第17話。歓迎! おいでよイノセントランド!
殺すだけなら、簡単なんだぜ。
ファイラは、ジークのかつての言葉を実感していた。
あのイノセントが、一騎当千の魔法使いを次々と葬った強力無比なドラグーンが、隙だらけで頭を下げている。
もしもジークにその気があれば、イノセントが頭を下げた瞬間にその首と胴体は切り離されていただろう。
「ごめんなさい! せっかくのお洋服を汚してしまって!」
「いえいえ、頭を上げて下さい。これくらい笑い話ですよ。それにイノセント様も、私たちと同じくお召し物を汚されてしまっているではないですか。不慮の事故だったのでしょう? ところでこのスイカは食べられるのですか?」
「ううん。食べられないこともないけど……美味しくはないし、お腹を壊してしまうから、やめたほうがいいわ」
「おやおや、それは残念ですね。こんなに美味しそうなのに」
「本当!? ありがとう! 私の描いた子を褒めてくれたのは、あなたが初めてよ!」
しかしジークはにこやかに笑い、イノセントとの会話を楽しむだけである。彼はイノセントを殺して話を終わりにするつもりはないのだ。
はたしてジークはどのような手段を選ぶのだろうか。こうしたイノセントとの会話の合間にも、適切な手段を探っているに違いない。
ファイラは怨敵を前にした不安と緊張に耐えながら、ジークの采配が下るまで待ち続けようと決めた。
「マジカル! ミラクル! キューティクル! 開け魔法の国の門ー!」
イノセントが唱えた合言葉によって巨大な門が開き、スイカの馬車が進み始めた。いよいよ入国である。
ガタガタガタドガッ。ガタガタガタドガッ。
スイカの馬車の乗り心地は、控え目に言って最悪だった。車輪が完全な円形ではないので振動が酷く、天井から時折垂れてくる果汁のせいで、尻だけでなく頭までベトベトになりそうだった。
不快感を紛らわせるために、ファイラは窓から外を眺めた。すると門を抜けてすぐに、立ち並ぶクレヨン彩色の木々が見える。
イノセントが生み出した落書きの林であろうか。大きい物でも全長1m程度の木々は、統一性の無い色と形をした小粒な実をこれでもかと生い茂らせている。
「すごいでしょう? キャンディーが実る森を作ったの! 今はまだ食べられないけれど、そのうちイノセントランドに人が増えた時に、どれだけ多くの子供がいてもキャンディーの取り合いにならないように工夫したのよ!」
イノセントはファイラにぴったりと身を寄せて、窓から見える景色の解説を始めた。ファイラはどう対応していいのか分からず困惑する。親しげに話しかけられても、イノセントがファイラの仲間を殺した憎い敵であることに変わりはない。
「見て見て! 地面にはチョコレートの歩道を作ってあるの! この道を左に行くと大きなケーキをくり抜いて作った家がたくさんあるのよ! そこにはココアとミルクとオレンジジュースの流れる川もあって、ドーナツが生えてくる畑と、野生のクッキーが捕まえ放題の牧場もあるのよ! 雨が降っても大丈夫だし、虫にも食べられないんだから!」
「ふーん、虫が食べなくても人は食べられるのですか?」
「それは……」
擦り寄ってくるイノセントを疎ましく感じたファイラが冷たい物言いをすると、イノセントは口ごもって表情を曇らせる様子を見せた。それを見て、微かな罪悪感と仄かな優越感がファイラの胸の奥に滲む。しかしそれもほんの一時。
(何やってんだ! 馬鹿かアタシは! こんなことをするために来たんじゃねえだろ……!)
