8.結ばれた絆
「……長々と身の上話をしてしまったけれど。つまり、崖から突き落とされたところで、自力で助かる術も、ましてや他人を助ける力も私にはないの。だから、こうやってふたりとも無事なのは、絶対に私のおかげじゃないわ」
「そっか……」
ぼろ泣きしていたルカがようやく泣き止んだところで、話は本題に戻った。
「奇跡にしては、中途半端よね……崖の下に突き落とされたままじゃ、助かった命も無駄になりかねないわ」
「そうだね……どうやってここから脱出すればいいんだろう」
うーん、と考え込む。
「……登る?」
「その足で?」
「そこは気合と根性で……」
「無茶よ」
「かぁ……」
さっきより痛みが引いたような、増したような、よくわからない足をさすろうとして、やめた。触ったら余計に痛そうなのだ。仮に根性出して登ったところで、この足では、手が滑りでもしたら一瞬でお陀仏である。
「さっき言ってた転移の術っていうのも、きっと無理……なんだよね?」
「ええ。そもそも、使える者が限られる術なのよ。私の力では、とても扱えないわ……」
「だよな……ごめん、嫌なこと聞いて」
「いいのよ、事実確認だもの」
ゼスィリアの態度はさっぱりとしていたが、それでもルカは罪悪感を覚えた。
「じゃあ……お付きの人に、連絡は取れない?」
「ごめんなさい、それも無理なの。特殊な装飾品を使わない限り、私みたいな神術がうまく使えないものは念話が難しいわ」
「そっか……ダメだ、八方塞がりだなあ……」
ルカは頭を抱える。
「ごめんなさい、役立たずで……」
「こっちの方が役立たずなんだよ、役立たず通り越して最早足手纏いだよ」
ほれこの足、とルカは自虐をかます。それでなくたって脆弱で何の対抗手段もない人間なのだ。自身の無力さを噛み締める。
「そう簡単に、ヒーローにはなれないよなあ……」
自分がもっと大層な人間だったら良かったのに、と思う。もし今悪魔に「力が欲しいか」と囁かれでもしたら、うっかり頷いてしまいそうだ。
無力さに打ちひしがれていると、おもむろにゼスィリアが口を開いた。
「……貴方が役立たずなんて、そんなわけないじゃない。だって、私を助けてくれたでしょう」
「……」
「その足だって、私を庇ったからこそでしょう。それだけじゃない、その足で、泣き言ひとつ言わず、私のために走ってくれたでしょう」
「……いや、なんかもう、必死だったから」
振り切れた恐怖心が、ちょっとだけルカに蛮勇を授けたに過ぎない。力あるひとだったら、それこそ『騎士』のひとだったら、もっとまともな対処方法があったことだろう。
居心地の悪い思いをしているルカに、ゼスィリアはしっかりと意志のある声で言った。
「そうやって、必死に助けようとしてくれた。そんな貴方が役立たずなはずないわ。貴方はとても、勇敢な人よ」
過分な評価だ。ルカはそんなに大した人間では無い。だけど、本気でそう言ってくれているのが否が応でも伝わってきて、頬にじわじわ血が上る。本物の役立たずが言うんだもの間違いないわ、と自虐を添えるゼスィリアを、ルカは照れ隠しに小突いておいた。
「正直に言うとね。もし、私に『騎士』がいたら、こんな感じだったのかしら、なんて思ったわ」
「……買い被りすぎだよ。あの時だって、あとちょっと恐怖心が勝ってたら、ゼスィリアを見殺しにしてた」
「でも、私は結果的に、五体満足で生きてるわ。それは貴方の勇気のおかげ。……本当に、ありがとう」
真剣に頭を下げられて、言葉が出なくなってしまう。そんな大層なことが出来たつもりは微塵もない。でも、こうしてゼスィリアが真摯に伝えてくれた気持ちを、無碍にするのも違うと思った。
だから、真摯に、嘘偽りのない言葉で、答えることにしたのだ。
「……こんなので良ければ、助けるよ。できることは、限られてるけど。できる限りを尽くして、ゼスィリアのこと、助けるよ」
ゼスィリアが、目を見開いた。
「ていうかさ。そもそもゼスィリアが声かけてくれてなかったら、今頃のたれ死んでる身だし。他にも色々、ご飯のこととか、助けてもらったし。これだけ助けて貰っておいて、何も返さない方が、罰当たりってもんだよね」
ルカはなはは、と情けなく笑った。
「……さっき、崖から落ちて目が覚めたあと、命の恩人がどうのって話をしたけど……それがなくてもゼスィリアは、命の恩人だよ。こちらこそ、ありがとう」
頭を下げる。ね、と笑って見せれば、ゼスィリアは少し堪えるように指で目頭を抑えたが、やがてくすりと微笑んで言った。
「それじゃあ私達、命の恩人同士ってことかしら」
「……ほんとだね。そういうことになるね」
