が優勢。それに、先に放った物見の報告では兵糧庫の敵兵は5百余り。我ら6千が一気にかかれば、あっという間に滅ぼせるわ」


横に居た緑色の甲冑を着る長身のカオウは、

余裕綽々と言った調子で低い声でトウサに話しかける。


「カオウ、わしは何か胸騒ぎがするのだ。ソンプト様の策から言えば、中央に敵が集中しているはず。それにしては敵が崩れるのが早すぎるのではないか?それに兵糧庫の守りが手薄すぎる…不気味だ」


「はっはっ、いつもの事だが、お主は気が小さい。小さいのは身長だけだと思っていたが、そうでもないようじゃな。なあに、鬼謀と呼ばれた我が主ソンプト様の策に間違いはない。そのような気の小ささでは大将は務まらんぞ」


トウサの焦り顔とは裏腹に、彼の良い友人である長身のカオウは

わざと見下すように、その弱弱しい友人の言動を笑った。

トウサは、カオウの言葉に耳を傾けながらも、その顔の緊張を解く事は無かった。

顔一面を塗りつぶし、滲み出るような不安を目にしてカオウは、

再び友人を鼓舞するように悪戯めいて、こう言った。


「ええい、いつまでもしょぼくれた顔をしおって、勝ち戦を前に女々しいぞトウサ。杞憂じゃ杞憂!全てはお主の小さな心が生み出した杞憂じゃ!今までソンプト様の命令で我らが負けた事などないじゃろう!よくよく考えよ!」


「……」


トウサは黙って馬の手綱を握り、腹を蹴って走らすと、

緑色の戦包は風にたなびいて流れるように浮き上がり、

その眼前に見え始めた、琵遥谷の反り立った岩壁に向かって走り始めた。


「ただの杞憂であれば良いのだが…」


ぽつんと呟いたトウサの思惑の後ろには、追いかけるカオウと

琶遥谷の官軍兵糧庫へ突き進む6千の兵が続いていった。



琶遥谷 官軍兵糧庫


ミレムの大火計が成功し、強い東風が吹き始めた頃。

大軍を養うのに必要な兵糧庫のある琶遥谷は騒然としていた。

琶遥谷と言っても、平野を貫くような高い岩壁がそりたっており、これが谷のように見えるからそう呼ばれているだけで、兵糧庫自体は平野伝いに設置されており、通常の陣屋と同じ作りであった。

左右を囲む岩壁は敵から攻められにくく、兵糧庫の前後は太い丸太の木柵で囲われ、白い幔幕の中の甕や壷には水や米、獣の肉が入っており、小麦や粟などの食物は麻袋に包まれて、そこら中に敷き置かれ、兵糧物資のその数たるや、万をゆうに超えるものであった。


岩壁の上。ゲユマと小弓隊3千の射手がそこには居た。

吹きすさび始めた東風の秋風にさらされながらも、風にたなびかんとする旗指物を何人もの兵士が覆いかぶさり必死に隠し、地上から敵に見えぬように兵は弓を持って寝転びながら待機し、寒さに耐えながら息を殺して潜んでいた。


「御大将!敵軍です!その距離9百歩!数は6千を超えるものと!」


声を発した物見の兵は、寒空の中、目を瞑りながら

悠然と報告を待って構えていた猛将ゲユマに敵の動きを逐一報告した。

ゲユマは報告を聞きながら、タクエンに言われた言葉を思い出していた。


「やはり来たか。その数は6千…中央に兵を割き、この兵糧庫の守り手が従来どおり1千程度であれば確実に落ちていただろう…流石タクエン殿の推察通りというわけか。やはりここが敵の狙う戦の主軸!ならば我が殿の勝利のため、見事守って見せようではないか!」


ゲユマは強い口調で呟くと、蒼い輝きを放つ自分の長弓を片手に立ち上がり、

吹きすさぶ烈風の中で、目をクワッと開き、寝転ぶ兵達へ目をやった。

その目を確認した兵達は、何も言わずすっくと立ち上がると、

手に持った小弓や旗指物を持ち、ゲユマの指示を待った。


「御大将!準備は出来ております!ささっ弓兵隊にご指示を!」


「うむ」


ゴツゴツと足場の悪い無骨な岩肌の上で、大きく息を吸い込むゲユマは次のように言った。


「皆の者!俺の言葉をよく聞け!もし敵が見えても迂闊に矢を放つな!いつものように寸前まで引き付けて良く狙い、敵を一網打尽にするのだ!敵は多いが、われらには地の利がある!その矢筒の矢で一人一殺…いや!一人十殺の精神でかかられよ!敵に我ら帝国の訓練された兵の力を見せてやろうぞ!」


