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白い霧の向こう ― 茶馬道の小さな殺意 ―  作者: 鬼丸 千


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第27話 姜府に潜入

 巍山ウェイシャンの中核に位置するも、喧騒から離れた閑静な場所にジャン府はある。

 白壁と黒瓦の大きな門は、やはり街の商家とは明らかに格が違う。威風堂々たる外門の前には槍を持った門番が二人、背筋を伸ばして立っていた。


 近づくにつれ、芳寧ファンニンの歩みが緩くなる。

 大胆な計画をたてておきながら、いざとなると「これでいいのか」と不安になってきた。これほど威圧感ある屋敷には、これまで入った事がない。

 そもそも目の当たりにするのでさえ初めてだ。


 並んで歩いていた陸峰ルフォンが、彼女に足並みをそろえた。


「引き返すなら、まだ間に合う」


 その言葉に負けん気が頭をもたげる。


「今さらとんでもない。こんな格好までしたのに」


 陸峰ルフォンが、ふっと笑った。


「よく似合う」


 芳寧ファンニンは、眉間にしわを寄せて陸峰ルフォンを見上げた。


 看板猫のいる茶屋を出た後、芳寧ファンニン陸峰ルフォン克己クジとともに、本通りから裏通りまで古着屋をめぐった。


 旅人がひっきりなしに訪れ、人口も多い巍山ウェイシャンには、使い古しの衣服を扱う古着屋が山ほどある。


 色あせた粗布の短衣から使い込まれた縄帯はもちろんのこと、ほとんど袖を通していないのではと思われる盗品まがいの衣類まで、よりどりみどりだ。


 体格や年齢を考慮して、陸峰ルフォンは荷運び人に化けた。

 化けた後の服装は、鏢師の時とさほど変わらない。

 

 麻布の粗い濃茶の上衣に羽織るのは、袖を切った黒の作業着。

 腰帯は、太めの布帯だ。

 丈が膝下までの下衣からは、まっすぐな足が長く伸びている。

 草鞋のつま先まで軽やかな装いとなった。


 背中でひとつに束ねていた黒髪は、高めの位置でざっくり結ぶ。

 肩には、使い込まれて黒ずんだ縄を輪にして担いでいる。

 いかにも「重い物はお任せ」たる働き者の下人の姿なのだが、少しほつれた髪に春の風がそよいで、若い色気をたなびかせている。


 娘たちが、陸峰ルフォンをふり返る。

 そんな反応に気づくたび、芳寧ファンニンは胸がざわついて仕方ない。


 桃色や若緑といった春色の上衣をふんわりと身にまとい、露店のかんざしや香り袋の前で華やかに笑う娘たち。対して、芳寧ファンニンの格好は――。


 茶色の粗布の短衣姿は、身分の低い下男の格好だ。

 袖は短く、芳寧ファンニンの細い腕がにょっきり出ている。

 腰に巻いているのは、くたびれた縄帯。

 足首で紐を結ぶ仕立ての下衣に、これでもかというほどに薄い布靴。

 娘らしく編み込んでいた黒髪は、低い位置でざっと結んである。


 しかも、彼女が手にしているのは髪飾りや絹の手巾でもなく、山賊からともに逃れて砂埃まみれになっている馬のくつわだ。


「お前の顔は、どうも男に見えない」


 そう言って、克己クジ芳寧ファンニンの頬にすすまで付けた。


「これで立派な小僧になった。説得力がある。合格だ」


 説得力のために屈辱感を味わうとは。


「よく似合う」と陸峰ルフォンに言われたのが、癪に障る。


「どうして、あなたまでジャン府に行くのよ」


 再び、可愛げのない言葉が口をついて出た。


「鏢局の仕事があるんじゃないの?」


「きみのお父さんに雇われたからだ。三日間、きみを護衛する」


 あの日、あと三日だけ巍山ウェイシャンに残りたいと懇願した芳寧ファンニンに、克己クジは「変装がうまくいったら許可する」と言った。


 そして、芳寧ファンニンと顔を見合わせた陸峰ルフォンに向かってこう言った。


ヤン公子の護衛が終わったのなら、三日間うちの娘の護衛を頼む」


 ──陸峰ルフォンは断らなかった。


 しっかり男装した娘に満足したようで、克己クジはひと足先にジャン府へ戻っていった。揚易棠ヤン・イタンに、状況を説明するために。


「入ろう」


「……通してくれるかしら」


 いかめしい顔をした門番と視線があい、芳寧ファンニンはうつむいた。

 いくら外見を変装したところで、白い瞳だけは隠せない。

 忍び込む身だ。余計な注目は避けたい。


克己クジさんに言われた通りにすればいい」


 陸峰ルフォンは、落ちついたものだ。


「この門をくぐれば、虎の巣窟だ。今のうちに深呼吸しておこう」

「怖いこと言わないで」


 芳寧ファンニンの心細さを察したのか、賢い馬が鼻先を寄せてくる。

 彼の背中には「ただいま所用から戻りました」という演出に、大きな茶餅の包みを六つずつ結わえ付けてあった。

 

「待て」


 案の定、芳寧ファンニン陸峰ルフォンは止められた。

 槍を持っていた門番が、太い眉をいかつくする。


「お前たち、用件は?」


 長身の背中をかがめ、陸峰ルフォンは腰牌を見せた。


ヤン家の者です。揚易棠ヤン・イタン二公子の馬が一頭、途中で体調を崩したので、遅れて到着しました」


 愛想のない門番は、ふんと鼻を鳴らした。

 だが、腰牌に問題がないと見ると、あご先で「入れ」と促した。


 芳寧ファンニン陸峰ルフォンは、一礼して奥へ進む。


「父さんから、そんな物をもらってたの?」

 

 腰牌を指さして、小声で聞いた。


「ああ。これがあれば、自由に出入りできるからと」

「腰牌なしで、父さんはどうやって中に入ったのかしら」

「俺も、そう尋ねたんだが――」


 陸峰ルフォンは、首をすくめた。


「飛べるからいらない、と」


 冗談なのか本気なのか。

 克己クジの言動がいちいち怪しい──。


 重厚な花崗岩で組まれた門柱。

 門扉の上には、金色に刻まれた『ジャン府』の扁額へんがく

 芳寧ファンニンは、なぜだか彫刻のひとつひとつに睨まれているような心地がした。


『お前は、招かれざる客だ』と。


 門をくぐると、真正面には白壁の影壁が立ちはだかっている。

 まるで結界のようだ。

 外側からは見えないジャン府の内部に、私たちは潜入している──。


 影壁の左手に、煉瓦で作られた壁状の仕切り──屏門へいもん──がある。両端に小さな門柱があり、高さは人の背丈ほどで、門というより「屏風のような壁」といったところか。


 屏門へいもんを抜けると、石畳の開けた空間があった。

 前院と呼ばれる場所だ。

 左手には石壁の倒座房とうざぼうがあり、右手には正院へ続く垂花門すいかもんがある。 


 陸峰ルフォンが、馬の背から荷を下ろしながら言った。


「向こうに馬杭がある」


 前院の片隅、見れば石畳の上に太い杭が並んでいる。

 すでに数頭の馬が、静かに鼻を鳴らしていた。


 垂花門は閉じており、その奥の様子はわからない。選抜試験に呼ばれた賓客である揚易棠ヤン・イタンは、垂花門の先の正院にいるはずだ。


 明日、その格式ある正院の中堂で、三日間に及ぶジャン家の婿選抜会が幕を開ける。 



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