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第三十八回

英雄百傑

第三十八回『天豪地傑 兵情将平 百烈の黒衣、英名の山道に翻る』


英名山 武赤関への山道


陽は東の空を超えて真上へ昇り、辺りは吹く風と供に真夏の気配を帯びる。


「はぁはぁ…」

「ヒィヒィ…」

「ううう…み、みずを…」


逃げに逃げて英名山の山道へと差し掛かったステアの軍だったが、

退却するステアの兵達の頭上には容赦なくギラギラと照りつける太陽が存在し、

ただでさえ走って熱の篭っている兵達の鎧兜をこれでもかと暑く熱した。

兵はどれも全身から油汗をかき、噴出す汗は足取りを重くさせ

どの者も平静を保つものはおらず、身を守る甲冑を脱ぐものや

手足をついて赤子のように進むような者までいるありさまであった。


「ひぃはぁ…お、おーい、や、山道をこえればすぐ関だぁぞ…」

「ひぃひぃ…夜中ずっと走らされてつかれたというのに、まだのぼるのか!」

「だ、だめだー、おらはもう一歩も、あ、あるけねーだよ」


逃げるステアの軍から兵達の不満の声があがる。

深夜から山を駆け下り、敵兵とぶつかっては走りっぱなしのステアの兵、

いくらステア率いる強兵であっても、眠りもせず走り、戦の疲れもそのままに

小高い山道を進むとすれば、誰でも不満の声があがるものだ。


「おまんら!あとちょいで関じゃあ!動けん動けんと弱音いうまえに、足動かさんか!足ば千切れやせんもんじゃ!がんばるでゴワス!」


しかし、流石のステアの指揮も暑さと疲れで士気の下がる

兵達の足を速めるには至らなかった。


ダッダッダッダッダッ!


そこへ関のある山の手の道から一騎の部将が駆け込んでくる。


「御大将ッ!ステア様ーッ!」


やってきたのは関の守りを任せたステアの副官である。

副官は急いでステアのほうへ駆け寄ると、声をあげて進言した。


「先行したステア様を心配して、半刻(1時間)前より別路から四天王コブキ様が1千の兵とともに関から名瀞平野へと出陣いたされました!」


「おお!コブキ将軍の兵でゴワスか!それは頼もしか!」


その伝令に喜ぶステアであったが、

やってきた副官は、喜ぶステアの後ろの兵を見て不安を感じた。


すでに山道の中腹まで来たというのに、不平不満を言い出している

兵達の多くは歩くのも精一杯、確認すれば兵の後ろには声が聞こえ

休憩などすれば官軍の兵が猛追で迫ってくるかもしれない。

ここで高家四天王の一人であるステアが討たれては一大事と思って

副官はステアに続けて、耳打ちをするように小さな声で進言した。


「ステア様!ちと、お耳を………この暑さで兵達が不平不満を言い出し、その足も遅いようです…。ここは我々だけで先行して退却し…足の遅い兵はここに置いてゆきましょう…。なあに…コブキ将軍の兵がくれば、こんな兵など居なくとも…敵の軍を蹴散らしてくれるでしょう…、…三軍は得やすく一将は得にくいといいますし…しょせん我等の手ごまである兵達を置いても…それは将ならば誰でもやること。たとえ敵に倒されても…恨まれますまい…」


この言葉を耳で聞いたステアは目をカッと見開き

今まで穏やかだった顔がいきなり強張り、副官の顔を見て

眉をひそめ、不快感を露にして、こう言った。


「きさん…今なんちゅった?おい!!!おいの副官とて今ん言葉はゆるさんぞ!きさんは殿(しんがり)で未だ戦う兵のことば知って、そんこと喋っておるんか!!きさんは、まず馬を降りて、走りまわって戦ってくれちょる兵の恩ば知れ!」


ガッ!ドサッ!!


