第18話。挑戦! 最初の人助け!
夕方前。魔法少女一行は、ネクドールの町へと到着した。
この小さな町にはイノセントや暴徒による直接的な被害はなかったが、多くの難民を受け入れたことに端を発する食糧や住居関連のトラブルが多発してしまっていた。
聖骸教会の門前は、50名を数える難民で溢れかえっている。家も職も国も失って先行きが見えなくなってしまった彼らは不安と苛立ちを隠そうともせずに怒声や罵声を浴びせ合うのに夢中で、貴族風の老紳士とメイドとドレス姿の少女には見向きもしなかった。
「さてイノセント様。人助けの第一歩として、まずは簡単なことから始めましょう」
無秩序にひしめき合う群衆を前にして、ジークはイノセントに告げた。
「任せて! 何をすればいいのかしら?」
「そろそろ教会から炊き出しが配給される時間ですが、ご覧の通りに難民たちが殺到してしまい、スムーズに配給が出来ない状態となってしまっています。そこでイノセント様には、彼らを順序よく並ばせていただきたいのです」
「それだけ? そんな簡単なことでいいの?」
「誰でも出来る簡単なことで申し訳ないのですが、この町で今、必要とされていることなのです。まずはこれを終わらせてから次に進みましょう」
「うーん、ちょっと物足りないけれど……わかったわ! 困っている人たちを助けてあげなくちゃね!」
ぬいぐるみの振りをするキャンバスを抱いて、自信満々にトテトテと駆け寄っていくイノセント。そんな彼女をファイラは浮かない顔で見ていた。
ジークの許可が出るまでファイラは余計な手出しを一切するなと、事前に釘を刺されている。
「さあ、あなたたち! 今すぐ一列に並びなさい!」
「おーい、遅っせぇぞぉー! いつまで待たせんだぁー!」「痛ってぇ! お前今俺の足を踏みやがったな!?」「うぇええええー!」「押さないでちょうだい! 小さい子供だっているのよ!?」
「あ、あれ? ちょっと! ねえ、ちょっとってば! 聞いて聞いて! 聞きなさい! ねえ!」
そしてイノセントの命令は雑踏に飲み込まれた。
押し合いへし合い、配給の前線に割り込もうとする混雑は、イノセントの声を容易く弾く。
難民たちに少女が見えていないわけではなかったが、魔法を放つイノセントの姿を実際に目撃して生きている者は稀である。彼らは白いドレスを着て何かわめいている少女を、この町の有力者の子供か何かだろうと決めつけ、関わりたくはないので無視した。
「おっ、開いたぞ!」「やっとかよ待たせやがって!」「押すな馬鹿野郎!」「私じゃないわよ! もっと後ろに言いなさいよ!」
「待ちなさい! 危ないからちゃんと順番を守って並んで! ねえ! 並んでってば! 聞いて!」
教会の扉が開くと同時に、難民は一斉に教会目掛けて殺到した。当然ながらイノセントの命令を聞く者は誰もいない。
「ええい貴様ら退がらぬか! ただでさえ食器も足りぬというのに、これでは配膳もままならぬであろうが!」
「まあまあ、そう声を張り上げることもありますまい。我々まで冷静さを失ってしまっては本末転倒ですぞ」
「声を出さねば聞こえるものも聞こえぬわ!」
古びた甲冑を着けた二人の聖骸騎士が、殺到する民衆を教会の入り口で防いでいた。両者ともまだ若い男性の騎士で、口髭は生えていなかった。
「ほれ貴様が先頭だ! 次はそこの女! その次は貴様だ! 順序を守って並ばねば、神の恵みも受け取り損ねるであろう!」
「イテテテ! わかった、わかったから! そんな強く引っ張らないでくれ! 腕が取れちゃうっての!」
人相が悪い方の聖骸騎士が難民たちの腕を掴んで強引に整列を行うと、難民たちは渋々と従い始めた。中には不平不満を叫ぶ者もいたが、聖骸騎士のひと睨みがそれも黙らせる。
「…………」
しかしイノセントもまた、目の前で作られていく行列を前にして黙り込んでしまった。
