34.酸素
「ちょっと待って!!目が見えるのか!?
じゃあ記憶は、記憶は戻ったのかよっ!??」
食い気味な俺の問いかけは、どちらも答えて貰えない。
俺だけが、状況を飲み込めていない。
俺を置いて、2人の中で話が進んでいる。
俺は2人の間に割り込んで、 白燈の肩を掴む。
「今目開くのかっ?!」
「…。」
眉間にしわを寄せるだけで何も答えない。
俺は猪倉さんの方を向く。
そのまま猪倉さんの肩を掴んだ。
なりふり構ってられない。
置いて行かれているという状況が俺を焦らせていた。
「どういう事だよっ!?説明をっ!!」
「…確信はなかったけど、今の反応で分かったよ。
洸くん、目、見えてたんだね。」
「………は、?」
言ってる意味が分からない。頭が追いつかない。
ゆっくり振り向いて白燈の顔を見る。
白燈のまぶたが、揺れる。
そして、そしてゆっくり。…まぶたが開いた。
その目には、戸惑う俺の顔が映る。
綺麗な、スカイブルーの瞳。
目からはまた、涙が溢れた。
今度は何色にも染まらない、綺麗で透明な涙。
「……は、 白燈。今、俺の事、見えてるの?」
「…。」
白燈は何も答えない。
ただ大きな目から涙を流し、俺を見つめた。
白燈の目は、しっかり俺を捉えている。
答えなくとも、分かってしまった。
目は確かに、機能している。
「見えてた、ってどういう事?
ただ目を閉じて“見えないふり”していたって事?
……騙してた? 白燈が、俺を。」
「…!!違うっ!そうじゃないっ!
そうじゃ、なくて…。」
ぼろぼろ涙を流しながら俯き、下唇を噛み締めた。
じゃあ何なんだ。説明してくれよ。
そう言いたいのに、声が出ない。
頭も、何もかもが、付いていけない。状況が飲み込めずに居る。
白燈は肝心な事を言ってくれない。
俺は力なく、 白燈を見る。
突然 白燈が目を開けた事よりも、
目が見えていたかもしれないという事よりも。
嘘を、つかれていたかもしれない。
その“嘘”が、何より俺の胸に刺さっていた。
ショックか、怒りか。手が震える。
「面白かったか?面白いよなそりゃ。馬鹿みたいに信じて。
お前が、本当に目が見えないって、信じてた俺は。
きっと何よりも滑稽だっただろ?」
「ちっ違う、違うんだ黒埜っ!
騙したかった訳じゃない、そうじゃなくて…」
「〜っっっ!!じゃあ、何だっ!!お前の言葉鵜呑みにしてっ!!
ここまで来た俺をっ!!馬鹿にしたいんだろ?!!
しろよ!!ほら!!お前の望む結果になったんじゃないのかよっ!!」
「 優咲さん、少し落ち着いて。」
感情的になって怒鳴る俺をなだめる猪倉さん。
猪倉さんは俺と白燈の間に入って、
お互い掴み合いにならない様に距離を取らせた。
…まぁ殴りかかるとしたら俺の方だろうけど。
白燈の目からは未だ止まる事なく涙が溢れている。
俺は喉が焼けるように痛い。
言いたい事が山程あって、なのに何て言えばいいのか分からなくて。
…泣きたいのは、俺の方だ。
色んな感情が身体中を巡って、上手く発散出来ずに渦巻いている。
身体に溜まっていく感情が黒くなって、重く底の方で悲鳴を上げている。
俺は白燈からも猪倉さんからも距離を取る。
俺だって出来るなら白燈を殴りたくはないし、
それに猪倉さんを巻き込みたくない。
「 洸くん、君目を使うの久々だろう?
その涙は危険信号かもしれない。
いきなり目を酷使するのはやめた方がいい。」
今まで使われなかった目が突然機能を始めた為、
身体が目を保護しようと涙を出しているという事らしい。
そんな猪倉さんの優しい警告も制止も無視して、
白燈は俺に向かってこようとした。
行かせまいと腕で白燈を押さえる猪倉さん。
それでも白燈は俺に手を伸ばした。
「 黒埜、お願い聞いて。お願い。
本当に見えないって“思っていた”んだ。でも、でもここに来て、
頭の痛みも目の痛みも、段違いに強くなっていって。」
「…。」
「っ…全部っ!!全部思い出したんだ。
忘れてた記憶が、一気に流れ込んできた。」
そらしていた目線を白燈に向ける。
俺と目が合うと、嬉しそうに笑う白燈。
記憶が、戻った?今こいつそう言ったよな?
