エピローグ
私が社長さんを玲一、と呼ぶようになった頃。
私は彼と結婚した。
会場は食堂で、常連客に囲まれてやった。
最初の方こそおめでとうと友人知人に囲まれたが、やがて酔っ払いに囲まれた。
その頃と同じくして、玲一さんは社長に戻ることになった。
彼が推薦した叔父さんが更迭されたからだ。
なんでも、あまりにも自分の思うようにできず会社のお金をこっそり拝借していたのがすぐにバレたらしい。
お粗末過ぎる顛末に私は同情すら抱いたが、黒川本家に我々夫婦の拠点を移すことになって私は戦々恐々となった。
案の定、黒川本家は妖怪の巣窟であった。
嫌味と嫉妬、蔑視の応酬はもはや日常茶飯事で、彼らはそれがなくては息もできないようだったが、こういうものは社会では当たり前だ。
しかし中でも酷かったのは玲一さんの義母にあたる人の厭味だった。
姑というものに憧れでもあったのかというほど、彼女は私に辛くあたった。それは、玲一さんの父からの愛情を受けられなかったことによる嫉妬やら何やらが混ざった怨念にも似たものだったらしく、人間はつくづく度し難いほど愚かで醜い生き物だと知った。
まぁ、そんな人もたまに居る。
そういう人は当たらず触らないで祀っておけばいい。
そんな母のアドバイスは的確だった。
玲一さんの助けもあって、神様のごとく奉っているとある日義母からの厭味がすっきりと無くなったのである。
ケチらなかったお供えが功を奏したのか。
その頃から、玲一さんは豆腐屋への復帰を果たすことができるようになった。
忙しい社長業と私への黒川本家の風当たりが激しい中では、いくら彼でも豆腐屋を兼ねることはできなかったのである。
第一子を身ごもっていた私は里帰りと称して本家を出て実家へ帰り、出産後も私は食堂の娘として働いた。
社長夫人業は確かに大変なものだったが、いつも誰かが助けてくれると思えばできないことではなかったし、二人目の子供を身ごもる頃には私は一応の社長夫人として成り立つようになっていた。
母は強いのである。
子供の方も、父の豆腐屋と母の食堂を行き来しては遊び回り、妖怪の巣窟である黒川本家も縦横無尽に暴れ回って、厳格な曾祖父や曾祖母を困らせ、厭世的な祖母をあっけらかんとけなしては怒らせて、私たちの手も散々に焼かせた。
子供は台風で出来ているに違いない。
そんな忙しい私だが、時間が出来れば子供と旦那を連れて遊びに出掛けることにしている。
今日は商店街の近くの公園で子供たちが暴れ回っているのをのんびりと夫婦で見守っていた。
「……元気だねぇ」
二人して小さなブランコに乗って、ゆらゆらと揺れていると一向に容色衰えない旦那様がのんびりと言う。
休日のお父さんといった様子でポロシャツにチノパン姿だというのにすらりとした体型はまったく変わらない。この玲一さんという人は本当に憎らしい人だ。
いつだったか。
彼が言うにはこの公園で私が中学生の彼をナンパしたらしい。
自分のことながらマセた女の子だ。
それでも彼はとても嬉しかったと幸せそうに話すのだから、それでいいのだろう。
苦しいことも悲しいこともたくさんあるのに、楽しいことばかり思い出せるのは何故だろう。
それが幸せなのだろうか。
「玲一さん」
すっかり呼び慣れたというのに、この人はどうしてそう嬉しそうに振り返るのか。
増えたシワは笑い皺じゃないのか。
(ああ、そうね)
きっと、私の顔も彼と同じなのだろう。
「そろそろ日も暮れるし、帰ろうか」
ブランコから立ち上がると、遅れて立った旦那様が「そうだね」とくすくす笑う。
なんだろう、と振り返ると彼は笑みを深めて甘く囁いた。
「お腹が空いたね。花」
そうね、と頷いてみるものの何がそんなにおかしいのか。
まぁ、いいかと子供に呼びかけると、我が家の子鬼たちがわらわらと帰ってくる。
「あ、そうだ」
今度は私が旦那を振り返ると彼は穏やかに微笑んだ。
「今日はごちそうだから。楽しみにしててね」
今日はちょっと特別だ。
父も久しぶりに腕を奮ってくれるらしい。
味噌汁、トンカツ、メンチカツ。
唐揚げ、カレーにサバ煮込み。
食堂メニューのオンパレード。
最後のメインは私が作る、彼の好物の揚げ出し豆腐。
私と彼の幸せの味である。
おしまい
お疲れさまでした。