ep8 呪われた騎士
天使の剣を用いて戦っていた悪魔の正体は、昼間にルイスが出会った男だった。
年齢は二十代半ばほどに見える。
宿の主人の言葉が、脳裏をよぎった。
――レオ。
元・聖紋騎士団の少佐。
「悪魔に……呪われた? そんなこと、あるの?」
ルイスは警戒を解かぬまま、隣に立つハニエルに小声で尋ねた。
「私自身は出会ったことがない。でも、噂なら聞いたことはあるよ」
ハニエルは視線をレオから外さず、静かに答える。
「執着の強い悪魔は、死に際に人間へ取り憑くことがある。その魂と肉体を少しずつ侵し、やがて自分の器に変えてしまう……と」
「悪魔は基本的に人間を嫌う存在だから、身体を乗っ取ることは滅多にしない。でも――生き延びるためなら、そうする悪魔もいるらしい」
その言葉に、ルイスは息を呑んだ。
「俺は……元聖紋騎士団の騎士だ」
沈黙を破ったのは、レオだった。
低く、掠れた声だった。
「悪魔討伐の任務中、瀕死の悪魔にとどめを刺そうとした瞬間……呪われた」
苦々しい表情のまま、彼は言葉を続ける。
「最初は、何が起きたのか分からなかった。だが日が経つにつれて、自分の中に“もう一人”がいる感覚がはっきりしてきた」
「それで気づいたんだ。俺は……少しずつ、悪魔に侵食されているってな」
「だから……突然、騎士団を辞めたのか……」
昼間、宿の主人が語っていた話と、すべてが繋がった。
「悪魔を討つ騎士が、悪魔になっちまう……笑えねぇ話だろ?」
レオは自嘲気味に笑った。
「騎士団を辞めてからは、どうしていいか分からなかった。だが、ある時……外で悪魔と遭遇して、気づいたんだ」
「俺は、一定時間なら――自分の意思を保ったまま、悪魔の姿で戦える」
「それが……さっきの姿、というわけか」
ハニエルが淡々と確認する。
「ああ。悪魔の姿になれば、本来なら歯が立たねぇような相手も、簡単に倒せた」
「自暴自棄になってた俺は、人目につかない場所で悪魔を探しては……ただ、殺し続けた」
「……一定時間を超えたら、どうなるの?」
ルイスは、恐る恐る問いかけた。
「感覚で分かる。精神まで、完全に侵される」
「恐らく……人間には、戻れなくなる」
そう言ってレオは前髪をかきあげると、額には黒い痣のように一部分だけ悪魔のような皮膚になっていた。
「……っ……」
(そんな危険なことを……)
「騎士として自裁する勇気もなかった俺は、これしかできなかった。何もしなくても、いずれこの身体は完全に悪魔に乗っ取られるだろう」
「そんな……」
誰にも知られず、身を削りながら悪魔を狩り続けていた男。
その生き方に、ルイスの胸は締めつけられた。
「言っとくがな」
レオは吐き捨てるように言った。
「俺のやってることは、正義でもなんでもねぇ。ただの憂さ晴らしだ。
自分の始末もできねぇ……騎士として、最低のクズ野郎だよ」
そう言い残し、レオはハニエルへ視線を向けた。
「なぁ、天使さん。今ここで俺を殺したっていいんだぜ?
悪魔討伐がアンタらの使命なんだろ。どうせ俺は……遅かれ早かれ、死ぬ」
「…………」
一瞬の沈黙の後、ハニエルは静かに口を開いた。
「一つ、考えがある」
「……?」
「私たちと、一緒に旅をしない?」
「……は?」
「えっ……?」
レオとルイスの声が、同時に重なった。
「は、ハニエル……何言って……」
ルイスは言葉を失った。
「私たちと旅をすれば、悪魔の呪いを解く手がかりが見つかるかもしれない」
「それに――天使として、貴方をこのまま見捨てることはできない」
「……正気か?」
レオは動揺を隠せずに言う。
「天使が、半分悪魔みたいな化け物を連れて歩くなんて、おかしいだろ」
「私が責任を持って監視する。その代わり――私の“人探し”に、少し協力してほしい」
「天使が……人探し?」
「……今すぐ答えなくていい。明後日の朝には、この街を発つ予定だから」
そう言って、ハニエルは剣を消した。
「行こう、ルイス」
「えっ……あ、う、うん!」
名残惜しそうにレオを振り返りながらも、ルイスはハニエルの後を追った。
レオは、その場に立ち尽くしたまま、動かなかった。
————
「ハニエル……さっきの、本気なの?」
宿へ戻る道すがら、ルイスは問いかけた。
「うん。本気だよ」
「それに、元騎士団の先輩がいた方が、ルイスの修行も捗るでしょ?」
「そ、それは……そうだけど……」
「それとも、あの場で彼を殺した方がよかった?」
「……っ……!」
「何もしないまま死を待つより、少しでも希望を探して生きる方が、私はいいと思う」
