1話
「柘榴お姉様、柘榴お姉様……」
「起きて下さい」
「「もう朝ですよ……柘榴お姉様」」
私を呼ぶ声と共に体を揺すられる。
まぶた越しに感じる光と肌を刺すような寒さが煩わしい。
つい反射的にそれらから逃れるべく布団に潜り込んだ私に対して二人はくすくすと楽し気に笑うと、いきなり掛布を捲ってきた。
……寒っ…………!!
痛いくらいの冷気が一気に布団の中に流れ込んでくる。
そして、これまた冷たい二人の腕が私の体に絡みついてきた。
ぎゅうっと苦しいほどに締め付けられ、心地よい微睡みの中から強制的に覚醒させられた私は最後の足掻きと言わんばかりに首を横に緩く振った。
「おはようございます柘榴お姉様」
「もう、お目覚めの時間ですよ」
甘やかな囁き声と共に耳を食まれる。
やわやわと強弱をつけて動くそれは二人の形の良い唇で……。
それが触れる度に……吐息がかかる度にぞわぞわとした甘い痺れが体の中を走り抜ける。
「おはよ、う……?」
薄っすらと嫌々ながらに目を開け掛布から顔を出した私の視界に大きな氷柱が飛び込んできた。
あまりの迫力に言葉を失う。
この有様は何事か、とぎこちない動きで左を向いた私は桜雪の顔を見て目を見開いた。
「ど、どうしたの!?」
朝特有の掠れた声が雑に響く。
先ほどまでは楽しそうに笑っていたはずなのに……!
いったい何故、と静かに泣いている桜雪の頭を撫でながら原因を探るべく部屋を見渡した。
が…………、
「力が、暴走した…………?」
分かったのは二人の力が暴走してしまったと言う事実だけ。
荒々しく天井から突き出ている無骨な氷柱も、部屋一面を覆っている分厚い氷も全てその力によって成されたものだ。
だが、毎度の事ながらその悲惨な状況に驚くも別段怖いと感じた事はない。
いつだって被害に遭うのは床や天井のみで私に被害が及んだ事など、覚えている限りでは一度もなかったからかもしれない。
だからだろうか?
あまりにも油断しすぎてこの事実を受け入れられないのは……。
「ど……して」
じわりと浮かんだ涙が私の目尻を伝っていく。
どうして……。
どうして、私まで…………コオッテイルノ……?
信じたくないのに理解した途端に痛み出した足が、これは夢ではないと無情にも現実を突きつけてきた。
痛い……!
イタいっ!
コワい……助けて!!
細胞の一つ一つが死んでいくような感覚が私を絶望の淵にへと追い込んでくる。
そして、徐々に凍っていく私の体。
ゆっくりと、だが確実に動かなくなっていく下半身に体の震えが止まらない。
「どうして、ですか?」
「それは私たちが柘榴お姉様を大切にし、消える事のない花を贈った理由についてですか?」
「「それとも、私たちが柘榴お姉様を殺そうとしている理由についてですか?」」
不意に聞こえてきた二人の甘い声に肩が跳ねた。
いつもと変わらない優しいそれに、なんとも言えない恐怖が湧き上がってくる。
“消えることのない花”?
“殺そうとしている”?
何を言っているのか全く理解できない。
溢れる涙をそのままに唇を戦慄かせていると桜雪が泣きながらも綺麗に笑い、雪桃が困ったように微笑んだ。
「ふふ、本当に柘榴お姉様はお可愛らしいですね」
「それにとてもお優しい……」
「あの時……私たちが柘榴お姉様に一生ものの印を刻んだのは貴女が私たちのモノであると周りに教えて差し上げるためでした」
「ただただ柘榴お姉様が大切であるが故に誰にも取られないように気をつけてきたのです」
そう言って優しい手つきで私の右太ももを撫でてきた二人。
その指先が何かの形をなぞるようにして動くのを感じた私は二人が指す“消えることのない花”について瞬時に理解した。
だってその場所は……そこにあるのは……。
「あ、ざ……?」
恐怖と絶望が入り乱れる脳内で導き出された答えがそれだった。
無意識に喉からこぼれ出ていた言葉が私の退路を塞ぐ。
もう何も知りたくないし、分かりたくもない……!
