第45話 選ばなかった黒の扉、その先では
⋯⋯開けられることの無かった扉。
その扉がある方向を黙って眺める。
悲しんでいるのか、それとも怒っているのか、はたまた嘆いているのか。
自分でも分からない感情に翻弄されながらも、泣き腫らしたかのような深紅の瞳から涙が零れないように懸命に堪える。
分かっている。
あの子は⋯⋯私を選ばなかった。
深き深き、森の中――。
そんな森の中に建てられた古ぼけたレンガ調の家と、その家先に設けたテラス。
せっかくの逢瀬なのだから最高の舞台を。
今や意味を失った感情、その感情のままに木々を切払い綺麗な平地を作った。
他にも、鬱蒼とした印象を払拭するために少しずつ森に穴を開けたりした。
少しずつ開いた穴からは木漏れ日が差し込んでいる。
テラスに座る私を中心に広がる、木漏れ日の森。
静かで居心地の良い空間には時折涼やかな風が吹き、このまま此処で眠ってしまいたくなる。
俯きがちに首を傾け、丁寧に梳かした黒のミディアムボブが形を崩す様を眺める。
人から見たら、今の私はどう映るだろう。
誰も訪れない深き森の中、一人の美女が儚げに物思いに耽る様。
お伽噺に出てくる女の子のように、幻想的な印象を抱かせたりしないだろうか。
「⋯⋯どうして?」
見る者に幻想的な印象を抱かせるとしても、此処には私を見てくれる人は居ない。
問いかけは何処にも誰にも届く事は無く、静かに森へと吸収されて消え去るだけ。
本当なら今頃は悠月君と、どんな楽しい一時を過ごしていただろう。
2つ用意されたティーカップとそこに淹れられた紅茶、その1つに映った自分の顔なんて見たくない。
悠月君が、悠月君になる前の出会い。
あの時、落ち度は無かったはず。
私がどちらかと言えば大人しい、引っ込み思案な性格なのは私が一番良く分かってる。
それを無理して親しみやすい雰囲気を作って、背中が汗でぐっしょりなるくらい頑張って興味を惹いたのに。
一体、何がいけなかったの。
悠月君が此処に居ない、それだけで今までの彼に対する努力全てが無駄になってしまった。
「やっぱり、姉様が⋯⋯」
1,000年以上も会っていないのに、その姿は今でも克明に覚えてる。
闇を纏った宝石のような瞳と長く伸ばされた白髪。
いつでも優しく微笑みかけてくれて、どんな時でも颯爽としていた。
姉様は此の世界そのものを惹き付ける魅力を持っていた。
同性の私ですら惚れてしまう魅力を前に、悠月君が姉様を選んでも不思議は無い。
でも、姉様は何も分かってない。
当時最強であった姉様の力をもってしても、あの業魔は倒せなかった。
強く凛々しかった姉様が何度も、何度も、何度も挑んで、それでも最後には――。
あの光景だけは何百年経っても忘れない。
その時に覚えた、身を焦がす程の憎しみも。
だから、あの業魔に体を穢されても、禁忌の代償を負わされても耐えられる。
全ては大好きだった姉様の為に。
強く噛み締めた事で唇が破れたのか、一筋の血が流れ落ちる。
私の瞳と同じ色をした血が口端から流れ落ち、テーブルに滴っていく。
綺麗に整えた黒髪と深紅の瞳を持つ私が、口端から血を滴らせている。
成長して多少魅力的になった今なら、姉様が優しく舐め取ってくれたりするだろうか。
⋯⋯想像はしても実際にそうなったら、きっと此の身に触れられただけで私は姉様を穢してしまう。
姉様の意志を守る為に、私は私の全てを業魔に穢されてしまったのだから。
それでも私が姉様を好きな事、その意志を守りたい事は変わらない。
もう二度と、触れて貰えなかったとしても。
でなければ孤独と羞恥と後悔に苛まれながら耐えてきた。
死んでしまえればどんなに楽かと何度も思った、800年という月日が無駄になってしまう。
そう――800年振りに訪れた好機。
尾張で銀閣を相手に生き抜いた悠月君なら、もしかしたらあの業魔に届き得るかもしれない。
だからこそ、姉様の好きにはさせられない。
姉様の為にも悠月君の首には鎖を付けて、私の元に飼い繋いでおかないと。
「えーっと、誰が良いかしら?」
光の粒子を集めて形作った愛用の書物。
装丁から頁に至るまで全てが黒で塗り潰された【天啓の書】に、白い文字を刻んでいく。
今この世界を管理しているのは姉様ではなく、私。
かつて世界を管理していた姉様がどんなに頑張ろうと、搦め手の多さでは私に及ばない。
悠月君を私の側に縛りつけて飼い慣らすには、どれが最良だろう?
⋯⋯いっそのこと、あの王女でも使ってみようか。