「ちょっと待って? 洸くん、記憶戻ったのかっ!?」
「全てかどうか分からないです…。
でも今頭に流れ込んできたのは、確かに俺が忘れていた記憶のはず、です。」
「何を思い出したんだ?」
今度は猪倉さんが食い気味に尋ねた。
しかし白燈は、俺に近寄って来る。
俺はまたそっぽを向いて、不自然に視線を泳がせていた。
…どんな反応をすればいいのか、分からなくなっていた。
すると猪倉さんが声をあげた。
「あ、そうか…。すまない、驚くあまり無神経な事をしたね。
僕は先に街に降りよう。…2人で話すといい。」
「え、 猪倉さん!?」
猪倉さんは謎に空気を読み、俺たちに背を向けた。
俺は引き止めようとその後を追おうとしたが、阻止された。
俺の腕を掴む白燈。
目には確かに、俺が映っている。
……俺だけが、宝石の様な輝きの目の中に居た。
「話を、聞いて。お願い。」
悲しそうに笑う白燈に、何も言えなかった。
猪倉さんの背中が見えなくなってから、
1番街を見渡せる広い所まで移動した。
俺は地面に腰を下ろす。
白燈も隣に座ろうとしたが、
大きな岩があったのでそっちに座る様に言った。
自分だけ岩に座るのは申し訳ないと言っていたが、
俺はもう地面に座ったし別に気にしない。
複雑そうな顔で渋々岩にもたれる白燈。
お互い街の方に身体を向ける。
視界の端で白燈がこちらを向いているのが分かったが、
気まずくて目線を合わせなかった。
「僕が思い出したのは、親戚の家に居た時の記憶。
行ったばかりの時はまだ“見えてた”。
…僕はずっと目が見えないって思ってたけど、そうじゃなくて。
自分で望んで、自分から視力を“奪った”んだ。」
「自分で、自分の視力を奪う?」
意味が分からず、思わず白燈に視線を向けた。
白燈は真っ直ぐ街を見ていて、
目はきらきらと輝いている。
息を呑むほど、綺麗な目。
「色んな仕事を手伝わされて、“見たくないもの”もたくさん見た。
ふふっ…馬鹿だよなぁ。でも当時は必死に考えて悩んで。
“それ”だけが、やっと見つけた“最善”だった。」
「目が、見えなくなったふりか?」
「そう。何だったかな。仕事をして、失敗したんだったか。
知らない大人怒らせて、名前も知らない薬品を顔にかけられた。
焼ける様に顔が痛くて。…でも好都合だと思った。
そう思うと涙も出なくて。…感情も痛覚も。麻痺してた。」
悲しそうな白燈。
幼い子供が薬品をかけられたのにも関わらず、
泣きもせず冷静に、嘘をつく事を考えるなんて。
どれ程のものを見てきたのか。どれ程辛かったか。
考えるだけで、心臓が締め付けられる。
「目が見えないふりは大変だったけど、
慣れてしまえば苦じゃなかった。おかげで仕事も減った。
“見たくないもの”を見ずに済んだ。
…でも気付かない内にストレスは溜まってたんだね。」
特別何かあって、記憶がなくなった訳じゃない。
時には体力的に、時には精神的に。
自覚なく溜まって抱えきれなくなったストレスは、
確かにその小さな身体を蝕んでいた。
…残酷なくらいに重いストレス。
「辛いとか痛いとか、よく分からなくなって意識が朦朧としていた。
でもある時、周りがいつもと違う事に気付いた。
僕はすでに記憶も曖昧になってて…混乱した。
…それが、先生と初めて会った時。」
「…。」
「僕、忘れてたんだ。目が見えないのは嘘だって事。
思い込みって怖いよね…。全部自分で作った偽りだった。
…悲劇の子供でも、演じたかったのかな?」
笑って自虐する白燈の表情はとても悲しそうだった。
嘘をついていた事自体を忘れて。
“目が見えない”という思い込みだけで、
本当に目が見えなくなるものなのか?