「「「オーッ!!」」」


将兵の意気、盛んなりしは、天を貫くが物の如し。

ゲユマの指揮する兵士達を形容するにそれ以外の言葉は見当たらなかった。

兵士達の顔は強張り、張り詰めた指先の緊張感は真剣さを増した。

下界を横行する敵の動きを睨みつけるような鋭い眼差しで、逐一追うゲユマの顔も、兵士達のそれと同じような真剣さを含んでいた。



無言と緊張の空間に静寂が訪れる。

ただ東からくる烈風が、兵士達の思いを代弁するように吹き荒れる。

敵対する兵の数は倍、率いるのは何度も煮え湯を飲まされた四天王軍団。

自らに訪れるのは勝利という名の生か、はたまた敗北という名の死か…

そんな、無限とも思える問答を繰り返し、敵の来襲を待ち受ける将兵達。

徐々に止み始めた風に乗って運ばれる、上空の雲を見ながら、自らの命運を今か今かと待ち受けた。



そして…風が止んだ…!



ドドドドドドドッ!


「「「ワーーーッ!!」」」


その瞬間、無限とも思えた静寂を切り裂いて放たれた、

琶遥谷へと繋がる街道の境目から響く多くの足音と喚声!

トウサ、カオウ率いる6千の敵兵が一斉に兵糧庫目指して突撃を敢行したのだ!


「さあ!敵の兵糧庫を一気に奪うのだ!進めー!」


「わっはっは!官軍兵達の吼え面が目に浮かぶわ!」


ドドドドドドドドッ!!!


「「「ワーーーッ!!!!」」」


声を上げて自らの両刃の長剣を振り上げて馬を駆けるトウサとカオウ!

率いられた兵達も、鋭く尖った槍や剣を前へ前へと突き上げながら、顔を汗に滲ませ、鎧は音を立てて揺さぶられ、どの者も顔や眼は血の気に当てられ、蝋に灯された、ほとばしる火のように燃えるものがあった!



ギリッギリッ…!ギリッギリッ…!


「まだだ!まだ撃つな!兵糧庫の守りの手勢が見える場所まで、もっとひきつけて油断させよ!ここで撃てば今までの苦労が水の泡ぞ!」


静かに放たれたゲユマの声が、射手達の弓のしなりの音と重なる。

ゲユマは身を隠しながら左手を兵の前で水平に保ち、我慢をさせる。

射手達の手には限界とも思えるほど引っ張られた弦と、指で支える矢はすでに眼前に迫った敵兵をゆうに捉えており、放てば必殺の一撃となるほどの射程であった。

しかし、未だに下がらないゲユマの指揮の手に、射手達はだんだん苦悶の表情さえあげ始めていた。



ドドドドドドドッ!



敵軍の迫りくる突撃の速度はすさまじく、乾いた大地は蹴り上げられて土や砂利は白い砂埃となった空へ飛ぶほどであり、潜むゲユマの部隊とトウサ、カオウの部隊との距離はもう目と鼻の先、すでに5百歩を詰めるところとなった。

しかし、未だにゲユマの弓隊の動きはなかった。


「ほれ見ろ!トウサよ!お主の杞憂であったろう!」


「ああ。そうだなカオウ!ここまで近づかれて策も何もあったものではない。ははっ、やはりソンプト将軍の策は完璧であったということか!」


目の前に広がる無防備とも思える兵糧庫を前にしてカオウや、この策に一抹の不安を感じていたトウサの胸には、先ほどまでの憂いは消えてなくなっていた。

どの場所からも絶対に攻められることのない距離と、兵糧庫の薄い守り。

これ見よがしに見せ付けられたこの状況で、憂いなど感じる武将など居ない。


ギリッギリッ…!!ギリギリッッ…!!


しかし、これが最期の油断を誘う秘策。

これこそが猛将ゲユマの放った一計であったのだ!


「今だぁーーーッ!放てーーーッ!!!」


ヒュンヒュンヒュンヒュン!!!ビュウッビュウッビュウッビュウッ!!!


ゲユマの声を皮切りに一斉に放たれる矢のような雨!

射手が苦悶の表情を浮かべるほど、限界まで張り詰めた弦から放たれた矢が描く、強力な鋭さをもった直線は、あたかも千切れ雲から射す日輪の輝きの一閃のようであった!


ドスッドスドスドスドスドスドスドスッ!!!


「うお!矢…グワアッ!」

「うぎゃああああ!」

「ひ、ひぎゃあああ!」

「ぐぇっ!ぐぁっ!ぐぉっ!おぁっ!」


極々至近距離から放たれる強力の矢の威力はすさまじく!

