第60話 夫に捨てられた専業主婦は、世界一幸せな寮母です
春の柔らかで温かい日差しが、王都の街を優しく包み込んでいました。
私が、五人の騎士たち全員を『家族』として選び、皆がそれを受け入れてから数ヶ月。
第七分隊の寮には、相変わらず騒がしくて、愛おしい日常が流れていました。
「かすみさん! 見てください、今日の卵焼き、一箇所も焦がさずに焼けましたよ!」
朝の厨房。
フライパンを手にしたルーカスさんが、太陽のような満面の笑みで、綺麗な黄色の卵焼きを見せてくれました。
「わぁ、本当ですね! ルーカスさん、すごいです。とっても美味しそう!」
私が拍手をすると、彼は尻尾を振る大型犬のようにパァッと顔を輝かせました。
「……論理的に考えて、私の湯沸かし技術も完璧な領域に達しました。かすみさん、もう台所を爆発させる確率は〇パーセントです」
セオドアさんが、得意げに銀縁眼鏡を光らせながら、適温に沸かされたお湯でコーヒーを淹れてくれています。
「おい、かすみさん! 俺の部屋、今日はチリ一つねぇくらい完璧に片付けといたからな! 後でちゃんと褒めに来いよ!」
二階の窓から、カイルくんが身を乗り出して嬉しそうに叫んでいます。
「お姉ちゃ……香澄さん! 僕、昨日のおやつ、ちゃんと一日三回で我慢できたよ! 偉いでしょ?」
ノエルくんが、私にギュッと抱き着いて報告してくれます。
そして。
「……かすみ。……昨日は朝まで、ぐっすり眠れた」
ジンさんが、私の後ろからそっと肩に顎を乗せ、穏やかな声で呟きました。
生活能力が皆無で、自分の身の回りのことすら何もできなかった、最強で最弱なダメ男たち。
でも、彼らはもう『ダメ男』ではありません。
私を少しでも休ませようと、私に少しでも褒めてもらおうと、一生懸命に自分の生活を整えられる立派な男性へと成長してくれたのです。
「ふふっ。皆さん、本当にすごいです。……さあ、朝ごはんの準備ができましたよ」
私が食堂のテーブルに料理を並べると、途端に激しい椅子取りゲームが始まりました。
「おい、今日は俺がかすみさんの隣だぞ!」
「昨日はお前だっただろうが! 今日は俺だ!」
「僕だよ! 僕が香澄さんの隣に座るの!」
「もう、皆さんったら。席は毎日順番って決めたじゃないですか」
私が苦笑しながら彼らを窘めていると、コツコツとヒールの音を響かせて、王宮人事官のマチルダさんが食堂に現れました。
「おはよう、香澄。……相変わらず、朝から元気ねぇ」
マチルダさんは呆れたようにため息をつくと、ドサリと、テーブルの上に分厚い手紙の束を置きました。
「マチルダさん、おはようございます。それは……?」
「あなた宛ての招聘状の山よ」
マチルダさんは、肩をすくめて読み上げました。
「他分隊からの指導依頼はもちろん、王宮家政部門のトップへの就任打診、再建中の神殿からの懇願、さらには近隣諸国からの国賓待遇でのスカウトまであるわ」
私が国王陛下から『生活功労章』を授与されて以来、私の家事手腕と第七分隊の活躍は、国境を越えて憧れの的となっていました。
「香澄。……どれか、受けてみる気はある?」
マチルダさんの問いかけに、五人の騎士たちの動きがピタリと止まり、全員が不安そうな顔で私を見つめました。
私は、山積みの手紙を一瞥してから、クスッと笑って首を振りました。
「いいえ。全部、お断りしてください」
「かすみさん……!」
「だって、私が一番ご飯を作ってあげたいのは、この人たちですから」
私は、愛おしい五人の顔をゆっくりと見渡しました。
「私の家は、ここです」
私の答えを聞いて、五人は心の底から安堵したように、パァッと破顔しました。
「かすみさん、大好きです!」「絶対に離さねぇからな!」「一生かけて幸せにしますからね!」と、朝から甘い言葉の集中砲火を浴び、私は顔を真っ赤にしながらも、幸せに胸を満たしていました。
* * *
朝食の後。
私は一人、裏庭に出て、洗い立ての真っ白なシーツを物干し綱に掛けていました。
風に揺れるシーツから、お日様と石鹸の、とても良い匂いがします。
空を見上げると、どこまでも高く、澄み切った青空が広がっていました。
(……不思議だな)
前世の私は、ずっと『自分には価値がない』と思っていました。
『家事しかできない』と言われ続けて、本当にそう信じ込んでいました。
私の作るご飯を『美味しい』と言ってもらえる日が来るなんて。
私の干した洗濯物を『いい匂い』と笑ってもらえる日が来るなんて。
私の手当てを受けて『ありがとう』と言ってもらえる日が来るなんて。
夢にも、思っていませんでした。
でも、今。
私の毎日は、ありがとうで溢れています。
家事は、誰でもできることじゃありません。
家事は、誰かの命を、毎日、地味に、しぶとく、守り続ける仕事です。
そして、それを誇れる場所と、それを尊いと言ってくれる人たちに出会えた私は──世界で、一番、幸せな寮母です。
「香澄さん!! 朝ごはん、できましたよ!!」
寮の中から、私を呼ぶ、大きくて元気な声が響きました。
ルーカスさんが、セオドアさんが、カイルくんが、ノエルくんが、ジンさんが。
私を迎えに、こちらへ向かって走ってくる足音が聞こえます。
「はい、今、行きます!!」
私は、手に持っていた洗濯バサミをカゴに置き、振り返りました。
そして、私を待つ大切な家族たちのもとへ、弾むような足取りで駆け出しました。
夫に捨てられた、ただの専業主婦だった私は。
今日も、世界で一番、幸せな寮母をしています。
第七分隊の、寮母です。
それが──私の、誇りです。
(完)