ステアはクワッと見開いた目とアゴを引いて不愉快な形相を浮かべると、

手に持った鬼鉄棍で素早く横へ一突きし、進言をした副官を落馬させた。


「え!?うげ!?」


「そん義も恩も知らんもんがおいの配下とは情けなか!おんは歩いて山を登り!兵らの苦労を額に汗して感じて走るがよかっ!それ!誰か!一番弱っちょる兵をこん馬にのせるでゴワス!」


ステアは大声を発すると副官を再度睨み、

自らについてくる兵達の前で副官を罵った。

そして、今まで副官の乗っていた馬に、ひときわ弱った自分の兵を乗せると、

ついには自分の馬をも兵に与え、再び関への山道を急いだ。


先を行くステアの顔には、裏の無い真剣な眼差しの光があった。

後方には自分達の退路を守ろうと、元気の余っているものが

死をもいとわず、敵の兵を食い止めるために殿(しんがり)役を買っているのに、

先行して逃げている者が、それを見捨てるような事を言うのが

自分の副官でありながらステアは許せなかったのだ。


名将揃いの四天王軍団の中でも義に篤い漢ステア…

猛き人物であるがゆえの失敗もあるが、将兵一丸のその信念は

将である前に人として、実に立派なものであった。

たとえ命のかかった退却中であっても、この行動は、

疲れた兵達の目に燦然と輝き、将兵の間柄にある忠誠心を響かせた。


「おお…なんと慈悲深い御大将じゃ」

「自ら馬を降りあのようなことを…御大将!」

「歩けぬなどと言っていたわし達は恥ずかしい…」

「みな!御大将についてゆくぞ!」


「「「オーッ!」」」


ステアへの忠節を胸に誓い、その引き締められた心によって、

兵達は疲れながらも、足を山道に向け再び動かし始めた。

いつの間にか、軍のどの兵達も不平不満を言わなくなっていた。



名瀞平野 英名山の麓前


一方その頃、ステア軍の殿部隊と交戦していたスワト隊は、

後方のガンリョ、クエセルの軍団と協力し、ステアの殿軍を

豪傑たるその力を用いた猛追撃で打ち破っていった。


スワトの撃剣隊5百、ガンリョの槍隊5百、クエセルの野賊隊1千は、

ステアの最後部を守る殿(しんがり)の軍をあらかた破ると

名瀞平野の切れ目、英名山の麓へと差し掛かった。


「へへっ、あらかた片付きましたぜ。さっ次に参りましょうや」


「おう!追撃して敵に大打撃をあたえてやろうじゃないか!槍隊進撃じゃあ!」


「それがしの兵が攻め遅れてはならん!進撃ーッ!」


ドドドドドドッ!


三隊は敵軍が逃げる英名山へ向かって直進した。

兵を打ち破ってもなお、まだ意気、精気が衰えない三隊は

ついに山の手の山道を登り始めた。



ザッ…ザッ…!


その時、進む三隊の行く手を遮るように、山道の中腹に

一人の男が何をするでもなく歩いてきた。

背格好は普通の人なれど、全身を覆う際立った黒白色を保つ異彩のいでたち。

頭部の全てを覆う特徴的な形の黒い兜、そこから長くたらした黒い戦包に

包まるように少々見える白い色の甲冑。

その背後に見える、黒布に隠された巨大な十字の物体。


ガシャッ…ガシャッ…ガシャッ…


足が浮いて地に落ちるたときの重音…

張り合わせた金属と金属の板が重なって鳴るような、

そんな音と供に男の一歩が進む。


男から放たれる異様な緊張感は、スワトやガンリョ達の足を一瞬とめたが

流石に一人の男に千や二千の男達が止まるわけにも行かず、ついにクエセルが

端を発して野賊部隊を進撃させた!


「へへっ、この戦の最中どこの乱痴気もんだろうな!やい、おまえ道をあけろッ!首をとられてもしらねえぞ!おまえら!さっさとたたんじまえ!」


「「「へい!合点承知!」」」


クエセルの声と同時に、屈強な野賊達が斧を持ち

10人程度で編成を組むと、その多勢を頼みに進む勢いを

黒衣の男のほうに向けた!


「へへへっ、ちびって声もあがらねえか臆病者!」

「だんまりして、すかした野郎だ!きにくわねえ!やっちまえ!」

「首ひとつで1金の約束だ!誰だろうとかまうめえ!!」


ドドドドドドドッ…!!


