第四十一回
英雄百傑
第四十一回『謀夫当怒 敗論常説 名謀、敗戦の理に龍を叱る』
帝国官軍と四天王軍の初戦、名瀞平野の戦は
終わってみれば攻め手であった官軍の圧倒的敗北であった。
兵数の違いもあったが、当初の目的であった一行三月陣の陣形は崩壊し
四天王ソンプトの軍略によって、あわや本陣を奪われる所であったことは
勝利に酔っていた官軍の兵達に少なからず動揺を与えた。
各所の陣の守りの要であったミレムの陣が、
四天王キュウジュウの軍に破壊されたことにより、
ステアの猛攻を立派に死守したオウセイの先頭の陣も、守り手を失い
挟撃される被害を恐れて、キレイの本陣への撤退を余儀なくされていたのだ。
日が沈み、夜の帳が辺りを完全に包む頃。
英名山の要害、四天王軍の居城である武青関、武赤関は
官軍撃破に酒宴が開かれ、どの者も主君ホウゲキを褒め称え、
四天王軍強しと盃を重ね、初戦の勝利に湧きかえっていた。
苦々しく、遠めでそれを見る官軍の兵士達。
振り返れば傷つき、敗れた将達が肩を落として本陣の幕舎に集まっていた。
四天王コブキに敗れた豪傑スワト、猛将ガンリョ、クエセル。
四天王キュウジュウに敗れた気運ミレム、知者ポウロ、ヒゴウ。
四天王ソンプトの鬼謀に敗れた龍将キレイ、猛将ゲユマ。
唯一、四天王ステアと引き分けたオウセイ、ドルアでさえ、数々の傷を負い、
率いられて撤退してきた2千余りの兵達も満身創痍であった。
危機を察して後詰めの軍を引き連れて現れたリョスウとタクエン
そしてタクエンにくっ付いて来た僧のジニアスは、敗北に傷つき、
自信を無くし始めた将兵達を見て、不安を感じながら
幕舎の中へと入っていった。
官軍本陣 幕舎
幕舎の中は敗北の鬱屈した空気に飲み込まれていた。
タクエンが幕舎に入って見て驚いたのは、立ち並ぶ将のどれもが
ガックリと肩を落とし、灯火の前で浮かない顔を下へ向けていた事だ。
「・・・(連戦連勝で上がった意気が、かえって敗戦の色を濃くしたか)」
タクエンは並ぶ将達を見ながら、心の中でそう思った。
戦の後となれば褒賞と手柄に必ず嬉々とするミレム、ポウロ、クエセル、
威風堂々と立ち、自分の武の誉れを喜ぶスワト、ゲユマ、ガンリョ、
いつもは自信満々な顔で迎える首座のキレイでさえ、その例外ではなかった。
場を見て不安を覚えながらリョスウが席につくと、
タクエンは一計を案じ、僧のジニアスを呼び耳元で何かを話した。
ジニアスは「判った」といった感じで頷くと、自席につく前に
わざとクチャクチャと口で音をたてて悪態をつき、そのまま
場にいる全員に聞こえるように、そう張ることもない大声でこう言った。
「へっ、名瀞にすすり泣く夜草の溜まり場か?ここはよ!人斬り侍も負けると、とたんにくだらねえ生き物になるなぁ!」
「むッ!いきなり出てきて無礼だぞ僧風情が!控えよジニアス!」
首座キレイの近くに座っていたゲユマが声を出す。
しかしジニアスは悪態をつきつつ、また言った。
「ケッ!いつもは偉そうに人を斬っただの殺しただの胸をはってわめく侍どもが、まったくどいつもこいつも、締りのない!だらしのねえ顔しやがって!」
「な、なんだと・・・!」
ジニアスの悪態ぶりは、ゲユマだけではなく、
沈むガンリョやミレム、ポウロなどにも苦々しく見え始めた。
しかしジニアスの言葉は終わらない。
「認めたくねえかもしれねえがな!てめえらはクソのように負けたんだよ!驕って、必死さを忘れて、惨めに負けたんだ!そこは認めなきゃならねえ!だがな、てめえらも一端に人斬りの商売をやってんだ!顔沈ませる前に目の前の戦が迫ってることを思い出せよ!」
「くっ…このお・・・」
ガリッ・・・ガリッ・・・ギュッ…ギュッ・・・
ジニアスの言葉を苦々しく聞き続ける将達。
イラだたしさは歯を軋ませ、握った拳からは血がでんばかりであった。
しかし、放たれたどの言葉も心に響くほど正論であり
諸将は反論できなかった。
そして、ジニアスは最期にこう言った。
「ハッ!少しは頭を切り替えろよボケども!!やい、そこの人斬り大将!てめえもそうだ!この前は自分が神だなんだと大言を吐いておきながら、合戦で負けたら小人のようにすくみあがりやがって!実に小せえ男だな!!」
ギチギチ・・・ッ!!
