19-1 団結パラノイア
久しぶりの本編なので簡単に登場人物をおさらいします。
エイン:主人公。とても友達想いで、権力には決して屈さない。弱きを助け強きを挫く正義の味方。しかし、その善良な性格が災いして二度も学校を追放されたり、逮捕されたり、死刑になったりなど理不尽な目に合う。
フレッド:エインの親友だが、まるで対照的な性格で遵法意識も薄い。無断で学校をサボって里帰りする、その道中で無抵抗の人間を洗脳する、敵国と内通して自国の軍事作戦を妨害する等、とんでもない悪事を働く。
ネズミ:哺乳類
全ての始まりは、妹のミリーからの手紙だった。
『お兄ちゃん、助けて』
その一文を見て、僕は故郷のエクス村へ向かうことを決めた。エイン君が「行ってやれよ」と背中を押してくれたのだ。
村は王国軍に占拠されていた。家も畑も奪われ、村人たちは避難生活を強いられていた。国境近くで見つかった鉄鉱山をめぐり、王国と帝国の対立に巻き込まれたのだ。
エイン君と協力して、なんとか王国軍を追い出すことはできた。村に平和が戻り、父さんも母さんもミリーも、村の人たちも心から喜んでくれた。
帝国の将軍は、協力の見返りとして僕たちに褒美を約束してくれた。エイン君には学校復帰のための手立てを、僕には王国軍に奪われた村の物資の補填を──。
そこまでは良かった。
(……学校、どうしよう)
僕は一週間以上、無断で授業を休んでいる。ミリーの手紙を受け取ったあの日、誰にも告げず、許可も取らず、ただ村へ向かった。
まずい。かなりまずい。
家族に惜しまれながらも、僕たちは王都への帰路を急いだ。
◆
馬車が揺れる。窓の外に、見慣れた風景が流れていく。
エイン君は王都のホテルに滞在しているらしい。学校復帰のための書類手続きや、帝国との連絡調整に時間がかかるとのことだった。
(エイン君はうまくやったな……)
僕も留学生の身分をもらっておけばよかったかな、なんて考えてしまう。けれど、すぐに首を振った。今さらどうにもならない。
そんなことを考えているうちに、やがて魔法学校が見えてきた。僕は馬車を降り、御者さんに礼を言う。
そして、門の前に立った。高くそびえる鉄の門。いつも通っていたはずなのに、今日は妙に重々しく見えた。
(エイン君は退学になったけど……今度は僕が退学、なんてことにならないよね?)
深呼吸をする。
僕は覚悟を決め、門をくぐった。
◆
その瞬間、空気が違った。
肌を撫でる風の温度。木々の葉が擦れる音。石畳に落ちる自分の足音。全てがいつも通りのはずなのに、何かが違う。
(……静かすぎる)
昼休みの時間帯ではない。けれど、日中の学校なら、もっと生徒たちの声が聞こえてくるはずだった。
廊下を走る足音。窓から漏れる話し声。遠くから聞こえる笑い声。そういった学校特有の喧騒が、まったくない。
風が木々を揺らす音。遠くで鳥が鳴く声。噴水の水音。自然の音だけが、やけに大きく聞こえる。人の気配が薄い。
(気のせい……かな?)
そう自分に言い聞かせながら、僕は平民寮へ足を向けた。
中庭を通り過ぎる。この時間なら、数人くらいは生徒がいてもおかしくない。けれど、ベンチにも芝生にも、人の姿はなかった。
(そうか……もう授業が始まっているのか)
時計を見る。午前の授業時間だ。
僕は急いで寮へ戻り、自室に荷物を置いた。制服に着替え、そのまま教室へ走る。
◆
Aクラスの教室。
扉の前で、僕は一度立ち止まった。廊下の窓から、中の様子が少しだけ見える。
授業中だ。ハーゲン教授が黒板に何かを書いている。クラスメイトたちは静かに席へ着き、誰一人として余計な動きをしていない。
(……やけに静かだな)
僕は深呼吸をして、扉を開けた。
その瞬間、空気が凍りついた。
教室内にいた全員の視線が、一斉に僕へ向けられる。ハーゲン教授も、クラスメイトたちも。誰一人として、目をそらさない。
首だけが、ゆっくりとこちらを向いた。
体は微動だにしない。ペンを持つ手も、ノートに置かれた肘も、そのまま。ただ首だけが回転していく。
人形じみた、滑らかな動きだった。
僕は、その場で固まった。
(な、なんだ……?)
その視線は、歓迎でも敵意でもなかった。ただ無機質だった。感情が抜け落ちている。全員の目が、同じ温度で僕を見ている。
同じ角度で。
同じタイミングで。
誰も笑っていない。誰も驚いていない。誰も瞬きすらしない。
ただ、じっと見ている。
数秒間、凍りついたような沈黙が続いた。心臓が激しく鳴り始め、背筋に冷たいものが走る。
「あ、あの……すみません、遅れました」
僕は、どうにか声を絞り出した。
ハーゲン教授が、ゆっくりと、本当にゆっくりと口を開く。
「……フレッド君か」
その声には、予想していた怒気がなかった。むしろ妙に穏やかで、抑揚がなく、平坦だった。
「無事だったか。心配していたぞ」
「……え?」
僕は耳を疑った。
心配? ハーゲン教授が?
