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雪想花5

 湖の結晶を取り込んでから、クラウスはかずかずの罪を振り返った。風による災害、水害などについてだ。術がうまくいった後、どうなったのか。ずっと何も考えずにいたが、なぜ考えなかったのかと、不思議に思った。憎しみと力に溺れて、我を失っていたのだと思うが。


 近隣にいた村人たちは大丈夫だったのだろうか。

 大丈夫なはずがない。


 収穫前の農作物を根こそぎ痛めつけられ、そのあおりで一年間の食料不足となり、栄養失調などで病に倒れて亡くなっていた人もいただろう。


 憎しみを洗いざらい洗浄させるような結晶の効果に、クラウスは日々生きる気力がなくなった。結晶は容赦なく「何もできない」状態にクラウスを追いやっていたため自害などもできなかった。


 フレアを思い出すことはなかった。


 死を考えたときにフレアのことを考えることができた。けれど、フレアのいる場所に還れるとは思えなかった。

 季節はめぐり、やがてまた新緑の季節になる。


 この国の夏は一週間ほどで終わってしまう。だが、夏の時期を待っていた人々は喜び、外へ繰り出しては祭りをしたりするのだ。


 クラウスにはまったく縁のない話だったが、それでも新緑の季節に庭に出ることはあった。何もできない環境で、することがなくなり、庭の木々を手入れするくらいの日常だった。


 湖の結晶が、湖の魔物にもどってからは、クラウスは光の導師となるために努力をした。封印の力は強く、影響から抜けるのには長い月日が必要だった。感覚が鈍いとは言え、封印の力はもう抜けている。自分の意思で術も使えた。ゆっくりと、確実に自分を取り戻していた。


