エピローグ・幕間 意地悪な神様〈天界〉
和馬の能力を授けた神様のお話です。
――ずっと、高い、高いところ。
雲より上、星よりも近い、白くやわらかな光に満ちたその場所で、ひとりの神様が、頬杖をついて、地上を眺めていた。
水面のように澄んだ床に映し出されているのは、あの、古びたアパートの一室。押し入れの前で、女の子の姿のまま、三人の女性に囲まれて、泣きながら笑っている、ひとりの青年――いや、少女の姿だ。
「――ふぅん」
神様は、つまらなそうに、けれど、どこか楽しげに、目を細めた。
「一人を選べ、と言ったのに。……まさか、'全員大事にする'なんて答えを、選ぶとはねぇ」
その声は、少年のようでもあり、老人のようでもあり、性別も年齢も、まるで判然としない。
「一途を尊べ、と加護を授けたのに。……あの子ときたら、たくさんの人を想って、そのくせ、そのぜんぶを、本物にしてしまった」
やれやれ、と肩をすくめる。けれど、その口元は、笑っていた。
◇
「なあ、和馬」
神様は、届くはずのない声で、地上の青年に、そっと語りかける。
「僕はね、意地悪な神様なんだ」
水面の中の和馬――今は和葉の姿のまま、みんなに頭を撫でられて、くすぐったそうにしている。
「'一途に一人を想い続けた者ほど、相手の好意を受け取れる器が育つ'。それが、僕が君に授けた加護。……君はそれを、《推し聞き》なんて呼んでいたね」
神様は、指先で、くるり、と光の粒を回した。
「でも、あの力があるうちは、君は、恋なんてできやしない。だって、相手の気持ちが、ぜんぶ聞こえてしまうんだから。……好感度が高いから安心して、低いから不安になって。数字ばかり気にして、目の前の人の、'本当'を、見ようとしない」
ふ、と息を吐く。
「相手の心が読めてしまう恋なんて、ちっとも、楽しくないだろう?」
◇
「だから、僕は、取り上げたのさ」
神様は、地上の和馬が、そうとは知らずに手放したものを――《推し聞き》の力を、そっと、手のひらに集めた。それは、小さな、あたたかな光の玉になって、神様の指の間で、ちらちらと瞬いている。
「声が聞こえなくなって、君は、うんと不安がっていたね。相手の気持ちがわからない、って、あんなにおろおろして」
くすくす、と神様が笑う。
「でも、どうだい。声が聞こえなくたって、ちゃんと、伝わっただろう。……あの子たちの、あたたかさが。数字なんかより、ずっと確かに」
水面の中で、和葉は、三方向から差し出される優しい手に包まれて、幸せそうに、涙を流している。
「そうさ。それでいいんだ。……恋はね、相手の心を'聞く'ものじゃない。……'信じる'ものなんだよ」
◇
「――さて」
神様は、ぱん、と手を打った。集めた光の玉が、ふわりと宙に浮かび、どこか遠くへと、消えていく。
「加護はもう、返してもらった。あの子はこれから、'声'に頼らず、自分の目と、心で、人を想っていくんだろう。……いいことだ」
けれど、と、神様は、いたずらっぽく、片目をつむった。
「'呪い'のほうは、まだ、残してある」
水面の中の、和葉の姿を見下ろして、にやり、と笑う。
「女の子になっちゃう、あれね。あれは、まだ、解かないでおいてあげよう。……だって、あのほうが、賑やかで、楽しいじゃないか」
くつくつと、喉を鳴らす。
「ほんとうに解けるのはね、和馬。……君が、たくさんの大切な人の中から、それでもいつか、'この人だ'っていう、たった一人を見つけて。……その人と、心の底から、想い想われたときさ」
◇
「まあ、そんなのは、ずっと、ずっと、先の話でいい」
神様は、ごろん、と光の床に寝転がって、両手を頭の後ろで組んだ。
「今はまだ、あの賑やかな日々を、うんと、楽しむといい。……華に、麻衣に、葵。それに、あの、意地っ張りなマネージャーの怜子も。……みんな、いい子たちだ」
地上では、和葉を囲んだ笑い声が、いつまでも、いつまでも、続いている。
その、あたたかな光景を見下ろしながら、神様は、満足そうに、目を閉じた。
「……いい恋を、するんだよ。和馬」
そして、ぽつり、と付け加える。
「――僕みたいに、一人ぼっちで、退屈しないように、ね」
その、最後のひとことだけは。
なんだか、少しだけ、寂しそうだった。
◇
――こうして。
声の聞こえなくなった青年と、時々女の子になってしまう青年をめぐる、賑やかで、あたたかな物語は。
まだ、終わらない。
だって、彼のとなりには、いつも、笑ってくれる人たちが、いるのだから。
お読みいただきありがとうございました!
こちらで本当に最後です。次回作品でまたお会いしましょう♪




