第1話 覚醒と1999年の夕餉
視界が唐突に反転した。
立っていられず、俺は自室のフローリングに両膝をついた。
頭蓋骨の内側を、鋭い刃物で直接かき回されているような激痛が走る。呼吸が浅くなり、冷や汗が額から顎へと伝い落ちてポツリと床を叩いた。
「……っ」
声にもならない呻きが漏れる。目を閉じると、自分が経験したはずのない光景が、決壊したダムの濁流のように脳内へ流れ込んできた。
壁一面に並んだ無数のCRTモニターに映し出される、赤や緑の株価チャート。指先に残る、重厚なマホガニーのデスクの感触。静まり返った深夜のオフィスから見下ろす、無機質で冷たい都市の夜景。
そして、最後に残ったのは、どこまでも白い病室の天井と、一定のリズムを刻み続ける心電図の電子音だった。
莫大な富を築き上げながらも、誰一人見舞いに来る者もなく、孤独の中で心不全により生涯を閉じた42歳の男。
それが、俺だった。
(いや、俺は西園寺玲央だ。15歳の……)
二つの相反する記憶が頭の中で激しく衝突し、やがて水滴が同化するように一つに溶け合っていく。
荒い息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がった。壁に掛けられたカレンダーに目を向ける。
『1999年4月1日』
赤や青のペンで予定が書き込まれた、真新しいカレンダー。数日後には、都立高校の入学式が控えている。
傍らの姿見に視線を移す。そこに映っているのは、日米ハーフ特有の彫りの深い顔立ちと、185センチの長身を持った15歳の少年の姿だった。顔に手を触れる。熱い。肌に確かな張りがある。
動悸が次第に落ち着いていく。パニックは起きなかった。42年分の酸いも甘いも噛み分けた老練な精神が、現在の状況を極めて冷静に分析し、受け入れようとしている。
俺は死に、そして1999年のこの時代で、西園寺玲央として再び目を覚ました。理由はわからない。だが、確かに心臓は脈打ち、生きている。
ふと、部屋の隅にある学習机の引き出しに違和感を覚え、歩み寄って取っ手を引いた。
見慣れぬ黒い革製のケースが入っている。中を開けると、重厚な輝きを放つ一枚のブラックカードと、一冊の通帳があった。
通帳を開く。そこに印字されていたのは「310,000,000,000」という天文学的な数字だった。前世の総資産が、なぜか完全に合法な個人資産として現金化され、この机の中に存在している。
机の上にあった今日の朝刊に目を落とす。一面の端に、見慣れない法律に関するコラムが載っていた。「少子化対策特別婚姻法」——一定の資産を持つ男性に一夫多妻を認めるという、前世の記憶には存在しないパラレルワールドの法律。
状況は理解した。
前世の人生は、ひたすらに金と数字だけを追い求める虚無なゲームだった。その結果手に入れた結末は、すでに脳裏に焼き付いている。
(同じ轍は踏まない)
ふと、胃の腑から強烈な飢餓感がせり上がってきた。前世の最期、数ヶ月にわたる闘病生活では、流動食すらまともに喉を通らなかった。腹が減るという感覚自体が、ひどく懐かしい。
「……飯にするか」
呟いた声は、まだ声変わりしきっていない少年のものだったが、その響きには不思議なほどの落ち着きがあった。
キッチンへ向かい、冷蔵庫を開ける。ハリウッド女優として世界中を飛び回っている母親は不在だ。千代田区にあるこの広い高級マンションに、今は俺一人しかいない。
庫内にはミネラルウォーターといくつかの調味料、賞味期限の近い卵くらいしか入っていない。米びつを開けると、白米は十分に残っていた。
夕飯のメニューを考える。豪華なフルコースなど今は欲しくない。無性に、地に足のついた素朴で温かいものが食べたかった。
炊きたての白米。新じゃがいもを使った肉じゃが。ほうれん草の胡麻和え。そして、冷奴。味が濃く、素材の香りが立つ和食。
俺は財布と鍵をポケットに突っ込み、マンションを出た。