いつもなら「貴様! 無断欠席とは何事だ!」と怒鳴りつけてくるはずなのに。
「席に着きたまえ。授業を続けよう」
教授はそれだけ言うと、瞬時に切り替わったように黒板へ向き直った。その動きが、あまりにも機械的だった。
僕は戸惑いながらも、自分の席へ向かう。
歩いている間も、クラスメイトたちの視線が僕を追ってきた。体は動かさない。ただ首だけを動かして、ゆっくりと、滑らかに、僕の動きに合わせて回転していく。
誰も何も言わない。
ただ、見ている。
僕が席に着いた瞬間、全員の首が一斉に前を向いた。
(……おかしい)
隣のクラスメイトが、小声で話しかけてきた。
「久しぶりだな、フレッド」
言葉の内容は普通だった。
けれど、その声には感情がない。
「あ……うん」
「心配したぞ」
心配の言葉のはずなのに、まるで心配しているように聞こえなかった。平板で、機械的で、決められた台詞を読み上げているようだった。
僕は返事ができず、ただ曖昧に頷く。
クラスメイトはそれ以上何も言わず、前を向いた。
授業が再開された。ハーゲン教授が魔法陣の構造について説明している。
僕はノートを開いたが、教授の言葉はほとんど頭に入ってこなかった。
こっそりと、周囲を観察する。
クラスメイトたちは、いつも通りに授業を受けている……ように見える。けれど、全員の姿勢が揃いすぎていた。
背筋がぴんと伸び、手の位置も、視線の角度も同じ。
私語をする者がいない。居眠りをする者も、咳払いをする者も、鼻をすする者も、ペンを落とす者もいない。
(こんなに規律正しかったっけ……?)
Aクラスは確かに優秀だった。だが、それでも多少の緩みはあった。
誰かが小声で話す。誰かがあくびをする。誰かがペンを落とす。そういう、人間らしいノイズがあった。
今は違う。
僕は、不安になった。
◆
授業が終わった。昼休みだ。
僕は平民寮の食堂へ向かった。
廊下を歩きながら、周囲を観察する。他の生徒たちも食堂へ向かっているが、みんな妙に静かだった。笑い声も、話し声も、ほとんど聞こえない。
そして、歩調が揃っている。
完全に、というわけではない。それでも、明らかに普通ではないほど揃っていた。無数の足音が、一つのリズムを刻んでいる。
僕はその流れに混ざった。
けれど、自分の足音だけがズレている。
そのことが、やけに気になった。
◆
食堂に入ると、カウンターの奥で食堂のおばちゃんが働いていた。
おばちゃんが僕に気づく。
「フレッド君じゃないか!」
駆け寄ってくるその顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「心配したんだよ! どこ行ってたんだい!」
その声には、確かに本物の心配があった。教室で感じた違和感とは違う、人間らしい温かさがある。
僕は思わず、安堵の息を吐いた。
(ああ、やっぱり気のせいだったのかもしれない)
「ただいま、おばちゃん。ちょっと用事があって……」
「まあまあ、そうかい。とにかくお帰りなさい! 今日のメニューはフレッド君の好物だよ!」
彼女は僕の皿に、ハンバーグを載せた。
そして、その上にチーズをかけ始める。
「サービスだよ!」
おばちゃんの手が止まらない。
チーズが、どんどん積み上がっていく。
「お、おばちゃん、それくらいで……」
「遠慮しないで! たくさん食べなきゃ!」
ハンバーグが見えなくなるほど、チーズが積み上がっていく。その量は、もはや尋常ではなかった。
「おばちゃん、本当にもう……」
それでも止まらない。
「おばちゃん!」
僕が声を上げると、ようやく手が止まった。
「はい、できあがり!」
満足げに差し出された皿は、ずっしりと重い。
周囲を見ると、寮生たちがそれを見て声を上げていた。
「うわー、いいなー!」
「俺もそれくらいかけてほしい!」
「チーズ最高!」
羨ましそうな声。
けれど、その調子が妙に画一的だった。
みんな同じ言葉を、同じような声で口にしている。そして、その視線はチーズの山に向けられていた。
まるで、何かを崇拝する信者のように。
僕は背筋に悪寒が走るのを感じた。
◆
僕は皿を持って、空いているテーブルに座った。
フォークでチーズをかき分け、ようやくハンバーグを見つける。一口食べると、ハンバーグ自体はいつも通りの味だった。
ただ、チーズが多すぎる。
味のバランスは完全に崩れていた。
周囲を見ると、他の生徒たちもチーズ料理を食べていた。
チーズパスタ。チーズリゾット。チーズトースト。
チーズだらけだ。
そして、彼らは笑顔で食べている。
だが、その笑顔が、全員同じだった。
口角の上がり方。咀嚼のリズム。飲み込む動作。
全てが、揃っている。
「チーズ美味しい!」
誰かが言った。
「チーズ最高!」
別の誰かが言った。
「オマエもチーズ最高と叫びなさい!!」
また別の誰かが言った。
皆が、チーズ、チーズと同じ言葉を繰り返す。
合唱のようだった。
けれど、それは歌ではなく、呪文のように聞こえた。
僕は食欲が失せ、皿を置いた。
その瞬間、周囲の視線が一斉に僕へ向けられる。
全員が、同時に首を動かした。
そして、じっと僕を見る。
無言で。
笑顔で。
(なんで……)
僕は立ち上がった。
「ご、ごちそうさま」
誰にも聞こえないような小声で言って、食堂を出る。
背中に、無数の視線を感じながら。
◆
午後の授業が終わった。
僕は寮へ向かっていた。廊下を歩いていると、前方から人影が現れる。
よろめくように、壁に手をついて歩いていた。
レオナルド校長だった。
(なんだ……?)
