11話
私が気絶してからどのくらいの時間が経っただろうか?
赤紫色に染まった空を見上げ呆然と考える。
つい先ほど肌に冷たい風を感じ目を覚ました時点で陽は沈みかけていて……。
そして何故か私は外にいた。
それもお父様の腕の中、という普通ならありえない条件つきでだ。
…………置いていかれるかと思ったのに……。
そう思ってしまっても何ら不思議ではない。
何せ私は鬼一族の中でも特に力のない、弱い個体なのだ。
そんな私がお父様について行っても高が知れている。
はっきり言って足手まといにしかならない、そうであるはずなのに……。
「……目が覚めたのか」
お父様は私を連れてきてくれた。
ぎゅっと少しだけ強くなった腕の力。
たったそれだけの行為がとても嬉しくってくすぐったい。
気持ちの赴くがままにお父様に擦り寄れば彼の体がびくりと震え強張った。
「…………お前は……」
ポツリと降ってきた低い声。
何か言い淀んでいるのか、お父様の唇が固く閉ざされ一文字に引き結ばれる。
そして考え込むかのようにゆっくりと目を閉じた後、たっぷりと時間をおいてからおもむろに話し始めた。
「……お前は…………何故、あれらに秘術をかけた?」
予想だにしなかったお父様の問いに思考が停止する。
何故……?
それこそ何故あんなにも素直で可愛らしい二人に守りの術をかけないのか、その理由を逆に聞きたい。
「あれらはお前よりも強い……故に守りの術など必要はない。そうだろう?」
トン……っと木の上に着地したお父様が心底不思議だとでも言わんばかりに私を見下ろしてきた。
金色の瞳がゆっくりと細められる。
そして早く答えろと言外に目で訴えられた私は覚悟を決め潔く唇を動かした。
本当は痛いからあまり喋りたくないんだけどね……。
こればかりは致し方ない。
それに、お父様の質問に答えて早く二人の元に行ってくれるのであればなおさらだ。
無駄に勿体ぶって時間を潰している暇など今の私にはない。
「可愛かったからです。……ただ二人が可愛かったから術をかけました」
なるべく傷を刺激しないように気をつけながらそう言えばお父様の顔が驚愕の色に染まった。
「可愛かった……?あれらが、か?」
「は……ぃ。今も可愛いです」
あり得ないとでも言いた気に声を漏らしたお父様に向かって私は一度だけ頷いてから断言した。
いや、最近では可愛いと言うよりかは綺麗の方が勝ってるんだけどね?
ちょっと色気とか出てきてていろいろと手に負えなくなってきてるけど、それを含めて可愛いというか何というか……。
とそんな事を思いつつ、未だに目を見開いているお父様に笑いかける。
ええ……もちろん、ちゃんと自覚もしてますよ?
自分が重度のブラコンである事くらいちゃんと分かってます。
そんな意を込めて、じぃ……っとお父様の目を見つめながら心中で開き直ってみせれば、どうやら彼なりに察してくれたらしい。
ふ……っと微かに笑ったお父様が小さく頷いてくれた。
「あの……」
「ああ、話さなくていい……。お前の言いたい事は分かっているつもりだ。それに、あれらならあの中にいる」
そう言って視線を前にやったお父様に倣って私もそこに目をやる。
もはや辺りは暗くなっていて見えづらい事この上ないが一応、建物らしきものは確認できた。
それでもまだまだ距離は遠い。
逸る気持ちをなんとか押さえつけ、手をぎゅっと固く握りしめる。
早く……早く二人に会いたい。
それだけが頭の中を占め、近くいると分かった途端その気持ちは大きくなった。
「お、お父様」
じゃっかん急かすようにお父様の着物に縋り付く。
そうこうしている間にも二人の命が危ないかもしれないのだ。
焦らないわけがない。
「心配せずともあれらなら無事だ」
そうは言われても実際に二人の無事を目で確認しないと安心できるはずもなくて……。
泣きそうになりながら早く早くとお父様の着物を引っ張る。
すると彼は観念したのか「問題はないんだがな」と呆れた様子で溜息を吐き、木を蹴った。
ぐんっと体が重力に逆らって宙に浮く。
そして落ちるというような一連の流れを何度も繰り返しながら辿り着いたその場所は異様な雰囲気を醸し出していた。
冷気を纏ったピリピリとしていて危うい空気。
しん……っと静まり返った建物からは誰の気配も感じられない。
それどころか、夜特有の静けさも相まってより一層その建物が不気味に見えた。
「何が起きているのか報告しろ」
突然、誰もいないはずの空間に向かって声を発したお父様が何者かに命令を下す。
彼の目は私には見えない何かが見えているらしい。
決して逸らされる事ないそれに私は冷や汗をかいた。
え……そこに何かいるの?
ドキドキと激しく脈打つ心臓が私をさらに追い詰めていく。
そして、いろんな意味で感覚が研ぎ澄まされ緊張が最高潮に達したその時、私の耳に知らない声が聞こえてきた。
ビクッと肩が大きく跳ねる。
思わず悲鳴をあげそうになった私はとっさの反射で口元を手で覆いなんとか堪えた。
「はい。ただいまの現状ですが、桜雪様と雪桃様の力の影響により建物が氷漬けになっております。そのため、中に入る事が叶わず未だ安否確認が取れておりません」
恐怖に震える私を挟んで事務的な会話が進む。
目の前に現れたのは全身黒尽くめの男で……。
一見怪しく見えるが、どうやらお父様の部下の一人のようだ。
良かった……。
幽霊でなかった事に、ほっと息を吐く。
「……そうか。引き続き確認の方を頼む」
「かしこまりました」
粗方の状況確認が終わったのか来た時同様に素早く姿消した黒尽くめのお兄さん。
お父様もお父様で何かやる事があるのか石の上に私を下ろすと、どこかへ行ってしまった。
マジか……。
一人知らない場所に取り残され放心する。
そして次第に湧き上がってきた不安に視界が歪む。
私の近くに誰もいない。
その事実が酷く私を動揺させた。
「さゆき、ゆきと……」
もはや痛すぎて感覚のなくなった唇から二人の名が零れ落ちる。
それも小さく掠れるような声で何度も何度も。
そして寒さにかじかむ手で顔を覆った瞬間、激しい爆発音が辺りに響いた。
地を揺らすような轟音とともにガラガラと物が崩れ落ちる音が次いで鳴り響く。
何事かと急いで顔を上げたその先には、ついさっきまで存在していた建物が跡形もなく崩壊していた。
砂埃が高く舞い上がり視界を遮る。
……嘘、でしょ…………?
最悪の事態が頭を過ぎる。
二人がどうなったのかも分からず絶望しかけた丁度その時、不意に風に乗って聞き慣れた声が耳に届いた。
「まだ私たちの邪魔をする輩がいるようですね?」
「それに、まだ私たちから柘榴お姉様を取り上げようとする輩もいるようです」
不思議とよく通る声。
「ここは柘榴お姉様に手を出されても困りますし……」
「ましてや柘榴お姉様の視界に入るだなんてそんな事あってはいけませんから……」
「「そうならないためにも、今ここで死んで下さい」」
その声の持ち主は紛れもなく私が大切にしてきた二人のもので……。
無事であった事に涙が溢れ出てくる。
早く会いたい、その一心で石から勢い良く飛び降り痛む体を無視して二人の元へゆっくりと、だが着実に歩を進めていく。
そしてやっとの事で辿り着いた私は力任せに二人を強く抱きしめたのだった。




