X-7
宰相が前に出た。
その一歩で、会場の空気が変わる。
「カツラを返せ」
威厳に満ちた声だった。
「それは国王陛下のものだ。お前に所有する権利はない」
怪盗は、静かに首を振った。
「返せと言われても、困りますね」
怪盗は自分の頭を指す。
「カルヴァンの説明を思い出してください。【強固固着】は、登録者の意志以外では外れない。私の意志で外す気はありませんし、物理的にも、魔法的にも、外すことはできないはずです」
宰相の顔が、さらに蒼白になった。
「そして」
怪盗は会場を見回した。
「魔力登録は一度きり。私の魔力で登録した以上、これは本当の意味で私の所有物になっているのです」
カルヴァンが絶望的な表情で項垂れる。
宰相が拳を握りしめる。
会場に、重苦しい空気が広がっていった。
ロイスは唇を噛み、フィーネは困惑した表情を浮かべている。
もう、取り返す手段はない。
そう思われた、その時。
「それはどうかな」
声が響いた。
ステインだった。
彼が、ゆっくりと前に出てくる。
怪盗が振り向いた。
「君か」
仮面の下から、笑みが見える。
「カツラを発見した魔術の腕前は認めますよ。ですが、今更何ができるんです?」
ステインは不敵に笑った。
「俺の職業を知らないのか?」
その目には、確信があった。
「俺は、カツラ剥がし職人なんだぜ」
怪盗の動きが、一瞬止まる。
ステインは手をかざした。
魔力が流れ込む。
「【魔力変調】」
怪盗の体が、わずかに震えた。
魔力の流れが変わる。
体内を循環する魔力のパターンが、ステインの魔力によって、ほんのわずかにずらされていく。
その瞬間。
ズルリ、と。
黄金のカツラが、怪盗の頭から滑り落ちた。
「何!?」
怪盗が叫ぶ。
ロイスが素早く駆け寄り、落ちる寸前のカツラを回収した。
「確保した!」
怪盗は頭を押さえた。
その頭には、髪の毛はない。
だが、ハゲているわけでもない。
ただ綺麗に剃られた、坊主頭だった。
「どうなってる!」
怪盗が動揺した声を上げる。
「【強固固着】は絶対に外れないはずだ!」
「いいや、それには弱点がある」
ステインは淡々と説明する。
「【強固固着】の術式は、あくまで所有者の魔力によって結びついている。だから、魔力が変わったり、失われたりすれば、効力を失う」
怪盗を見据えた。
「お前の魔力の波長を変調して、結びつきを断ち切ったのさ」
会場が、再び驚愕のどよめきに包まれた。
「そんな方法が……」
「【強固固着】まで破られるなんて……」
「カツラ剥がし職人、恐るべし……」
怪盗は、悔しそうに唇を噛んだ。
ロイスが前に出る。
「お前の負けだ、ファントム」
その声には、勝利の確信があった。
「カツラは奪えなかった。そして、お前は捕まる」
怪盗は何も答えなかった。
ただ、静かに立っている。
仮面の下の表情は見えない。
ロイスが続けた。
「言い訳はできないぞ。お前は失敗したんだ」
「失敗、ですか」
怪盗が笑った。
小さく。
だが、確かに。
「面白いことを言いますね」
その声のトーンが変わった。
ロイスが眉をひそめる。
怪盗は顔を上げた。
仮面の下から、笑みが見える。
「もう一つの目的は、達成しましたよ」
グレアムが、わずかに目を細めた。
怪盗は会場を見回す。
「私の予告状には、何と書いてありましたか?」
ロイスが戸惑う。
「何?」
「『今宵、秘密を覆うヴェールを頂きに参上する』」
怪盗はゆっくりと、会場を見回した。
「ヴェール。それは、何を隠すための布でしょうか。カツラは、何を隠していますか?」
ロイスの顔が、強張った。
「ハゲを、隠す」
フィーネが呟く。
「そう」
怪盗は頷いた。
「カツラは、ハゲという“秘密”を隠すヴェールです」
グレアムが息を呑んだ。
煙草を咥える手が、わずかに止まる。
「私が盗もうとしたのは」
