目が覚めたら魔王の城。そして魔王はメタボだった。
目が覚めたら、知らない場所だった。
石造りの天井。壁に飾られた不気味な彫刻。
赤黒い絨毯。そして、やたらと高そうな家具。
どう見ても俺の六畳一間のアパートではない。
そもそも、俺の部屋にはこんな立派なシャンデリアはなかった。というか、シャンデリアなんて買った覚えもない。
「……どこだ、ここ」
俺はゆっくりと上半身を起こした。
昨日の記憶をたどってみる。
会社で残業をして、終電で帰って、コンビニで買った弁当を食べて、それから……。
そうだ。帰宅途中、トラックが突っ込んできたのだ。
「……ああ、これ、死んだのか」
妙に納得してしまった。
そして、目の前の状況を見渡す。
豪華な部屋。見知らぬベッド。窓の外には紫色の空。
なるほど。
「異世界転生ってやつか」
最近読んでいた小説の展開が頭をよぎる。どうせなら、チート能力でも授かっていてほしい。剣聖とか、賢者とか、せめて魔法使いとか。
そんなことを考えていると、背後から低い声が響いた。
「目覚めたか、人間よ」
「うおっ!?」
振り返った俺は、思わずベッドから転げ落ちそうになった。
そこにいたのは、黒い鎧を身にまとった大男だった。頭には二本の角。背中には巨大な翼。燃えるような赤い瞳。全身から漂う圧倒的な威圧感。
どう見ても人間ではない。
というか、ゲームや漫画でしか見たことのない存在だ。
「我が名はヴァルガス! 魔界を統べる王にして、全ての魔族の頂点に立つ者である!」 ポヨン
男が胸を張る。 と、同時に魔王の腹が揺れた。
その瞬間、外で雷が光った。 ゴゴゴゴゴ
「……魔王?」
「いかにも!」
魔王。
魔界。
異世界。
俺は思わず額を押さえた。
まさか本当に異世界転生するとは。しかも、目の前にいるのは魔王だ。普通なら勇者として召喚されるとか、伝説の剣を手に入れるとか、そういう展開を期待するところだろう。
だが、俺は普通の会社員だった。剣道の経験もなければ、魔法の知識もない。特別な能力といえば、コンビニ弁当を三日連続で食べても平気な胃袋くらいだ。
「人間よ。貴様に頼みがある」
魔王が重々しく口を開いた。
「……頼み?」
「そうだ。余を救ってほしい」
「はい?」
魔王を救う?
勇者じゃなくて?
倒すんじゃなくて?
俺が首をかしげていると、魔王は懐から一枚の紙を取り出した。
「これを見よ」
「はあ……」
俺は紙を受け取った。
見慣れない文字が並んでいたが、不思議なことに意味は理解できた。異世界転生のお約束というやつだろうか。便利なものである。
俺は診断書らしき紙に目を通した。
『診断結果:高度肥満。著しい運動不足。食生活の改善を要する』
「…………」
その下には、さらに衝撃的な一文が記されていた。
『現在の生活を継続した場合、余命は半年程度と推定される』
「…………え?」
俺はゆっくりと顔を上げた。
目の前には、腕を組んで威厳たっぷりに立つ魔王。
その腹部は、鎧の隙間からでもわかるほど立派に膨らんでいた。 ポヨン。
いや、立派という表現は適切ではないかもしれない。
明らかに出ている。
とても出ている。 ポヨン。
魔王というより、休日に一日中ソファで過ごす中年男性のような体型だった。 ポヨン。
「……あの」
「なんだ」
「魔王様、太りすぎじゃないですか?」
沈黙。
空気が凍った。
魔王の赤い瞳が、ギラリと光る。
「貴様……今、なんと言った?」
「いや、その、診断書にも書いてありますし……」
「黙れ!」
魔王の怒声が部屋中に響き渡った。壁の燭台が震え、窓の外で鳥のような何かが飛び去っていく。
「余は魔界を統べる王! 幾千もの軍勢を従え、勇者どもを幾度となく退けた存在ぞ! この程度の肉体、些細な問題にすぎぬ!」
「でも余命半年って……」
「黙れと言っておる!」
「すみません!」
怖い。めちゃくちゃ怖い。
さすが魔王。怒鳴られただけで寿命が縮んだ気がする。いや、もう一度死んでるんだけど。
しかし、魔王はすぐに顔を背けると、低い声でつぶやいた。
「……医師が言うには、このままでは半年もたぬそうだ」
急に弱気になった。
「食事を改善し、適度な運動を行い、体重を落とさねばならぬらしい」
「はあ……」
「だが、余には魔王としての責務がある。毎日の政務に、軍の統率、勇者の討伐、各地の反乱の鎮圧……」
「大変ですね」
「それに!」
魔王は突然、声を張り上げた。
「余は食べることが好きなのだ!」
「そこですか!?」
思わず叫んでしまった。
魔王は真剣な顔でうなずいた。
「朝は山羊肉の香草焼き。昼は大鍋の魔獣シチュー。夜はドラゴンステーキ。そして食後には、魔界名物・漆黒の濃厚プリンを三つ……」
「食いすぎだろ!」
「なっ!?」
「いや、三食全部が豪華すぎるんですよ! プリン三つってなんですか! 食後のデザートの量じゃないでしょう!」
「プリンは別腹であろう!」
「魔王にも別腹の概念があるのかよ!」
しまった。つい素でツッコんでしまった。
しかし、魔王は怒るどころか、なぜか深くうなずいていた。
「……貴様、なかなか見どころがあるな」
「どこに!?」
「余の食生活について、ここまで率直に意見した者は初めてだ」
「そりゃ、普通は怖くて言えないでしょうよ……」
俺だって、本当なら言いたくなかった。
できれば、穏やかに暮らしたい。
なんなら、異世界の美味しい料理を食べて、のんびり過ごしたい。
だが、どうやらそんな未来は遠そうだった。
魔王は俺の肩に手を置いた。
その手は大きく、鎧越しでもずっしりと重かった。
「人間よ。貴様を、余の専属ダイエット係に任命する」
「…………は?」
「余の命を救え」
「いやいやいや! 待ってください! 俺、医者でもトレーナーでもないんですけど!?」
「構わぬ!」
「構いますよ!」
「失敗すれば無論、処刑だ!」
「労働条件が最悪すぎるだろ!」
俺の叫びが、魔王城に響き渡った。
こうして俺は、異世界転生初日にして、とんでもない仕事を押しつけられることになった。
魔王の命を救う。
そのために必要なのは、伝説の剣でも、最強の魔法でもない。
食事管理と運動指導。
そして、魔王の食欲に立ち向かう勇気だった。
……いや、無理だろ。
俺は心の底からそう思った。
そのとき。
ぐううううううううう。
部屋中に、低く重い音が響いた。
俺は顔を上げた。
魔王が、気まずそうに腹を押さえていた。 ポヨン。
「……昼食の時間だ」
「さっき食べたんじゃないんですか?」
「うむ。三時間ほど前にな」
「十分だろ!」
「厨房に、ドラゴンステーキを用意させてある」
「今日から食事管理するんじゃないんですか!?」
魔王は堂々と胸を張った。
「案ずるな。明日から本気を出す」
「ダイエットを始める人間が百回くらい言うやつ!」
俺は頭を抱えた。
先が思いやられる。
いや、本当に。
この魔王を半年以内に健康にするなんて、世界征服より難しいんじゃないだろうか。
これは、世界最強なのに食欲には勝てない魔王と、そんな魔王に振り回されることになった俺の物語である。