4月上旬の風はまだ少し肌寒いが、空気に混じる土とアスファルトの匂いが、春の訪れを告げている。すれ違う若者たちの服装や、手に握られている分厚い携帯電話、あるいはPHS。1999年という時代の空気を肌で感じながら、近隣にある高級スーパーへ足を向ける。
青果コーナーでカートを押し、無言で野菜を見定める。
長崎県産の泥付き新じゃがいも。手に取ると、ずっしりとした重みがあり、身がしっかりと引き締まっているのがわかる。必要な分だけカゴに入れ、次はほうれん草の棚へ。葉脈がはっきりと浮き出て、緑色が濃いもの。根元の赤みが強いものは甘みがある証拠だ。束を持ち上げ、茎の張りを確認してからカゴに移す。
豆腐コーナーでは、大豆の風味がダイレクトに伝わる濃厚な絹ごし豆腐を選んだ。消泡剤を使っていない、昔ながらの製法で作られたものだ。
精肉コーナーへ進む。
ショーケースに並ぶ黒毛和牛のパックを比較する。少し厚みのある切り落とし、適度にサシが入っており、赤身の赤が鮮やかなもの。ドリップが全く出ていないパックを見つけ、手に取る。
必要な食材は揃った。ふと、飲料の棚の前で足が止まる。食中酒といきたいところだが、今の俺は15歳だ。代わりに、良質な茶が飲みたくなった。
茶葉のコーナーに目を向ける。ガラスケースの中に、厳重に保管されている缶があった。台湾産の特級凍頂烏龍茶。
「すみません、この凍頂烏龍茶を」
近くで品出しをしていた店員に声をかける。
「かしこまりました。こちらは水出しにしても香りがよく出ますよ」
ケースから缶を取り出しながら、店員がにこやかに言う。
「ありがとうございます。今日は湯で淹れてから氷で急冷してみます」
「あ、それも美味しいですよね」
短く言葉を交わし、レジへ向かった。会計を済ませ、サッカー台でスーパーのロゴが印字された薄いビニールのレジ袋に食材を詰める。ずしりと重みのある袋の持ち手を握り、帰路につく。夕闇が迫る街の灯りが、やけに眩しく感じられた。
帰宅し、洗面所で念入りに手を洗う。キッチンに立ち、腰に深い藍色のエプロンをきつく結ぶ。
まずは米だ。ボウルに白米を計り入れ、冷たい浄水を注ぐ。最初の水は糠の匂いを吸う前に素早く捨ててから、掌の付け根を使ってリズミカルに研ぐ。数回水を替え、ザルに上げてしっかり水気を切ってから、土鍋に移して分量通りの水に浸水させる。
次に烏龍茶の準備。小さな急須に茶葉を入れ、沸騰した湯を注ぐ。一煎目は数秒で捨て、茶葉を開かせる。再び湯を注ぎ、蓋をして数十秒蒸らす。
その間に、耐熱のピッチャーに氷をたっぷりと入れておく。時間が来ると、琥珀色の茶液を氷の上に一気に注ぎ込んだ。ピキッ、と氷が割れる甲高い音がキッチンに響く。急冷することで茶の香りを逃さず閉じ込める。ピッチャーを軽く揺すり、そのまま冷蔵庫へ入れた。
ほうれん草の胡麻和えに取り掛かる。大きめの鍋に湯を沸かし、塩を一つまみ入れる。ほうれん草は根元に十字の切れ込みを入れ、流水で土を綺麗に洗い流す。
沸騰した湯に根元だけを沈め、10秒数えてから残りの葉の部分を湯に押し込む。葉が鮮やかな緑色に変わった瞬間、トングで手早く引き上げ、用意しておいた氷水に放つ。水気を固く絞り、4センチ幅に切り揃える。
すり鉢に白胡麻を入れ、すりこぎで擂る。ゴリゴリという低い音と共に、深く香ばしい胡麻の香りが弾け、鼻腔をくすぐった。粒が少し残る程度で止め、醤油と砂糖を加えて和え衣を作る。そこにほうれん草をほぐしながら加え、箸でふんわりと和える。器に盛り付け、冷蔵庫で冷やしておく。
このタイミングで土鍋を火にかける。最初は強火、沸騰したら極弱火にして15分。
主菜の肉じゃがの仕込みだ。新じゃがいもはたわしで泥を洗い落とし、風味を生かすために皮付きのまま半分に切る。水にさらして表面のデンプンを洗い流し、ザルに上げる。
厚手の鍋に少量の油を熱し、黒毛和牛を入れる。ジューッという小気味良い音と同時に、和牛特有の甘い脂の香りが立ち上る。肉の色が変わるか変わらないかのタイミングで、一度皿に取り出す。ここで火を通しすぎると肉が硬くなってしまう。
