第16話。再会! 魔法少女ファイラ!
ファイラの人助けは、昼夜を問わず続いた。
殺気立った暴徒と衝突することも多々あったが、緊急の事態を除いてジークはファイラの実力行使を良しとせず、可能な限り話し合いによる解決を試みさせた。
そのうち、ファイラは自ら進んで貴族と暴徒の仲裁を取り持つようになった。
傲慢な貴族の代わりに彼女が土下座をして、暴徒に見逃してもらう事もあった。貴族の財産を対価にして、暴徒を護衛として雇わせる契約を結ばせた事もあった。冷静になってくれと彼女がどれだけ叫んでも受け入れてもらえず、煽られ、侮辱され、石を投げつけられる事さえあった。
それでもファイラは、自分だけが傷付く限りにおいては決して反撃をしなかった。感情を抑え、横暴な貴族にも怒り狂う暴徒にも寄り添い、両者の立場から妥協点を探ろうとした。
誰にとっても望ましい結果になることなど無かったが、必死に説得を試みるファイラの姿を見て、多くの者が武器を置いた。
ファイラは時間の許す限り熱心に人助けを行なった。
国を追われた難民の列を先導した。イノセントが破壊した生活インフラを整備し直した。イノセントが置き去りにした落書き生物を駆除した。治安を取り戻すために、訪れた町々で自警団を組織させた。混乱に乗じた略奪を受けた者たちに、聖骸教会が手配した水と食料を支給して回った。怪我人は癒し、失った住居の再建を手伝うこともあった。
こうした一見地味な活動を、ファイラは実に真剣かつ積極的にこなした。怒りの声には謝罪で応じ、感謝の声には笑顔で応えた。
一方でジークはファイラと共に移動しながらも、イノセントを直に見た目撃者を探し回り、これを見つけては質問責めにして根掘り葉掘り当時の様子を聞き出した。
その収穫は望外に大きかった。ジークはイノセントがシャドウと呼ぶ謎の寄生体を敵視している事や、イノセントランドと呼称する自分の国への居住者を募集し始めた事や、一度訪れた地には姿を見せない事を知った。
中でも最大の幸運は、アウラという国の難民から話を聞けた事である。それまでにイノセントの本拠地をある程度は絞り込めていたが、この情報が決め手となってジークは竜の巣を特定した。
そしてジークとファイラは今、巨大な門の前に立っていた。落書きのような門には『ようこそイノセントランドへ!』と下手な字が大きく書かれていた。門は同じく巨大な防壁と繋がっており、子供がクレヨンでデタラメに描いたようなガタガタの輪郭を持つ灰色の壁が、見渡す限り地の果てまで続いている。
ここは元のアウラ国の首都があったはずの地。
そして現在のイノセントランドである。
「この壁を見な。こいつはドラグーンが、人生と引き換えに竜から与えられた奇跡によって具現化させた物だ」
「左様でございますか」
髭を剃り身なりを整え、スーツを着用したジークが壁を指差した。その隣では新品のメイド服と伊達眼鏡を着用し、癖毛を整髪料でストレートに整えたファイラが頷く。
今回の現地潜入のために変装した彼らを、浮浪者の老人と露出過多の不良娘だと思う者はいないだろう。
「竜は環境を一変させちまうほどの力を持つが、その力は信仰者の数と信心に大きく左右されちまう。信仰者が少ないうちは、こんな風に不完全な形でしか願いを叶えられねえってわけよ」
「では叩くなら、今がベストということでございますね」
「おうよ。しかしお前さん、ここ数日で敬語上手くなったなぁ。あのままじゃあ、すーぐボロが出て失敗したろうぜ」
「お褒めいただき光栄に存じます。これもまた、ご主人様のご指導の賜物でございます」
「ハッハ、言うようになったじゃねえか。これは俺も……私も、真面目に演技をしないといけないようだ」
しわがれたジークの声が変わった。年寄り然とした印象が消え、低くも安心感のある声質に変わる。さらには髪や髭に艶が漲り、弛んだ皮膚が張りを取り戻したために顔のシワが激減した。ふてぶてしかった顔付きも、別人かと見紛うほどに温和なものへと変わる。十数歳は若返ったような様相は、もはや変装よりも変身と呼ぶ方が相応しいだろう。
「先に竜を仕留めたいところだが、竜の契約は予想もつかない強烈な拘束力を持つ。過去に出現したドラグーンは竜を守るために特殊な契約を結ばされていた。竜が受けるダメージを全てドラグーンに流す契約や、竜がドラグーンの命を使って復活する契約、ドラグーンの恋人の胎内に転移して身を潜める契約などだ。イノセントも例外ではないだろう。普通に戦えば、イノセントを先に殺さずして竜の討伐は不可能だ」