ファイラはすぐに己を恥じた。嫌味や皮肉で溜飲を下げる事などに何の意味も有りはしない。
「あっ! でも、ほら! アレですよね! えーと……そう! 今はまだ食べられないということは、そのうち食べられるようになるってことですよね! わー、楽しみデース!」
ファイラは自分でもどうかと思うくらいに下手くそなフォローしか出せなかったが、イノセントは彼女の言葉によって、花が咲くような笑顔を取り戻した。
ジークはそのやり取りを微笑ましく見守る。
「そう! そうなの! 今はまだ私が魔法の力を上手く使いこなせていないから全然ダメダメだけど、私がもっともっと多くの人助けをして、ありがとうの気持ちがたくさん集まるようになれば、今よりもずっと魔法の力を引き出せるようになるのよ! そうしたら本物と同じクオリティになるんだから! ねっ、キャンバス!」
「うん。その通りだよ、イノセント」
それまで無言を貫いていた小動物が口を開いた。
必要以外では喋ろうとしないキャンバスの態度を前にして、ファイラは観察されていると強く感じた。
本当の敵はこちらなのだ。可愛らしい外見と少年のような声に気を許すわけにはいかない。
「ところで」
ジークが声のトーンを少し落とした。
ファイラが僅かな緊張を見せる。
「この国の元の住民は何処へ行ったのですか?」
「…………」
イノセントはすぐには答えず、寂しそうに微笑むとキャンバスを胸に抱いた。
ガタガタガタドガッ。ガタガタガタドガッ。
スイカの馬車が揺れる音が、やけに大きく聞こえる。
窓の外には旧市街地が見えていた。イノセントの手が入っていない、小綺麗な石造建築の家々。それぞれに凝らされた修飾や技巧の数々が、つい最近まで繁栄していたこの国の技術力の高さを物語っていた。
しかし、住民の姿は誰一人として見当たらない。
家々には荒らされた様子が無いにも関わらず、いずれにも家具類はほぼ見当たらなかった。もう誰も居ない町の空虚な大通りを、スイカの馬車はガタゴトと揺れながら進む。
「みんなね、出て行っちゃったの」
「出て行った?」
おうむ返しに聞くファイラに対し、イノセントはこくんと頷いた。
「私ね? みんなが幸せに暮らせるように一生懸命頑張って色んな物を作ったり、悪い敵をやっつけたりしたんだけど……『怖い』とか『不気味』って言われちゃったの」
イノセントはやや顔を伏せて、淡々と事実だけを話す。
「魔法を使い過ぎると、魔法使いとか危険な人たちがやってきて戦争になるんだって。私がどれだけ強くても、町の人たちが殺されたり、操られたり、人質にされたりするんだって。……それと、私が作った生き物たちがいつ暴れ出すかって、みんなは不安だったみたい。だからもう、こんな危ない所には住めないって言われて、みんな出て行っちゃった。……もしかしたら、私のお母さんやお父さんもその中にいたのかな? でも、もう思い出せないの」
イノセントの細い肩が強張り、キャンバスを抱く腕に力がこもる。強く抱きしめられたキャンバスは顔を起こして、イノセントを見上げた。
「泣かないで、イノセント。僕がついているよ」
「うん……ありがとう、キャンバス」
イノセントがキャンバスの頭を撫でると、小動物は気持ち良さそうに目を細めた。
ガタガタガタドガッ。ガタガタガタドガッ。
窓の外。捨てられた町。家々の合間。その暗がりによくよく目を凝らせば、蠢くモノたちの数少ない姿が見えるだろう。
それらは落書きの雑巾や落書きのモップ、あるいは落書きのチリトリやゴミ箱だった。もう二度と帰って来ない住民の為に、彼らは汚れきったその小さな体を動かして働き続けていた。
「どうして、思い出せないのですか?」
ファイラがイノセントに尋ねる。
「魔法少女の力を使うためには、神様に差し出す対価が必要だったの」
イノセントはキャンバスを撫でながら、どこか諦観を感じさせるような声色で答えた。
「私が差し出せたものは『普通の子としての過去』と『普通の大人としての未来』だけだったの。過去は、それまでの普通の女の子としての思い出の……ほぼ全部かな。お母さんの思い出も、お父さんとの思い出も、自分の本当の名前も、全部神様に払っちゃった。どうして魔法少女になることを決めたのかも、もう思い出せないの……」
これこそ、ジークの語った竜との契約である。
通常ならば魔法使いの能力は先天性のものであって、何らかの対価を必要とすることはない。
「あ、でもね? それまでに勉強したことは覚えているの。読んだ本の内容とか、色んな国の歴史とか、算数の計算とか。図書館に自由に出入りができて、それなりの教育を受けていたみたいだから、裕福な家の子だったと思うのだけど……私のことを知っている人は誰もいなかったから、神様は他の人からも私の過去を回収しちゃったみたい」