それなのに……受け入れたくない事だけが嫌に頭に残る。
冷たいこの空間も動かない足も……その全てが私を苦しめる。
そんな私の悲鳴にも似た呻き声を聞いた二人は満足そうに頷いた後、微かに目を細め再度口を開いた。
「もちろん今でも柘榴お姉様が大切である事には変わりありません、が……彼女が言うのです」
「彼女が……真白が私たちにこう言ったのですよ柘榴お姉様」
そこでいったん二人が口を閉ざす。
そして……
「「命ある宝物は一つだけで充分でしょう……と」」
それはそれは残酷に微笑んだ。
二人の目が狂気を孕んだかのように鈍く光り、立てられた爪が皮膚を切り裂いていく。
「やはり柘榴お姉様には紅が似合いますね」
「特に甘い香りを漂わせたこの血がお似合いです」
そう言うなり手に付着した血を舐め取った二人が緩やかな動作で身を起こした。
長くも繊細な白髪が背に流れていく。
それをどこかぼんやりとする視界の端で捉えつつ私はつい先ほど二人が言っていた“真白”について思い出していた。
ーー白咲真白
それは乙女ゲーム『狂鬼乱舞』の世界にて活躍する可愛らしい顔立ちをした主人公の事であり、桜雪や雪桃を含め色んなタイプの鬼たちが心を許す特別な存在の事だ。
言うなれば生まれながらにして幸運な女の子。
性格も素直で明るく慈悲深いとくればもはや完璧としか言いようがなく少しのドジ属性が庇護欲までをも掻き立てる、そんな人物だったはずだ。
……それなのに……それなのに何故、彼女は……あんな事を言ったのだろうか?
慈悲深いはずの彼女が、どうして…………「命ある宝物は一つだけで充分」だと言ったのだろうか?
様々な疑問が頭の中を埋め尽くす。
そして、私の憶測でしかない答えが脳内で飛び交う……けどもう疲れた。
「も……やだ…………」
無意識に口をついて出ていたこの言葉。
それは私の本音か、あるいは諦めか今となっては分からない。
そう……もう何もワカラナイ……。
考える事をやめた私の視界に二人の綺麗な顔が映り込む。
血で濡れた官能的な唇がゆっくりと近づいてくる。
最初に私の唇にそれが触れたのは桜雪か、それとも雪桃か。
温かくて柔らかいそれらが私の唇までをも赤く彩った。
「とてもお綺麗ですよ柘榴お姉様」
「この世の誰よりも……お綺麗です」
「貴女を殺めてしまうほどに深く……」
「深く愛してしまった事をお許し下さい」
「「いつまでも愛しております柘榴お姉様……」」
その瞬間私の体に大きな衝撃が走った。
「っ……!!!!?」
ガバッと勢いよく飛び起きた私の荒い呼吸音が静かな空間に響く。
こめかみから滴り落ちる汗と濡れた浴衣が急速に私の体温を奪っていくが今はそんな事に構っていられるほどの余裕はなかった。
ドキドキと激しく脈打つ心臓に動揺し手が震える中、なんとか浴衣の襟を引っ張って胸元を確認する。
「な……い」
潤んだ視線のその先、そこには青白い肌があるだけで傷なんてものは見当たらない。
恐る恐る触れてみても手が濡れるなんて事はなくて……。
そこでようやく落ち着いた私は張りつめていた息を静かに吐いた。
未だに震える手が無意識に自分の体を掻き抱く。
あれらは全て夢。
だが、そうであるはずなのに何故か軽視できないのも事実で……。
まだ消えてはいないらしい死亡フラグの存在に恐怖すら感じた。
どれくらいの間そうしていただろうか?
不意に腕を引っ張られバランスを崩した私の体を誰かが強く抱きしめてきた。
背中から伝わってくる熱が心地いい。
そっと壊れ物を扱うかのように触れてくる手もまた気持ちがよくて、あれほど騒ついていた心を鎮めてくれた。
「どうされたのですか?柘榴お姉様」
「どこか具合でも悪いのですか?」
寝起き特有の掠れた甘い声が私の耳元で発せられる。
いつにも増して心配そうな二人の様子に私は首を横に振ると手を前に伸ばした。
そして、目の前にいるであろう鬼、雪桃を抱きしめる。
あれらは全て悪い夢。
程よい温もりに包まれながらそう思うと不思議と安心できた。
そうして私は疲れた体を癒すべく二人に身を委ねるようにして目を閉じたのだった。
更新が遅くなり申し訳ありませんm(_ _)m
そして、本日から第3章に突入致しました!今後ともよろしくお願い致しますm(_ _)m