その姿は、いつもの威厳に満ちた校長ではなかった。顔は青白く、額には大粒の汗が浮かんでいる。息も荒い。
そして──。
「【解呪】」
校長が、自分自身に魔法をかけた。
青白い光が、その体を包む。
校長の体がびくりと震え、深く息を吐いた。
「校長先生!」
僕は思わず声をかけた。
彼が顔を上げる。
その瞳に、一瞬だけ正気の光が宿った。
「フレッド君……!」
必死な声だった。
「君だけでも……早く……学校から──」
言葉が、途切れた。
レオナルド校長の目から、光が消える。
感情も、生気も、人間性も、一瞬で抜け落ちた。
糸が切れた人形のように、表情が死んでいく。
「……いや、なんでもない」
抑揚のない声。
平坦で、機械的な響き。
彼は僕の横を淡々と通り過ぎていった。先ほどまでのよろめきは消え、一定のリズムで歩いていく。
その時、視界の隅を、小さな影が横切った気がした。
(今のは……?)
僕は廊下を見回したが、何もいない。
校長の姿も、もう見えない。
だが、確かに何かを見た。
何かが、この学校を蝕んでいる。
僕は足早に寮へ向かった。
◆
夜になり、部屋へ戻る。
夕食の時間だったが、食堂へ行く気にはなれなかった。昼に見た、あの大量のチーズ。あの笑顔。
思い出すだけで、食欲が消えていく。
僕は部屋に籠もり、ベッドに倒れ込んだ。
(疲れた……)
精神的な疲労が、あまりにも大きかった。
目を閉じる。けれど、なかなか眠れない。
揃いすぎた動き。感情の抜け落ちた声。チーズへの異常な執着。
(この学校で……一体、何が?)
答えは出ない。
ただ、不安だけが募っていく。
そうして、僕はようやく眠りについた。
◆
夢を見た。
奇妙な、悪夢だった。
暗い場所。湿った空気。ざらついた壁。低い天井。
そこに、無数の小さな生き物たちがいた。
床を埋め尽くすほどの群れ。小さな黒い瞳が、無数に僕を見ている。
怖いはずなのに、怖くなかった。
むしろ、心地よかった。温かい。安心する。
彼らが、僕に近づいてくる。
足元を這い回り、ズボンを登り、腕に乗り、肩に乗り、顔に触れる。
小さな体が、僕を覆っていく。
その感触が、心地よかった。
僕は、彼らと一緒にいる。
そして、自分の体が変わっていくのを感じた。
体が小さくなり、背中に毛が生え、尻尾が伸び、手が小さな爪に変わっていく。
僕は、彼らと同じになっていく。
だが、それは恐怖ではなかった。
むしろ、解放感だった。
人間であることの重荷が消えていく。考えること。悩むこと。孤独であること。全てが、消えていく。
代わりに、一体感があった。
群れの中にいる安心感。みんなと繋がっている感覚。
それが、僕を満たしていく。
気持ちいい。温かい。幸せだ。
群れの中で、僕は一匹になる。
みんなの思考が、僕の中に流れ込む。僕の思考も、みんなへ流れていく。
境界が、なくなっていく。
僕という個が薄れていく。
みんなという群れになる。
一つになる。
その時、ふと、エイン君の顔が浮かんだ。
親友であるはずの、エイン君。
なのに理由もなく、胸の奥から泥のような憎悪がせり上がってきた。
憎い。許せない。
あいつは、僕の身体で実験した。
僕を、道具として扱った。
復讐しなければ。
その感情が、僕を満たしていく。
いや、僕だけではない。
群れのみんなも、同じことを考えている。
みんなが、エイン君を憎んでいる。
その憎悪が増幅され、僕の中へ流れ込んでくる。
エイン。エイン。エイン。
殺せ。殺せ。殺せ。
無数の声が重なり合い──。
はっ、と目が覚めた。
心臓が、激しく鳴っている。全身に冷や汗をかいていた。
(……なんだ、今の)
震える手で、顔を覆う。
窓の外を見ると、空が白み始めていた。もう、朝だ。
その時、窓枠に小さな黒い影があった。
(……!)
けれど、視線を向けるより先に、影は動いた。
小さく、素早い動き。
そして、消えた。
(夢じゃ……ない)
何かが起きている。
確実に。