兜や甲冑で武装した兵士達の急所を難なく貫き、頭、腕、足、胴など場所を選ばず、襲いくる矢に気づかずに眉間や心臓を射抜かれ絶命する者、ハリネズミのように全身に矢を受けて断末魔の声をあげて血まみれで死ぬ者が後を絶たなかった。

ゲユマの指揮する射手たちが撃ち放った一度の矢で命を散らした敵の数は、5百をゆうに超えるものであった。



「矢だと!どこからだッ!」


「杞憂などではなかった!や、やはり敵が潜んでいたのだカオウ!岩壁の上だ!」


トウサが指した指の先には、赤い甲冑姿のゲユマが誇らしげな顔を浮かべて、

岩に足をかけて悠然と構えて立っていた。


「わっはっはっは!ノコノコと現れたな四天王軍め!貴様等に何度も飲みたくもない煮え湯を飲まされたが、貴様等の策など、もう我らにはお見通しだ!それっ次の矢を放て!敵を撃滅せよっ!」


ヒュンヒュンヒュンヒュンッ!!ドスッドスドスッ!!


「ぎゃあああ!!」

「た、退却じゃ。にげ…ぐわあ!」

「邪魔だ!どけっ!どけというに!うぐぬぬぬ!!」


再び手を前にやると、ゲユマの後ろから1千人を超える射手たちの腕から放たれる無数の矢が再びカオウ、トウサの兵達を狙って放たれる!

襲い掛かる矢を前に兵糧庫に近づきすぎた前方の兵達は、皆逃げようとしても後方の兵が邪魔で逃げられず混乱した兵達によって将の指揮は聞けぬはおろか、隊列もバラバラとなり右往左往し始める有様であった。


上から眺めるゲユマの弓兵隊から見れば、それは格好の餌食であった!


ヒュンッヒュンッヒュンッ!!ドスッドスドスッドス!!!


逃げ惑う兵達に無常にも放たれる矢が、その数7千を数え始め、

重なるように絶命する兵士達の死体の数は大地を血の朱色で埋めた。


「ひいい!助けてくれー!俺はまだ死にたくない!」


「ええい逃げるな!四天王軍団として勇敢に戦え!誉れ高き四天王軍団として死んで名を残せれば良いではないか」


「そ、そんな四天王軍団なんてもうまっぴらだ!俺は逃げる!死ぬなら大将一人でやってくれ!」


「おのれ下郎め!まてっ!ええい…!」


陣頭で勇敢に指揮するカオウであったが、戦況は余りにも不利だった。

どの兵達の脳裏にも死という恐怖が蔓延し、その顔は攻めるときの血の気がすっかり引いており、すでに統率の取れる有様ではなかった。


「ぬうっ!!まとめきれんか…おおっトウサ!無事か!」


「ぐぬッ…カオウか…ぐ…!馬と腕をやられた…!」


雨が振るように続くゲユマ隊の矢の応酬をうけて、逃げ惑う兵士達をまとめようと必死になっていたトウサとカオウも流石に無事ではすまなかった。カオウの甲冑には折れた矢の先端が何本も突き刺さり、トウサは戦包に無数の穴と兜を失い、手には鋭い矢が突き刺さり、そこからおびただしい血液が流れ出る痕があった。


「部下の馬に乗れ!一度退いてソンプト様の策を聞こう、それにまだステア将軍の兵もいる。大局は崩れておらぬ!再度攻めかかれば官軍などいつもの様に…!」


「もっ、もう、無理だ。あ、あれをよく見よ…あれでは無理だ…」


傷ついたトウサが指差した先、奮迅するカオウの目の遠くに見えたのは

とどめた隊列もほどほどにミレムの火計に壊滅しかけた、ステアの軍勢であった。


「うおっ!?…ば、ばかな。あの旗印、そして甲冑の色…そ、そんな。勇猛のステア将軍が敗れただと…!し、信じられん!!」


「わかったなら逃げるんだ…ぜ、全軍…退却…退却ーッ!」


絶望感に歪むカオウの顔を見て、精一杯に大きな声をあげたトウサの号令と供に、散々にやられた四天王軍団の兵達は、一目散に逃げ出した。

命からがら怪我をして退却するトウサ、カオウに付き従う兵は、逃げる間に続々と隊列を抜け出し始め、率いていた6千の兵は影もなく。

守備するキュウジュウの陣につく頃には、僅か数十騎余りとなっていた。



「よし!皆ご苦労であった!これで大局は変わるはずだ!疲れた者はこの兵糧庫に残り!元気のある者2千は俺と供にキイ様の元へ向かうぞ!それっ!あと一息だ!皆、この合戦を最期まで耐え抜き頑張るのだ!」


「「「オーーーッ!!!」」」


ゲユマ達は盛り上がった岩壁を滑り降りると、疲れを知らない兵達は

腕の疲れなど忘れ、喚声をあげて名瀞平野の街道を進み始めた。


…ゴォォォォォッ!


いつの間にか、止んでいた東風は再び吹き始め、

突き進む兵達の背を押す追い風となっていた。

それはまるで、沸き立つ将兵の心を鼓舞するように吹くのであった。

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