「…」


男は黙ったまま、目の前に迫る斧を持った屈強な男達の群れを見て、

風になびくように黒い戦包を少し動かした…その次の瞬間であった!



ガシュッ!!!!ダッダッダッダッダッ!!!!!



鋭い勢いで虚空に放たれた無数の影、それは狙いつけたように

黒布の中を飛び出し、野賊の兵達に向かった!


ヒュッヒュッ!ドスッ!ドスッ!ドスッ!


「ひっ!な、なんだあ…ギャボアアアーッッ!」

「うべべべべえッ!」

「いぎゃあああ!うごごぉぉぺぺぺぺっ!」


ガシュッ!ヒュッヒュッヒュッ!


ドスッッ!ドスッ!ドスドスドスッ!!


たなびく黒い衣から放たれる鋭い無数の鏃の閃光!

鋭利な物体は、動物の皮を重ね合わせた野賊特有の硬い皮鎧をも貫通し、

筋骨隆々の屈強な肉体をも突き破ってもなお放たれ続ける弾幕!

風を切り裂き、虚空を駆け、放たれる無数の豪の矢!矢!矢!


ドスッドスドスッ!!


「ぐああ!ぎゃああ!ぎゃあああああ!!」


目、口、胴、足、痛覚を覚える野賊達の悲鳴が山を木霊する。

しかし、断末魔をあげる暇もなく、男の黒布から放たれる

無数の矢を全身に受け、攻めかかった一群の数十人はあっという間に

ハリネズミのような体を晒して絶命した。



ガシュ…ガキッッ!カラカラカラカラ…


「…」


男の衣の中から何かが止まる音と、回転する音が聞こえると、

野賊を貫く恐ろしい矢の閃光は、いつの間にか止まっていた。


ゴォォォォ…


うめき苦しむ悲鳴が止み、静寂と熱風が山道を駆け抜けると、

スワト、ガンリョ、クエセルの前には驚くべきことが起きていた。

今まで意気揚々と攻めかかった野賊兵達が、一瞬にして

目の前で針の山と化したのだ。


「ば、ばかな!あの屈強な兵達がなんということだ!」


死屍累々の惨状を見て、ガンリョは夏の暑い時期でありながら、

思わず甲冑越しに冷やりとしたものを感じ、握った槍の手のひらには

汗をかいていた。


「ち、ちっ!やろう!やりやがったな!だが今の音、俺は聞き逃しやしないぜ!今のはおそらく矢の切れた音だ!やいおまえら、さっさと奴を取り囲んでのしちまえ!」


「「「へ、へい!!」」」


ザッ…ザッ…!


慎重に歩を進める野賊達。

クエセルの言ったとおり、男に近づいても鋭い矢が飛ぶ事はなかった。

今度は前にもました20人ほどの屈強な野賊が、黒衣の男を取り囲み

ヒュッヒュッと斧を振り回し、男の隙を狙っていまかいまかと目をギラつかせた。


ゴォォォォォッ…


山の手の熱風吹きすさぶ中、今度はピクリとも動かなくなった黒衣の男。

すると、それを取り囲む野賊の一人が、しびれをきらして男に襲い掛かった!


「へっ!しにやがれ!!」


ブンッ!!


後ろに迫る鋭い斧の切っ先が、真っ直ぐに黒衣の男の頭を捉え

黒衣の男の兜に当たるかどうかという瞬間であった!



「…自ずと死を理解するのは、きっと悲しいことなのだろうな…」


ガンッ!!!!ヒュゥッ!!ブワッ!!ガシュッ!!!


黒衣の男は大地を蹴り上げ、見事な跳躍力で横に移動し、

野賊の斧を寸前で避けると、その勢いで黒い戦包と衣を翻して、

内部の白の甲冑の腕部から短く細い平らな剣を両手に取り出した。


「え、え…腕から…ぶ…?」


ビシュッ!ドカッ!!


男の黒衣の翻りが地につかぬ前に、素早い一閃が風を斬った。

その風と供に、肉のちぎれる音と、野賊の首が空を舞った。


「こ、このやろ…」


カッ!!ビシュッ!ドカッ!!!


