「破邪の太刀」 午後4時、探偵社にて
結局散々現地を調べてみたが、なんの反応もなかった。幽霊が出るという噂は夜だ。夜に来てみればどちらかの気配はあるかもしれないと結論が出たから、狗吼丸を持って夜に見てみようと一度帰ることになった。帰り道は何も会話はない。
探偵社に戻ってみると、そこは騒然としていた。
荒らされた部屋の中に横たわる好実、その傍らには普段好実が子分たちと呼んでいる野良猫が彼を囲んでいた。野良猫は私たちが帰ってくるなり、一直線に部屋を飛び出していく。
「どうした、好実、一体何があった?」
「京極さん……ですか。すみません。刀、取られ……」
横たわった姿勢のまま好実は動かない。その声は掠れている。
服も大きく斬られており、その下の肌は回復したようで傷はないが血で汚れている。慌てて好実の側に寄って抱き起こす。瞼は閉じられており、呼吸は浅い。心拍は早くなっていて、背中は汗で冷えている。
「好実、何が起きた。」
「毒を、盛られただけ……です。なんとか話は可能ですが、あと半日は動けそうにない」
部屋の惨状を見る。確かに狗吼丸は見当たらない。先程あったことを思い出す。
『次はあなたの持っている『破邪の太刀』を返してもらいに参ります。』
まさかあの後直ぐにこの事務所を襲いに来たとでも言うのか。
探偵社と三鷹はそれなりに距離がある。電車に乗って移動するくらいだ。あの後すぐにここに向かったとして、はたして我々が帰ってくるまでに盗める時間はあるだろうか?しかし、彼ら以外に好実を倒し、狗吼丸を盗む理由を持っているやつに心当たりはなかった。
ふいに、背にたつ銀の影からにゅるりと伊呂波が飛び出てくる。
「この匂い、連珠デハありまセンよ。半人半魔デス。だいぶ熟練したウデマエの持主デスネエ。」
床に落ちていたものを伊呂波は残った腕で拾う。連珠に斬られた片腕は服で隠れているが、中身は無いことがわかる。
拾ったものは好実の物であろう赤黒く変色した血がこびりついている。おそらく好実が力任せに引っこ抜いたであろう手裏剣だ。
「やったのは僕の師匠、かつ、賞金稼ぎ、です。」
「賞金稼ぎが?」
噂でしか聞いたことがなかったが、本当に帝都に実在していたのか。
集団ではなく個人で、正義感ではなく金で動くはぐれもの。
連珠が依頼して襲わせたのか?
「今晩の『相互助成組合』に行けば、何か分かるかもしれません。賞金稼ぎの主な依頼交渉の場所です、依頼主くらいなら分かるかも。それに、廃線路の幽霊についても情報収集できるいい機会です。」
「律子、ワタシに行かせてクダサイ。モシ連珠が現れたナラ、先のお返しをしたいのデス。」
「僕も行く。その頃には毒も抜けてる。」
好実は責任を感じているのか、気不味い顔ではあるがはっきりと参加を唱える。だが毒が回ってただでさえ動けない好実を行かせるのは酷だ。大人として見ていられない。降神の居ない今、臨時社員とはいえ外部の人間だけで行かせるわけにはいかない。
「しかし、まだお前は毒でろくに動けないだろう。だったら私が……」
「貴方はまだ人間でいたいなら、行かない方がいい。あそこは妖魔に列なる者共の情報収集の場所。この業界に身を置くならこの意味がわかるでしょう。」
銀は強く言い放つ。少し怒りを滲ませたような声色だ。
この男は「人間辞める覚悟も無い奴がしゃしゃりでるな」と、暗に言っているのだ。
実質その通り。国のために人間を辞められるかと問われれば、嫌だ。人間を辞めたいとは思わない。しかし代表として行かねばならない。言葉に詰まっているのを見て、銀は曖昧に笑う。
「戦闘能力が半減以下になったんです。貴方が来たところでメリットはありません。むしろ人外化リスクの方が大きい。」
「だから、僕が行きます。適材適所って、いつも京極さんは言ってる癖に。」
苛立ったのか、好実はゆっくりとだが立ち上がる。足は震えていて、呼吸も浅く、今にも倒れそうではあるが、その目はいつも通りに真っ直ぐ前を見据えている。全てを見透かそうとしているような意思の強い瞳。私は普段から一度も適材適所など言った覚えはない。これは好実なりの助け船のつもりだろう。黙って口を閉じざるを得なかった。
「京極さん、あなたは降神さんが帰ってきた時のために部屋を掃除して待機するか、この上着を直していてください。」
「好実……」
破かれた制服の上着を乱暴に脱いで渡してきた。それを受け取ると、銀に向かい合う。
「しょうがないから協力してあげます。内の大人連中は揃いも揃って頼り無いので。」
「良ければ毒の中和剤を夜までに用意しておきますが、要りますか?」
「……寝てれば治るので、行く時間になったら起こしてください。それまで上の部屋に入らなければ、好きにしていて構いませんから。」
それだけ言って好実はうつむきがちに上の部屋に戻る。
私は、己の無力さを恨む。こんなときこそ自分がしっかりせねばならないのに、未成年の部下に気を使われてまで助けられてしまった。
「あなたは気に病む必要は無いんです。それが正しい考え方ですから。人が無理して妖魔になる必要はない。あなたにはここ以外での生活があるのでしょう?迷うくらいなら行かない方がいい。」
「それでも、本来なら行かねばならない場面だったさ。」
私はこの探偵社の一員だと、胸を張って言えない。
私の代わりは幾らでもいる。けれど、京極悠介の代わりは誰にも務まらない。
異動の話を聞くのは、だいぶ先の話になりそうだ。