 ある雪の夜、森に異変を感じた気がして、ぼんやりと散歩をしていたクラウスは、うさぎ罠にかかった女の子に気付いた。雪が積もり気温も低く、すでに日も暮れはじめていた。


 年端も行かない女の子が、泣きながら罠を取ろうともがいている。

 あのままでは凍死してしまう。なぜこんな森に一人でいるのか不思議に思った。


「とってやろう」


 クラウスは簡単な罠を解除して、足を罠から外してやった。痛そうに眉をしかめていたが、クラウスに大きくありがとうと伝えてきた。ひさしく聞かなかった言葉だ。


 女の子はふいに「お腹が減ってるの?」と聞いてきた。

「ああ、焼き菓子が……」食べたいと言いそうになってクラウスは口を閉じた。

「ユイね、お菓子作れるよ!」


 子供は無邪気に笑った。

 クラウスはそれ以上そこにいる必要もないと、子供の足の怪我を最低限に手当てをしてから立ち上がりかけた。


 つぶらな瞳で子どもがじっと見つめるものがある。

 暇つぶしに作った銀の首飾りだった。悪いできではなかったためつけていたのだ。それをじっと見つめている。


 クラウスは首飾りをとると、女の子につけてやった。子供と言っても七歳ほどだろう。『少女』でもいいかもしれない。

 どうでもよさそうな訂正を自分の中ですると、首飾りに道を示す術をかけた。これで道に迷わないだろう。


「わぁ、ありがとう!!」


 小さな少女は首飾りを手にとって見てから、クラウスを見つめた。少女の目には感謝と優しさがあふれていた。

「行きなさい」

 思わずクラウスは低くそう言ってしまっていた。

「はい」

 ユイと名乗った少女は素直に立ち上がると、足の痛みを忘れたようにかけだした。


「ユイね、お菓子作ってあげるね」


 立ち止まるとクラウスに向かってそう言い、どこかへ行ってしまった。

 そのときのことは夢のようにおぼろだったが、ユイは今、屋敷にいて焼き菓子を作ってくれる。しかもめったにお目にかかれないほど不味いものを。


 胸の中に軽い痛みが走る。


 あの子には美味しいお菓子の作り方を習わせてやろうとは思えない。不味くていいのだ。


 一人でいられるのならば、きっと痛みも悲しさも、杞憂もなく、子の心配もしないで済んだだろう。

 そばに居るからこその嬉しさや、幸せ、充実したやさしい空気には触れられないだろうが。

 クラウスはユイを養うことで、また人とかかわる道に入った。


 いつの間にか涙があふれていた。

 愛していたのだ。どんなものを失うよりも、彼女を失いたくはなかった。


 一度堰を切った涙はまったく止まらなかった。座ったまま俯いて、ただ気持ちが収まるのを時に任せた。


 しばらくしてから顔に落ちかかる白金の髪を、さらりと細い指ですいてくれる存在に気づいた。目の前に立っている姿に視点を合わせたとき、クラウスは彼女に抱きついていた。

「フレア……」

「クラウス様、どうかされたのですか? お具合でも悪いのですか。何かあったのですか」

 驚くフレアにかまわず、その細くやわらかい肢体をかき抱く。フレアは特に抵抗せずに、クラウスの頭をそっと抱き、髪をなでている。

「ずっとおそばにいますのに……?」

 フレアの顔を見ると、懐かしい亜麻色の髪をやはりふたつに分けて結っている。翠の瞳には柔和な笑みを含んだ光がある。

 これだけが、クラウスが欲したもののすべてだった。

クラウスはただ、フレアを愛していたのだ。かすれたような声がでた。

「許してくれるか……」


 フレアは不思議そうに小首をかしげている。クラウスが視線を上げると、そこは自室だった。


「本当にどこか苦しいのではないのですね?」

 メイド服のフレアは、心配そうにクラウスの額に手を当てている。熱でも測っているつもりのようだ。布で涙をぬぐってくれる。クラウスはされるがままになっていた。


 立ち上がると真剣な眼差しで、フレアを見つめる。

「愛している」

 けっして言わなかった一言を躊躇することなく彼女に伝えていた。


 今度はさすがに驚いたのかフレアはうれしそうな、泣き出しそうな目で笑顔になった。

 フレアはけっして自分から抱きついたりするような娘ではなかったが、立ち上がって首に手を回して、背伸びをしながら抱きついてきた。

「うれしいです。フレアは幸せ者でございます」

「うん」


 クラウスはあふれる気持ちを飲み込んだ。

 生き返ったわけではないのだ。それは光の導師として生きる、師匠から教えを受け継いだ力を持つクラウスにはすぐに分かった。触れている手指は、確かな感触を持っているのに、この手を離すと消えてしまうのも直感で理解していた。


「あ、私、お菓子を作っている最中でしたの。今、持ってきますね!」


 楽しそうにフレアは笑顔で、部屋を出て行こうとする。

「フレア、待て。まだ行かないでくれ」

「でも、焦げてしまいますよ?」


 いつものじゃれ合いと、フレアは思って楽しげに笑う。

「そうだな、焦げてしまっては食べられないか」

 穏やかにクラウスは言葉を返す。


 どうにかしてもう少しだけでも。記憶深くに眠っていたやさしい笑顔。

「きっと美味しくできていますよ? お気に召すはずのケーキなのです」


「ケーキが作れるようになったか?」


「はい。クラウス様に喜んでいただけるなら、何でもお作りいたします」

 そこにいてくれるだけで心がよろこびに震える。

「では考えておこう」

「はい!」


 揺れる亜麻色の髪、やわらかな日差しのようにやさしい翠の瞳を、クラウスは心に焼き付ける。


 言葉では伝えきれないほど愛していると。

「本当に焦げてしまいますわ」

 フレアは放そうとしないクラウスの手をそっとふりほどいた。

 


 

 どれくらい気を失っていたのだろう。

 寒さも感じないほど冷え切ってしまったことを自覚する。目を開けると目の前にユイがいた。自分の館に戻ってきているようだ。


 窓から見えるのは満月だ。枯れ木が目に映る。

 もうすぐ雪が降りはじめるだろう。山ではもう積もってしまっていたのだから。


「ユイ?」


 暖炉に火が入っている。すすだらけになりながら、ユイは怖い表情で布を使って濡れたクラウスを拭いていた。

 どうやらなんとかして暖めようとしているのだ。

「う、うう・・・っ」

 目を開けたクラウスを見て、ユイは大粒の涙をこぼし始めた。

「魔導師様―」

 どれだけ心配かけていたのだろう。

「ああ、大丈夫だ」

「ユイ、魔導師様が死んじゃったかと思ったの」

 さすがに疲労して、冷え切っている身体を、なんとか起こしてユイの頭をいつものようになでる。ユイは心配そうに、けれど嬉しそうにクラウスの手を自分の手に重ねる。


「お腹すいた?」

「そうだな」


 ユイはにっこりと笑って、勢いよく立ち上がると台所の方へ走っていった。


 いつも考えるように、転ぶのではないかな、とクラウスは思う。


 術で衣服を乾かす力も残っていないのを知り、クラウスは服を変えようと立ち上がった。

 自室の扉を開けると、無数の花が部屋を埋めていた。

雪のような形の、白く薄い青い小さな花だ。「雪想花」だった。


 クラウスは服を着替えた。灰色の服ではなく、青灰色の模様が入った白い服に黒のゆったりしたケープをつける。


「魔導師様、スープを作ったの!」


 部屋まで持ってきたユイが目を丸くする。花を避けながら、温かそうな食事を机に置いた。

 ユイは花を避けて椅子へ行った。椅子に座ってから、クラウスを見てさらに目を丸くする。いつも灰色の服ではないのが珍しいのだろう。

 クラウスは無言で食べ始めた。

「おいしい?」

 いつものように聞くユイ。

「これは旨いな」

 低く、クラウスは正直に言っていた。

「おいしい! やった、美味しいって!」ユイははしゃいで椅子の上に立ち上がる。舞い上がっていることは確かだ。暖炉の火が消えて、点けるのに苦労した煤だらけの顔に笑顔を咲かせている。

「お花いっぱいでいい匂い!」

「これは薬になる花だ」

 クラウスはユイに視線をやると答えた。

「魔導師様、大好き!」

 ふいにユイが言ったので、クラウスは思わず口元がほころんでしまった。ユイはそれを見てうれしそうにした。

 憎しみもなく、悲しみもやさしさに変えて、クラウスはユイを愛でている。


 おだやかで限りなくやさしい日常がまたはじまるのだ。


クラウスのエピソードでした。思ったより長かったです。

短編集なので、またちょくちょく更新したいと思いますが、ここでいったん終わりです。

再開の際は、「再開」とタイトルに入れます。

今後ともよろしくお願いいたします

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