ハニエルは夜空の星を見上げ、静かに言った。
「ハニエル……」
「明日は、もう少しこの街を見て回ろう」
そう微笑み、彼女は宿へと歩き出した。
◆ ◆ ◆
翌朝———
ハニエルは「悪魔の見回りをしてくる」とだけ言い残し、ルイスより先に部屋を出ていった。
「はぁ……」
ルイスはベッドに仰向けになり、天井をぼんやりと見つめる。
自分も一緒に行くと言ったが、あっさりと断られてしまった。
(……まだ、僕は足手まといだよな)
それだけではない。
昨夜の出来事が、どうしても胸の奥に引っかかっていた。
ハニエルが、あのレオという男を旅に誘ったことだ。
彼の境遇には同情するし、救われてほしいとも思う。
けれど——
ルイスとハニエル、二人きりの旅は、まだ始まったばかりだった。
(……少し、ヤキモチ焼いてるのかな)
自覚してしまった途端、恥ずかしさが込み上げる。
「僕って、心狭いのかな……」
そう呟いて、枕に顔を埋めた。
外からは人々の賑やかな声が聞こえてくる。
どうやら今日は、この街で何か催しがあるらしい。
「……少し、外に出てみるか」
ハニエルが戻るまでの間、気分転換に歩くことにした。
⸻
街へ出ると、昨日よりも人通りが多い。
中心部に近づくにつれ、その理由はすぐに分かった。
今日は聖紋騎士団の観兵式——
軍事パレードが行われていたのだ。
煌びやかな軍服に身を包んだ騎士たちが、整然と行進していく。
その動きは洗練され、無駄がなく、美しかった。
(……僕も、いつか)
あの服を着て、剣を携えて歩く日が来たら——
そう思いかけて、ルイスは小さく息を吐く。
今はまだ、その夢を胸の奥にしまい込み、静かにパレードを見つめ続けた。
パレードを見終える頃には、小腹が空いていた。
ルイスはたまたま見つけた路地裏の喫茶店へと入る。
カウンター席に腰を下ろし、メニューを開こうとしたその時——
右隣から、突然大きな声が響いた。
「最っっっ低!!!!!!」
次の瞬間、水の入ったコップが勢いよく振り上げられ、
男性の顔面に中身がぶちまけられた。
女性はそのまま荒々しい足音を立て、店を飛び出していく。
(……痴話喧嘩?)
恐る恐る視線を向けたルイスは、思わず息を呑んだ。
「……え」
ずぶ濡れになったその男は——
昨夜、悪魔として戦っていた男。レオだった。
「あ……」
向こうも気づいたらしく、目が合ってしまった。
———
気まずい空気のまま、流れで二人は隣に座った。
「……昨日あんなことがあったのに、何やってるんですか」
ルイスは思わず、冷ややかな目を向ける。
「お前には関係ねぇだろ。俺にも色々あんだよ」
そう言うレオの横顔は、水に濡れてなお妙に様になっていて、
それがまたルイスの癪に障った。
「元少佐のくせに、女関係にはだらしないんですね。
とても、さっきのパレードを歩いてた人たちと同じとは思えません」
「あ? うるせぇな。
あんなの形式だけの見せ物だ。くだらねぇ……」
「へぇ、そうですか。
でも、あれを見て憧れる子供だってたくさんいます。
夢を壊すようなこと、言わないでください」
「…………」
二人は、同時に心の中で思った。
(((こいつとは、絶対に気が合わない)))
「つーか、お前もまだガキだろ。
なんで天使と旅なんてしてんだよ」
レオはポケットからタバコとライターを取り出し、火をつけた。
「色々あったんです。
……あなたには関係ないでしょう」
「……可愛くねぇガキだな」
「それより——決めたんですか?」
ルイスは注文したミルクを一口飲み、昨夜の話題を切り出す。
「あぁ……」
レオは煙を吐きながら、どこか遠くを見るような顔をした。
「どちらにせよ、
あまり変な迷惑はかけないでくださいね。
さっきの女性にも、ちゃんと謝った方がいいですよ」
そう言ってミルクを飲み干し、会計を済ませる。
「ガキのくせに、生意気言いやがって……」
レオは一人、低く呟いた。
喫茶店を出ると、店内を覗き込むように立っている女性がいた。
怪しげな様子に視線を向けると、女性と目が合う。
「あっ……えっと……す、すみませんっ!」
顔を真っ赤にして謝り、逃げるように去っていく。
「……なんだ?」
(まさか、今の人も……)
ルイスは深くため息をつき、宿へと戻った。
⸻
宿に戻ると、ハニエルはすでに見回りから帰ってきていた。
「ルイス、どこ行ってたの?」
「ごめん。気分転換に外に出てたら、少し遅くなっちゃって……」
