06-02 白いフテラ
ほとんど手詰まりになり、やけのように歩いていると、ふと女性の声が耳に留まった。
見ると公園で、ひとりの母親が小さな子供に向けて手を振っている。母親はデバイスをちらちら確認し、男の子から離れていくところだった。
「しばらくひとりにするけど、大丈夫? さみしくない? 外のトイレ、一人で行ける?」
「んー」
母親の呼びかけに、しかし子供は生返事だ。のんきに砂山にミニカーを走らせている。年のころは四、五歳くらいだろうか。母親が呆れる。
「こら。車はほどほどにして、お母さんのお話聞きなさい」
「だって。ぼく、いそがしいんだもん。さみしいのはママでしょ」
「もう……。いい? 困ったら誰かに助けてもらうのよ」
たしなめる口調に、やっと顔を上げて首をかしげる子供。
「だれかって、だれ?」
「大人なら誰でもよ。みんな必ず助けてくれるからね」
言うと、母親はまたデバイスをちらりと見た。一時間しないうちに戻れると思うけど、と小さなつぶやき。
そしてじゃあね、と子供に笑いかけると、母親は悠々とした足取りで去っていった。さり際の、不安も心配も見られない表情。それは息子になにかあっても、絶対に誰かが助けてくれるという確信に満ちていた。
(子供は社会の宝、か)
こんなよくある光景を、不用心な、と思うおれの方がおかしいのだろう。今の時代、子供に危害を加える人間など、ほとんど存在しないからだ。
十六歳の準成年となるまで、未成年の子供は手厚く保護される。大人たちは誰もが彼らを見守り、事あるごとに手を差し伸べ、地域全体で子供を育てていく。
そして晴れて準成年となった子供たちは、少しずつ責任を付与されていき、未成年への庇護活動に参加を許されるようになり、段階を経て大人の仲間入りをしていくのだ。
こうした子供を守る活動は、奉仕の愛ゆえということになっている。だがおれからすれば、利害の絡んだ投資にしか見えなかった。
手厚い教育を受けた人間の頭数は、すなわち国力に繋がる。子供を育てやすい社会を作るのは国の利益になるのだ。それに子供を助ける大人たちにしたって、福祉点数の存在がなければ、同じように手を差し伸べるかどうか。
誰も彼も、結局は自分の利益がいちばん大事だ。それを責めることはできない。ただ、利己心を愛という耳障りのいい言葉で包むことが、おれは嫌いだった。
苦い気持ちのおれが見つめていることなどつゆ知らず、ひとり取り残された子供は、早朝の公園で一人遊びを続けていた。背を丸め、楽しそうにミニカーを砂山に突っ込ませている。自然と頬が緩んだ。
おれは少し考え込み、左右を確認すると、人気のない公園へと立ち入る。子供はおれが近付いても、気付く素振りをみせなかった。
しゃがみ込み、なあ、と声をかける。ようやく子供が顔を上げた。もこもこに着込んだセーターが暑いらしい。真冬だと言うのに、りんごのような頬が愛らしかった。きょとんと小首をかしげている。
「おはよう」
言うと、男の子が目をぱちぱちさせた。夢中になっているせいでおれに気付かなかったのだろう。唐突な登場にびっくりしたようだ。それでも小声でおはようと返すのは、両親の教育の賜物だろうか。
おれは少し眉を下げ、急にごめんよ、と語りかけた。
「ぼくはシヅキと言うのだけど。きみに助けてもらいたくて」
「……たすける? おとななのに?」
目を丸くして、正直極まりない発言。つい苦笑してしまった。
「そう、大人なんだけど、とても困ってるんだ。きみの助けが必要なんだよ」
子供はまだ戸惑いを隠せないようだ。だが、大切なことだ、きみでないと駄目なんだ、と真剣な顔で伝えると、彼はようやく表情をゆるめた。大人に本気で頼られたことが嬉しくもくすぐったい、という顔だ。
「えー。しょうがないなあ。ちょっとだけだよ」
たしなめるような口調はきっと親の真似だろう。この年頃は結構生意気だからな、とおれは微笑ましくなった。自然こぼれた笑みのまま続ける。
「今日、大きな荷物を見なかった?」
「にもつって、かばん?」
「鞄とは違うかな。もっと大きい」
「かばん、大きいよ? 歩いてた!」
ぴく、と眉が動いた。この子の言う『鞄』はどうやら、多脚式の自律歩行キャリーケースらしい。サトウ・タナカは痩せていた。キャリーケースなら、大きさによっては十分入る。
おれはもっと詳しく聞いてみた。子供は身振り手振りで答えてくれた。
多脚式キャリーケースは少女ひとりなら余裕で入るサイズで、三人組の男の後ろをついて歩いていたらしい。背格好はわからなかったが、先頭の男は目つきが相当鋭かったと言う。こーんなかんじ、と指先で目を吊り上げて説明してくれた。
「ねえねえ、そいつら悪いやつ? やっつける?」
興奮して目をきらめかせる子供に、おれはそうだねと笑いかける。
「でも、どこに行ったかわからないからなあ」
「あっち!」
小さな指がぴっ、と道の向こうを指す。細い路地で、先には地元の人間しか知らないような、こぢんまりした駐車場があるだけだ。そこに車を駐めていたらしい。予想以上の収穫に、心の中で拳を握った。
「そこから車は出てこなかった?」
「白いフテラ! 第四世代!」
興奮しきった声で即答する男の子。まさか車種どころか世代まで言われると思わず、おれは目を丸くした。この年頃によくある車好きらしい。本当に思わぬ幸運だった。だが。
(よりによって、フテラの白か……)
大衆車の典型みたいな車だ。路上で石を投げればフテラに当たる、と言っても過言ではない。ずいぶん詳しいね、と笑いかけつつ、おれは内心歯噛みした。子供は誇らしげににこにこしている。
「クルマ、すきだからね。フテラはつまんないけど」
「つまんないかあ。やっぱりミディレディとかの方がいいの?」
「アウローラ」
「ずいぶん渋いな……」
そろそろ切り上げどきだろうか。しかしそう思ったとき、男の子がくちびるを尖らせた。
「でも、あのフテラはかっこよかったな」
「え?」
ありふれた大衆車が、マイナー車好きの子供に刺さった?
「……なにか他と違ったの?」
「アンテナついてたから」
「──っ」
きみは最高だ。叫びたくなるのをかろうじて堪えた。かっと頬が熱くなる。完璧な手がかりだった。
アンテナ車なんて、おれが子供の頃ですら見かけなかった。前時代の化石より珍しい代物だ。普通の人どころか、カーマニアだってアンテナなどつけない。よっぽどレトロカー好きで、当時を再現したいというならわからないでもないが、流行りのフテラならその線も消える。
おれは興奮に声が上ずるのをおさえて、ありがとうと言った。男の子は嬉しそうに目を細めると、真っ赤な頬で誇らしげに笑った。