実際に白燈はついさっきまで目が見えなかった。
人間の思い込みは、例えそれが嘘でも。
思い込んでしまえば、事実に変わってしまう?
それ程人の思い込みには、力があるのだろうか。
「……ごめん。嘘ついて。」
白燈自身が俺に嘘をつくという、
明確な意思や気持ちがあった訳ではない。
結果的に、そうなってしまったが。
言ってしまえば白燈だって被害者だと思った。
親戚連中によって受けた酷い扱いから、
嘘をつく事が当時の彼にとって唯一の逃れる術だった。
彼が、見つけた。“最善”。
思い返せば、どれも“普通”では考えられない事ばかりだった。
目が見えなくても、1人で歩く。
白燈が気付いていなかっただけで。
“見えている自覚”がなかっただけで、
微かに目が機能していたのかもしれない。
だとしたら俺だって、先生や龍や楓だって。
責任があったのではないかと思った。
俺たちが気付いてやれていたら。
そう思うと俺は白燈の事をちゃんと、
見れてやれてなかったのだと実感して悲しくなった。
「…自分が嫌いだった。なんで生まれて来たんだろって。
僕が悪いから、お母さんは死んで。
引き取ってくれた人たちは僕にこんな事するんだって。」
「 白燈…。」
俯いて静かに涙を流す。涙に光が反射して輝いている。
今まで忘れていた感情たちが白燈の中で溢れて、
消化し切れずにどうしようもなくなって。
止まらなくなって、涙に変わって流れ出している。
普段誰よりもしっかりしてて、芯の強い白燈の涙。
俺には分からない、分かってあげられない感情。
白燈が体験して来た酷い体験も。
お母さんを失った時の悲しみも。
…俺には、両親との記憶すら、ないから。
今まで先生が、俺を守って来てくれたから。
白燈の側に誰か、
俺にとっての“先生”の様な人が居てくれていたら。
今更考えても仕方ない事ばかりが頭に浮かぶ。
白燈の頬に手を伸ばして、流れていく涙を受け止めた。
白燈がこっちを見て、涙に濡れて輝く目に俺が映る。
「ずっと、死にたかった。いっそ殺して欲しかった。
でも誰も僕の声なんて聞いてなくて。
…だったら、もう何もかも忘れてしまいたいって。」
白燈の口から、ぽつりぽつりと溢れる言葉。
白燈の目の奥が、揺れている。
心なしか声のトーンが低くなったか…?
白燈は頬に添えられた俺の手と、
もう片方の俺の手を両手で掴んだ。
握る力は白燈のものと思えない程強く、思わず顔を歪める。
「は、 白燈?」
「痛いって言ったのに、やめてって言ったのに。
お母さんに会わせてって言ったら、あいつら酷いんだ。
とっくに死んだって…。嘘だよそんなの、お母さんが死ぬ訳…。」
白燈の目の奥の揺れは、少しずつ大きくなっている。
話し方は何処か子供を連想させた。
記憶が戻った事で頭が混乱して、
“今と過去”の記憶の境目が曖昧になってるのか?
握る力はどんどん強くなって、振り解こうとしても離れなくなった。
徐々に握られた所が、赤くなっていくのが見て分かる。
「ちょっと白燈、痛いって。
どうしたんだよ?なぁ落ち着い…」
「いいよ、もういいんだ。何もしたくないの。
何も、見たくない。目の前で大人たちが。
僕に向かって何かを投げたり、殴ったり手を伸ばして。
それに、何かを吸って狂った様に叫んで、お前も、やれって…」
「!??… 白燈っ!落ち着けっ!!
