魔王様!食生活から見直しましょう。
魔王の専属ダイエット係に任命された翌朝。
俺は早くも後悔していた。
「……帰りたい」
窓の外には、紫色の空。遠くには黒い山々が連なり、空を飛ぶ巨大な魔物の姿が見える。
どこからどう見ても異世界だ。
そして俺は、その異世界の魔王城に住み込みで働くことになってしまった。
仕事内容は、魔王のダイエット指導。
待遇は、失敗したら処刑。
福利厚生については、まだ聞けていない。
「せめて有給休暇くらいは欲しい……」
そんなことをぼやいていると、部屋の扉が勢いよく開いた。
「人間よ! 朝食の時間だ!」
「うわっ!」
現れたのは、魔王ヴァルガスだった。
昨日と同じ黒い鎧。昨日と同じ威圧感。そして昨日よりも明らかに機嫌がいい。
なぜなら、その後ろには大量の料理を運ぶ魔族たちが並んでいたからだ。
「見よ! これが魔王城の朝食である!」
魔王が両腕を広げる。 ポヨン。 腹が揺れる。
テーブルの上には、山羊肉の丸焼き、巨大なソーセージ、バターがたっぷり塗られたパン、山盛りのベーコン、チーズの塊、そして大きな壺に入ったスープ。
さらに、端には色とりどりのケーキまで並んでいた。
「……これ、朝食ですよね?」
「無論!」
「晩餐会じゃなくて?」
「朝食だと言っておる!」
魔王は誇らしげに胸を張った。 ポヨン 。腹が揺れた。
俺は思わず額を押さえた。
なるほど。
この人が太った理由、開始三秒で理解できた。
「さあ、食べるがよい! 貴様も腹が減っているだろう!」
「いや、俺は……」
「遠慮するな! 余の食卓に招かれることは、魔界において最高の名誉である!」
魔王がそう言うと、周囲の魔族たちが一斉に頭を下げた。
「陛下の御慈悲に感謝を!」
「……いや、普通に朝ご飯を食べるだけですよね?」
俺のツッコミは、誰にも届かなかった。
仕方なく椅子に座り、目の前の料理を眺める。
美味しそうではある。
実際、焼きたての肉からは香ばしい匂いが漂っていた。
だが、これを毎朝食べているのなら、そりゃ太る。
「では、いただきます」
俺が手を合わせると、魔王が怪訝そうな顔をした。
「何をしておる?」
「食事の前の挨拶です」
「妙な風習だな。余もやろう」
魔王は両手を合わせ、低い声で宣言した。
「いただきます」
なぜか、ものすごく威厳があった。
そして次の瞬間、魔王は肉の塊にかぶりついた。
「うむ! 美味い! やはり朝は肉に限る!」
豪快に食べる魔王。
口いっぱいに肉を頬張り、パンをちぎり、スープを飲み干す。
その姿は、魔王というより食欲に支配された巨大な獣だった。
俺はしばらく黙って見ていたが、やがて意を決した。
「魔王様」
「んぐ?」
「今日から食生活を見直しましょう」
ピタリ。
魔王の手が止まった。
「……なんだと?」
「その食事量、明らかに多すぎます」
「貴様、余の食事に文句をつける気か?」
「文句じゃなくて健康の話です。昨日、余命半年って言われたのを忘れたんですか?」
「忘れておらぬ!」
「なら、少しは気にしてください!」
魔王は腕を組み、難しい顔で考え込んだ。
そして、真剣な表情で口を開いた。
「よかろう。では、どれほど減らせばよい?」
「そうですね。まずは食べる量を見直して、野菜や豆類も取り入れましょう。肉を全部禁止する必要はありません」
「肉は禁止ではないのだな?」
「禁止とは言ってません」
「よし!」
魔王が拳を握った。
「では、肉を三倍にしよう!」
「なんでそうなるんですか!?」
「野菜も食べるのであろう? ならば肉も増やさねば、栄養の均衡が取れぬ!」
「そんな独自理論で健康を語らないでください!」
周囲の魔族たちが、ざわざわと騒ぎ始めた。
「陛下が食事の量を減らす……?」
「そんなことが、本当に可能なのか……?」
「まさか、魔界に終焉が訪れるのでは……」
「いや、終焉が来るのは陛下の血管のほうです!」
俺の叫びに、魔族たちが一斉に黙った。
しまった。
つい余計なことを言った。
魔王の目が細くなる。
「……人間よ」
「は、はい」
「貴様、なかなか口が減らぬな」
「すみません……」
「だが、よい。余は寛大な王である。今日から貴様の指導に従ってやろう」
「本当ですか!?」
「うむ! まずは食事の改善だな!」
魔王は勢いよく立ち上がった。
その拍子に椅子がギシッと悲鳴を上げた。
「料理長!」
「はっ!」
厨房の奥から、巨大な体格の魔族が走ってきた。
白いコック帽をかぶり、両手には包丁。顔には立派な口ひげが生えている。