竜は対価と引き換えに現実を書き換え、ドラグーンとなった契約者の願いを一つだけ叶える特性を持つ。
しかし、その願いを叶えた上で竜が求めるものは『契約者の願いに関わるモノやその記憶』である。
死者の蘇生を願った者は、蘇生した者との関係性を失う。
財宝を求めた者は、巨財を注ごうとしていた対象を失う。
戦う力を求めた者は、その力で守ろうとしたものを失う。
それらの真実は、願いを叶える奇跡と同等の力を持って、彼らの記憶と共にあらゆる媒体から消し去られる。
「未来はね。今後に生まれるかもしれない、私の子供たち全員の命なんだって。だからもし私が大人になって子供を産むことがあっても、みんな死産になっちゃうらしいの……」
そうして人生の指針を奪うことによって、竜はドラグーンの人生を独占する。竜の守護者としての人生以外の道を断ち、都合の良い操り人形として手元に置くのだ。ドラグーンが人生と引き換えにして叶えたかった願いが何だったのかを知るすべは、どこにも無い。
キャンバスがイノセントの腕の中でもぞもぞと動いた。体勢を変えてイノセントの頰に顔を近づけ、慰めるようにペロリペロリと舌で舐め始めた。
「大丈夫、君は大人になったりなんてしないよ。いつまでも純粋で美しい魔法少女のままでいられる。過ぎ去った過去や不確定な未来よりも、正義の魔法少女として生まれ変わった今を一生懸命生きる方が大切なんじゃないかな」
ドラグーンは竜の守護者であり、最高の玩具である。
その命が尽きるか、望まれた結果を出せずに見限られるまで、ドラグーンにそれ以外の生き方は許されない。
「うん……そうよね! せっかく神様が私を、物語に出てくるような正義の魔法少女にしてくれたんだもの! この力を使って、世のため人のためにもっともっと頑張らなきゃいけないわよね!」
イノセントの認識と、事前にジークから教えられた竜の契約に若干の齟齬があることもまた、キャンバスが契約条件すら歪めて伝えた結果なのだろう。
「……クッ!」
ファイラは強く歯を食いしばっていた。髪の毛がわずかに逆立ち、握り締めた拳の爪が肌に食い込む。彼女は少しでも気を緩めれば燃え上がる激情を、鋼の意志で抑えつけていた。
家族を奪われたイノセントの願いが何であったのか。
それを想像出来ないファイラではない。
(馬鹿だ! アタシは馬鹿だ! 今ごろになってようやくわかるなんて! ジークさんの言う通りだった! これはイノセントをブッ倒せば終わる話じゃない!)
ファイラは目の前にいる諸悪の根元……キャンバスを殴り飛ばしたい衝動に駆られていたが、この数日間で鍛えた忍耐力はそれを許さなかった。
ジークはそんな彼女の様子を、満足そうに見守っている。
ガタガタガタドガッ。ガタガタガタドガッ。
スイカの馬車は旧市街地を抜け、見渡す限りに広がる草原を進んでいく。するとやがて、窓の外に落書きの大きな立て看板が見えた。そこには[ふれあい動物ランド]と書かれていた。
その少し先でチョコレートの道路は三つに分岐していた。それぞれの道の傍には大きな案内板が立っており、左の道には[水に住む生きもの]中央の道には[陸に住む生きもの]そして右の道には[空に住む生きもの]と書かれている。
スイカの馬車は中央の道を選んだ。
パッパパッパ、パッパパッパ、パッパパッパ、パッパー。
犬のような手足の生えた落書きのラッパが、草むらから20匹ほど起き上がって歓迎のテーマを鳴らした。すると草原の彼方から続々と落書きの生物たちが集まってくる。
落書き犬。落書き猫。落書きカバ。落書きキリン。落書き象。落書きライオン。落書きユニコーン。落書き巨大カマキリ。落書き巨大ヒヨコ。落書き巨大蛇。落書きミノタウロス。落書きマンドレイク。落書きルンバ。落書きラプトル。
彼らは列を成してスイカの馬車と並走する。
イノセントが窓から身を乗り出して彼らを撫でると、行進する彼らは気持ち良さそうな声を出して鳴いた。
人に拒絶されたイノセントにとって、人でなき彼らだけが寄り添ってくれる相手なのだろう。
ファイラはひたすらに悩んでいた。
(もし仮に今この場で、上手いこと竜だけを殺したとしよう。イノセントによるこれ以上の被害は出なくなる。イノセントを恐れて逃げ隠れしている周辺諸国の権力者も表舞台に戻り、治安も経済も回復する。そして……このクソみたいな復讐心も満たされる)
それは一見良い事尽くしに思えた。
(だが、イノセントはどうする? 竜に騙され、人生を失ったこいつをどうすればいい?)