その言葉に父親キレツ譲りの癇癪持ちであるキレイは怒った!
それまで沈んでいた顔は血色を取り戻し、首筋は血管は浮き立ち、
目は見開いて釣りあがり、眉間は皺で埋もれ、それが幾重にも重なって
皺の溝は影を造るほど深くなり、アゴは張り、歯は軋み、
音を立てる口からもれるのは、怒気を孕んだ怒りの吐息であった。
「はっはっは!そうだな人斬り侍の大将がこれじゃ!負けて当たり前か!」
バンッ!
「おぉ!おのれ腐れ坊主!黙って聞いていればぬけぬけと!許せん!衛兵!こやつを侮辱の罪で捕らえ!そうそうに首をはね・・・」
座の前の机を思い切り叩くと、キレイは座を離れ立ちあがり
無礼な言葉を羅列するジニアスにググッと力強く指を指し、
ついに怒りは言葉となって幕舎を駆け抜けようとする・・・その時であった。
キレイの言葉を止めるべき手が一つ。
その主は、傷つきながらも、この場に居合わせたオウセイであった。
「若、落ち着きなされ。先ほど幕舎に入る時に拙者は見申した。おそらくジニアスの言葉は、負けに歪み、沈む我らの心を奮い起こさせるためのタクエンの策でしょう。しかし、ジニアスの言葉は至極真っ当です。もし彼に虚偽の罪があり、首を斬られるとするならば、我々も敗戦を喫した罪で首をはねられねばなりませんぞ」
「む、むむ…そうなのか…くっ、ジニアス。今度だけは許そう!早く席につけ!」
「ケッ、あんたも大変だな。オウセイさんよ、まったくご苦労なこったぜ」
キレイは言い放ち、用意された一杯の酒をグイッと煽ると、
首座にドカッと音を立てて座った。
その表情はいつもの冷静さを欠き、怒りや悔しさに歪み、
心は、さまざまな憤りを抱えて、頭は機能を失い、真っ白になっていた。
「若、どうされたのです。いつもの冷静さをもって会に臨みなされ」
とっさに出たオウセイの一言、その意味は理解はできたものの、
なぜ自分がこうも罵られねばならないのか、その悔しさに思わず
溜まりきった怒りの矛先をタクエンに向けて放った。
「むうううう!それにしてもタクエン!お主ほどの者が、恐将と名高いこの私になんたる無礼を行うのだ!このキレイを怒らせて何を利とするのか!説明せよ!」
ザッ・・・
ジニアスが席に座ったのを確認したタクエンは、
用意された酒の杯を持つと、キレイの前へ持っていった。
「こういうことにございます」
ポタッポタッ・・・ジョロジョロジョロ・・・ボタボタッ!
なんとタクエンは諸将の見守る中、キレイの前で、杯を右へ徐々に傾け、
中に入った酒を幕舎の下、つまり乾いた土の待つ大地に注いだのだ。
「なんのつもりだ…?タクエン!」
その光景にキレイの怒りは最高潮へと達した。
タクエンへと向けられたキレイの視線は
突き刺さる刃物のような睨みをギロリときかせ、
声は猛禽の動物の鳴く声の如く震え、低く響いた。
「………」
「酒を…地に!?」
「な、なにをしておる!」
「タクエン殿!」
黙るタクエンを尻目に、首座近くに居たゲユマや、
中央を囲んで配置されていたミレムやポウロ、
ドルアやガンリョ、クエセル達は目を開いて驚いたが、
諸将の中ただ一人。首座近くのオウセイだけは
驚かずに落ちる酒が全て無くなるまでタクエンを見ていた。
バンッ!!!