再確認の意味を込めて、ジークはファイラに今一度竜の特性を話した。ファイラが頷く。
「そこで私に考えがある。まずはイノセントから攻略するが、私の許可が出るまでは手出しは厳禁とする。君にとっては不倶戴天の怨敵かもしれないが、その感情は決して態度に出さないようにしなさい」
「……承知致しました」
完全に別人になったかのようなジークの言動に内心驚きつつも、ファイラは主人に仕えるメイドとしてのロールを崩さないよう努めた。彼女はこれよりジークの影となる。主人より決して目立ってはならず、命令に忠実に動かなくてはならない。
「さてと、先程から気になっているこれだが……」
ジークは落書きの門から垂れ下がった一本の紐を見上げた。紐の先端は門の上部に設置された大鐘に繋がっているようだ。
「致命的な罠に直結している様子は無い。つまりこれはただの呼び鈴のようだね。どれ、一つ鳴らしてみようじゃないか」
ジークが紐を引くと、鐘はカランカラァンと小気味良い音を立てた。
すると防壁の上で甲高い奇妙な声が飛び交う。ファイラは耳を澄ませて聞き取ろうとしたが、「ヒメサマ」「ハナビ」「オキャク」といった単語しか聞き取れなかった。
しばらく待ち続けていると、花火が上がった。
真昼の青空に、クレヨン彩色の花が咲く。花火はドーンドーンと連続して上がったが、一向に門が開く気配は無い。そのうちに防壁の上の声も止んでしまった。
そのまま5分が経過しても何も起こらなかったため、ジークはもう一度鐘を鳴らした。すると再び城壁の上が騒がしくなり、花火が上がる。……そしてまた静かになったので、5分後にジークが鐘を鳴らす。
この一連の工程をさらにもう一度繰り返した頃に、ようやく出迎えの姿が空の彼方に見えた。空気の壁を突き破る爆音を後方に轟かせながら一直線に向かい来る飛翔体は、他の誰でもない魔法少女イノセント本人だった。
イノセントは二人の来客の姿を認めると、速度を落として静かに地表に降り立った。急いで駆け付けたのだろうか。彼女の髪は乱れ呼吸は荒く、なぜか小脇に本を一冊抱えていた。
彼女は一度だけ深呼吸をすると、美しい金色の髪をファサリと搔き上げ、平坦な胸を精一杯に張って、女王然とした尊大な態度で来訪者を歓迎した。
「ようこそイノセントランドへ! あなたたちで32人目の来訪者よ! 夢と正義の魔法少女、プリンセス☆イノセントが直々に歓迎してあげるわ! 喜びなさい!」
「お目にかかれて光栄です。イノセント様」
ジークは一瞬の躊躇いもなく、頭を垂れて礼を取った。イノセントを睨みそうになったファイラも慌ててジークに続く。この一連の流れの間にも、ジークは抜け目なくイノセントを観察していた。
(今日は巣の中にいたのか。何をしていた。本を持っている。その年で本が読めるのか。識字率の高いアウラの中でも、生活に余裕があった家庭の子だ。空を飛ぶうちに汗は乾いたようだが呼吸が荒い。飛ぶ前に走ったな。すぐ飛べない場所にいたか。屋内だ。来客を知らせる花火に気づくのが遅れた。図書館か。だがなぜ本を置いてこなかった。慌てて出てきたのか。それでも10分以上もかかるのか。逆か。来客に気付いて慌てて図書館に向かったな。その本は何だ)
ジークは頭を下げたまま、自分の靴の先端に取り付けている金属片に目を凝らした。鏡のように磨き上げられた小さな金属片はつま先のわずかな動きで角度が調整され、イノセントの姿を小さく映し出す。
その脇に抱えられた本には『ワンランク上のPR術で伝えよう、あなたの国だけの特別な魅力! これであなたも一流ガイド!』と書かれてあった。
ともすれば何らかの冗談にも思えたが、ジークはそれを明確な脅威として受け取った。
(なるほど、信仰者を集める方法を探していたのか。生み出した手下には勧誘なんて高度な事は出来ねえから、イノセントが自ら勧誘するつもりだな。どうやら竜の力に頼り切る馬鹿じゃないようだ。工夫をする頭がある。こいつをこのまま捨て置けば、手強い相手に育ちそうだな)
「ふふん。面を上げなさい」
イノセントは機嫌を良くしたようだ。彼女の言葉に従い、ジークとファイラは顔を上げる。するとイノセントはファイラを見て、不思議そうに首を傾げた。
