9.それぞれの想いを胸に
「うーん、さすがに死んだかなー」
自らが引き裂いた地面の割れ目の崖っぷちに立って、ヘルグリューンは無邪気に下を覗き込んだ。
と言っても、半端者の竜もどきと、何も出来ない無力な小僧っ子である。こんな断崖から突き落とされて、命が無事に助かるはずも無いのだが、「油断は禁物」と常々主に口を酸っぱくして言われているので、こうして標的が死んだところをきちんと確認するくらいはしておこうと思ったのだ。
(あるじ様もひっどいよね〜。ボクはこんなに強いのに、いつもいつも出来ない子みたいに言うんだもの)
ヘルグリューンはしゃがみ込んで頬杖をついた。崖っぷちにいるというのに、だいぶ危なっかしい。だが、絶対に落ちない、ないし落ちても助かる自信があるのだろう、その動作に慎重さは欠片も見受けられなかった。
ヘルグリューンは頬を緩ませる。
(だけど、この仕事を完遂したって知ったら、あるじ様も絶対ボクのこと褒めてくれる。それだけじゃない、いつもボクを格下だって小馬鹿にしてくるアイツらだって、ボクのことを認めざるを得ないはず)
普段半人前扱いばかりしてくる連中が、自分の前に這いつくばる姿を思い浮かべると、それだけで笑みが溢れてくる。
「ふふふ! あー、楽しみだな! そうと決まれば早速、あるじ様に任務完了の報告をしなくっちゃ!」
ご機嫌でヘルグリューンはすくっと立ち上がった。
その時。
奈落の崖だった場所から、激流が吹き出した。
「は? なになになになに!?」
半ばパニック状態で、ヘルグリューンは崖端から飛び退いた。だが、崖から吹き出した激流は、まるで誰かの意思に従うかのように、真っ直ぐヘルグリューンの方へ向かってきている。
「……うっそお」
もしかして崖を引き裂いた時に、うっかり水脈でも当てちゃったかな、とヘルグリューンは青ざめた。
ふいに脳裏に蘇るのは、「うっかり屋」と自分を嘲笑する、『格上』の奴らの嗤い顔。
(っ、そんなことないもん! 僕はいつでも強くて何でもできるんだから! こんなの想定内だしっ、ていうか想定外でも対処なんて余裕だしっ!!!)
真の強者であれば到底しないであろう言い訳を心の中で捲し立てながら、ヘルグリューンは襲い来る激流を切り裂こうと、蔓を数本呼び寄せる。
しかし、流れに抗おうとしたヘルグリューンの蔓は、逆にあっさりと切って捨てられた。
「えっ!?」
驚愕がそのまま口から漏れる。想定外の事態を対処できなかった、という事実が、余計に彼を焦らせる。
そんなヘルグリューンの焦りなどまるで意に介さぬという風に、激流は彼の目の前でひと所に集まり始めた。
やがて渦をなし、球体に形作られた水の流れが、役目を終えたと言わんばかりに弾け飛ぶ。
その、中から現れたのは。
先程ヘルグリューンが『始末した』はずの。
半端者のはずの竜もどきと、何も出来ないはずの無力な小僧っ子、だった。
「うっそぉ……」
ヘルグリューンはもう一度、驚嘆の呟きを零さざるを得なかった。
***
さっきまで何も出来なかったのが嘘みたい。
ルカはどこか遠くから自分を見つめるような気持ちで、そんなことを思った。
実際、不思議な話だが、あの結晶を手にした瞬間から、失っていた『力』を一気に取り戻したような感覚がルカの体を駆け巡っていた。
同時に、その『力』が水の気を帯びていることも、まるで最初から知っていたかのように分かっていた。
先程までは、どれだけ踏ん張ろうが気合いを入れようが、普通の中学生が出せる程度の腕力くらいしか頼りになるものがなかったのに、今は、あらゆる水源が、自分の力に応えてくれるという確信がある。
(ふは。厨二病、みたい)
笑ってしまいそうだった。そんなに余裕をこいていて大丈夫だろうか、なんて思えるくらいには、今のルカには余裕がある。
右手を開く。奈落の底で手にした、青い輝きの結晶がそこにある。
ルカは、結晶を握りしめたまま、その手を左腰に添えた。そして、抜き放つように、結晶を持った手を右に薙ぎ払う。
その構えに応えるように、結晶は一際青く輝き、やがて一振の刀へと姿を変えていた。
柄も、重さも、振り応えも、何故だかしっくり手に馴染む。
(何でだろう。刀なんて、振ったことも、握ったこともないのにな)
遠くで自分が苦笑している。意識がだいぶふわふわしているようだ。だけど、今はそんなことより、目の前の敵を殲滅するのが先だ、と思い直す。刃の切っ先を、敵に突きつける。
反撃、開始だ。
***
(さっきまでとは別人だわ……)
ゼスィリアはルカの後ろで、相対する二人を固唾を飲んで見守っていた。
結晶が出現し、ルカが『騎士』だと判明してからの二人の行動は早かった。ルカがまるで、何をどうすべきか全てわかっているかのように動いたのだ。彼はゼスィリアに手を差し伸べ、あっという間に水の力を最大限に行使して、奈落の底から脱出してみせた。そこに居たのは、先程までの自身の無力を嘆く少年ではなく、力を携えた歴戦の勇士だった。
(それだけじゃない。あの、目)
ゼスィリアは見たのだ。結晶を手にした瞬間、彼の目が、暖かみのある焦茶から、自分と同じ、深い水面の青に変わるのを。同時に、その体と生気が、水の気を帯びたのも。
(何故かは分からないけど、でも)
あの時、ゼスィリアは本当の意味で『理解した』のだ。
彼は本当に、ゼスィリアの『騎士』なのだということを。
もちろん、先程ルカを勇気ある者と、『騎士』のようだと称した、その言葉を覆すつもりはない。
だが、今のルカには、数多の試練を潜り抜けてきたかのような、達観した強者の風格がある。この背中に任せていれば、万事大丈夫。そういった安心感があった。
(……でも、それでいいの?)
ぎゅう、と、拳をにぎりしめる力が強くなる。彼は、先程、屈託のない笑顔で、言ったのだ。自分たちは、『相棒』だと。
『相棒』。それは、対等な立場を指す言葉。誰かが助けてくれるのに甘えて、自分は安全な場所で守られる。そんなのは、決して『相棒』とは呼ばない。
(私は、出来損ないで、役立たずだけど。でも……)
せめて、彼の隣に立てる、気概のある出来損ないでありたいから。
(助けて、助けられて、生き残るって約束したんだから。助けられた分、助けなきゃ!)
決意を新たに、ゼスィリアは、隠れていた背中から、一歩踏み出す。
立つのは、自分を守るように立つ、『騎士』の少年の、その隣。
だって、自分達は、『相棒』なんだから。