大量殺人犯として裁くか?
(……こんな規模のテロリストに科される刑罰は死刑か無期懲役かのどちらかだ)
全てを忘れて新しい人生を生きろと、どこか遠い国へ放り出すか?
(……子供が一人で生きていける国など無い。どこへ行っても惨たらしく死ぬだけだ)
なら世間から庇ってやって、面倒を見るか?
(……無理だ。騙されていようがいまいが、イノセントが仲間の命を奪った仇であることに変わりはない。許すことなど出来ないし、優しく育ててやる義理もない。それに、テロリストはテロリストだ。その思想がどうあれ、イノセントは犯した罪の裁きを受けるべきだ)
しかし。
(本当にそれでいいのか? イノセントだって被害者じゃないのか?)
どうすればいいのか。自分は何がしたいのか。何も思いつかない。何も。
己の頭の鈍さを、ファイラは心の底から恨めしく感じた。
「イノセント様の人々を想う心に、この老骨も誠に感服いたしました。是非とも私共もイノセント様に協力させていただきたく存じます。さっそくですが……一つ助言をお許しいただけますでしょうか」
ジークのしわがれた手が、ファイラの握り締めた拳の上に置かれた。
(心配すんな、俺に任せな)
ジークは口に出しては言わなかったが、ファイラはその意図を察して黙って頷いた。
「ありがとう。でも、助言って何かしら?」
首を傾げるイノセント。
「私共も常日頃よりイノセント様のご活躍は聞き及んでおります。しかしながらイノセント様がお悩みのように、イノセントランドへの居住希望者はいささか集まりが良くないご様子」
イノセントは手にしていた本を慌てて背中に隠した。
今更遅すぎると思ったが、ファイラはあえて突っ込まない。
「ですがそれも当然というもの。……よくお聞きください、イノセント様。民衆は誰もが魔法に対する根本的な恐怖を持つのです」
「根本的な、恐怖?」
「はい。魔法を持たざる者の生存本能と言ってもよいでしょう。魔法を恐れ、魔法を避け、魔法から逃げようとする、抗い難い反射のようなものが民衆の心の奥底には刷り込まれているのです」
これはジークが望ましい方向に話を進める方便だろうとファイラは思ったが、魔法使いが人々から避けられている事実もファイラは実体験として知っている。それは魔法使いの誰もが感じずにはいられない、常人と超人の壁であった。
「だからこそ、イノセント様がどれだけ崇高な理念の元に魔法を使い、多くの人々を救ったとしても……魔法を使えば使うほどに人々は恐れ慄き、人心は離れていってしまうのです」
「そう。やっぱり、そうだったのね……」
「心当たりがお有りで?」
「うん。えへへ……ちょっとね、ちょっと……」
イノセントは微笑みで言葉を濁し、ジークから目を逸らした。
詳細は何も話さなかったが、この国の現状が全てを物語っていた。きっと彼女は彼女なりに人々の役に立とうとして……受け入れてもらえなかったのだろう。
「この子たちね? シャドウと戦うのは得意なのよ? でもそれ以外のことは……ちょっとだけ苦手みたい」
ガタガタガタドガッ。ガタガタガタドガッ。
イノセントの視線を追うと、窓の外にはゴミの山が見える。形すら整っていない木材と石材をデタラメに組み合わせて積み重ねた廃材の山だ。とてもではないが、建築物と呼ぶにはあまりにもおこがましい。
しかし、その一大廃材に群がる落書きの生物たちは、ゴミ山を少しでもまともな形にしようと、この強い日差しの中で黙々と働き続けていた。
ヒョロヒョロの手足と三本の曲線で描かれた顔を持つ落書き大工が釘を打ち損なうと、廃材で組んだガタガタの足場が崩れた。その足元でしきりに首を捻っていた落書き建築家が巻き込まれて廃材に埋もれ、駆けつけた落書き塗装職人に引っ張り出される。そんな光景が廃材の山のあちこちで繰り返されていた。
どこまでも不器用な彼らが作ったと思われるボロボロの立て札には[イノセント城リフォーム予定地]と下手な字で書かれてあった。
ファイラはおぼろげながらに察した。
この国の支配者であるイノセントは、落書き生物を作り出したように城も作り出せたはずだが、あえて落書き生物に作らせていることも、おそらくは過去に一度城を壊したことにも、イノセントなりの理由があるのだろう。