それは過去の事だ、今じゃない!!」
目の前で叫ぶが、声は届かない。
白燈は酷く怯えた顔をして震え出す。
両手は強く握られていて、振り払う事が出来ない。
声は届かない、手を振りほどけない、じゃあどうすれば…。
混乱した白燈が咳き込みはじめ、呼吸が途切れている。
…過呼吸かっ?!しかし掴む力は、緩む事を知らない。
どんどん強くなって、手首にはくっきり跡が残っていく。
倒れかけている白燈をどうにか起きあげようと、
掴まれた手を必死に動かしていた時だった。
不意に顔が上がって、白燈の顔が目の前に来た。
それはもう数ミリで、吐く息がお互いにかかる。
真っ直ぐ、目が合う。そこに映る景色はまるで別世界だった。
…俺は後先考えずに、キスをした。
「っ!?うぅっ…ふっ…ん…」
白燈の口から小さく声が漏れる。
驚いた拍子に掴まれていた両手が自由になった。
キスから逃れようとする白燈の側頭部を両手で押さえる。
逃げ道を塞がれた白燈は、
息が出来なくて苦しいのか俺の肩に手を置いて服を握り締めた。
苦しいだの息が出来ないだの、お構いなしにキスをし続けた。
…まぁ俺も苦しいし、そろそろかと思った所で口を離した。
「はあっっ!!げほっ…げほげほっ」
「あぁ〜…大丈夫か?」
「大、丈夫、な訳……げほっ」
咳が止まらず、胸を押さえる白燈。
なんか申し訳なくて、背中をさすってみる。
咳はしばらく出たものの、過呼吸は止まっていた。
ようやく咳も落ち着いたかと思ったら、
肩を掴まれすっごい揺らしてきた。…何だ何だ。
「お、女の子がっ!!躊躇なくっ!!
き、キスとかしちゃだめ、でしょっ?!」
「えぇ〜?」
さっきまで冷や汗流して過呼吸だった奴が何言ってやがる。
そんな事言ってる暇なんてなかったじゃん。
…そりゃ俺も何も考えず咄嗟にとった行動だったけど。
「いいじゃん、過呼吸収まったし。別に減るもんでも…。」
「そう言う問題じゃないっっ!!」
……もっと怒られた。
顔を青くしたり、赤くしたり。忙しい奴だなぁ。
ころころ変わる白燈の表情に、思わず笑みがこぼれた。
微笑む俺を見た白燈はまた顔を赤くした。
「なぁ白燈。俺は、お前が、
生きてて良かったと思ってる。」
「…。」
俺の空気が変わった事に気付き、真剣な顔で俺を見る白燈。
本当ならこんな事、言わないし。がらじゃないし。
でも、それでも、こんな言葉でも、こんな俺でも。
良いと、言ってくれる君だから。
「例え俺と出会う為に白燈が酷い目に
合わなくちゃいけなかったとしても。…俺は。
白燈が酷い目に合ってでも、俺と出会って欲しいって思う。」
「…。」
「ははっ…最低だろ?でもそれくらい、
俺の中の白燈の存在はでかいんだよ。
切って切って、切り取っても。切り離せなくなってた。」
白燈の表情は変わらない。
俺を綺麗な目が、じっと捉える。
話してる途中何度も、逸らしそうになったが許してもらえなかった。
でも何一つ、不快には感じなくて。
むしろ幸せなくらいだった。
「ねぇお願い。 白燈。
…終わらないで。お前の命は、お前だけのじゃないよ。」
「…。」
「お前の命が尽きるその場所が、俺の、“墓場”なんだ。」
「…っ!!」
白燈は一瞬凄く苦しそうな顔をした。
さっきとは打って変わって、優しく優しく抱き締めてくれる。
頭は腕でがっちり固定されてるし、
なんか手首を撫でられてるしで動けなくなった。
「……名前、呼んで。」
小さい、本当に小さな声。
この世の何よりも、俺に優しい声。
…あぁもう。涙が出そうになる。
こんな奴でいいのかとか、俺は面倒な奴だぞとか。
そんな事が頭をよぎったけど、そんな事置いておくくらいに。
呼びたいと思った。それを許してくれた事が、何より幸せだった。
「……… 洸。」
「っ…… 優咲っ。」
優しくて強い、そんな心地の良い腕の中。
俺は背中に手を回す。…あぁ、見てるかなぁ。
お父さんが、お母さんが。そして先生が。
産んで、育てて、守って、生かせてくれた。
俺は今、今までで1番、幸せだ。
「……ありがとう。お父さん。お母さん。」
何だか恥ずかしくて、音にもならない声。
姿なき2人に向かって、静かに口を動かした。