「答えよタクエン!なんのつもりかと聞いておるのだ!」
キレイは怒りに怒った。
机を蹴り上げ、胸倉を掴まんがばかりのキレイの勢いを見て
タクエンは冷ややかな目でキレイを見下し、らしからぬ凄みのある声で
キレイにこう言い放った。
「今ここにある杯が、我が軍のことだと気づきませぬか!」
「な、なに…!」
凄みを利かせたタクエンの言葉はキレイに響いた。
目の前で憤る自分を見下し、冷ややかな目で冷静に語るタクエンを見て
キレイは真っ白になった脳を硬い鈍器で殴られるような思いがした。
「私はいつもキレイ様に申しておりました。冷静であれ、驕ってはならぬ、と。それがどうでしょう。勝ち戦に驕って敵の能力もよく理解しないまま戦をしかけ、軍は被害をだし陣は奪われ負け戦。有能な将を持ちながら大将が侮って判断を誤る。杯が将、酒が兵、持つ手が大将だとすれば、この結果は杯を傾けて酒を大地に吸わせるが如き行いでしょう」
「・・・」
タクエンに言われ動かず黙ってしまったキレイを見て、
いてもたってもいられず、右手からゲユマが声をあげる。
「タクエン殿!たしかに結果として我らは負けました!しかし四天王軍を前に立派に戦いました!それに勝敗は兵家の常!勝つこともあれば負けることも有りましょう!」
「ゲユマ将軍。あなたはキレイ様の家臣として、将として付き従って何が大事と考えますか?ただ敵を倒し、将の首をとればいいのですか?こたびの戦で、あなたは的確な判断をもって兵を平野に中座せず、陣に帰る事を進言したと聞きます。だがキレイ様は聞かなかった。聞いていればオウセイ将軍の攻めの腱も失わず、そこから無尽に策を飛ばす事もできました」
「し、しかしそれは…主君の・・・」
「キレイ様は有能だが若い。だから間違えもする。間違っていると思えば、その時に体を張ってでも諌めるのが真の家臣であり将であろう!違うのか!」
「うう…」
ゲユマは言い返せず、押し黙ったまま、力なく下を向いた。
それを見て、庇うようにクエセルが声をあげた。
「やい!聞いてれば知識ぶって、立派に戦った将を蔑むとはなんだ!このやろう!戦ったのは俺達だ!お前じゃない!結果を見て話をするな!」
「だまらっしゃい!!」
タクエンは声を張り上げて、腕を横へと動かして
手をスッとさしだし、一指し指をグイッと突き出すとクエセルに向けた。
クエセルはその態度に怒りを露にした。
「なんだと!」
「お主やガンリョ、それにスワトはオウセイの陣の守兵として動いていたというのに、陣を放棄して守ることもせず、考えもなしに敵に追撃をかけて、待ち伏せた四天王コブキの力を見誤り、勇敢な野賊の兵達をあたら無碍に殺してしまったではないか!」
「そ、それは…」
クエセルはタクエンの言葉に何も言い返せなかった。
しかし今度はそれを庇うようにガンリョが立って物申した。
「しかし!豪傑のスワト殿すら適わなかった、あのような相手に我等がどうかできましょうや!戦いを生業とする武人に逃げよと申されるか!」
「そういうのを匹夫の勇というのだ!引き際を知るのは将の勤めであろう!」
「むむむ・・・」
ガンリョは隣に座っていた敗北に沈むスワトを見ながら、
剣も合わせずに引き返した自分を考え、タクエンへ言い返す言葉が出なかった。
「それにミレム将軍!」
「は、はい」
「守陣を奪われたとはいえ、キュウジュウの大軍団を察知して、最終的に本陣を無傷の兵で守った功績は大きい。あなたのような将がキレイ様の横につけば、我が軍も敗北する事は無かったでしょう」
「え?てっきり怒られると思いましたが。そ、そういわれるとなんだか照れますなあ」
「しかし守るべき陣に兵を残さず抜け出した罪は重い!将として反省しなされ!」
「え、ええ、ああ、はい」
ミレムは褒められたと思った後に怒られたことが理解できなかった。
横に座るポウロ、ヒゴウはミレムの対応に面食らったように下を向いていた。
ダッ…
皆が沈む顔を浮かべてタクエンの言葉を聞くその時、
首座のキレイが立ち上がった。
「もうよい…わかった。タクエン。今、私は冷静になった。もう将達を蔑むことをやめてくれ。タクエンに言われる中で私は理解した。全ての将への蔑みは大将である、この私の驕りが原因であると」
キレイの顔は、さっきの赤みが抜け、むしろ青ざめていたが
口調の震えは直り、すっかり冷静さを取り戻していた。
「やっとお分かりになられましたか。それでこそ我が君。かかる臣タクエンの無礼はお許しを…」
そういうとタクエンは、キレイに向かって
グイッと両の手を中央であわせ、深深と礼をした。
ジィ…
キレイはそれを見て、信頼する股肱の将オウセイに目をやった。
オウセイはキレイの視線に気づくと、その擦り傷がついた顔で
目を閉じ、小さくニコリと笑い、再び無言で前を向いた。
キレイはそれを見て、再び自分の中に湧き上がる自信を感じ取っていた。
そして、その心の回復の手始めに、諸将に向けて揚々と言葉を放った。
「敵の四天王の強大な力を侮り、有能な将を持ちながら急いて戦をしてしまった。それはタクエンが言ったように、まさに傾杯の酒を地にたらすような無益なものであった。能有る諸将よ。私が驕り、その油断を突かれ判断を誤ったことを許してくれ。今、諸君らの前で私は誓おう、驕りを抱き、二度とこのような敗北を喫する事のないように!」
キレイの勇壮で真摯な言葉に、将兵達は沈んでいた顔をあげた。
夏の夜風に包まれる官軍の陣、その幕舎の夜は長く、
灯火は煌き、多くの影は動き、言葉は消えず、その軍儀は
まだまだ続くようであった。




