「破邪の太刀」世を忍ぶもの
好実陽太は探偵社で一人留守番をしていた。京極は律子と外に行き、降神も朝からいない。仕事もなければ客もいない。
「それにしても、京極さんにはあれが人の姿に見えているっていうのか。」
好実には物事の本質が見えていた。だからこそ彼にとって律子は人の姿をしていない。彼にとっての律子は巨大なムカデであった。
探偵社に進入してきたムカデの妖魔は銀律子と自称していたが、あれはかろうじて人の姿をとっているだけの人でなしだ。連絡もなく進入してきたから撃退しようとしたのに、誉められこそすれ逆に窘められた。理不尽な。
そんな事を考えながら部屋中を掃除していた。部屋に律子の匂いが残っていて不愉快だから。
もともとそこまで広くない事務所なので、掃除はすぐに終わってしまう。やることもなくなり、いっそ外にいる子分たちと出掛けようか……と思っていた。窓の外を見るまでは。
「鬱陶しい!用があるなら早く入って来いよ!」
開けた窓から入ってきたのは赤い影。
好実の目の前に現れたのは小柄な忍者だ。
柿色の忍び装束の下はさらしで厳重に隠されていた。
「じじい、今頃になって何の用だ。こそこそと覗き見して。」
「相変わらず代り映えせんのう。口の悪さばかり達者になりおって。かわいくない甥っ子の頼みなんでな。仕事のついでに教え子の様子を見に来ただけじゃ。」
忍者は大分年を取っているらしい。しゃがれた老人の声がする。
好実は老人忍者に対し敬意を払う気は微塵もない。旧知の仲だからと椅子を勧めるわけでも、ましてお客様扱いなんてするはずがなかった。
「なんじゃ、茶のひとつも出んのか。」
「ふん。偉そうに。客じゃないなら茶漬けしかでません。」
「茶はないのに茶漬けは出すんか。わしゃあ茶漬けは昆布茶でしか食わんぞ。」
「早く帰れって言ってるんです!」
「知っとる知っとる。元気そうな様子が分かったしの。ここの妖魔祓いの刀一口でとっとと帰ったる。」
忍者の見えている先には、京極が置いていった狗吼丸がある。忍者は狗吼丸を目掛けて動き出していた。好実は忍者より狗吼丸に近い。好実は忍者の手が狗吼丸に届くぎりぎりで咄嗟に狗吼丸を掴むと、そのまま窓の外に放り投げた。
間一髪だった。好実の右腕は制服ごと切り裂かれ、腕を伝って床に血が流れている。忍者は好実を放置して窓の外へと飛び出していった。
「ざまあみやがれ、じじい」
窓の外に投げた狗吼丸は好実の子分である猫やら鳩やらによって運ばれ、今は裏手の街路樹に引っ掛かっている。通行人や忍者に見つかる前に回収しなければ。
鍵をかける暇を惜しんで好実も窓から飛び降りた。