怪盗の声が、会場全体に響いた。
「カツラという“物”ではありません。隠されていた“秘密”そのものです」
会場が凍りついた。
誰もが息を呑んでいる。
宰相の顔が、さらに蒼白になった。
怪盗は、大きな声で宣言した。
「エルディス国王、ハロルド・エルディスはカツラである!」
その言葉が、ホールに響き渡る。
「その秘密を、王国中に広めること。それこそが、私の真の目的でした」
ざわめきが、波のように広がった。
宿泊客たちが顔を見合わせ、警備員たちも困惑した表情で視線を交わす。
「全部、計画だったのか……」
「カツラを盗んだのも……」
「捜査で真相を暴かせるため?」
「カツラを盗めば、必ず捜査が始まる」
怪盗はグレアムを見た。
「優秀な探偵が推理すれば、必然的に真相へ辿り着く。予告状を王城にも送ったのは、カルヴァンから物理的なヴェールを、王城からは情報としてのヴェールを、二つの秘密を同時に盗むためです」
グレアムは煙草に火をつけた。
紫煙が、静かに立ち上る。
カルヴァンが前に出た。
「貴様!」
その顔は真っ赤だった。
汗が滴り落ちている。
「これは献上品だぞ! 国王陛下への!」
「ええ、知っています」
怪盗はあっさりと答えた。
「だからこそ、盗む価値があった」
「貴様!」
カルヴァンが詰め寄ろうとする。
「国王陛下の秘密は、もう王国中に広がるでしょうね」
怪盗は身を翻した。
逃走しようとする。
「捕らえろ!」
ロイスが叫ぶ。
警備員たちが怪盗に向かって駆け出した。
その時。
協会のメンバーたちが動いた。
彼らは怪盗の周りを取り囲み、警備員たちとの間に人の壁を作る。
ロイスが警戒した表情で身構えた。
グレアムは煙草を咥えたまま、状況を見守っている。
「どけ!」
ロイスが怒鳴った。
「お前たち、こいつをかばうのか!」
「違う」
協会のリーダーが前に出た。
白髭の老人だった。
その顔には、深い怒りが刻まれている。
「話がしたいだけだ」
◆
会場が静まり返った。
警備員たちが動きを止める。
誰もが、次の展開を見守っていた。
リーダーはゆっくりと、怪盗に向き直る。
その視線は鋭かった。
「まず聞かせてもらおう」
声は静かだ。
だが、その奥には怒りが燻っている。
「発表会のことを我々に知らせたのは、お前だな」
怪盗は動じなかった。
仮面の下で、わずかに頷く。
「ええ、そうです」
その声には、皮肉が混じっていた。
「あなた方の妨害行動は、大変役に立ちました。感謝しますよ」
協会のメンバーの一人が、拳を握りしめた。
「ふざけるな!」
怒りに震える声だった。
男は怪盗を指差す。
「毛根の健在なお前が」
声が裏返った。
「また生えてくる髪を剃って、ハゲカツラまで被って、ハゲのフリをして潜り込むのは、さぞかし気分が良かっただろうな!」
別のメンバーも声を荒げた。
「我々を利用したのか!」
さらに別の声が重なる。
「我々の理念を、お前の犯罪に使ったのか!」
怒りが、波のように広がっていく。
協会のメンバーたちが、怪盗に詰め寄ろうとした。
リーダーが手を上げる。
その瞬間、メンバーたちの動きが止まった。
会場の隅で、カルヴァンが笑った。
嘲りの笑いだった。
「いい気味だ」
その声は、会場全体に響いた。
「ふざけた活動をして私の邪魔をするからこうなるのだ」
カルヴァンは腕を組む。
「お前たちも騙されたというわけだ」
リーダーの顔が、怒りに染まった。
その視線が、ゆっくりとカルヴァンに向けられる。
会場の空気が変わった。
「お前たちのような愚か者が」
カルヴァンは続ける。
その声には、優越感が滲んでいた。
「カツラを否定し、私の発表会を妨害するから、こんな詐欺師に利用されるのだ」
カルヴァンは満足げに腕を組んだ。
リーダーの拳が震える。
彼は一歩前に出て、カルヴァンに向き直った。