鍋に残った牛の旨みを含んだ脂に、じゃがいもを投入する。木べらを使って、全体に油を回すようにじっくりと炒める。じゃがいもの表面が少し透き通ってきたところで、ミネラルウォーターを注ぎ入れた。火を強め、沸騰したらアクを丁寧にすくい取る。酒、みりん、砂糖を加える。落とし蓋をして、中火で十数分煮込む。
鍋がことことと鳴る音。土鍋からは、米の炊ける甘い香りが漂い始めている。換気扇が吸い込んでいく湯気の匂いが、空腹をさらに刺激した。
冷奴の準備をする。絹ごし豆腐をパックから出し、流水で軽く洗って水気を切る。包丁で等分に切り分け、器に乗せる。薬味は冷蔵庫にあったチューブのおろし生姜のみ。上質な大豆の味がする豆腐は、これだけで十分だ。
土鍋の火を止め、蒸らしの工程に入る。同時に、肉じゃがの鍋の様子を見る。竹串をじゃがいもに刺すと、すっと通った。落とし蓋を取り、醤油を加える。そして、先ほど取り出しておいた牛肉を戻し入れた。鍋を軽く揺すり、煮汁を全体に絡めながら、汁気が少なくなるまで煮詰めていく。醤油が焦げる一歩手前の、最高に食欲をそそる香りがキッチンを満たした。火を止め、そのまま数分間放置して味を染み込ませる。
冷蔵庫からピッチャーを取り出し、グラスに冷えた烏龍茶を注ぐ。
ダイニングテーブルに、完成した料理を並べる。
蓋を開けた土鍋から立ち上る、つややかな白米の湯気。照り良く仕上がった肉じゃが。鮮やかな緑と胡麻のコントラストが美しいほうれん草の胡麻和え。ほんの少しの生姜を添えただけの冷奴。そして、水滴のついたグラスに入った黄金色の烏龍茶。
広いダイニングに、一人きりの食卓。
前世でも、長大なダイニングテーブルの端で、一人で食事をとることが多かった。多忙にかまけてデリバリーや高級店の外食ばかりで、何を食べて味がどうだったかなど覚えていない日もざらにあった。
「いただきます」
静かな部屋に、俺の声だけが落ちた。
まずは白米を一口。土鍋で炊いた米は一粒一粒が立っており、噛むほどに自然な甘みが滲み出してくる。
次に冷奴。醤油を少しだけ垂らし、生姜と一緒に口に運ぶ。絹ごし豆腐の滑らかな舌触りと大豆の濃厚な風味。チューブの生姜でも、そのピリッとした辛味が十分なアクセントになっている。
烏龍茶を一口飲む。冷たく澄んだ液体が喉を滑り落ちる。花のような華やかな香りと、すっきりとした渋みが口の中をリセットしてくれた。
そして、肉じゃが。牛肉の旨味が溶け込んだ煮汁を、皮付きの新じゃがいもがたっぷりと吸い込んでいる。一口噛むと、ホクホクとした食感と共に、じゃがいも本来の土の香りと甘辛い味が口いっぱいに広がった。牛肉はしっとりとした脂の旨味を保っており、白米が止まらなくなる。ほうれん草の胡麻和えも、シャキシャキとした歯ごたえが心地よい。
美味い。
ただ純粋に、美味いとわかる。
食材を選び、自分の手で作り上げた料理を、しっかりと味わって食べる。
腹の底から、じんわりとした温かさが全身に広がっていくのを感じた。前世の俺は、こんなささやかな充足感すら知らずに、ただ虚業の数字だけを積み上げて生きていたのだ。
箸を進めながら、俺は深く息を吐き出す。
今は1999年だ。インターネットが普及し始め、世界が劇的な変化を遂げようとしている激動の時代。俺には、これから市場がどう動き、どんな技術が世界を支配するのかという明確な未来知識がある。さらに、あの引き出しには310億円という莫大な資金がある。
だが、前世と同じ轍は踏まない。
数字と競争だけに人生をすり減らし、孤独に死ぬような結末だけは御免だ。
この圧倒的な優位性を武器に、今度こそ、手離してはならないものを手に入れる。
共に笑い、同じ食卓を囲み、「美味い」と言い合える相手。
地位や見栄えのためのステータスじゃない。心から信頼し、安らげる、本当の意味での家族を。
グラスに残った烏龍茶を飲み干し、俺はゆっくりと立ち上がった。
窓の外には、1999年の東京の夜景が広がっている。遠くに見える車のヘッドライトの群れが、血流のように街を巡っていた。
新しい人生の幕開けにふさわしい、完璧な夕食だった。
俺は空になった食器を重ねると、静かにシンクへと歩き出した。