「おっと、聖骸騎士がいましたか。どうやらイノセント様の手をわずらわせるまでもなかったようですね」
ジークはイノセントの手際の悪さを責めようとはせず、優しさを持って彼女のフォローに努めた。
「そ、そうね。本気を出せば簡単だったけど? 騎士さんたちの仕事を私が横取りするわけにはいかないから、仕方ないわね!」
虚勢を張るイノセント。ジークは思わず漏らしそうになった苦笑いを噛み殺して演技を続けた。
「ですが、まだまだ問題は山積みのようです。イノセント様のお力が必要なようですよ」
ジークが指し示した難民の列の最後尾では、難民同士でのいさかいが起こっていた。列の順番争いに準ずるものではない。後からやってきた難民を、先に並んでいた者たちが拒絶し始めたのである。
「だから! もうこのここはいっぱいいっぱいなんだよ! 他のもっと大きな町へ行けって!」
「子供もいるのに他の町まで行く体力なんてもうねえよ! 俺たち一家に死ねって言ってるのか!? あと数人くらい大して変わらないだろうが!」
「そうやって一人二人増やすと、キリがなくなるんだよ!」
「ケチケチするんじゃないよ! 私らを見捨てたらあんたら全員、地獄に落ちるからね!」
「昨日もダメだって言っただろうが! コソコソ隠れて人様のメシを狙うゴキブリ野郎どもめ!」
「ああ!? 言っていいことと悪いことがあるよなぁ!?」
どこに潜んでいたのか、列に無理やり入り込もうとする難民たちは増えていく。同じ難民同士が醜く争う姿を見て、ファイラは眉をひそめた。
「ねえ、あれはどうしてケンカをしているのかしら? 先に並んでいる人が、後から来た人にいじわるしているように見えるのだけれど?」
「食料が足りないのです。続々とやって来る難民たち全員に配給を行なっていては、この町の食料はすぐに尽きてしまうでしょう。……さて、イノセント様はどちらの味方をするべきだと思われますか?」
「そんなの考えるまでもないわ! 一人がお腹いっぱい食べるよりも、十人が平等にご飯を食べるべきよ!」
言うが早いか、イノセントは争い合う後列へと駆け込んだ。今度は声をかけるだけでなく、自分の体を彼らの間に無理やり割り込ませる。
「やめなさい、あなたたち!」
「んだゴラァ! いったいどこの……どこの……お嬢様……でしょう、か?」
激昂していた難民もイノセントの身なりを見てしまうと、さすがに態度を改めた。さらに彼女の背後には老紳士とメイドも控えている。
これはどこぞの貴族か有力者の令嬢に違いない。
難民たちの間に緊張が走る。
そしてイノセントは、かしこまる彼らの様子に気を良くしたか、高々と名乗りを上げた。
「マジカル! コミカル! クリティカル! 天に代わって悪を狩る! 夢と正義の魔法少女、プリンセス☆イノセント! 無垢なる祈りと共にただいま見参!」
いつもの決めポーズと決め台詞を放つイノセント。
そしてその目撃者たちもまた、いつものように困惑していた。
「ええと……」
「イノセントだって? まさか本物……?」
「いやいや、貴族の子供の遊びでしょ?」
喧騒は疑念のざわめきに変わり、さざ波のように難民の列へ伝播していく。先程と違って自分に集まる注目に、イノセントはますます気分を良くした。
「ふふーん、疑うなら証拠を見せてあげるわ! トリック! バイ! トリート!」
イノセントは魔法クレヨンを振りかざし、落書きライオンを空中に描いた。猫の顔とジグザグのえりを持つ落書きライオンはイノセントの隣に降り立つと、低い声で唸りを上げた。イノセントは誇らしげに胸を張る。
「うわああああああああああ!?」
「イノセントだああああああ!?」
「にっ、にげ、にげ、逃げろぉおおおおおお!」
「殺されるぞおおおおおおお!」
難民は大混乱に陥った。
老いも若きも先を争い、やっと手にした配給を放り捨てて教会へと駆け込む。押されて転んだ少女が後続に踏まれ、それを庇おうとした母親もまた後続に押されて転び、踏まれた。