「……ねえ? もしかしてあなた、炎を操る魔法少女ではなくて?」
変装にそこそこの自信があったファイラはギョッとしたが、ジークは僅かな動揺も見せない。相手が嘘を見抜く目を持っていると知ったなら、それに合わせて淡々と方針を修正するだけである。
「その通りです。何を隠そう、彼女はかつて魔導管理機関に所属していた魔法使い、ファイラです。イノセント様に敗れて改心し、今ではすっかり心を入れ替えて、私と共に世のため人のために慈善活動に身を費やしています」
「……その節は、大変お世話になりました」
ファイラはイノセントに再び頭を下げた。
彼女はジークが立てた作戦の内容を一切知らされていない。状況次第で柔軟な修正や取捨選択を求められる作戦を、ファイラがジークと同じレベルで遂行することは不可能だと判断したからだ。
ジークがファイラに求めた事は一つ「何があっても俺に話を合わせろ」これだけである。
それがどれだけ屈辱的な内容であっても、今のファイラなら演じきれるとジークは判断した。そして、事実その期待通りにファイラは振る舞っている。
「本当っ!? 本当に改心したの!? だから今はちゃんとした服を着てるのね!?」
「え、ええ……はい……」
イノセントは語気も荒くファイラに詰め寄ると、彼女の手を両手で掴んで花のような笑顔を見せた。勢いに押されたファイラが頷くと、イノセントの琥珀色の目が涙で潤う。
「嬉しいわ! 私、本当に嬉しいの! これからは同じ魔法少女として、正義の為に一緒に戦えるのね! 私たち、きっといいお友達になれると思うの!」
掴んだファイラの手を上に下に激しく揺さぶり、固い握手を交わすイノセント。微笑ましくも思えるその様子を冷徹な目で観察している者が、ジークの他にもう一匹居た。
「よかったね、イノセント」
イノセントに付き従う小型生物、キャンバスである。
ジークはあえてキャンバスを見なかった。万が一にも本命を悟られるわけにはいかない。余計な警戒心を与えないためにも、こちらが竜の正体に気付いていない振りを徹底する必要があった。
「えっと、はい……まずは、お友達からで、お願いします……?」
一方でファイラは、歓迎的なイノセントに対してよくわからない返答をしてしまった。そして、これでいいのかと不安になり、ジークに目で助け舟を求める。
そんな彼女に対してジークは素早い二回の瞬きで返した。「順調だ。このまま続けるぞ」の合図である。
「さてさて、急な来訪で申し訳ありません。本日は折り行ってイノセント様にご相談があるのですが……この場でお話した方がよろしいでしょうか?」
「あっ….…ごめんなさい! 私ったら、つい嬉しくてはしたない姿を見せてしまったようね!」
顔を赤くしてファイラから離れるイノセント。
「私にお話があるのね? いいわ、なんでも言ってちょうだい! あ、そうだ! せっかくだから、私の作ったイノセントランドを見て周りながら、馬車の中でお話しましょう! トリック・バイ・トリート!」
イノセントが魔法クレヨンを一振りすると、緑と黒の縞模様を持つ巨大な球体が出現した。「馬車になーれ!」イノセントが更に魔法クレヨンを振るうと、やや歪んだ車輪が球体に生えた。
さらには落書きの馬が繋がれたかと思うと、ポン、ポン、と軽快な音を立てて球体の中身がくり抜かれていく。球体の内部に4.5人は入れそうな空間と窓が生まれ、続いてドアが生まれ、中へ続く段差まで生まれた。
球体の中身は瑞々しくも薄い赤色を帯びており、黒い斑点が散在している。これを見てようやくファイラは、この縞模様の物体がスイカである事に思い至った。
「さあ乗って乗って!」
「かしこまりました。イノセント様」
「……よろしくお願いします」
イノセントに勧められるままにジークとファイラがスイカの馬車へと乗り込むと、二人に続いて意気揚々とイノセントも乗車してきた。
座席状にくり抜かれた内部の果肉が、ファイラにセドリックの13番駅を思い出させる。
(ダメだ。抑えろ。今は戦う時じゃない)
感情を振り払うようにファイラがやや乱暴に腰を下ろすと、ジークとイノセントも続いて腰を下ろした。
ビチャ。ベチャ。ブチョ。
そして揃いも揃ってお尻が果汁でベッタベタになったので、三人とも犬の糞を踏んだ時のような嘆きの表情となってしまった。