「ふざけるな」
リーダーの声が、低く響いた。
「罪を犯しているのは」
その声が、会場全体に広がる。
静かで、力強い声だった。
「お前の方だ、カルヴァン・ルミナス」
会場がざわめいた。
カルヴァンの笑みが消える。
「何?」
眉をひそめた。
「どういうことだ」
リーダーは、カルヴァンをまっすぐに見据える。
「お前がカツラを作っていることが罪だ」
その言葉には、深い確信があった。
「お前らがカツラを生産し、ハゲは恥ずかしいものだという風潮を作るから、我々ハゲは被害を受けている」
カルヴァンの顔が赤くなった。
「因果関係が逆だ!」
声を荒げる。
「ハゲは恥ずかしいという風潮があったから、私はカツラを生産しているのだ」
カルヴァンは怒りに震えていた。
「お前たちも恥ずかしいなら、カツラを買えばいいではないか」
リーダーの表情が、悲しみに変わった。
「すべてのハゲが、カツラを買えると思っているのか?」
その声は、会場全体に響いた。
「カツラは高価な魔道具だ。庶民がおいそれと買えるものではない」
カルヴァンが反論する。
「魔道具なのだから高価なのは仕方ないだろう」
その声には苛立ちが混じっている。
「何度も言うが、因果関係が逆だ。私は、ハゲが恥をかかないようにカツラを開発したのだ」
「違う」
その一言には、深い確信があった。
会場が静まり返る。
リーダーの目には、遠い記憶が浮かんでいた。
「私が若い頃は」
声が、静かに響く。
「ハゲていたとしても、誰もそれを恥だとは思わなかった。酒場で冗談のネタにされることはあった。友人に弄られることもあった。だが、それだけだ」
彼は遠くを見つめた。
「本人も笑って自虐できた。そこには、まだ余裕があった。ハゲている者も、そうでない者も、同じように笑い合えた」
その声音には、深い悲しみが滲んでいた。
「だが、カツラが発明されてからは違う」
顔が、苦しげに歪む。
「ハゲは隠すべきもの、恥ずべきものになった。ハゲ差別が加速した」
リーダーは懐から、一冊の本を取り出した。
「これを見ろ」
表紙には、でかでかとタイトルが印字されていた。
『引きこもり、魔法学校にぶち込まれる』
「今度出版される、私達ハゲやカツラを馬鹿にした小説だ」
「元は素人の落書きだったのを、どこかの編集者が目をつけたらしい」
わずかに声が震えていた。
「主人公が他人のカツラを剥がして笑いものにする場面が、何度も出てくる。悪趣味な内容だ」
「ひどい!」
「こんなものを書籍化するなんて!」
「編集者と出版社はイカれてる!」
協会のメンバーたちが、怒りの声を上げた。
リーダーは本を仕舞い込み、カルヴァンを鋭く睨む。
「それもこれも、お前たちがカツラなんか作ったせいだ」
怒りをあらわに続ける。
「発表会でも見ただろう。カツラを剥がされた者たちの嘆きを。ハゲがバレただけで、あの様になる」
そして、会場を見渡した。
「お前達は、ハゲを隠すためにカツラを被るのではない。お前たち自身が作った“恥”という幻想を隠すために被っているんだ。そのせいで、今の社会はおかしくなった」
再び、会場全体に向けて声を張る。
「故に、我々は主張するのだ。カツラなど不要だと」
場内が静まり返った。
誰もが、その言葉に聞き入っている。
カルヴァンは何も言えなかった。困惑、怒り、そしてほんのわずかな罪悪感が、顔に滲んでいた。
間。
長い、沈黙。
そして。
リーダーは、怪盗に向き直った。
その表情が変わる。
怒りが、消えていた。
「だから」
声のトーンが変わった。
穏やかで、感謝に満ちた声だった。
「怪盗ファントム。あなたには感謝している」
会場が、再び驚愕に包まれた。
「何!?」
「リーダー、何を言って」
「こいつは我々を騙したんですよ!」
協会のメンバーたちが声を上げる。