これまでイノセントは権力者しか狙っていないのだが、一度イノセントの被害を受けた難民たちにとって、彼女の存在は厄災でしかない。関われば国を失い、家も職も家族も財産も命も全てを失う。
恐怖が彼らの思考を埋め尽くし、徹底的に追い立てた。
「イノセントだとぉ!? 件の魔法使いが、なぜこんな小さな町へ来るのだ!」
「いやはや、魔法使いへの備えなどありませぬぞ……。これは覚悟を決めねばなりませぬか……」
「貴様は新婚早々に妻を未亡人にするつもりか!? 時間稼ぎは俺に任せて、貴様は先に難民を避難させぬか!」
教会に殺到する難民を掻き分けて、二人の聖骸騎士がイノセントの前に躍り出た。剣を抜き、決死の形相でイノセントへ立ち向かう。
「む?」「おや?」
しかし彼らはイノセントの様子を見て困惑した。
イノセントは聖骸騎士など眼中にないといった様子だった。茫然と立ち尽くす彼女の注意はただ一点、踏まれ蹴られて土塗れのボロ雑巾になった親子にのみ向けられていた。
「あ、あの、て、手当てを……」
「ひいいいいっ!?」
イノセントが親子に近づこうとすると、母親は顔を歪めて悲鳴を上げた。
「お、お願いします……。この子は、殺さないで、ください……! この子は、妹思いの、いい子なんです……!」
「うう……おかあさぁん……いたいよ、こわいよ……」
子供を必死で庇おうとする母親の姿に、家族を失ったイノセントは何を思うだろうか。
「あ……あの、えっと……」
イノセントは何かを言おうとして口を開いたが、言葉が出てこない。何も言えないので開けた口を閉じ、顔を曇らせて俯くだけである。その細足を落書きライオンが舐めたが、彼女の反応は返ってこない。抱かれたままのキャンバスがわずかに顔を上げ、イノセントの表情をそっと伺った。
「聖骸騎士の方々ですね。私は魔導管理機関特別顧問、ジーク・アルトティーガーと申します。お話ししたいことがありますので、少々お時間をいただけますか」
どう動くべきか迷っていた聖骸騎士にジークが話しかけた。魔導管理機関の名前を聞き、騎士たちは互いに顔を見合わせてほぼ同時に剣を納める。
「ファイラ、ここは任せたよ」
「……承知いたしました」
ジークはその場にファイラとイノセントを残し、騎士たちを連れて教会へと歩み去っていく。騎士たちは彼女らの様子が気になるようで何度か振り向いたが、すっかり意気消沈しているイノセントには微塵も動きが見られなかった。
ファイラは親子の側に屈み込み、その手をかざす。
『元に戻せ』
癒しの炎が親子を優しく包んだ。痣が消え、裂傷が繋がり、抜けた歯が生え揃い、痛々しく折れ曲がった指も全て治った。親子は望外の奇跡を前に、目を大きく見開いて口をぽかんと開けた。
そんな親子に、ファイラは頭を下げる。
「私たちは魔法使いですが、いたずらに危害を加えるつもりはありませんでした。怪我をさせてしまって、申し訳ありませんでした……」
「えっ、ええっ!? いえいえいえいえめっそうもありません、頭を上げてください! こちらこそとんでもないです!? この子の怪我も治してくださって、なんとお礼を言えばいいかありがとうございます!?」
若干の混乱を見せつつも母親はお礼を述べると、子供を抱えて逃げるようにそそくさとその場を離れていった。彼女の去り際に、一瞬だけイノセントと目が合う。
その目は、イノセントへの恐怖で染まっていた。
「…………」
イノセントは何も言わず、ただただ顔を伏せてキャンバスを強く抱いた。難民を怯えさせたとはいえ、今回に限ってはイノセントは何もしていない。
ファイラは彼女に何か声をかけようかと迷ったが、何を言っても今は嫌味にしかならないことに気づき、彼女もまた口を閉ざした。
ジークがイノセントに関しては一任してもらえるように聖骸騎士と話をつけて戻ってくるまで、二人の間には気まずい沈黙だけがあった。