二人は目を見合せて、笑った。
「まあ、人生なんて助け助けられだし、そうなるのも吝かじゃないといいますか……ってか、ここまで来ると最早一蓮托生感あるな。こうなったら命の恩人同士、最後まで、助けて、助けられて、そんで助かってやろうよ」
「……ええ、そうね。そうだわ。この理不尽を何としても打破して、笑って、帰ってやりましょう。生きて、生き抜いて、どうだ生き延びてやったぞって、笑って言ってやりましょう」
そう言って二人は頷き合う。二人の目には最早不安も恐れもなく、ただ希望と、生気だけが溢れていた。
ルカはすっと、掌をゼスィリアに差し出す。
「共同戦線、よろしく、相棒!」
「……あい、ぼう?」
「あ、えーと」
ゼスィリアの訝しげな声音に、ルカの手が勢いを失ったようにすごすごと引っ込められた。
「……ごめん。ノリと勢いで、つい……。いや、あの、一蓮托生だから、さ。友達超えて、相棒みたいなもんかなって……いやごめんほんと忘れてくださいすいません」
しょぼしょぼと声の小さくなっていくルカを、ゼスィリアは唖然とした目で見ていた。
「……相棒」
「いやごめんて忘れてくれ」
さっきの生気漲る笑顔はどこへやら、どんどん小さくなっていくルカの手を、ゼスィリアはぱっと掴んでいた。
「……いいえ。いいえ。気を悪くしたのじゃないの。私……友人なんて呼べるひともいなくて……そう言ってくれたひと、初めてで……その、言葉が出なくて」
言葉尻がすぼんでいくのと対照的に、ルカの手を握る力は強かった。
「その、だから。こちらこそ、よろしく。相棒さん!」
勢いつけて発したであろう言葉は、ルカの心にすとんと届いた。
ぎゅっと手を握りしめられ、ルカの顔に再び笑みがこぼれる。
そして、その手を強く握り返した。
その時だった。
視界が、蒼く、弾けたように感じた。
眩さに思わず瞑ってしまった目を、薄らと開く。
蒼い光が、当たりを照らしている。
何事かと光の根源を辿って、ルカは目を見張った。
ルカとゼスィリアの座り込んだ地面の上に、青く光る陣が出現していたのだ。
「なっ、何これ!?」
新手の敵か、ヘルグリューンの差し金かと焦って辺りを見回すルカの横で、ゼスィリアは呆然とした顔で「……うそ」と呟いた。
「『騎士』の、契約陣……!? 何故、こんなところで……」
「えっ、『騎士』って、さっき話してた……!?」
ゼスィリアの信じられないと言わんばかりの呟きに、先程得たばかりの知識をルカは掘り起こす。
「も、もしかして、ゼスィリアのピンチに、ようやく『騎士』が応えてくれたってこと!?」
「いえ、違うわ……これは選定じゃなくて契約の陣……本来なら『皇継』と『騎士』、どちらも揃っていないと発動しないはずの……」
そこまで呟いたところで、ゼスィリアはハッとした顔で、ルカを見た。
「まさか、さっきの言葉が……!? それじゃあ、貴方、本当に……」
「な、何? 何が分かったの、ゼスィリア!?」
何を悟ったのか一人驚愕するゼスィリアに、ルカは必死に問いかける。
しかし、ゼスィリアが問いの答えを口にする前に、陣が一際強く輝いた。
眩さに再び目を瞑る。
二人がもう一度目を開けられたのは、目の潰れるような輝きが、穏やかと言えるくらいに収まってからだった。
視界を取り戻そうと二、三回目を瞬いて、ようやく目の前がはっきり見えて来る。
そして、ルカとゼスィリアは、同時に目を見開いた。
淡く光り輝く蒼いの六角柱の結晶が、ルカの目の前で漂うように浮遊していたのだ。
「『心結晶』……! 本当に、貴方が、私の……」
ゼスィリアが掠れた悲鳴を漏らす。
ルカは恐る恐る、その結晶を手に取った。
深い紺碧を称えながらも、どこまでも透き通る不思議な色合いの結晶は、ちょうどルカの手のにすっぽり収まる大きさをしている。
この結晶が、一体どんなものなのか、ルカにはまだよく分からない。
でも、滅多に働かないルカの勘が、今だけは鋭く、これが生死を分ける切り札になると告げている。
気の所為か、今までずっと失っていたものを取り戻したような気持ちで、ルカはその結晶を握りしめた。
不思議と心が凪いでいる。今ならどんな事でも成し遂げられる気がした。
すくりと立ち上がる。あれほど響いていた足の痛みも、もう気にならない。
「行こう、ゼスィリア」
手を差し伸べる。ゼスィリアの表情には、驚愕と希望、困惑と感慨の色が入り交じっていたが、やがて何かを覚悟するようにぎゅっと目をつぶり、開かれた瞳には、決意の色だけが宿っていた。
「……ええ」
ルカの手を取り、ゼスィリアが立ち上がる。
半端者と呼ばれた二人の反撃の狼煙が、今、上がろうとしていた。