「陛下、お呼びでしょうか!」
「聞け! 本日より余の食事を改善する!」
「な、なんですと!?」
料理長が包丁を取り落とした。
「陛下のお食事を……改善……?」
「そうだ! これからは野菜も食べる!」
「野菜……!?」
料理長はその場に膝をついた。
「おお……陛下がついに……! 魔界の歴史が変わる日が来たのですな……!」
「いや、そこまで大げさな話じゃないですからね?」
だが、料理長は感極まった様子で涙を流していた。
「わかりました! この料理長、命に代えても陛下の健康をお守りいたします!」
「いや、命は大事にしてください」
料理長は勢いよく立ち上がると、厨房へ走っていった。
「野菜を用意しろ! 魔界中からありったけの野菜を集めるのだ!」
「はっ!」
「調理法はどうしますか!?」
「知らん! とにかく野菜だ!」
「雑すぎるだろ……」
俺は頭を抱えた。
この城、大丈夫だろうか。
そんな俺の心配をよそに、魔王は満足げにうなずいていた。
「ふむ。これで余の健康も安泰だな」
「まだ何も始まってませんよ」
「何を言う。野菜を食べると決めたのだぞ」
「決めただけです」
「決意こそが第一歩であろう!」
「それはそうですけど……」
妙に説得力があるのが腹立たしい。
それから一時間後。
俺たちは再び食堂に集まっていた。
テーブルの上には、山のような緑色の料理が並んでいる。
いや、正確には、緑色の何かが並んでいた。
「……料理長」
「はい!」
「これは何ですか?」
「魔界産の野菜をふんだんに使用した、特製健康料理でございます!」
皿の上には、紫色の葉っぱ、青いキノコ、見たこともない巨大な根菜。そして、なぜか小さな目玉のようなものが浮かんでいるスープ。
料理というより、魔物の巣窟だった。
「……食べられるんですか、これ?」
「もちろんです! 毒抜きはしております!」
「毒抜き!?」
俺は思わず椅子から立ち上がった。
「毒があるんですか!?」
「魔界の野菜ですから!」
「そんな自信満々に言わないでください!」
魔王は興味深そうに皿を覗き込んだ。
「ふむ。なかなか色鮮やかではないか」
「陛下、見た目だけで判断しないでください」
「では、食べてみよう」
魔王はフォークを手に取り、紫色の葉っぱを口に運んだ。
もぐもぐ。
ごくん。
「……」
「……どうですか?」
魔王は無言で天井を見上げた。
そして、静かに口を開いた。
「料理長」
「はっ!」
「これは……」
「はい!」
「草だな」
「草です!」
「いや、草なんだな……」
魔王は遠い目をした。
料理長は誇らしげに胸を張っている。
「陛下の健康のため、魔界で最も栄養価の高い草を厳選いたしました!」
「草って言っちゃったよ、この人!」
俺は思わず頭を抱えた。
結局、その日の昼食は俺が厨房に入り、魔界の野菜と肉を使って簡単な料理を作ることになった。
野菜を細かく切り、肉と一緒に炒め、塩と香草で味を調える。
特別な料理ではない。
だが、魔王は一口食べると目を見開いた。
「……美味い」
「そりゃよかったです」
「野菜とは、肉と一緒に食べるものだったのか……!」
「いや、野菜単体でも食べられますからね?」
魔王は夢中で皿を空にした。
もちろん、最初に決めた量を守って。
食後、魔王は満足そうに腹をさすった。
「ふむ。これならば、食事も悪くない」
「でしょう? いきなり全部を変える必要はないんです。まずは続けられることから始めましょう」
「続けられること、か……」
魔王は少しだけ真剣な顔になった。
「余は、これまで何も考えずに食べていたのかもしれぬな」
その言葉に、俺は少し驚いた。
魔王にも、自分の生活を振り返る気持ちはあるらしい。
これなら、意外と何とかなるかもしれない。
そう思った、そのときだった。
「料理長!」
「はっ!」
「今の料理を、明日の朝も用意せよ!」
「かしこまりました!」
「ただし!」
魔王の目が鋭く光った。
「肉を二倍にせよ!」
「増やすなああああああああっ!」
俺の叫びが、魔王城の食堂に響き渡った。
こうして、魔王の食生活改善計画は、前途多難な幕開けを迎えたのだった。
なお、その夜。
魔王の寝室から、こっそりとこんな声が聞こえてきた。
「……プリン一個くらいなら、問題あるまい」
「聞こえてますよ、魔王様!」
「なっ!? 貴様、いつからそこに!?」
「最初からです!」
「くっ……! 次こそは完璧に隠してみせる!」
「隠す方向に努力しないでください!」
魔王のダイエット生活は、まだ始まったばかりである。