「……この子も、かつては人々から忌み嫌われていました」
「えっ」
唐突に貶められて、ついつい素の反応を返してしまうファイラ。しかしジークは彼女の戸惑いを無視して話を続ける。
「しかしイノセント様との出会いによって改心し、彼女は正義の心に目覚めました。今や彼女は多くの被災地を巡り、苦しむ人々を救う活動に精を出しております。そして多くの方々より感謝の言葉をいただきました。イノセント様はそうした活動に興味がお有りになりませんか?」
「もちろんあるわ」
イノセントは即答した。
「でもシャドウと戦うことを優先していたから、そういうことはどうしても後回しになってしまっているの……。先に元凶であるシャドウを全部倒さないとキリがないって、キャンバスも言っていたわ」
「うん、そうだねイノセント」
「おお! ならばこれは、またとない機会です」
キャンバスが余計なことを言う前にジークは割り込む。
一欠片の悪意も敵意も無い、心からの喜びに溢れた笑顔を彼はイノセントに向けた。
「一度イノセント様も我々に同行し、共に『人助け』をしてみるおつもりはありませんか。鬼神の如く戦う姿を見せるだけではなく、自分は民衆の味方であるという姿勢を強く示すのです。そうすれば自然とイノセント様の支持者も増え、このイノセントランドには続々と人々が集まってくるでしょう」
「本当!? ぜひとも協力させてほしいわ! 困っている人を一緒に助けましょう!」
「実に頼もしい限りです。しかしながら人助けを行う上で、イノセント様には悲惨な人々の姿をお見せすることになるでしょう。時には心の荒んだ者に手厳しい言葉を投げつけられることもありますが、ご辛抱頂けますでしょうか」
「もちろん大丈夫よ! ねっ、キャンバス!」
「イノセントには嫌な思いをさせたくないんだけどなぁ」
「私がちょっと嫌な思いをしても助かる人がいるなら、それはとっても素敵なことだと思わない?」
「うーん……たしかに一理あるかもしれないね、イノセント。わかったよ。君が乗り気なら僕は口出しをしないよ。邪魔はしないから、思う存分にやるといい」
竜としても、信仰者は増やしたい。
いくら用心深いとはいえ、満足に信仰者を集められていないキャンバスがこの話に乗ってくることもまた、ジークの計算内であった。
あとは最後まで食い付かせることが出来るかどうかが、腕の見せ所である。
「ありがとう、キャンバス! ちゃんと見守っていてね! 私、頑張っちゃうから!」
イノセントはキャンバスを抱きしめて頬をすり寄せた。
ジークも彼らの様子を前に頰を綻ばせる。罠にかかった獲物の愚かしさが、微笑ましく愛おしい。
「ではイノセント様の手助けが必要な町をいくつかリストアップしておりますので、明日からさっそくお願いできますでしょうか」
「困っている人がいるのよね? だったら今すぐ行かなくちゃいけないわ!」
「おお、流石はイノセント様です。ではここから最も近い町へ参りましょう。今から我々がカラスのカーくんと共に案内致しますので、後を着いてきて下さいますか」
「カラスのカーくん? ああ、あの大きなカラスね! わかったわ!」
カア、と上空でカーくんが鳴くと、ジークとファイラはスイカの馬車からカーくんの背中へと瞬間的に移動した。二人は振り落とされないように姿勢を屈めてカーくんの羽根に掴まる。
そして二人の姿を探して窓から身を乗り出したイノセントは、上空を旋回する黒い怪鳥の姿を見つけた。
「よーし、私たちも行くわよ! キャンバス!」
「用心してね、イノセント。人助けはいいことだけど、彼らには何か裏があるような気がするよ」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ! そんな悪い人たちには見えないわ! 人を疑うのはよくないことよ!」
キャンバスは虚を突かれたように一瞬の硬直を見せたが、彼はすぐにイノセントにだけ見せる満面の笑顔を浮かべた。
「そうだね。たしかに人を疑うことはよくないことだね。君はその人を信じる心を決して失わないでね、イノセント」