近くにいた野賊の兵が斧を差し向ける前に、

男は勢いもそのままに、右手に持った短剣を

クイッと前に突き出すと見事な太刀筋を野賊に放った。

今度は、斧を持った兵の腕と顔半分が、グシャッと音をたてながら山道を転んだ。


「やりやが…」

「てめえこ…」

「ちくしょ…」


ダッ!!!


黒衣の男は野賊兵達が言い切る前に、またも見事な跳躍を行い、

勢いもろとも正面を囲む野賊の兵に近づくと、両手の剣が再び空を裂いた。


カッ!カッ!カッ!

ビシュッ!ビシュッ!ビシュッ!

ドカッ!ドカッ!ドカッ!


黒衣の男の前がつぶさに聞こえる音とともに朱に滲む。

まるで見事な剣舞でも見るような無駄のない連続技の数々。

まずは顔面に叩きつけるような右剣の正面突き、次に甲冑ごと腕を切り落とす左剣の下段払い斬り、反転する勢いを利用して抜いた右剣を相手の首筋にくぐらせ喉下の動脈を掻っ切る背面削ぎ斬り、そのまま流れるように体を移動させて、隣の兵の手首を一刀両断にする水平断ち斬り…。


そのどれもが人体の急所を狙いすまし、

繰り出す一太刀、その一太刀が必殺の技であった。


ビシュッ!ブシュゥゥーッ!


黒衣の内側の白い甲冑が朱に染まるまでに時間はかからなかった。

およそ周りを取り囲む20の兵は、どれも剣を急所に一撃二撃受けて

声を上げるまでもなく、山道の土の上に血を流しながら絶命し、倒れこんだ。


ゴォォォォォ…


「…」


熱風と供にただ黙って、死体の真ん中にたたずむ男。

翻って直す黒衣には野賊達の流した赤い流血の線がまとわりつくように

べったりと付着し、その朱に濁った水滴をたらしていた。


ゴォォォォッ!


「ち、ちくしょう!俺の部下達をよくもやりやがったな!」


多数の部下を殺され、怒りを露にするクエセルは

思わず部下達の死体の真ん中に立つ男に叫んだ。

すると黒衣の男は、不動の口を一瞬開いて、クエセルに向かって呟いた。


「…そうか、お前は怒っているのだな?…部下を殺されると怒りがわくものなのだろうな…」


「何を当たり前のことをいってんだ!てめえ!おちょくってるのか!!!」


静かに放たれた黒衣の男の発言にクエセルは再び怒った!

今にも男の前に飛びかかろうとするクエセルだったが、

飛び掛ろうとする寸前でガンリョがとめた。


「ま、待てクエセル!奴の太刀筋、そして人間の『それ』を遥かに超えた動き…おそらく一朝一夕の腕と技ではない!なめてかかればお前も死ぬぞ!取り囲んだ兵を、ああも簡単に…あんなやつはわしも見たことがない…敵の手練の猛者だとしても何者だ…?これでは兵の者も怖気づいてしまうぞ…どうする…」


技、武、動、気、そのどれもが今までに遭遇した猛者達の能力のそれを

遥かに逸脱したものであったため、ガンリョ、クエセルといった

猛将の二人でさえ、顔に冷や汗をかき、やすやすと手を出せなかった。



…ゴォォォォッ!!


「………」


再び吹く熱風と供に、両手の剣を甲冑にしまう黒衣の男。

数十歩の場所に対峙しながら、まるで壁が置かれたように

進むに進めない三隊の士気は、目の前の惨状にガクッと下がっていた。



しかし、その時であった。



ブゥンッ!!!



山道に吹く熱風の最中にあって、その風を、空を、気を断ち切るように、

中段から横なぎにスッと払った巨大な大薙刀が、熱風をその巨体に巻き込んだ。

ここに一人、黒衣の男を前にして、怖気づかない豪傑が一人いた。




「我ら将が怖気づいてどうするでござる!このスワト、敵がいかなる強敵でも、忠義の兵に相対するなら、戦うのが武人の勤めと思ってござる!あの黒衣の者、それがしにお任せあれ!」




熱風を斬った大薙刀と供に、颯爽と隊列を抜け出したのは

当代の豪傑と謳われた猛将のスワトであった。

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