苦笑しながら答え、レオの件はあえて話さないことにする。
「そう……。
ねえ、ルイス。見せたい場所があるんだけど、少し時間いい?」
「見せたい場所?」
「うん。ついてきて」
案内された先は、広い海岸だった。
視界いっぱいに広がる景色に、ルイスは言葉を失う。
水面に反射する光が、空を鏡のように映し出している。
現実とは思えないほど、幻想的な光景だった。
「……すごい。綺麗だね……」
「昔、この場所に来たことがあるんだ。
綺麗だった、ということだけは覚えている」
「でも、それ以外の記憶が曖昧で……
私は物覚えがいい方のはずなのに、不思議なんだ」
「何百年も生きてたら、忘れてしまうこともあるよ。
でも、これから旅をする中で、少しずつ思い出せるかもしれない」
ルイスはハニエルを真っ直ぐ見つめ、静かに言った。
「一緒に辿っていこう。
今度は一人じゃない。僕が、側にいる」
「……ありがとう」
その言葉は、いつも通り温かくて。
ハニエルの胸の奥を、そっと軽くした。
——そうだ。今は、もう一人じゃない。
二人は並んで、しばらくの間、
言葉もなくその景色を眺め続けていた。
◆ ◆ ◆
出発の朝。
ハニエルとルイスは、世話になった宿の主人に深く礼をした。
「本当に、お世話になりました」
「構わんさ。また遊びに来るといい」
ルイスは丁寧に頭を下げ、ハニエルと共に宿を後にした。
街を出るための橋へ向かって歩いていると——
その手前、外壁にもたれかかるように立つ男の姿が目に入った。
旅用のリュックを背負い、腰には剣。
気だるそうな視線をこちらに向けているのは、レオだった。
「……やっぱり来たんだね」
ハニエルは、最初から分かっていたかのように静かに言う。
「残りの人生さ。
あんたらと旅に出るのも、悪くないと思えてな」
「そう……。
あなたがいれば、ルイスとの悪魔討伐も心強い。力を貸してほしい」
そう言って、ハニエルはレオに手を差し伸べた。
レオは一瞬視線を落とし、やがてその手を優しく握る。
「護衛として、お守りしますよ。天使サマ」
二人は短く視線を交わし、わずかに表情を緩めた。
その空気を、鋭く切り裂く声が飛ぶ。
「……僕は、あなたをまだ認めてませんからね」
ルイスが真っ直ぐレオを睨みつける。
「クソガキが……」
レオは横目で、だるそうに吐き捨てた。
「昨日のこと、ハニエルに言ってもいいんですよ?」
「……あれはだな。
旅に出る前に、清算しとこうと思って話してただけだ」
「へぇ。酒癖も悪くて女関係もだらしないんですね。
しかも店の外にも、あなたを待ってる女性がいましたよ?」
「外に?誰だそれ。
つーかガキのお前に言われたくねぇ。
どうせ女とキスもしたことねーだろ?」
「はぁ?!
ハニエルの前で何言ってるんですか!!」
「はは〜ん、図星か。
何も知らねぇガキが、生意気言ってんじゃねぇよ」
火花を散らす二人を見て、ハニエルは深く息を吐いた。
「……二人とも。行くよ」
「ハニエル!やっぱり嫌だよ、レオと一緒なんて!」
「じゃあお前は来なくていいだろ。俺とアイツで行く」
「はぁ?!
レオがハニエルと二人になったら、何するか分からないだろ!」
取っ組み合いになりながら、言い争いは続く。
「……はぁ……」
ハニエルは呆れたようにため息をつき、ふと視線を横に向けた。
そこには、重そうな荷物を抱え、よろよろと歩く年配の女性の姿があった。
それに気づいたルイスは、すぐに駆け寄る。
「おばさん、大丈夫?持とうか」
「あぁ、いいのかい?
すぐそこの店までなんだけどね……」
「ハニエル!ちょっとだけ行ってきてもいい?」
呼びかけに、ハニエルは静かに頷いた。
ルイスが離れるのを見届けると、
レオは一歩、ハニエルに近づいた。
「……旅に出る前に、一つ頼みがある」
「頼み?」
「もし俺が、完全に悪魔化したら——
迷わず、すぐに俺を殺してくれ」
その瞳には、冗談も迷いもなかった。
覚悟だけが、静かに宿っていた。
「……」
「俺にとって、あんたは一番信頼できる処刑者だ。
その代わり、この旅であんたの目的にも協力する」
「……分かった。約束する。
でも、あえて死に急ぐような無茶はしないで」
「はは……分かってるよ。
……仰せのままに」
レオは胸に手を当て、軽く一礼した。
——ルイスの知らないところで、
二人は静かな誓いを交わしていた。
こうして、レオが旅に合流し、
三人での旅が始まろうとしていた。
それぞれの運命の歯車は、
音もなく、しかし確かに動き始めていた——。