ロイスも呆然としている。フィーネは首を傾げ、グレアムは煙草を咥えたまま、興味深そうに見守っていた。
一人のメンバーが前に出る。
「説明してください」
その声には、困惑が滲んでいた。
リーダーは深く息を吸い込む。
「国王陛下がカツラだと、王国中に知れ渡った。おかげで、我々は救われる」
その声には、不思議な落ち着きがあった。
協会のメンバーたちは、困惑した表情を浮かべる。
「なぜ、それで救われるんです?」
一人が問いかけた。
リーダーは静かに答える。
「考えてみろ。国王陛下もハゲだ。我々と同じだ」
宰相の顔が、さらに蒼白になった。
拳を握りしめている。
「では」
リーダーの声が、力を帯びる。
「ハゲを馬鹿にする者は、国王陛下をも馬鹿にすることになる。そんな不敬を、誰ができる?」
協会のメンバーたちが、息を呑んだ。
「そうか」
「陛下を侮辱することになる」
気づきが、波紋のように広がっていく。
リーダーは続けた。
「そして、人々は思い出すだろう」
その目には、遠い記憶が宿っていた。
「ハゲることは、恥ではない。しわができる。髪が白くなる。それと何も変わらない。ただの老いだ」
メンバーたちが、頷き始める。
何人かの目には、涙が浮かんでいた。
リーダーの声が、震えた。
「今日、この日」
拳を握りしめる。
「我々は、奪われた尊厳を取り戻す第一歩を踏み出したのだ」
協会のメンバーたちが、感動に震えた。
リーダーは、ゆっくりと怪盗に向き直る。
その視線には、複雑な感情が混じっていた。
「あなたは、我々を利用し、騙し、道具にした」
静かな声だった。
「だが、それでも」
リーダーの目に、涙が浮かんだ。
「結果として、あなたは我々に希望をくれた」
会場が静まり返った。
誰もが、その言葉の重みを感じていた。
リーダーは、メンバーたちに向き直る。
「だからお前たち!」
その声は、命令ではなく、呼びかけだった。
「怪盗ファントムをお守りし、逃がせ。髪は失っても、誇りと義を失うな」
協会のメンバーたちが、感動に震えた。
何人かの目に、涙が浮かんでいた。
「リーダー!」
一人が叫ぶ。
「分かりました!」
別の声が続く。
メンバーたちが警備員たちに向かって駆け出した。
取っ組み合いが始まり、会場が再び混乱に包まれる。
「やめろ!」
ロイスが叫ぶが、メンバーたちは止まらない。
「今のうちに逃げろ!」
リーダーが怪盗に言った。
だが。
「やめなさい」
怪盗の声が、静かに、はっきりと響いた。
その声のトーンは変わっていた。
シリアスで、真剣な響きだった。
取っ組み合っていたメンバーたちが、動きを止める。
会場が、再び静まり返った。
怪盗は仮面の下で、静かに言った。
「勝手に恩を着せるんじゃない」
リーダーが息を呑む。
怪盗は続けた。
その声には、強い意志があった。
「あなた方の正義に、私の罪を混ぜるな」
仮面が、わずかに揺れる。
「私はただの盗人です。誇りを守る手段に、私を使わないでください」
協会のメンバーたちが、呆然と怪盗を見つめる。
怪盗は、さらに続けた。
「あなた方は、世紀の大犯罪者に騙されただけの哀れな被害者なのだ」
その声には、自嘲が混じっていた。
「それに、逃げるのにあなた方の手を借りる必要はない」
協会のメンバーたちが、呆然と怪盗を見つめる。
誰も、言葉を発することができなかった。
怪盗は、優雅に一礼した。
「ですが、感謝します」
深く、頭を下げる。
「そして、謝罪します。あなた方を利用したことを」
そう言い残すと、怪盗は懐から何かを取り出した。
小さな球体。
煙幕弾だった。
「それでは、失礼」
怪盗はそれを床に叩きつける。
破裂音。
白い煙が、爆発的に広がった。
「逃がすな!」
ロイスが叫ぶ。
警備員たちが煙の中に飛び込む。
だが、煙が晴れた時には、怪盗の姿はどこにもなかった。




